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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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「心」は見えないが、「心の育ち」は見える

研究主題に「心」という語句を入れることについて、「広すぎる」「どうやって評価するのか」という疑問の声が出ています。

正直、私も広すぎるとは思いました。
しかし、「心」とは何か塊のようなものではない。
また「行動」と対置させるような「別物」でもない。

全ての感覚のインプットが全くない状態での「心」はありえないし、外界との関わり、そして関わりの中でのアウトプットがある、それらすべてが「心」であるのだと思うのです。

「学校が恐怖の対象でしかなかったのに、卒業時には満面の笑み、自信をもって、卒業証書を受け取れた」

「心」は見えなくても、「心の育ち」は見えるのでした。

そして、絵カードを見せて、「フライパンもわからないの、この子」ではなく、「フライパンを使っての家庭での体験をコーディネートする」
「お母さん(お父さん)が用意したフライパンで、目玉焼きを作った。熱いのが怖かったけど、できたらおいしかった」
「フライパン」は、こうした生活文脈の中で意味を獲得していくわけです。

「ことば」を表面的にのみとらえるのでなく、もっとトータルに、もっと文脈的にとらえるべきなのでしょう。
新研究主題の「心の育ち」には、こうした意味が込められている、と私が考えていたら、他の人も、そう思っているのでした。


「教材紹介」に走る前に、「なぜ」なのかを問うこと。
「なぜ」を問う前に「何が問題なのか」を問うこと。
発達検査の数値だけを見るのでなく、子どものヒストリーを見ること。
こうした過程を経ないと、子どもの「心の育ち」は見えてこないでしょう。







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自由会話を大切にする

というフレーズを最近よく聴きます。
とてもいいことだなあと。

各種検査も大事ですが、まず一人の人間として出会って見て、会話を通じてわかることがたくさんあります。

意味論・・・りんごは、果物で、食べ物で、赤い皮で
統語論・・・文法構成はどうか、助詞の使い方、電文体発話
音韻論・・・発音、音の配列、語想起(音韻の想起。ちなみに、元々語いがないのに、ことばが思いつかないことも「語想起(困難)」と言っている方がいますが、元々その単語を知っているのに思い出せないことを「語想起」と言います。)
語用論・・・指導者のことばの意図をとらえての会話

この4つの視点を常に心にとめながら、自由に会話しているようで、実は詳細なアセスメントをしているわけです。

だから、子どもの会話で気になったことはメモに。

話してくれたことを箇条書きににしたり、図示したりして、内容をまとめて見せてふり返るのもいいでしょう。

一つ大事なのは、「自由会話」は、指導者が自由に話すことではないこと。
子どもの発話の文脈に合わせて、子どもが話したいという気持ちになるように進めること。

そして、子どもによっては、「自由会話」が苦手な子もいます。
「自由会話」自体に楽しさを感じにくい子もいます。
実は私自身が子どもの頃・・・。

統制された内容の方が会話しやすし、自由にされることが苦痛な場合もあります。
絵で図示した方が伝えやすい子もいます。

文法から入った方がいい場合もあります。

その子によってそれぞれ。


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指導方法の前に「なぜ」を





「首が痛い」という主訴に対して、

A治療院=ひたすら、首のマッサージ
B治療院=どんな主訴でも、型どおりのマッサージ
C治療院=身体全体をアセスメントし、首のこりが腰から来ていると判断。腰のゆがみの矯正から始める。
D治療院=アセスメントの結果、重要な病気の疑い。後日精密検査で手術が必要と判明。


「事例検討」がA治療院のようになっていないか。
患者が満足しているのだから、A治療院でもいいのでは、という考え方もあるかもしれませんが。
患者の命に関わることです。患者の満足は、支援者の自己満足に過ぎません。

子どものアセスメント情報もなく、教材紹介すればいいという考え方は、こうした結果を招きがちなのです。

○ワーキングメモリが弱いから、ワーキングメモリを鍛える指導
→でも、その前に、子どもの心理、生活はどうなっていますか?
一日中家族でけんかで、抑鬱的になっているなら、能力は落ちて当たり前。
「楽しさ、安心感」の保障が、まず何よりもすべきこと。

