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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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人事評価をちゃんとやっているかが、その企業の信頼性を決める

アメリカでは、職務の範囲をきちんと決め、それ以外のことはしなくていい。だから、その仕事の専門性は高い。
対して日本では、オールマイティーにできることが求められる。だから専門家も育たない。

アメリカの企業は、企業内の人事評価を縦にも横にも360度できちんと行う。
勤務時間の2,3割は人事評価の時間と言っても良い。

対して日本では、人事評価は上司の気分で決めてしまう危険性がある。

学校教育の教員にも人事評価が導入され、ついに月給にも反映される見通してです。
あまり仕事をしない先生と、がんばっている先生とが、同じ給料であることに違和感を覚えることは事実です。

しかし、教員の評価は難しい。

ことばの教室担当となると、さらに難しいのでは。

何をもって、がんばっていると評価するのか。


でも、給料のことはさておき、それよりもっと大事なこと。

「小学校教員なのだから、全ての仕事を経験していなくてはならない」
「ことばの教室をずっと担当するということは、2年生をずっと担当するのと同じだ」

まだまだ、日本の古き慣習に縛られて、通ってくる子ども達のための考え方なり、制度になっていないことが一番の問題では。

自分が正しいと思っている価値観自体が、時代や地域の常識の枠組みの中にはまっているということに気づくことが大切なのでは。

メタ認知です。

ことばの教室を初めて開設した当時の親御さんや教員、行政の思いが、なぜ未だに制度として整わないのか。
数は増えているが。






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この地方に初めてことばの教室を立ち上げた先生の訃報

葬儀委員長挨拶で故人の紹介。
「小学校教諭として勤めました」でなく、「小学校にことばの教室を立ち上げました」と。

ことばの教室担当は、小学校教員というだけではないのです。
スペシャリストなのです。

「ことばの教室の先生、ではなく、○○小学校の先生と呼ばれるべきだ」
という論調が見受けられますが。
諸先輩が作ったものは、通ってくる親子の想いを受けてのものでした。

檀家のお坊さん曰く、ことばの教室の教育については、熱く語っておられたそうです。

先生の蒔いて下さった種は、今、この地方に、10教室以上のことばの教室開設、発達障害通級指導教室の開設につながりました。

古くからの先生によると、親の会をこの地方に初めて立ち上げた当時の先生だそうです。
親の会名での花も届けられていました。

そして、実は、私自身が小学生の時、先生にことばの「選別検査」を受けた記憶があります。


享年83歳。

先生の遺したものをしっかりと受け継いでいきます。

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【教材】グリコぬりえ

グリコぬりえ
https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.co.glico.gliconurie&hl=ja


お菓子のおまけについている塗り絵が「すごーい」と。
台紙に色を塗って、スマホやタブレットで写すと、なんと、塗った絵が3Dの立体になり、しかも画面上を動き回ります。
親子で「おー、すごーい」と叫ぶこと間違いなし。


それで終わってしまう感じもないわけではないですが、塗り絵への興味を高めたり、情緒的な交流のきっかけに。


Android版では、動作不良の報告があるようですが、私の持っている物では問題なく動作しました。
(Android4.4.4の最新版だからかもしれませんが)

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K-ABCアセスメント学会 2

「数値だけではなく、検査時の行動観察は?」
「主訴は?」
「この学会は、検査の数値だけでなく、行動観察や主訴などを大事にしてきた。日常の指導での行動観察の情報がなければ、検査結果は解釈できない」

助言者やフロアーからの意見を聞いていて、ほっとした気持ちでした。

この道で長く研究をしている先生ほど、データだけでなく、周辺情報を大事にしようとされているなと。

そして、KABCと子ども理解についての講義。

検査結果を出して、支援の手立て、ということで完結するのでなく。
その後も、指導の中で仮説を見直すサイクルも大事であるということ。

ワーキングメモリが低いから、うんぬん、という単純なものではないこと。

***

この学会の話ではないですが。

「遠くの専門家より近くの子ども理解者」

遠くの専門家に相談することも大事だけど、まずは、その子に出会っている同僚に相談することが大切でしょう。
そこが抜け落ちていると、「知識の専門家」ではあっても、「その子の専門家」ではないわけです。

ましてや、検査になれていない人が実施した検査を、専門家に解釈してもらう、という枠組み自体が、何か根本的な勘違いであるように思います。

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K-ABCアセスメント学会 1日目

・wisc-4とKABC-2とのバッテリーにより、CHCモデルをすべてカバーするとのこと。
(全部やるのは大変だろうから、工夫が大事なようですが)

・下位検査が何を測っているのか、検討を。

・CHCモデルは、すべての検査を説明できる共通語。
(逆に、説明できなければ、検査の信頼性に?)

