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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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【教材】SST「鬼ごっこの遊び方」

【教材】SST「鬼ごっこの遊び方」 わけあって、英語で解説。


より





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遊んだあとに、感想を聞くのは不自然

また遊びたい、で終わるのでよい。

と知的障害教育総論。

何かトラブルがあったら、その都度、調整に入ればいい。
決めるのは子ども。

ぐらいに、遊びをとらえていいのでは。


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妖怪ウォッチ すごろくオリジナル 作成を通して話し合い、プランニング、ふり返り



ラベル印刷で作った妖怪ウォッチシールをマスの好きなところに貼る。
シールのところにとまったら、5進む。
赤く塗ったところに止まったら、5戻る。

話し合い、プランニング、フィードバック

1 何枚貼ると、一番おもしろいか。
2 どの位置に貼ると良いか。
3 やってみての改善点
4 お互いにとって楽しかったか。


妖怪ウォッチネタは、幅広い年齢層に受けています。



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ソーシャルスキルトレーニングの可能性と限界

私が小さいとき、友達に嫌なことを言われました。
親に相談したら、「なんでそんなことを言うのか、聴いてご覧」とアドバイスされました。
理由を問うことで、事実を明らかにし、相手の言動を自分でふり返らせることが目的だったのでしょう。

翌日私は、親の言うとおり、「どうしてそんなこと言うの?」と尋ねました。
すると友達は答えました。
「そんなこと言っていないよ!」
おわり・・・。


***

ことばの教室でできるようになっても、通常学級や家庭など、本番でできるようになるかというと、疑問符がつきます。
そもそも、自閉的傾向の有る子は、ある場ではできても、場や条件が変わるとできない。
そもそも、「習った」ソーシャルスキルをどの場面で使えるかがわからない。

「主張できる」アサーショントレーニングも良い方法ではありますが、本当にその子に必要な指導なのか。

「表現力」「主張する力」にばかり力点を置くSSTも気になります。

お友達がいて、休み時間も関わり合う遊びができていて、学級集団にも乗れている。
おとなしめだけど、社会性、コミュニケーションに障害があるとは言えない。
「主張」はおとなしめ、というだけで通級対象になるのか?

子どもの行動の表層だけではなく、その背景にあるものを見定めること。
そして、通級による支援が有効なのかどうかは、慎重に判断すること。

ソーシャルスキルトレーニングは、原則、「その時、その場」で。
そして、通級で行うとしても、日常生活に近い内容でなければ、意味をなさないわけです。

指導時間のかかわり遊びそのものに、「楽しさ、安心感」がなければ、意味がない。
楽しさ、安心感の積み上げことが、通級による支援のキモだと思うのです。

「ふりかえり」にこだわる実践もありますが、そもそも短期記憶が弱かったり、衝動性の強い子に、あとになってから「ふりかえる」が、あまり意味をなさない場合もあります。

その時その場で、連続的即時強化。

SSTを実践する前に、その可能性と限界点を見極めること。
小貫悟先生の本で一番大事なのは、後半の実践例ではなく、前半の論述の部分だと思うのです。


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ソーシャル・スキルは、プリントワークだけでは育たない

今や特別支援教育のマニュアル本がこれでもかというほど出回り、それをやればソーシャルスキルが育つと考えてしまいます。

でも、昔から言われていることですが、人付き合いというのは、実際的な経験の中で育つもの。
もちろん、プリントワークは、リハーサルしたり、ふり返るためのツールとしては有効な場合もあるかもしれません。
しかし、それはあくまでも、机上の脳内処理に過ぎません。

実際に子ども同士で交流する時間が大事です。

そして、その内容は、日常生活にできるだけ近づけることもポイント。
普段あまりやらないようなことを指導メニューに入れても、日常に般化しません。

ボードゲームが流行しているのも、相手の表情を見ながら遊べるから。
今の子ども達は、同じ部屋に居ても、それぞれがそれぞれの電子ゲームをやっているだけ、ということが少なくありません。

その意味では、「普段あまりやらない」ボードゲームが、逆によかったりします。
いや、指導内容は、極論すれば何でもいいのです。
自然な流れであれば。
指導内容そのものよりも、その指導内容を構成する要素が大事です。