○ラ行があまいから、ラ行の指導
→でもその前に、「私は愛されている。受け入れられている」があるのか。
赤ちゃん返りの一つの表れが「ラ行」の甘さにつながっていないか。
「人工的に作られた楽しさ」と、その背後にある「孤独感」を読み取れているか。
ずっと前から、ラ行が甘かったのか、言えた時期もあったのか。
家族内力動はどうなっているのか・・・。
発語器官に問題はなく、書字にも問題はない、発音の誤りはいつもではない・・・。
のか、どうなのか。


「どうやってしどうするの?」の前に、「どうしてそうなっているの?」の検討する力を育てるのが、経験の長い先生の仕事であり、新しい先生への研修プログラムは、それこそが重要なのです。


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「教育的診断に基づく指導」

当時としては画期的な考え方でした。
ちゃんと子どものことを理解しましょう、その上で指導を考えましょうと。

「初めに検査法ありきではなく」という考え方も、現在でも通用しています。
そればかりか、ますます重要になってきています。
「とりあえず検査しましょう」が流行している現在では。

ただ一方で、「お母さんがすぐに何でもやってあげたから、話す必要がなく、ことばが遅れた」、「何でも手を貸すから、不器用になった」などと、「母原病」を彷彿とさせる仮説が、当時から事例レポートにけっこう書かれていて、首をかしげていました。

保護者向けの書棚に、未だに「母原病」という本が並んでいたのには驚きました。


「何でもやってあげた」ことで、「ことばの発達が遅れた」???
子どもの言語表現には、「要求」も確かにありますが、それ以外に、「叙述」もある。
「コミュニケーション」の語源は、「伝え合う」ことではなく、「共有する」

にもかかわらず、あたかも、こどもの言語が、「要求」だけでなりたっているかのような仮説。

赤ちゃんが、おむつが濡れたり、お腹がすいて泣くのは、不快だからです。
しかし、不快感から泣いていると、心地よい状態にしてくれる、ということを繰り返すうちに学習するから、泣くことに「意図」「意思」が加わるようになる。
つまり、「泣いたら、心地よい状態にしてくれる」を学習する。
でも、そもそもそうした学習機能が弱いお子さんもいる。
そもそも、「快、不快」の感覚のトラブルもあるかもしれない。

その子の生育歴も調べないで、ただ「甘やかしたからことばが遅れた」
専門家の立場の人が、こんなことを言ってはいけないなと。
素人レベルで言われているのは仕方がないですし、啓発活動はしていかなければなりませんが。

「教育的診断に基づく指導」の本来の主旨が理解されていれば、「母原病」仮説を回避できたのでは、と思うのですが。

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選択性緘黙への治療

「そだちの科学」2014.4 日本評論社

ここでも、場面緘黙に対する早期介入が必要であることを統計的に説明しており、これまで言われてきたことが支持されています。

ASDとの合併率も高いと。


また、医師の立場からか、やはり統計的にも入院治療の方が有効とのこと。

誤解されやすい障害なので、ぜひ研修を深めたいところです。

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通級による指導の対象

学校教育法施行規則 第140条(昔は、73条の21)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22F03501000011.html

 言語障害者
 自閉症者
 情緒障害者
 弱視者
 難聴者
 学習障害者
 注意欠陥多動性障害者
 その他障害のある者で、この条の規定により特別の教育課程による教育を行うことが適当なもの


「八」の「その他」とは、肢体不自由、病弱のことです。

通級妥当の判断をする際は、教育的に対象となるかどうか、法や規則に基づいて判断しなければなりません。
教室によって、対象に違いはあるものの、その違いはあくまでも、法や規則の枠内でなければならないのです。

以下は、通級の対象になるでしょうか。

1 構音障害はないが、舌癖だけがあり、咀嚼嚥下に影響がある。
2 読み書きには問題がないが、眼球運動が稚拙である。
3 生活上の困り感はなく、心理的な問題もなく、生活に影響していることはないが、チック症状が見られる。