・プロフィール分析から、臨床クラスターへ。

・検査法の前に、主訴はなにか、行動観察の情報は。この学会はそれを大切にしてきた、とのベテランの先生の話に安堵。

・ワーキングメモリ、まな板、傾いたテーブル。興味深い。

室橋先生の話をここで聞けたから、地元のは出なくていいかなあ。
どうしよう。その後の発表者も魅力的ですが。

ニンチシンリガクは日進月歩。
一方で、子どもにとって「学ぶってどうよ」「生きるってどうよ」のトータルな子ども理解も大事にしたい。
その意味で、これまでの道言協のケースレポートは、子どもの姿が見えやすいのがよかったんだなあと。

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サリー・アンの誤信念課題(心の理論課題)は賞味期限切れ

夏休みが終わると、ブログ更新もままなりませんね。
本務に専念していると、更新している時間など、本当はないに違いない。

***

さて、乳幼児発達心理学の進歩はすばらしいですね。
サリー・アン課題の「心の理論」を科学的に論破しました。

人が目かくししているか、いないかで、どちらのかごにボールを入れたかの認識が変わる、ということの判断が、実は1歳半にはできるようになっているとのこと。

何種類もの実験で確認されました。

サリー・アン課題では、確か4,5歳でしたね。
しかし、サリー・アン課題は、言語理解も関与しているので、本当に「心の理論」を「検査?」しているかは、あやしいと言われてきました。

私たちは科学的な態度を持ち、自分が正しいと思っていたことでも、素直に誤りを認める姿勢が大切ですね。

「心の理論」
私も2000年代には一時期使っていましたが、今は使っていません。
会話や行動観察(視線の移動も含めて)などから、それらの力がどの程度ついているかは、わかってしまうからです。

ちなみに、視線を向けてくれる人を好んで見る傾向は新生児の段階から。
そして、生後4ヶ月では、視線を向けてくれると脳が活性化されることもわかってきました。
こんなに早い時期に、既に人の視線の向きを把握しているわけです。


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赤ちゃんは生後4ヶ月で立体視ができるようになる 乳幼児心理学

手が届くという経験を通して、赤ちゃんの遠近感、立体視は育つと思っていましたが。
それ以前に、赤ちゃんは立体視ができるようになります。
錯視、たとえば、遠近法で描かれた図や、上からの光源に基づいた絵も立体として見ていることが、実験で確かめられています。

就学後もそれらが苦手なお子さんの場合、週1回の指導でどうにかする、ということ自体がいかがなものかということになるのでは。

乳幼児期きからの育ちがどうであったのか、のアセスメントの重要性をさらに感じています。


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自主研修会3日目

今日は3本のケースレポート検討でした。

「どんな指導方法」の前に、「どんな子」から始めるケース検討。

そして今日はさらに、
「この子の障害の教育的判断は何ですか?」
を考えて頂くことを意識してみました。

もちろん、教育、療育に従事する者は、障害の診断はできませんが、
おおよその支援の方向性を定める必要はあります。
支援のための「教育的判断」であって、ラベリングとは違います。

また、障害を判断するためには、データがそろっていなければなりません。
判断のために欠けている情報は何か、ということを必然的に検討することになります。

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学習障害と視知覚~乳幼児心理学

馴化法という方法で、生後数ヶ月の赤ちゃんの「見え方」がかなりわかってきているのですね。

欠けた図形を補って見る(たとえばパックマン図形)ことが困難な、学習障害のある子どもがいます。こうした子は、まず文字を書く以前に、文字の形態把握の段階でつまづくでしょうし、読めても書く段階でつまずく場合もありえます。