役割交代になれること、負けたときの気持ちの処理の仕方を学ぶこと、公正なルールの話し合いと運用、決定、相手の同意を得てから進める、などなど。


人付き合いというのは、眺めていると、本当に色々な機能、要素がある、とわかります。
実際に子ども同士でつきあってみて、初めてわかることも多いです。
大人との一対一では見せない姿が見られます。

それを感じれば感じるほど、マニュアル的、小手先のマニュアル本のうすっぺらさがわかるのです。分厚い本でも。


「受け身」の文法構成を学ぶことも大事ですが、その前に「いない、いないバー、やって。ギャハハハ」の段階がクリアされているのか。
「あなた」と「私」の関係性が育っているのか、まずは遊びが先ではないですか。

年齢なんて気にすることはありません。
「この年で、こんな遊びなんて」
でもその子にとっては、その遊びの土台が必要とされる段階なわけです。

その土台が育まれていなければ、いくらうわべの能力が積み上がっても、基礎から崩れるのです。

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【自作教材】空気砲で、「K点」越え





空気砲でジャンプスキー選手に見立てた紙片が跳び、「K点越え」なるか。


空気砲は、親の会でお世話になっている先生が書いた、以下の文献を参考に作りました。


『作ってあそべる製作ずかん 3・4・5歳児の保育に』
今野道裕 著、2013、学研教育出版


http://hon.gakken.jp/book/1340587000


初めは空気砲を作るだけでしたが、ジャンプスキーや、サッカーなど、
子どもと話し合いながら、いろいろな遊びにアレンジしていきました。

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大人の発達障害

クローズアップ現代、本日の放送を見ました。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3324.html

発達障害者の就労支援というと、やはり梅永 雄二先生ですね。

アメリカの調査では、仕事はできても、コミュニケーションや生活がうまくいかなくて離職した人の割合が8割以上、という統計が紹介されていました。

日本でも、「空気が読めない」社員が上司の叱責を受けてうつ病に陥る例が増えている。
背景には、長引く不況によって企業に余裕がなくなってきていることがある、とのこと。
毎日何種類もの薬を飲んでいる成人の方のインタビューを見ていると、義務教育段階の責任の大きさを感じずにはいられませんでした。

特別支援教育は、テストの点数を上げるためにするわけではありません。
テストの成績に一喜一憂するというパラダイム自体が、特別支援教育の理念からは遠いのです。
テストの点数という画一的な価値ではなく、その子の多様な評価、価値を見いだす、育てるのが、支援者の務めではないでしょうか。

色々な先生からご相談をうけますが、言語コミュニケーションの問題というのは、見逃されやすいです。どうしても成績に関心が行ってしまう。
親御さんなど、一般も含めて。

お子さんの様子を見ると、実は一番大事なのはそれではなくて、違うことですよ、とお話しさせていただいています。

労働時間は働けても、休み時間に人づきあいがうまくいかなくて苦労している成人の方のお話がありました。
授業やルール遊びはこなせても、休み時間などのフリーの場面に苦痛を感じている子と重なって見えました。


そして、
「人の気持ちがわかるように指導する」
という前に、
「子どもの気持ちを大人の側が理解する」
という積み重ねがあるのか、ということも、大事な視点です。

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「何して遊ぶ?」から始まるSST




多くのSSTのマニュアル本は、予め活動内容が決められていて、子ども達はそれに添って参加するという内容のように思います。
実は、何をして遊ぶかというところから、話し合い、合意するという、プロトコルの学習も必要ではないかと。

子どもの同士の日常の暮らしでは、「何して遊ぶ?」から始まることも少なくないわけです。

C「○○して遊びたかったのに、△△ちゃんが勝手に決めた」
T「みんなで話し合って、××の遊びになったんでしょ」
C「だって、○○したかったのに」

よくありがちですね。

・自分の意見を自分で把握することができる(そのためには、支援者が気持ちを受け止め、言語化してあげること)
・他人の意見を把握し、自分の意見と比較することができる
 →「自分の意見=他人の意見」というように、自他を区別できていないことが実は多い。