 
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特別支援学級の担任が毎年替わるということ

通常学級担任の人事と同じテーブルで議論されているのが実態。
通級担当も同様ですが。

あまり替わらず、長い目で子どもを見てくれるのは、医療機関や療育施設、相談機関などの他の施設であり専門機関。

「ことばの教室をずっと担当するということは、2年生の担任をずっとやるのと同じだ」
こんな発言がまともにされている・・・。

こういうのを「三段論法」と言います。

主人公はだれなのかという視点が全く欠落しています。

保護者は、通級担当が毎年替わることへ違和感を持っていますが、学校の先生は、その違和感が間違いであるとさえ主張します。
「ここは学校であり、学校の先生なのだから、毎年替わって当たり前」


広域での特別支援教育人事は正常化に着手された感がありますが、今後は校内についても、チルドレンファーストの立場で人事を決めてほしいものです。




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KABC-2は、全部やると下位検査が19もある

子どもにとっても、テスターにとっても負担が小さくない、というブログ記事も見ます。
19もあれば、そうでしょうね。

でも、認知科学と学力とを関連づけて、LDの判断をするとなると、それだけ詳細なデータが必要ということですね。
むしろ、習得尺度の下位検査について、読み書きを本当に評価するには、これだけでは足りないという意見もあるぐらいです。

解説書では、認知尺度と習得尺度のどちちか一方の実施でも良いとのことですが。
ということは、たとえば、WISC-4を過去にとったことがある場合、KABC-2の習得尺度のみ実施して、組み合わせるということも、ありなのでしょうか。
ありならば、負担軽減にはつながりますね。
評価点も標準偏差も同じなので、比較はできるのでしょう。
ただ、カウフマンモデルと学力との組み合わせた検討はできなくなるでしょうが。
でも、どちらもCHCモデルと相関が高いし、KABC-2の方は、初めからCHCモデルでもデータが算出できるようになっている利点もあるので・・・。

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KABC-2 解説書斜め読み

どんな問題が入っているかよりも、どんな背景理論で、どれだけ信頼性が高い検査なのかを確かめたいのです。

まず問題そのものよりも、解説書を読むことから始めています。
でも、折半法とか、何とか回転とか、大学院で学ぶような統計学的な知識はないため、そこは読み飛ばし・・・。
ただ、「相関係数」はとてもよくわかるし、重要だと思っています。
測ろうとしている能力が、本当に測れているのか、ということなので。

日本語版KABC-2は、英語版にはない習得尺度を入れており、認知能力と学力との比較ができる、我が国のニーズに合わせた検査と言えるでしょう。

教研式小学校全国学力検査NRTと、KABC-2の習得尺度との相関係数が興味深いです。
単純に関係づけるのでなく、慎重に、細かく検討する必要がありそうです。

「学力とは何か」を考えさせられます。

***

話はかわって。

たとえば、「NCプログラム」には、「3容量」「4容量」というのがあって、これは「短期記憶」を測っているのだという解釈がありますが・・・。
その「下位検査」が諸能力に対してどれだけの相関があるのか、統計的データは示されていません。
ちゃんと測っているのではなく、あくまでも目安なのだという押さえが必要でしょう。

短期記憶にも色々な短期記憶があるし、注意や計画能力、語いや、視覚的、聴覚的弁別能力も関与しているかもしれません。他の検査との比較の中で、それは解釈されなければなりません。
ましてや、「3容量」、「4容量」ができるようになったから、それで通級の支援は終わり、とう単純なものでもないでしょう。
それらができるかということと、日常生活での困り感との間に乖離はないのでしょうか。そこはちゃんと調べたのでしょうか。

「検査結果」はたくさん並べてあっても、それをどう解釈するか、読み取るか、子どものヒストリーをどう理解するか、は、様々なアセスメント情報と合わせて、きちんと論じられなければならないはず。
つまり、「能力」ばかりみていて、子どもの気持ちを読み取っていないのでは、と思ってしまいます。

話が広がりすぎましたが、検査に対する基本姿勢ということを要は書きたかったのです。にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
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ことばの指導は、表現力の前に理解力が大事。共通理解のために面接重視を