ところが、通常発達では、パックマン図形を生後3ヶ月でも、図形が動いていれば知覚できる。
生後6ヶ月で、動きがなくても知覚できるとのこと。

色を見分ける力も、なんと生後2ヶ月で赤・緑経路の色弁別が可能。
生後3ヶ月で、青、黄の色弁別が可能。

つまり、「アオ」ということばを覚えてから色弁別ができるのではなく、ことば以前に弁別ができるということ。


動く物体をとらえる時、その動きの速さにも、見える範囲があるということ。
手を振ってバイバイ程度の手の動きなら、かなり早い時期に見えているが、遅すぎたり、早すぎると、もう見えない。

前に向かって歩いていると、風景が前方一点から広がって見えるし、後ろに向かって歩くと、風景は前方の一点に集約されます。
なんと生後3ヶ月でそれが知覚できるとのこと。
首が据わったころには、風景が広がっていく状況を認識できるのですね。
さぞかし、赤ちゃんにとっては、感動的で楽しい風景であることでしょう。

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乳幼児心理学と特別支援教育

「乳幼児心理学」の講座では、たとえば、通常発達の乳児と、自閉圏の乳児とで、注視などの発達の違いを紹介していました。

視力を調べた研究。
たとえば、乳児の視力はとても低く、ぼやっとしか見えないけれど、その分、映像のデータ量が少ないので高速で処理できる。
つまりそれはどういうことかというと、母親の顔と、他人の顔との区別の判断が早くできるということ。
逆に自閉圏の子では、通常発達の子に比べて、視力は高い。
その代わり、顔の見分けをつけるのに、膨大なデータ量を処理することが必要である。

また、自閉圏の子では、雑多な図の中から特定の図形を見つけることはできるが、「動き」をとらえることが難しい。
これは、周りの人の動きをとらえることが苦手、人の「動き」から、人の行動の意図を読み取ることの苦手さにつながっているのでしょうか。


ある自閉症のある方の風景画。
ビルなどの建物は、窓も含めて、非常に精緻に描かれているが、人は全て棒人間。
人への関心が低く、構造への関心が強い。


とても興味深い内容でした。

これらの研究は、日頃、自閉圏のお子さんや成人の方と接する上で、とても納得できることです。


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側音化構音の評価と指導

「左(右)口角を引いているから側音化構音」
「舌が左(右)に寄っているから側音化構音」

という判断は誤りです。

その理由は、以下の通りです。

1 口角を引いていても、歪みではなく、置き換えの場合もある。
2 口角を引いていなくても、側音化構音である場合がある。
3 口角を引くから側音化構音になるのではなく、舌背挙上によって側音化構音になる。
 口角を引くのは、舌背緊張の結果であって、原因ではない。
4 舌を左(右)に引いていなくても、側音化構音の場合も多い。
  左右のどちらかに偏ることは問題ではない。舌背緊張のために、舌背が口蓋に接していること自体が問題である。

構音の評価のためには、1)耳で聞く、2)舌の動きを見る、
この2つが必須です。

置き換えなのか、歪みなのか、鑑別することが、指導の手立ての前提として大切です。



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自主研修会2日目 ケース会議とPVT-R実技研修

PVT-R(絵画語い発達検査)は、子どもの語い力を測る検査で、短時間でできるのが特徴です。
その後の詳しい検査を行うための導入的な使い方をします。

今回の研修では、「検査の仕方」の前に、理論的な部分の説明をしました。
つまり、「再実施の時の信頼性係数」など。

この検査はよく行ったことがあるが、統計的なことは知らなかったという方がいました。

どんな検査でも、背景理論と統計学に基づいた信頼性の検討は大切です。
数値だけでは判断してはいけない理由は、ここにもあります。

だから、初めにこの説明をしてよかったです。


ケース会議では、構音から学習、そのほかのことまで、幅広く議論されました。

専門職のパラメディカルの方も見えて、多視点で検討できました。

また、誘ってほしいというアンケートが多数ありました。


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ケアマネージャーと特別支援教育

ケアマネージャーでも、

対象者の把握→情報収集→アセスメント(課題分析)→ケアプラン案の作成→サービス担当者会議(本人、家族、サービス提供者参加)→ケアプランの確定→ケアの提供→モニタリング