・意見が一致する場合、一致しない場合、それぞれで、どう対応したらよいか、具体的にロールプレイで学ぶことができる
 →折衷案生成能力、相手の表情認知スキルなどなど。   
 「私とあなたの遊びを半分ずつやろうか」
 「今はこの遊びで、今度はあれにしようか」
 自分の意見を述べたら、相手にもきく。
 など。

話し合って、合意形成して、楽しかった、で終わる、という経験の積み重ねを意図的に作ってあげること。
意見が一致しないと、けんかになってぐちゃぐちゃになる負の経験を重ねてきたことで、過剰防衛的になっている子をみることがあります。
だから、手順を具体的に示して、成功体験を作れるようにすること。

「自然に学ぶ」ことであっても、子どもによっては、具体的に手順を示すことが必要な場合があること。
知的には遅れがなくても、そうした相互交渉に苦手さを抱えている子がいること。

そうした理解が大事だなあと。

「振り返り」
よかった、悪かった、という大人の価値観を入れすぎると、子ども達にとっては、あまり実感がわかない、という気がしています。
「こうしたら楽しかった」が振り返りのベースではないかなあと。
「楽しかった」が確認しあえればいいのでは。

「規範意識」といいますが、「自分は社会から大事にされている。だから私も社会のために」という経験の積み重ねがあって、できあがっていく意識ではないでしょうか。単に道徳的な善悪の判断ということでなく。
その意味で、幼少期の「大切にされてきた」感は大事だなあと。

就労して、職場で仲良くやっていくためには、こうしたことの積み重ねが大事だろうと。
アンケート調査では、途中で仕事を辞めざるを得なかった1番の理由が、「コミュニケーション」でしたね。決して、技能や学力がトップではない。

そして今、企業が求めているのは、平べったい「学力」ではなくて、発想力とか、コミュニケーション能力ですね。

「今の若者は、漢字が読めないから、機械が動かせなかった」
というドキュメンタリーが放送されたことがありますが。
むしろ、わからなかったら先輩に尋ねる、というコミュニケーション能力の問題でしょうと。

「差異ある時は確認せよ」と機械に書いてあったらしいですが。
たとえ漢字が読めたとしても、その意味は語用論的になぞですね。
だから尋ねないとわからないわけです。

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日常生活に近いソーシャル・スキル・トレーニング

臨床実習生は、私の担当の指導の様子を参観し、事後に評価を検討しています。
また、一事例を選んで、4週にわたって、実際に指導を体験してもらいます。

私はある事例の子についての実習生への助言のなかで、
「フルーツバスケット」も考えていると、つぶやいていました。
実習生はそれをよく覚えていて、「フルーツバスケット」の指導計画を提案してきました。

「できるだけ日常の遊びに近い題材を」
「指導のために場を作ると言うより、自然な場の中で生じるドラマの中にSSTの視点を入れること」

日常大切だと思っている視点にも合致します。

子ども同士の関わりの中で、提案、質問、意見、合意、運営、修正、場を抜けるときの声かけなど、
普段の遊びの中に、様々なコミュニケーションスキルの要素が入っています。

そして、何人も集まると、何よりも、楽しい!

事後の担当者同士の振り返りでは、子どもの行動の意図や背景、
今後強化していきたい行動などを話し合いました。


大人が子どもに伝えるSSTも大事だし、子ども同士の中で育つものも大事です。

どちらかに軽重をつける意見がありますが、私は両方を組み合わせることだと思っています。

そして、SSTは通級指導教室でなければできないということではなくて、
地域の児童センターや、近くの公園での遊び、在籍学級での休み時間、学活など、
日常でもできることのはずだ、と確信するのです。

だから、「ことばの教室へ行ったら、SSTがやってもらえるよ」
というとらえ方に対しては、違和感を覚えるのです。

実際にはやれることもありますが、時間割の関係で子どもの組み合わせがうまくいかない、
ということの方がはるかに多いですし、日常と離れた場で指導しても、「日常への般化」が
うまくいくとも限りません。

