忍者ブログ
某公立学校ことばの教室教員。言語聴覚士。特別支援教育士。  SINCE 2000.1.1 
ブログ内検索
カレンダー
06 2015/07 08
S M T W T F S
1 2 3
5 6 7 8 9 10 11
13 14 15 16 17 18
21 22 23 24
26 27 29 30 31
最新コメント
[05/28 miki]
[05/28 miki]
[05/13 赤根 修]
[05/06 赤根 修]
[04/15 miki]
[04/15 赤根 修]
[03/12 かわ]
[03/09 赤根 修]
[03/03 KY@札幌]
[03/01 赤根 修]
[02/28 hakarino]
[02/23 kさん]
[02/23 miki]
[02/12 suge]
[01/15 suge]
[01/15 miki]
[12/21 赤根 修]
[12/17 ku]
[12/11 流]
[12/07 赤根 修]
[12/03 ryo]
[11/24 ブラウン]
[10/12 あい]
[09/26 赤根 修]
[09/23 赤根 修]
バーコード
アクセス解析
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6

子どもの興味関心に合わせた指導こそ、通級指導の一丁目一番地

集団への帰属自体を指導目標とするのでなく、子どもが強く興味関心を抱いている内容に合わせた指導をしたいものです。

学校のカリキュラム通りに縛られること自体が苦痛と感じる特性のあるお子さんがいます。
その子の興味関心に合わせた指導をすると「余計にはまってしまい、収拾がつかなくなる」と。
でも、とことん好きなことに取り組むこと自体が、勉強になるはずです。
「好きなこと」から、聴く話す、読み書き、製作など、多様に広げられる。
ことばの教室、通級指導教室の一丁目、一番地。

ソーシャルスキルトレーニングは、本に書いてあるようなことをしても、その子にフィットするとは限らない。
むしろ、せっかくの興味関心のある内容について取り組み、それを他児とのコミュニケーションのきっかけとした方が、はるかに成果のあるSSTにつながると思うのですが。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


PR

通級妥当の判断と終了の判断

その子の支援において、ことばの教室への通級が妥当かどうか判断する場合があります。
逆に、既に通級している子の通級を終了することが妥当かどうかの判断もあります。

判断の際に、大切だと感じていることがあります。

1 この2つを判断するための基準(めやす)は表裏の関係であり、同時に検討することが必要であること。

2 通常学級での指導の工夫やTT、放課後サポートなど、他の支援の選択肢も含め、総合的に判断すること。(「なんでも通級」には批判的に対峙しなければならない。相談に来たのだから、通級にしてあげようという温情的な判断は、一見子どものための思えるが、通級への依存体質を作ってしまう危険性がある)
  「25文科初第756号、平成25年10月4日」通知には、その旨、明確に書かれている。


3 一律に線を引いて基準通りに判断するのでなく、ケースバイケースであること。
  ただし、指導者の主観だけで判断するものでもなく、一定のめやすは必要なこと。

4 保護者、本人、指導者、学級担任、専門家など、関係する人の意見を聴取した上で判断すること。

5 面接場面だけで判断するのでなく、行動観察、生育歴、検査の3つがそろった中で判断する。

6 機能性構音障害の場合、「日常会話においても、障害音が改善されていて、誤って発音した場合でも、おおむね自己修正できる」が平均的なめやすと思われる。
 ただし、通級のための条件など、総合的な判断は必要。
 必ずしも「全部直ったから終了」ではなく、予後困り感が生じるおそれがない場合など、応用的な判断はありえる。ただし、指導者の力量不足で改善できないものを子どものせいにしてはならない。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


価値観のカオス化と、科学的な事実とは別である

万有引力の法則は、科学的な事実。
でも、明日になったら、銀河系は、突然消失するかもしれない。
あるいは、地球の周りを太陽が回り始めるかもしれない。

エビングハウスの忘却曲線は、明日から人間の脳に革命が起こって無効化するかもしれない。

しかし、そうしたことはフィクションとしてはあり得ても、実際には意味のない議論。

いろいろな価値観があるのだからと、科学的な事実をもカオス化する議論は無意味。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


「既存の通級担当教員を減らして、設置されていない学校に新設を」のこと

いろいろと漏れ伝わる情報によると、国は通級担当教員を今年度はほとんど増やさず、通級指導教室の新設を希望していた学校は、一部を除いてほぼ叶わなかったようです。
北海道の場合ですが。

教育行政としては、既存の複数の先生配置の教室の教員を減らして、他の学校の新設に回すという案を検討しているようです。

既存の先生を減らしても、教室の運用は可能か、という問いかけのようです。

新設する学校を増やしたいという考え方自体には賛成ですが、その代わり、複数教室の教員を減らすという考え方はどうなのでしょうか。

教員を減らし、その分「グループ指導」を増やすことで対応する案が検討されているようです。

しかし、「グループ指導」は、その子にとって教育的に必要と判断されるから組むのであって、合理性を求めるためではないこと。

たとえば、吃音、構音など、全く同じ症状であっても、その背景は一人一人異なっており、一人一人に合わせた指導は、グループ指導ではできないこと。

現在でさえ、給食を食べ終わるかどうかの時間に他校通級しているぐらい、時間割の編成が困難なのに、教員が減れば、時間割の編成はいっそう困難となること。

一人教室では、担当教員が相談する場がなく、研修保障や教室運営に問題を抱えている教室が多いこと。むしろ、一人教室を複数配置にすることが望まれること。

など、ことばの教室が積み上げてきた成果と問題点を十分に精査すべきと考えます。
答えはこれまでの歴史が積み上げてきていることです。

削減の前に、国が増員の手だてを考えるべきです。

一方で、「何でも通級」の風潮があることにも異議があります。
何か苦手なことがあるから、障害があるから、という理由だけで通級措置の判断をストレートにしてしまう。
支援の方法は、通常学級での指導の工夫、ティームティーチング、放課後教室など、他にもたくさんあります。
このことは国も指摘しており、慎重な判断を求めています。