という一連の過程を通るそうです。


やはり、対象者のアセスメントはきちんと行うわけです。

半身の軽度麻痺で、トイレまでの自立歩行が困難な事例に対して、それまでの環境をできるだけ変えずに、支援の方法を。
ベットから起立するまでの過程のみに、手すりをつけてあげるだけで、その後は自立歩行が可能になる。
まさに、課題分析ですね。


医療でも福祉でも、建設でも、動植物の保護のためにも、「アセスメント」は必要なわけです。

学校教育はどうか。

「アセスメントは必要ない」と豪語する、某通級担当の先生。
いかがですか。


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「基礎看護学」と特別支援教育

患者の病気のことだけでなく、学習スタイルやおいたちを含めたアセスメントが重要。

「指導目標は達成可能であること」
「指導目標の精選」

指導目標で「○○が理解できる」では、評価できないので、「○○が説明できる」

指導目標を立てたら、具体的な教材の用意。

セルフケア行動の指導のためには、患者のステージ「前自覚期、自覚期、行動変化期、行動期、維持期」に合わせた指導が必要であること。

・・・

学校教育と全く同じだと思いました。医療でも、患者理解から看護へ結びつけるのです。
ことばの教室では宿題を出すこともあるけれど、本人や保護者のステージを常にとらえて、適切なかかわりをしていかなければならないでしょう。
否定的な評価は避け、少しずつステップアップしていくように。





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「言語活動」と「学力」

学習指導要領で「言語活動」が取り入れられたのは、結局、国内外の学力テストで、その部分が低かったから、ということのようですね。

しかし、そもそも、「学力とは何か」ということは論争中であること。
「言語能力」の裏付けとなる心理学的な研究が、まだこれからであること。

こうした現状では、現場は「言語活動」の目的、手段について、とまどうのではないでしょうか。
また、「表現」が重視されるようになりましたが、「何を」の部分が空疎になっていないか。
さらに、「言語活動」についての「プロジェクト」の実践はなされているが、日常の教育活動全体の中で、という部分は軽視されがちであること。

***

知識の詰め込みではなく、批判的思考などの言語能力により重点が置かれたのは良いと思います。
そして、「読む能力」は、単に繰り返して読んだり、たくさんの本を読めばよいというものでもない、一人で静かに読めば良いというものでもない、ということが言及されるようになったのも良いと思います。

ただ、「言語能力」には個人差が大きく、日常生活の「経験」に依存する部分が大きいのでは。
つまり、学校教育だけで「言語能力」を伸ばすということは難しいのでは。

経験したことがない内容の文章を読んで理解するというのは難しい。
もちろん、年齢が上がるほど、経験を飛び越えて、演繹的思考ができるようにはなっていくのですが。

でも、やっぱり、ベースにある「遊びを通したコミュニケーション」が一番大事ではないのかなと。
うまれてから就学まで、就学以降の「経験」「コミュニケーション」の土台が大事ではないかなと。

通常学級では、そこから進めるのは難しいことでしょう。
「言語活動」に着目して、能力を伸ばそうという試みは、それはそれでわかります。
それによって、本当に伸びる子もいるでしょう。

「学びあう」とか、「教えあう」、「伝えあう」は、通級指導でもできないことはないですが、基本は通常学級でなされること。

通級指導教室の立ち位置は、単にテストの成績を上げるためではなく、「土台」を育てる場でなければならない。
そして個人差に応じて、「言語」だけでにとどまらず、様々な思考、表現を育てていく場である。ということを改めて思うのでした。


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心理統計法とWISC-4

心理統計法は難しいですが、これを理解しないと、WISCなどの心理検査の意味も本当に理解したことにはならないのでしょう。
「まずは触ってみよう」
とか
「どうやって解釈したらいいのですか」
という話が、WISCの研修では必ず出てきます。


それはそれで大事なことではあるのですが、そのバックボーンである心理統計法の知識がなければならない、そんなに簡単に解釈していいものではない、と思えてきました。


WISCの解釈本に出てくる統計的処理は、WISCのために初めて開発されたわけではなく、昔からあるものをWISCに適用したということ。


因子分析→潜在変数の発見
クラスター分析→分類
「t検定」と、「帰無仮説」


これだけでも、かなり歯ごたえがあります。


***


一つだけ確認しておきたいこと。


WISCの4つの指標得点を


言語理解 80
知覚推理 90
ワーキングメモリ 80
処理速度  90


などと表記している時点で、統計学を無視していると言うこと。
そして、WISCを活用する上でのルール違反であり、語る資格もない、ということ。
それはなぜでしょう?