上記の例は、非常にまれに恵まれたケースです。




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ソーシャル・スキル・トレーニング 先知恵と後知恵

遊んだ後にゆっくりと振り返りすることが効果的な子もいれば、
予告してから遊んで、小目標が達成するたびにほめる方が伸びる子とがいます。

子どもによってそれも含めてアレンジが必要です。

衝動性の強い子など、振り返ること自体がマイナス査定になってしまうなら、
やめた方がいいでしょう。
予告して少しでもできたらほめる方が、はるかに効果的。

あとで振り返っても、覚えていないことも多いですし、
過去を振り返ること自体がアレルギー症状を起こしている子もいます。

SSTはプラス査定でなければ。
だから、振り返りは、「お説教の場」にならないこと。
年齢が上がれば、「この方法が私を救ってくれる」と思えるような振り返りが大事。

遊び方をいちいちマイナス査定されたら、何のために遊んだのかわからない。
遊ぶのは、楽しむことが目的のはず。
もちろん、他人にとっても楽しいかの視点は大事ですが。
マイナス査定ばかり受けた子は、その子自身が、他人に対してもマイナス査定します。
そして暴力に結びついていく。
成人しても、多罰的に他人に当たり散らす人になります。
または限りなく自分を責めて、鬱に陥っていきます。

知っているのでしょうか? 発達障害と鬱との相関を。

マイナス査定スパイラルです。

プラス査定スパイラルを作りたいものです。

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子どもの「嫌だ」の真意を読み取る


小さい子や、ことばの表現が苦手な子の中には、色々な意味を「嫌だ」ということばで表現することがあります。

その真意を読み取らないと、誤解することになります。

1 文字通り「嫌だ」=嫌悪感
2 自信がない=失敗するのが不安
3 できない=やってもできないと自分でわかっている。
4 どうやっていいのかわからない=指示や説明の意味がわからない。ことばで説明されても完成形がイメージできない。

自信がない、という真意なのに、「嫌だ」を「やる気がない」、「反抗的だ」などととらえると、子どもへの対応が厳しくなりがちですが。実はできないことへの不安、つまり「本当は上手にできたらいい」の願いの反語表現だったりします。

真意をとらえれば、対応も全然ちがったものになります。

普段、「語用論」とか「ことばの裏の意味」とかいいますが、支援者自身が子どものことばの裏の意味を理解するよう努めたいと思います。

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【文献紹介】『こころの科学 認知症』自閉症スペクトラムの遺伝子研究の現状など

・自閉症スペクトラム障害(ASD)との関連が指摘される、ある遺伝子変化は、自閉症スペクトラム障害の集団の1%程度とのこと。
 
・でも報告された遺伝子変化を全て合わせれば、ASD集団の約10%の人に既知の遺伝子変化がある。
 
→とのこと。まだまだこれからのようですね。ただ、ASDは広い概念ですし、環境との相互作用によって、障害がめだたない場合もあるでしょうから、遺伝子だけで説明することは本当にできるのだろうか、という思いも。遺伝的ではあるのでしょうが。
 
 
 
・発達障害という視点は、ユング派の分析家たちの間にはない。むしろ人格障害的なとらえ方がなされている。
 
→発達障害とパーソナリティー障害との関係はよく話題に出ることですが。
 
 認知障害を単なる性格の問題ととらえるのはどうかと思いますが、他者との関係でパーソナリティーという視点で見なければならないこともある、ということも事実であるような。どちらのとらえ方にせよ、本人や関係者を責める概念として使われないで、支援の方策を立てるための概念であるということが大事でしょう。


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【研修レポート】14歳までに現実検討する力(自己対象化)を育てること

著明な先生を迎えての座談会でした。
 
各参加者から日頃の実践上の悩みの相談や、座長からは講話もありました。
 
講話の内容について、今回、yaがメモした内容を転載してみます。
 
  
・就労にあたっては、「やりたい仕事」、「やれる仕事」、「やらせてもらえる仕事」の3つの重なり部分を検討することが大切。
 
・小学校中学年までに、衣食住の基本的な生活スキルを育てること。たとえば、ショッピングバッグを冷蔵庫の前に置いて、冷蔵室、冷凍室、野菜室にそれぞれ分けて入れるスキル、足の指の爪を切るスキルなど。意外とできていないことが多い。
 