「ことばの教室に通うことで、上手に言える子になってほしい」
「ことばの教室に通うことで、話せるようになってほしい」

親御さんや関係者としては当然の願いです。
ただ、表現力の前に、ことばがどれだけ理解できるのか、物事の関係性がどれだけ理解できているのか、ということが、まずは大事です。

教育相談時や個別の指導計画の策定時に、親御さんや学級担任の先生などに対しては、その前提を確認した上で、通級を開始した方が良いでしょう。
そのためには、教育相談時に、保護者との面接もしっかり行う必要があります。

子どもだけ連れてきて、簡易な検査だけを行い、保護者面接を行わないで、通級妥当の判断、というのは、アセスメントの仕方としても問題がありますし、保護者との共通理解という点からも問題です。自校でも他校でも。

前任校では、10年かけて、そのシステムを強固なものにしていきました。

教育相談時や、就学相談時には、通級の主旨やシステムについても詳細に説明し、親御さんがイメージできるようにした上で、通級を始められるようにしました。

だから、通い始めてから、「毎週通うのですか?」、「いつ来るのですか?」という質問は出てくることはありませんでした。


「ことばのおいたち」は、通級開始時に書いてもらう物ではなく、通級妥当の判断をするために、相談前に書いて頂くものとして、改めて位置づけました。
アセスメント情報は、きれいなファイルに大事にしまって金庫に保管しておくものではなく、指導をふり返るために時々見返すためにあるものです。
(かつて先輩はそのように位置づけていたはず。いつの間にか、形だけが残って、主旨がずれてしまったようです)

多岐にわたる質問項目も見直して、書く負担の軽減、措置判断に必要な最低限の情報、的を射た質問にまとめる必要を感じています。


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KABC-2



赴任早々、君が送られてくるとは。
そして、赴任早々、講演依頼がくるとは。

1年目は助走と思っていますが・・・。
勉強しないと・・・。にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
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初めてことばの教室を担当した先生へ

全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会は、
http://www.nangen.jp/


 『きこえとことば研修テキスト』改訂版をこの6月に発行だそうです。
名簿に登載されている全ての教室に送付するとのこと。

地区によっては、新しい先生のためのテキストを自前で作成されているところもあるでしょうが、
これを使えば、その手間ははぶけますし、執筆者は著名な方が多いですし、内容も秀逸です。

ぜひ、このテキストを使っての研修をお勧めします。

また、動画では、

ネットで学ぶ発音教室! - 国立特殊教育総合研究所

が秀逸です。


手前味噌ですが、
「構音の指導研修DVD」
http://kotobaroom.blog.shinobi.jp/Entry/252/
もよろしく。(これは長期休業中に受け付け予定)




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自閉症治療・療育の最前線

「自閉症治療・療育の最前線」
そだちの科学 2013,10、日本評論社

DSM-4で、自閉性障害、小児崩壊性障害、アスペルガー症候群あるいは、PDD-NOSのいずれかと診断される例を 新しい基準では、ASD(自閉症スペクトラム障害)とすればよい。
なぜなら、ASDは、それらを包括する障害だから。

ということは、PDDの判断をするためのこれまでの検査は使えるということですね。
なるほど、当たり前ですね。
ただ、その検査に当てはまらないから、ASDとは言えない、というのも事実で。