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小児看護学 「死」に向き合う子ども

自分や同じ病棟にいた友達の「死」に対して、子どもがどう向き合うのか、どう支援、看護するのかというテーマを扱った講義でした。

4歳までは「死」を「寝ている」ものとしてしか理解できない。
5歳から9歳までは「死」を擬人化する(お星様になったんだ等)
10歳以降で、命の不可逆性、永遠の別れが理解できる。

だから、子どもの実態、発達段階に応じて、死の説明を検討すること。
「退院したんだよ」
というウソの説明は、4,5歳の子どもでもわかってしまう。
看護師に対して不信感を持ったり、トイレで一人で「怖い」と泣いたりします。

それまで一緒の病棟で暮らしていた「友達」が、個室に移って、周りが騒がしくなって、そして静かになる。
それを「退院したんだよ」と説明して、納得できるはずがない。
なぜなら、退院する子は、周りの子に報告して、お別れの挨拶をしていくはずだから。

それまで、いつも連絡、報告してくれていたのに、急に連絡なく、いなくなるのはおかしいと。

「○○くんは、お星様になったんだ。だから今はお別れの挨拶にいけないけれど、いつかおうちに行って、最後のお別れの挨拶をしにいくんだ」
と答える子どもは、死について、発達段階に応じた説明を受けているのでしょう。

そして自らの死。
脈拍や体温、呼吸、触覚の低下、光への過敏性など、自分の体が変化していくことへの不安、恐怖。
夜中に「眠れないから、絵本を読んで」とナースステーションにやってくる幼児。

できるだけ、子どもによりそうこと・・・。

そして家族への支援。看護。

人生の最後まで、人としての尊厳を守ろうとする看護師の姿勢、そうしたスピリットが看護師を養成するカリキュラムに反映されていることに、強い感動を覚えました。

***

私の双子の妹が、生後すぐに亡くなったことを親から聞かされたのは、9,10歳ぐらいだったと思います。
だから、死の不可逆性は理解できていたと思います。
ただ、それが重大な意味だとわかったのは、さらにずっとあとだった気がします。

今、生かされていることの意味を考えました。

そして、どんな子も、最後まで人としての尊厳が守られなければならない。そうした視点で、特別支援教育を見ていきたいと思いました。


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ことばの教室を初めて担当した先生のための研修会 構音障害

道言協(北海道言語障害児教育研究協議会)では、初めて担当した先生のための研修会を毎年開催しています。私は構音障害の講座を担当しました。
参加者の中には、全国的に著名な先生も見えていました。つまり、新しい先生のための基礎講座を作り上げてきた方です。
本当は私のような者より、その先生に講座をしていただきたかったですが、今回は一参加者で、とのご意向とのことでした。
でも、講座の最後にその先生から的確で、専門性の高いご講評をいただくことができました。私が勉強になりました。
講座の進め方を振り返ると、反省することしきりです。
きっとアンケートを読むと、よいことがたくさん書いてあるでしょうが、アンケートとは、もともとそんなものでしょう。
それに甘んじず、もっと修行しなければ。
講座を担当して改めて思うのは、わずか3時間の講義で、構音をマスターするのは難しい。単純なようで、実は本当に奥深いものです。
本当なら、全道各地を回って、OJTスタイルで、実際の指導を拝見してディスカッションしたいところです。
昨年、休憩時間に個人的質問を受けたところ、長蛇の列ができてしまい、十分な対応ができませんでした。今回は原則、個人相談はなしにして、メールで受けることにしました。それでも、「どうしたらいいでしょうか」というご質問をいただきました。どうしたらいいですか、の前に、どんな子ですか、から始まります。だから時間がたりなくなるのですね。
さて、講師の契約は来年度までです。
それまでに、短い時間で効率的な研修になるように、修行を重ねたいと思います。
自身のプライドだとか、形を見せるためでなく、子どもたちのために。数を集めるためでなく、困っている方々のために。