・14歳までに現実検討する力(自己対象化)を育てること。自分は何が得意で何が苦手かなど。中2までに育てることで、その後の進路につながる。
 
・一人でも信頼できる大人がいることで、不適切な行動は軽減できる。
 
・ある教科書出版会社の編集に、授業のユニバーサルデザインが専門の方が入って関わっている。教科書のユニバーサルデザイン化は今後進むだろう。特別支援学級担当の先生は、もう一度、通常学級の国語算数ぐらいは、1~6年生までの教科の内容を見直す必要がある。教科指導に個別の視点だけでなく、ユニバーサルデザインの視点を入れられるようにすべきだ。
 
・ある地域の学校の保護者は、漁業、水産加工業だけで60%を占める学校がある。そうした学校では、子ども達が他職種の仕事に触れる機会がない。昔の子どもは、地域で働く人々を目にする機会が多かったが、今は第3次産業の仕事しか目に入る機会がない。学校で習っている内容と、現実(リアリティー)を結びつける必要がある。
 
・親が育つということは、自分の子どもの親としてだけでなく、地域の市民の一人となることである。

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人の立場に立ってということの難しさ

自閉症スペクトラム障害は、人の気持ちが読み取れないと言いますが、
障害の有無にかかわらず、人の立場に立つというのは難しいものです。


1 「あげすぎ」は禁物
相手に何かしてあげることが、相手のためになると思いがちですが、
それがやりすぎてしまうと、
「物をあげると、あなたにとって都合の良い人になる、と損得感情の材料にされているのでは」
「何か下心があるのでは」
「頂ける気持ちの背景に、とてつもない巨大な要求が隠れていて、期待につぶされそう」
「自分でできるのに、何でもやってもらう。自分の力を信頼してくれないのか」
etc.
このような気持ちが人には働きます。
何事も、過ぎたるは及ばざるがごとし。

2 「断りすぎ」は禁物
逆に、人の厚意をかたくなに断り続ければ、
「自分のことを嫌っているのでは」
「人の善意より、自分のこだわりが大事なのか」
と、厚意そのものだけでなく、存在そのものを否定されたような気持ちになります。
「もう二度と声をかけるか」
となり、コミュニケーションは減退します。
コミュニケーションの減退した相手の態度を見て、
「この人は私に否定的」
と誤解した受け止め方になります。

気持ちは感謝して受け止める、多すぎる場合は上手に断るということが大事です。
何事も、過ぎたるは及ばざるがごとし。

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子どもの感情を否定しないで、まずは受け止める

子ども「いたいー、いたいー」
おとな「そんなの痛くない、痛くない、我慢しなさい」

子ども「怖いよー」
大人「怖くない、怖くない。何でもないでしょう?」

ついつい、言ってしまいますね。

「そのぐらいのこと」
「そんな小さいこと」
でも、子どもにとっては、とても重大なこと。

大人から見たら、そうでもないことでも、
子どもにとっては、少なくとも、そう感じていることは事実。

感情を否定され続けると、
そうした感情自体を持ってはいけないとか、
表現してはいけない、と思うようになり、
自己否定、そして他者の感情の否定につながるのでしょう。

「痛かったね-、痛かったね-。ここにぶつけたんだね。血は出なかったね」
とまずは受け止めて、その後事実を見せていくという方が。

子どもが少し大きくなったときも。

子ども「ああ、もうだめだ」
大人「そのぐらいのことで、いちいち落ち込んでいたら
世の中でやっていけないでしょ」

こう言われると、「どうせ俺は、世の中でやっていけないんだ」
という自己否定を強めていって、ますま落ち込みます。
片方では、落ち込んではいけないと自分でもわかっている、
わかっているけどできない、という葛藤で苦しんでいる人には、
正攻法での話しかけは、葛藤を強めるだけです。

