ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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病院の受付中に倒れて、動けないように見える方がいました。看護師が急行し、「わかりますか?」と問いかけていました。ほどなく、他で問診していた医師が小走りにやってきて、家族の方に、「今日はどういうことで見えましたか?今までにも倒れたことはありますか?」と尋ねていました。しかし家族の方は、その倒れた方の名前も思い出せないようでした。点滴室へ行くと、バッグに嘔吐を繰り返す高齢の方や、自立歩行が困難なほどに平衡感覚を失い、車椅子で運ばれる患者さんもいました。
点滴を受けながら仕事をしている方もいました。そんなに頑張らなくても、と思いながらも、そうせざるを得ない状況があるのだろうと想像しました。
周囲の状況から、皆さん、私と同じ病気だろうと思われました。私も、10年後、20年後はこうなるのだろうかと考えると、落ち込みもします。しかし同時に、今は働ける程度に症状が抑えられていることに対して、感謝の気持ちもわいてきます。
そして、それぞれの場にいた看護師さんが、有事の際は即座に集まってくるその機動力に、命を救う仕事の尊さを感じました。
点滴を受けながら、人生への万感の想いを込めて、合掌。
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町内会班長の仕事がまた舞い込んできました。
訃報の連絡とお手伝いの依頼の電話をしています。
この町内会は、高齢化率がトップクラスで、
長い歴史があります。
一つ一つのやり方について、「不文律」「慣習」
のようなものとぶつかりそうになったり、
ぶつかってしまったりします。
そのたびに謝ったり、慌てて修正したりするのですが。
客観的には不合理と感じることであっても、
地域にとっては、長い時間を掛けて醸成してきたものであり、
そこに歴史的な経緯、深い意味を見いだすこともできます。
それぞれの場所、地域のやり方を尊重し、その中に光を見いだしていくこと、
決して前例を崩してはならないということではなく、
過去から積み上げてきた先人達の想いに尊敬の念を持つこと、
新しいことは、その土台の上に築かれなければならない、
それはどの分野のどの仕事においても言えることだと思います。
マザーテレサはカトリック教徒でしたが、
お世話をして亡くなった方々には、
それぞれの方の宗教に合わせて葬儀をしたそうですね。
尊重する、尊敬する、共感する。
この軸がぶれていないか、時々振り返ること。
ぶれているときは、本当の目的が見失われているとき。
そう思っています。