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「小児看護学」と「教育の最新事情」

重病で安静が必要な子や、伝染病により他の人に病気が伝播する恐れがある子に対して、子どもを個人病棟に隔離することがあります。
講義では、隔離が必要な条件、隔離の仕方などの説明がありました。

その時の印象は、「あくまでも子ども視点に立っている」ということです。

***

保護者は隔離病棟に入室する際は、マスクや手袋、指定の服を着なければなりません。
しかし子どもにとっては、保護者のそんな姿を初めて見るので、不安になるでしょう。
お母さんがマスクをしていると、顔の表情が読み取りにくくなるので、子どもは不安になります。
手袋を通してしか、子どもに触れることができないことも。
そして、窓の外では他児が遊んでいて、うらやましく思うでしょう。

狭い病室で、生活リズムが単調になるから、巡回の時は、できるだけ長い時間をとって話しかけてあげましょう。

歩いてトイレに行ってはいけないのに、自分で歩いて行こうとする子には、
「あの子は歩いて行けるけど、あなたは看護師を呼んでね。そうしたら、車いすに乗ってトイレに行けるよ」と具体的にやり方を教えること。

「ベットから降りてはいけない」の指示に従わず、ベットの上でトランポリンの様に跳んだり、隣のベットとの間を渡り歩いて遊んでいる子に注意したら、「だってベットから降りていないよ」よ。

子どもはふざけているのでなく、わからなかっただけ。わかるように具体的に説明すること。

***

このように、隔離や身体の保護についての説明だけでなく、子どもはこういう気持ちになるから、身体拘束を続けることで、知的、社会性、手先の巧緻性の発達に影響するから、拘束は最低限度に、という説明が、あくまでも「子ども視点」なのに感動しました。


ところが、教育に関する講義ではいつも思うのですが、「学校体制」の説明が多い気がします。
図書室の活性化のため、「○○コーディネーター」を配置して、地域と連携する組織を作って、など組織図が多い。

本に興味が持てない子、文字の読みが苦手なので本を毛嫌いする子、運動の方がしたい子、「自主活動」と称して、実際には、休み時間も係活動を強いられ、友達と遊ぶ時間が無い子・・・。

学校には、様々な子どもの実態があります。

それらの子どもの実態を見ずに、「学校図書を活性化させるために、こういう組織を作りました」

子どもの気持ちから遠いなあと。

医療と教育とでは、どうしてこんなに差があるのでしょうか。

もちろん、医療は、一人一人の患者さんと接しますし、学校は一度にたくさんの子を動かさなければいけない事情もあるでしょう。

でも一番の問題は、学校はやらなければいけないことが多すぎること。
やらなければならないことの縛り、決まりが多すぎること。
「○○コーディネーター」という名称だけで、何種類もあります。
生徒指導、図書、特別支援教育、いじめ、食育、体力、学力・・・。
多すぎです。
教員は様々な組織を掛け持ちで、学級の授業以外の仕事を背負っています。

この問題に集約されていくような気がするのです。

学校教育に、もっと、子どもの側に立った視点がほしい。
そうした研究がもっと増えてほしい。
色々なプロジェクトを縦割りで学校に課すでなく、それらのプロジェクトが現場レベル、子ども個々のレベルで、どれだけ負担になっているのか、トータルな視点での研究の進歩を望みます。

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心理統計法 ”t検定”

”t検定”についての講義でした。

平均値を比較する際に、特に2つの平均値の差の有意性の検定を行う方法のこと。
その際、母集団A,Bを全部比較はできないので、抽出した標本間で比較する。

心理統計法のイロハの知識なのでしょうが、私はぼやっと理解していたに過ぎないと実感しました。

そして、今はエクセルで簡単に、「2つの母集団の分散の検定」(f値)が出せるのですね。

これがきちんと理解できることで、たとえば、WISCなどの検査法の信頼性を検討できるということになるのでしょう。

「WISCの解釈の仕方を教えて」の回答は、ものすごく幅が広く、深いのです。





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ことばの教室の「終了判定基準」

通級の指導目標は、終了判定基準があって、設定できるものです。
もちろん、個々のケースによって違いはあり、杓子定規になってはいけません。
しかし、何を、どこまでを目標とするのか、ぼやっとしていながらも、ある程度の目指す姿が明文化されていなければ、判断記基準が担当教員によって変わってしまう、ということも起こりえます。

