「自分の要求を人に伝えることができる」
赤ちゃんは、おっぱいが欲しいから泣くのではなく、
不快だから泣くのですね。
ところが、
泣く→おっぱいがもらえる→快感
という経験を積んでいくことで、
いつか泣くこと自体を意図的にするようになります。
要求の始まりですね。
これは、だっこでもおむつ交換でもできるようになります。
やがて泣くことの変わりに指さしやジェスチャーでの要求になり、
ことばになっていきます。
最近うちの2歳児は「モット シテー」ということばを覚えました。
便利な言葉ですね。何にでも使えますし、一生使えますね。
また、「ゴハン シタイ」(ごはんが食べたい)、
「アンパンマン シタイ」(アンパンマンを見たい)
など、「シタイ」をつけることで要求するようになりました。
赤ちゃんは、快か不快かを基準にして、要求を覚えていきますね。
でも、要求したもの、ことが、どれだけがんばってもかなわないことがあるし、
時間がたつとかなうこともある。
何かと交換条件でかなうこともあるし、
何かをしたら代わりにかなうこともある。
同じパターンでなければ、かなったことにならないと思っていたけど、
違うパターンでも、要求がかなっているのだとわかることもある。
これらは時系列や、周りの状況などから法則性を発見していく過程でもあり、
要求することで、いろいろな場面状況を理解したり、相互のコミュニケーションを
覚えていくんだなあと思うのでした。
通ってくるお子さんの中には、自分が何がしたいのかのとらえが難しかったり、
とらえられていたとしても、要求する方法がわからないという場合もあります。
そうした子には、要求を育てるという過程は大切なのでしょう。
ただ、それらは既に通過していて次の段階という場合もあります。
発達というものをよく理解し、個々の違いに着目して、
目標を設定したいものです。
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