落ち込んでいる人には、お説教は全く無効です。
その気持ちをよく受け止めつつ、
認知、行動、身体感覚のどれか変えやすいものを変えてみるという方が
効果的ですね。

いずれにせよ、病気や障害の有無にかかわらず、
自分の気持ちを受け止めてもらえるということは大切ですね。

受け止めるかどうかということと、その後の行動をどう適正化するか、
ということとは、分けて考える必要があります。

そして支援者に「将来のため」という焦りがあると、
双方ともに余裕がなくなってきます。

「今、ここ」の楽しさ、安心感があってこそ、
次へつながるということを確認したいのです。


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日本LD学会第19回大会発表論文集 

今年は都合で参加できませんでした。
そこで発表論文集だけでも手に入れて読んでいます。


・花熊 暁先生の「心の理解と発達障害」

→他者理解と自己理解を切り離して考えることはできない。
という主旨が全くその通りと感じました。

これは、子ども達だけでなく、支援者自身にも言えること。
自己を正確に理解できなければ、他者を理解することなどできません。
できているとすれば、それは本などから得た知識を
他人に当てはめているだけなので、紋切り型になってしまいます。

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「自由会話」を視覚的にフィードバック


私は、子どもが話してくれたことを指導記録用紙の裏に
メモすることがあります。
話してくれた内容を構造的に書き連ね、内容を整理し、
それを子どもに見せることで、フィードバックします。

たとえば冗長な話し方には、単語を箇条書きにし、
すっきりとしたまとめ方ができます。

話しが次々とぶ子には、内容ごとに書く場所を整理して、
会話の全体像がわかるようにしています。

まとめて話す力を育てることに役立つ場合があると
感じているからです。

また、こうした「指導記録用紙の裏」が、あとで重要な手がかりになる
ことがあります。

子どもは話を聞いてくれた、まとめてくれたと喜ぶ表情を
浮かべることが少なくないです。
お年頃の女の子には避けた方がいいですが。

子どもがことばで表現しにくいときには、
絵にしてもらって、その絵を材料に会話が盛り上がることがあります。

最後に、会話について良かったことを取り上げて、
花丸を書いてあげます。
これは、大先輩のマネです。
今でも、あの、大先輩の温かくて感謝あふれる
表情での丸を私は描けません。

あの表情ができるには、一生かかるかもしれません。

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依存と甘えと自立

「子どもが自立できないのは、親が甘やかしているから」

確かにそうした事例がないこともないのですが。

その前に、「自立」「甘え」「依存」について、
掘り下げて考えてみる必要があると思うのです。

人は基本的に、子どもも大人も、何かに依存して生きています。

「そんなことはない。私は誰にも頼らず一人で生きている」
と反論が返ってきそうですが、
人は一人では生きていくことはできないし、
実は何かに依存していることに気づいていないだけかもしれません。
あるいは「一人で生きていく」というポリシーに依存しているのかもしれません。

子どもは、養育者への依存の保障があるからこそ、自立できます。

お母さんから離れるのが不安な赤ちゃんでも、
「お母さんはいつもここにいるから大丈夫」とわかると、
少しずつ離れて行動するようになります。

そして時々、お母さんの姿をチラッと見ながら、
居ることを確認できると安心して、
さらに離れていられるようになります。

認知が発達すると、目の前にお母さんがいなくも、
あの場所にいる、あの時間にいる、とわかるから
安心できるわけです。

そして、依存の対象は、養育者から別のものへと拡大していく。

つまり、安心感が保障されるからこそ、人は自立できる、
これは人の発達段階からも言えることでしょう。

いい年して、と言いたくなりますが、
その子にとっては、今が愛着形成の時期。
幼い頃、様々な理由で甘えが成立しなかったからこそ
今それを取り戻すとき。

もちろん、愛情要求の行動、方法に不適切なものがあれば
修正を図りますが、依存や甘えが、その子の発達にとって
必要な通過点、と思えることが少なくありません。

自立できないのは、甘やかしているからではなくて、
甘えと依存の保障期間を通過してきていないからだ、
と思えることの事例の方が多いです。

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サザエさんの4コマまんがで、場面理解、言語表現の指導



子どもの状態像、指導のねらいによって、
ストーリーのあるまんがを使った指導をすることがあります。

人が介在しない、物理的な時間軸、因果律だけのものから、
人が複雑に関わる場面理解の内容まで様々です。

サザエさんは、4コマ目のオチがおもしろいので、
採用することが多いです。
4コマ目を見て、ニヤッと笑うかどうかという反応をよく見ます。

場面理解をねらいとするなら、ランダムに並べた
4コマのマンガをお話しの順に並べかえる課題をしています。

場面理解は良好だが、言語表現が、というお子さんには、
1コマずつ説明する課題を与えます。

かつては私は、側に「○○が、△△した」という例文を示し、
当てはまることばを入れてごらん、という指導をしたことがあります。
たいていの子はつまらない反応を示します。
(もちろん、そうした指導がフィットする子もいます)