また、今後の臨床、研究では、ASD診断に従来の4つの診断を併記することが勧められる。
なるほど。


学校の先生は診断にとらわれてはなりませんが、一方では、こうした知識も正確に理解しておくことも大事ですね。

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子どもの発達は、全ての国民が学ぶべきだ

少子化、少子化と言われるけれど、各種施策の中で、子どもの優先順位はいかほどか、と思います。

高校生ぐらいでも、子育てについて学ぶカリキュラムを設けるべきでは。

3,4歳であれば、まだ、自分が先にやりたい、他人を差しおいて、自分がやりたい、は当たり前。

「じゅんばんこ」、「ならぶ」などは、経験の中で学ぶ過程。
その成功経験の積み重ねによって、他者との折り合いを学んでいく。

子どもが吹っ飛んでしまうぐらいにぶん殴って、「他人に迷惑かけるな」は、子どもの発達レベル、理解力の面からも、心理的な影響からも、望ましくない対応。

これが望ましくないと思えること、より望ましい対応を学ぶためのカリキュラムを全ての国民が学ぶべきではないかなと。

それが、特別支援教育の理解にもつながっていくのでは。

国民全体が、小さい子と接する機会自体が、少なくなっている。
祖父、祖母から、子どもへの接し方を学ぶ機会も減っている。

だから親になってから、とまどいますね。



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さて私こと、




辞令

「地方教育行政の組織及び運営に関する法律第40条の規定により、現職を免じ、北海道○○公立学校教員に任命する。北海道○○小学校教諭に補する」
平成26年4月1日 北海道教育委員会


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 拝啓 時下、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
                            さて私こと、
この度、○○小学校勤務を命ぜられ、過日着任しました。
 △△小学校ことばの教室では、十年間、楽しく、貴重な想い出をたくさんつくることができました。私の生まれ故郷で、特別支援教育に関わらせて頂いたことは感慨無量です。心よりお礼申し上げます。
 新任地でもことばの教室担当となりました。これまで皆様ともに歩ませて頂いた貴重な経験を生かし、子ども達のために尽くしたいと思います。
 どうか皆様の前途も、幸せに満ちた日々でありますように。支援を必要とする全ての子ども達、かかわる皆様方が、幸せな人生でありますように。
 子ども達が大きく育った姿をいつか拝見したいと思います。遠くから応援しています。ありがとうございました。                              敬具
 
                           平成二十六年四月                                         
                                    ya
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新1年生の学校探検

前任校では、ことばの教室内部も見学対象でしたが、本校では、教室の中まで入らないようです。
事前に調整すれば良かったです。
中まで見学してもらうことで、ことばの教室のオープンなイメージ、わかりやすいさ、偏見への牽制の意味合いもあったのですが。

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コミュニケーションのつまづきと言っても色々ある

・言語発達の遅れに伴うコミュニケーションのつまづき
・注意欠如多動に伴うコミュニケーションのつまづき
・自閉的傾向から来るコミュニケーションのつまづき
・情緒的な課題から来るコミュニケーションのつまづき


ちなみに法令上は、

場面緘黙→言語障害ではなく、情緒障害
読み書き困難→言語障害ではなく、学習障害


場面緘黙は、聞く、話すことの基礎的事項に遅れがなくても、不安や緊張の強さから「話せない」のであって、言語能力とは区別されます。もちろん、状態が重複する場合もあるでしょうけれども。
場面緘黙を言語障害に分類している時点で、障害の意味を理解しているのかな、ということになります。

聞く、話すの基礎的事項に遅れがあるために、読み書きにも困難が生じることはありえますが、読み書き障害=言語障害ではありません。





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ことばの教室で何しているの? どういう人が行くの?

どうして○○くんだけ行くの?
どんなところなの?

新一年生に矢継ぎ早に質問されました。
背の高い人、低い人がいるのと同じように、勉強の仕方もいろいろあるでしょう?
という説明で、わかった子もいましたが、わからない子もいました。

「習い事に行っているんだよ」

この一言で、ストンと落ちたようです。

「だって、プールもピアノも習っている人もれいば、習っていない人もいるしょ。ことばの教室も習い事だよ。だから終わったら学級に戻るんだ」

この説明で、完全に理解したようです。
経験に基づく説明は入りやすいですね。特に低学年は。

子どもが小さいときから、特別支援教育の理念を他児に伝えていくことの大切さを思います。

その前に、まず大人が。
近眼の子にめがねを与えるのと同じこと。

「偏見を持つ人は、それだけの人だ」
ある親御さんのことばです。

通う前は親子ともども不安ですが、実際に通ってみたら、何の問題もなかったということがほとんどです。

この子ども達が将来世の中に出たときに、一人一人の違いを理解できる大人になってほしいです。


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ことばの教室 基礎的インフラの整備



オージオメーターがないようで、やっと教材室から探し出したのが上の写真。
しかし故障。

前任者から教えてもらって、もう一台発見。



しかし、私の耳では絶対聞き取れないはずの0dBが聴取されてしまう・・・。
念のため、保健室からオージオメーターをお借りして聞き比べたら、明らかにこちらの方が「良い結果」に。
キャリブレーションうんぬんの次元ではなく、使用不能。
というか、「聴力レベル」ではなく、「聴力損失」と書いてある時点で、値は変わって当然です。