特に、機能性構音障害の場合は、練習によって改善が見通せるわけですから、明らかな指導目標、終了目標を取り決めておく必要があります。

過去、明文化された基準がありながら、人事異動によって消失している教室もいくつかあるようです。

以下は、サンプルです。


(構音障害の指導の終了判定基準例例)

・障害音が、単音節・単語・短文・会話の中で正音と判断された時。
・会話中において出現頻度が著しく低下し、自ら言い直しができるなど、自己弁別力もついていると判断された時。
・障害音ばかりでなく構音全体を見直し、単音節・単語・短文・会話の中で正音であると判断された時。
・会話中において出現頻度が著しく低下し、自ら言い直しができるなど、自己弁別力もついていると判断された時。
・口唇や下顎に不必要な動きがないこと。
・歯間音化構音の場合、舌が歯から出ていないこと。
・幼稚園、保育園や学校、家庭での様子も確認しておく。(意見聴取)
・その時の児童の状態で、考慮すべき事項(前歯の状態、風邪、副鼻腔炎、アレルギー性鼻炎等)がある時は、そのこともふまえて判断する。
・構音が改善されれば、舌癖が残っていても修了とする。


※修了判定会議で用意する物
・単音、単語、短文、文章の音読のプリントと録音。自由会話の録音。(1~2分)
・歯間音化構音の場合は、ビデオを用意する。

***

舌癖は構音障害に該当するかという質問がありましたが。
構音障害がないのであれば、舌癖が残っていても指導終了とするのが妥当です。
『教育支援資料』(文部科学省、h25.10)を精読する必要があります。
舌癖は、あくまでもそれによって構音障害を呈して居る場合に指導対象となります。

近隣に舌癖をしてくれる機関がないからとか、医療機関につながらないから、という理由でことばの教室での指導を漫然と続けている例があるようですが。
それならば、視知覚にほぼ問題はなく、文字の読みに困り感がなくても、「追視」に苦手さがあるというだけで、通級対象にしなければなりません。

背骨が曲がっているから、座位姿勢が保てない、よって読み書きに影響している、読み書き能力そのものは平均。
という子も通級対象にしなければならなくなります。


通級対象にするにしても、終了するにしても、教育的、法的な根拠が必要です。
そして、複数教室にあっては、必ず録音を用意するなどして、複数の耳で判断しなければなりません。
「保護者が継続を希望していない、担当としては構音が改善したと思う」という理由だけで、判定会議にかけずに終了にしてしまう例を見てきました。

保護者が継続を希望しない場合でも、教室として、就学指導委員としての見解はまとめて、保護者に情報提供することは必要なはずです。

実際、数年後に同じ主訴で戻ってこられる方も少なくないのです。

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認知心理学の講義

心理検査を扱う際「符号化」という概念と出会うことがよくあります。
わかっているつもりでも、講義を受けると、その理解は浅かったと思いました。
たとえば、

「符号化特定性原理」
 経験A&B
 A→B ○
 C→B ×

A、Bを経験した際、
AがあるとBを思い出しやすいが、Cという別のことがあると、Bは思い出しにくい。
「符号化」にはたとえばこのような原理がある。

符号化そのものが苦手であると、記憶も整理されないですね。

「記憶する」の前に「理解する」が大事なわけです。


そのほか、「潜在記憶」と「顕在記憶」
「プライミング効果」

「気分一致効果」
「気分依存効果」

昔ならったなあと思うことが次々と。

こうした知識を改めて学ぶことで、子ども理解、検査の理解につながっていくと感じました。

心理検査は公認心理士が解釈する、という国の方向性の意味が改めて認識できました。


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小児看護学

ファロー四徴症、心室中隔欠損症などの先天性の疾病については、これまでも就学相談等の生育歴情報の収集の過程でよく目にしてきました。

発達障害とどれだけ関連するかについては、ある程度わかっていましたが、改めて整理され、なるほどと思いながら受講しました。

家族とどのように面接し、病気を告知し、その後のフォローを行っていくか、「誠意をもって対応する」「後回しにしないで、できるだけ早く告知する」「告知時に混乱して、話の内容を理解できない場合も多いので、繰り返し、丁寧に説明する」「子どもの元気に暮らす姿も伝える」など、就学相談にも通じる内容でした。

