子ども「いたいー、いたいー」
おとな「そんなの痛くない、痛くない、我慢しなさい」
子ども「怖いよー」
大人「怖くない、怖くない。何でもないでしょう?」
ついつい、言ってしまいますね。
「そのぐらいのこと」
「そんな小さいこと」
でも、子どもにとっては、とても重大なこと。
大人から見たら、そうでもないことでも、
子どもにとっては、少なくとも、そう感じていることは事実。
感情を否定され続けると、
そうした感情自体を持ってはいけないとか、
表現してはいけない、と思うようになり、
自己否定、そして他者の感情の否定につながるのでしょう。
「痛かったね-、痛かったね-。ここにぶつけたんだね。血は出なかったね」
とまずは受け止めて、その後事実を見せていくという方が。
子どもが少し大きくなったときも。
子ども「ああ、もうだめだ」
大人「そのぐらいのことで、いちいち落ち込んでいたら
世の中でやっていけないでしょ」
こう言われると、「どうせ俺は、世の中でやっていけないんだ」
という自己否定を強めていって、ますま落ち込みます。
片方では、落ち込んではいけないと自分でもわかっている、
わかっているけどできない、という葛藤で苦しんでいる人には、
正攻法での話しかけは、葛藤を強めるだけです。
落ち込んでいる人には、お説教は全く無効です。
その気持ちをよく受け止めつつ、
認知、行動、身体感覚のどれか変えやすいものを変えてみるという方が
効果的ですね。
いずれにせよ、病気や障害の有無にかかわらず、
自分の気持ちを受け止めてもらえるということは大切ですね。
受け止めるかどうかということと、その後の行動をどう適正化するか、
ということとは、分けて考える必要があります。
そして支援者に「将来のため」という焦りがあると、
双方ともに余裕がなくなってきます。
「今、ここ」の楽しさ、安心感があってこそ、
次へつながるということを確認したいのです。
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