そこでどんなに稚拙でも、少しでも表現できたら、それを誉める
というのが今のやり方です。

「今『が』をつけて言えたね。すばらしい」(主語をつける)
「わかめちゃんの気持ちをことばで言えたね。すごい」(感情の言語化)
「セーターの様子を表現できたね。おもしろい」(擬態語)

など、指導者が予め指導目標を頭に置いておいて、
少しでもそれができたら誉める。
なかなかできない場合は、モデルを示して、
真似たら誉めるでもいいですね。

いつもは隠れたり、やめたがる子でも、
ほめることが強化子となる場合は、もっとやりたいと意欲的になります。

課題に意欲的であれば、日常会話にも般化しやすくなる、と感じます。

話しことばを叱られるというのは、大人が考える以上に、
子ども達にはとてもプレッシャーです。

話す意欲を育てることが、言語指導の基本だと思っています。

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ソーシャル・スキル・トレーニングの前に、愛着形成はどうなの?

最近の研修会、事例検討会でのメモの抜粋です。
 



(コミュニケーション編)

・ソーシャル・スキル・トレーニングの前に、愛着形成はどうなの? 
「いやだ」と言えるようにする前に、人に甘えることができているの?  

→(感想)とかくマニュアルに偏りがちですが、子どもの発達を生育歴からトータルに見ることの大切さを想います。



・構音指導には、4~5歳の発達レベルが必要。復唱でワードパーシャル(「りんご」の復唱で「ご」など、語の一部)が出るのは、構音訓練の前の段階。聞き分けが文レベルででき、口腔内の協調運動、構音動作、学習姿勢・指導の意図がわかる、の全てがそろう必要がある。

→「すぐに治してあげなければ」と焦る気持ちはよくわかりますね。復唱がだいたいできる段階で、構音指導開始ですね。



・コミュニケーションは、「共感」と「スキル(意味を伝える)」の両方が合致するもの。

→(感想)共感だけでもなく、スキルだけでもなく、というか、両者は一体のものなのでしょうね。



・「表現、理解」の考察を。「ことば」が、人と関わる手段になっているか。

→(感想)「ことば」は単なる音声言語ではないということ。



・「指差し」に要求、叙述的機能があるか

→(感想)単に指差しているだけか、人の関心を引こうとしているかなど、指差しにも、本当に深い意味があると思います。



(咀嚼・嚥下編)

・咀嚼・嚥下も「認知、運動、機能」の3つを見ることが大事

→(感想)子どもを多視点で、トータルに見るというのは、教育も医療も同じ。発達障害についての指導でも「認知」は重要ですが、咀嚼・嚥下でもやはり重要ですね。



・口蓋に食べ物がくっつく場合は、高口蓋の可能性も疑う

→(感想)口腔内視診で高口蓋の確認は、ことばの教室でも大事ですが、つい検討項目から見落としがちです。


・コップの水を飲むとき、上口唇を伸ばす動きがあるかどうかは大事だが、それに注目しすぎると、余計な力を入れることになるので、訓練から省く。

→(感想)構音指導も嚥下指導も、余計な力を入れないようにする、という点では全く同じですね。全身の状態も評価する点でも同じ。



・舌顎分離運動ができて、哺乳食中期。

→(感想)これも構音指導の際に必要な視点。



・スプーンを口に入れると噛む子に、無理矢理引っ張るのは逆効果。自分で力を緩めたタイミングでスプーンを抜く。

→(感想)緊張と弛緩についても、感覚統合、作業療法の視点も必要ですね。拮抗する力を加えると、緊張が高まるのは当然。構音指導でも、舌のなで方一つで、緊張・弛緩の反応が違ってきます。
 

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