就学後、何年もたってから、「そんな教育サービスがあったのか」とおっしゃる保護者が少なくありません。
支援者は、保護者の反応や、信頼関係が崩れることを恐れるあまり、情報提供を遅らせ、「小学校に任せる」「中学校に任せる」ということであってはならないと、改めて思うのでした。

就学相談では保護者の意向をできるだけ尊重することにはなりました。
しかし、専門家として、お子さんにはこんな支援が必要だと判断した、ということは、最終的な結論はどうあれ、伝える機会がなければならない、と思います。
保護者は客観的な情報を十分に受け、その上で検討して頂く必要があるでしょう。

それは、保護者の先輩や、就学相談のベテランの先生が共通しておっしゃっていることです。

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アセスメントと指導 特別支援教士SVによる講義、事例検討

お呼びして、ご講義、事例検討をしました。

毎年お呼びする講師の共通のお話は「アセスメント」の重要性。

特別支援教育士は、アセスメントにもっとも厳しい資格と言われます。

午後の事例交流では、特別支援教育士の指導実習並みのレポートが・・・。
初めて担当した先生には、ちょっと難しいと思いましたが・・・。

感想アンケートを見ると、アセスメントから指導へのつなげ方がよくわかりました、というポジティブな感想が多数寄せられました。

難しくても、流れの雰囲気がわかる、という意味で、研修のねらいにぴったりの内容になりました。


「アセスメントなんか必要無い、その場でその時の判断をしなければ」
それはそうです。その時はそうでしょう。
しかしアセスメントには、指導までのアセスメントと、指導しながらのアセスメントと、2つあるわけです。
今までは、どちらかと言うと、「ながら」が中心でした。
「ながら」ならまだいいですが、アセスメント否定主義もありました。

そこに、指導前までのアセスメントに光をあてたのが、特別支援教育だったはずです。

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構音指導QandA 舌小帯短縮症

Q「舌小帯が短い子が病院へかかるまでの間に教室でできる事はなんですか?」

A まず、舌小帯が本当に短く、構音に影響しているのか、教育的に判断することが重要です。
 舌小帯短縮症の診断は医師が行いますが、それが構音に影響しているかどうかについては、ことばの教室の先生が見立てなければなりません。
 口を開けて、舌を挙上して、開口の距離の半分以上に挙上できれば軽度です。
 半分ぐらいであれば、中等度、半分も挙上できなれれば重度です。

 また、舌小帯短縮症の場合でも、構音の全てに影響するわけではありません。
 舌先を使った発音、とりわけラ行が母音化するなどの現れ方をします。
 でも、カ行、ガ行、イ列音はいかがでしょうか。
 基本的には関係ありません。
 これらは、舌先の挙上の必要のない音だからです。
 そして、実は、舌小帯短縮症の治療が必要なほどに、構音に影響している例は、実は言われているほど多くはありません。まれ、と言っていいでしょう。
 
 
 

  
 
 同じように、たとえば、サ行、ザ行、ラ行、ツなどの舌先の音をつくるとき、奥歯のかみ合わせは関係あるでしょうか。
 関係ありません。構音位置と歯の咬み合わせの位置との違いを把握するのは、医療関係者の前に、ことばの教室の先生が判断することです。

 機能性構音障害であるにもかかわらず、舌小帯が短いから、とか、歯のかみ合わせが悪いからという理由で、医療機関につなげる例があります。
 
 医師は、ことばの教室の先生の見立てを参考にしますから、いきなり舌小帯を切る、という結果になってしまいます。構音の改善という目的なら、本当は必要のない施術です。
 


 手術の予後のためにも、舌小帯はいきなり切らないのが原則です。
 施術までに、舌小帯を伸ばす練習を行います。
 舌を口蓋に密着させたまま開口し、音を「ポン」と鳴らすポッピング。
 1日3回(最低1回)は家でも行います。(家庭の事情に応じて)
 疲れたら2時間休みます。
 中程度の舌小帯短縮症なら、3,4ヶ月で3、4mmのびます。
 切った後も、傷口がふさがったら、伸ばす練習を継続します。


 (以上は、矯正歯科の歯科衛生士の方の助言を得て作成しました)

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