教育相談の定型様式を見ると、耳の横で指をこすり合わせてみる、と書いてある。
確かにそれも一法だけど、聴力障害を疑う場合は、ちゃんと測らないとだめです。

通級対象に難聴が明記され、パンフレットにも書かれている以上は、聴力を測れる物の整備は必須ですね。




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新任地にて 古い文献、科学的にトンデモな文献は廃棄



段ボール箱との格闘が一段落し、勢いで、着任式、始業式、入学式が終わりました。
持ってきた自作教材を豊富な格納棚のある指導室にしまおうと思ったら・・・。
古い文献が詰まっていて、入る余地がありません。
ちょうど、古い本は捨てていいですよと言われたので、その通りにしたら、その冊数はものすごい数に。

どんな本を保管し、どんな本を捨てたらよいか判断が難しいとのことで、私に判断をゆだねられました。
ある程度の学術的知識がないと難しいですね。

とりあえず、

・10年以上前の学術的文献
・「聴力損失」
・「情緒障害と自閉症」の混同
・LDの定義が昔のままのもの
・自閉症スペクトラムの定義がない時代で、言語障害の守備範囲が広すぎるもの
・科学的にトンデモな本

などを基準にリストアップ。

この教室は予算は潤沢にある分、本もたくさん買えますし、教材の引き出しも豊か。

しかし、それが学術的にどんな背景に基づいているのか、科学的にどれだけ支持されているのかという観点は、これからというところ、かもしれません。

論理療法と吃音、動作法、SSTに力を入れた文献導入のようですが、ちょっと偏りを感じます。


とりあえず、持参した教材は格納できましたが、まだあふれたままです。
この地域、子どもの実情に合わせて、私の教材も捨てなければならないでしょう。

とりあえず、入学式の日まで、なんとか走ってきました。
無理ないようにと言われても、それは無理です・・・。






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「1年で交替して良い仕事ではないと思いました」




現職の通級担当の先生から、しかも複数の先生から、こんな気持ちを聞きました。
「1年で交替して良い仕事ではないと思いました。来年度も担当する予定です」

私は言いました。
「通ってくる親子に代わってお礼を言います」

年度替わりの春休みに、「あの先生が、あなたの学校の通級の先生だよ」と紹介したのに、4月になってから「代わりました」というオチを心配していた私は、ほっと胸をなで下ろしました。


一方で、通級担当は2,3年でで交替して、通常学級に戻る、ということを「内規?」にしている学校もあるようです。
毎年半分以上の先生が交代する通級指導教室も。

いつまでこんなばかげた人事をやっているのでしょうか。

私の新任地では、どうやら引き続き、ことばの教室を担当させて頂けるようですが。

ただ、マクロレベルでは、ことばの教室経験者が、ことばの教室設置校に赴任になる例が今回は多く見られます。

昨年までの「なりふりかまわず人事」から見ると、明らかな前進です。
「特別支援教育に力を入れる」というキャッチフレーズは形になっています。

今回は、親の会だけでなく、校長会も動いたようです。
私が作った「経験年数のデータ」が校長会で活用されたようです。
数値の説得力です。


今後は学校単位での人事の「正常化」が求められます。

学級担任は毎年替わってもいいかもしれない。
しかし通級担当は、子どもの育ちを長い目で見なければなりません。

「先生の視野を広げるために、通級担当だけでなく、学級担任も経験すべきだ」
たしかに一理あるかもしれません。(ちなみに私も5年間、中学校と小学校の学級担任の経験がありますが)
しかし、それは教職員の「脳内処理」に過ぎません。

親子は、その教室に、専門の先生がいるからこそ、仕事を休み、時間を犠牲にして通っているのです。

「昨日まで皮膚科でした。院内事情で今日から脳外科です」という先生に、あなたは自分の体の手術を委ねられますか?






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「また、戻ってきてほしい」

涙。涙。
そうですね。
一番悩み、一番手を取り合ってきた仲間ですもの。

共に想い出を作ってきました。
つらかった分だけ、その想い出は感謝の気持ちで満たされています。

これまで本当にありがとうございました。

別れの季節に、人の真摯な気持ち、感謝、出会いの尊さを感じています。





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通級指導教室の予算 教育への熱意が透けて見える



新任地のことばの教室に引き継ぎに行ってきました。
昔は、引き継ぎのための旅費というものがありましたが、今は予算削減のあおりを受けて、「引き継ぎはありません」と。
大切な子どもたちのことについて、引き継ぎがないとはどういうことか!
と思った私は、自費で行ってきました。
迎えてくれた先生も、引き継ぎの重要性を感じておられたので、資料を準備して待ってくれていました。

ついでに、指導室にあった荷物も持参。
段ボールに詰めると、30個分にもなってしまいました。
よくこんな狭い指導室に、30個分もおさめていたなと。

きっと、先方のことばの教室でも使うであろう、自費購入の教材の山々。
しかし、面食らいました。

先方のことばの教室予算は、現任地の数倍。
絵カード、メトロノームなどは、各指導室に備え付け。
ネットにつながるパソコンや、湯沸かし器つき流し台まで各指導室に配備。
すごい!

何も持って行く必要などなかったのです。
むしろ後任のために、置いておくべきでした。

校舎の造りも、新しいというだけでなく、そもそも材質から違っています。
冬は足下が寒くて電気ストーブで補う現任地と大違い。

「買いたい物が買えますよ」と。

人口は現任地の数分の一なのに、予算のかけ方の違い、教育への情熱の違いを感じてしまいました。

いままで、ちまちまと、家の財務大臣の顔色をうかがいながら百円均一で教材を買っていた生活、研修旅費ほぼ全額自腹の生活とはお別れになるようです。

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「駆け込み寺」としてのことばの教室



親の会送別会で頂いた花束。
職員の送別会より、親の会の送別会の方が、泣けてきます。
つきあいは10年と長いし、密接なかかわりがあったから。

何人かの親御さんから、入学後に、卒業後に、ことばの教室に行けなくなるのが不安とのお話。
「正式な通級にはならないけれど、教育相談という形で、たまに顔を見せて下さい」
このことばに、とてもほっとした親御さんが何人も。

「困ったときの駆け込み寺」としてのことばの教室の機能が、今でも働いているのだなと。
それは、日常から、教員と保護者との信頼関係ができているからこそ。

そして、親の会の行事に見えた方の感想「誰が親で誰が先生かわからない」
それだけ解け合っているということ。

毎年、宿泊旅行を実施できている親の会は、道内でも少なくなっています。
親の会の強いところは、教室もしっかりしています。

親、教師、行政が、対立するのでなく、協力し合うこと。
子どもにとって、それが最良の教育環境。

いいところで、10年お世話になりました。
良い伝統をこれからも。

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きこえの問題に注目する

第9回 言語聴覚士国家試験

午前 第42問


正しい組み合わせはどれか。

a.耳硬化症  ーー  混合難聴
b.滲出性中耳炎  ーー  感音難聴
c.真珠腫性中耳炎  ーー  後迷路性難聴
d.突発性難聴  ーー  補充現象
e.メニエール病  ーー  低音障害型難聴

1. a、b、c
2. a、b、e
3. a、d、e
4. b、c、d
5. c、d、e


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ヒント

小学校低学年ぐらいまでによく見られる滲出性中耳炎。
ツチ骨、キヌタ骨、アブミ骨のある中耳に水がたまり、鼓膜を圧迫するため、きこえが悪くなります。だから、感音性ではなく、伝音性。
また、真珠腫性中耳炎も中耳の部分なので、後迷路性難聴ではありません。

よって、b,c のある選択肢は除外されます。


 

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