面接時の所見で、ちょっと落ち着きがなかったという理由だけで、通級措置にしているとすれば、はなはだ問題です。日常の様子はどうなのかという情報抜きに判断しているわけです。






にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


構音障害の事例検討に参加しました

先日、構音障害等のケースレポートの検討にお呼ばれしました。
開会式から来賓待遇で、教育長などと一緒に拍手で迎えられ、研修後は拍手でお送りくださいと・・・。
そして来賓控室で接待して頂き、恐縮することしきりでした。

大会なので、来賓対応なのだと思いますが、庶民派としては、昼食も皆さんと食べながら質問に答え、いつのまにか帰っちゃうというスタイルが慣れているのですが。
同じことばの教室の仲間なので。

とはいえ、年1回、ブロックとしてはかなり規模の大きい大会を開いていること。
そのたびに行政や関係者などをお呼びし、連携を深めていること。
ケース検討は、発表から始めるのではなく、予めレポートを各教室に送っておき、事前に読んできていることを前提に説明は省略、質問への回答から始めるという方式は秀逸と思いました。

うちの地域では全道レポート検討で、「発表の予行演習」までしているのと比べると、時間と労力のコストパフォーマンスがかなり高いと言えます。

また、ブロックの研究が、道言協の研究と完全にリンクしており、研修会ではまずのその説明から入っていました。

かなり取り入れるべきことがあるのではと思いました。

ただ、ケース検討では、その子の理解というより、構音指導のやり方についての質問が多く出されました。
もっと交通整理して、ケースの子どもについて検討できればよかったのですが、私もそれに乗っかって、講義に近い形になってしまいました。

反省しつつも、この傾向はどこも似たようなものだと思います。

研修の王道はケース会議なのですが、会議を進めるための前提として、基礎知識を学ぶ場が、どこも課題なのかもしれません。

でも、今回のケース検討で一番よかったのは、大会という体裁をとっていたため、管理職の先生も何人も参加されていたこと。
研修終了後、「これは普通教員免許ではできない仕事だと思った」と感想をおっしゃていました。これこそが連携ですね。



にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


吃音のある本人の気持ちを理解して

全国の吃音の当事者団体の代表を務められ、各地へ講演、相談に出かけられている先生のお話をうかがいました。
先生のお話からは、あくまでも本人の視点に立ち、支援者は支援に当たらなければならないという、強い説得力を感じました。

「『なんでもないでしょ』、『症状は軽いでしょ』と人は言います。励ましのつもりなのでしょう。しかし、そのように言われると、本人は人に相談できなくなるのです」


「小さいうちから、吃音について家族で話し合い、困ったときは相談できること。そして一日15分、楽しく関わる時間を作って欲しい。子どもを孤独から救い出すのです」と先生は力説していました。


 一方、昔は「吃音を意識させない方が良い」、本人とは話題にすべきではないと考えられていたことについて、先生は次のように述べました。


 「本人が親や先生などに相談したいと思っているのに、誰も話題にしてくれないので、相談自体をしてはいけないものだと思ってしまうのです」


 その結果、社会に出てから吃音に向き合うことができずに、社会不安、対人恐怖に陥る事例があとをたちません。


 「吃音を意識させると吃音になる」という考え方を「診断起因説」と言います。しかしこの説は、研究により、今では完全に否定されています。


 また、吃音の「原因」は、「育て方」にあるのではありません。「きっかけ(どもり始める原因)」と「どもりの原因」とは違う、と先生は警鐘を鳴らしていました。


 また、吃音への対応は、子どもによって異なります。大人が良かれと思っても、本人は「どうして私に聞いてくれないのか」と感じるとのことでした。

 今回で、先生のお話を直接うかがったのは4回目です。
 お話をうかがうたびに、吃音に限らず、全ての子育て関係者が「本人の内側からの理解」の大切さを教えてくださっているように思います。



にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


通級担当の人事と研修

管内ではここ数年、ことばの教室をある程度経験した先生が、ことばの教室のある学校へ異動する例が増えています。本人が希望していない場合は別として、教育局が数年前からスタートさせた、特別支援教育にも重点を置く方針が一定程度反映されていると考えられます。これは、管内親の会が毎年、教育局に対して要望してきた活動が、ある程度は効果があった可能性もあります。
札幌市では、「通常学級担当」と、「特別支援担当」とでは、採用段階で分けており、採用後もその枠が基本的には維持されます。
また他県では、大学の言語障害教育課程を卒業しなければ、ことばの教室を担当できないところや、担当になった先生には、悉皆で研修を義務づけています。
かつて北海道教育大学にも「言語障害教育課程」が存在し、現職の先生が長期に研修のため留学し、北海道各地に戻る仕組みができていました。その卒業生が各地のキーパースンとなり、専門性の向上に一定の役目を果たしてきました。
しかし、その大学の課程がなくなったことは致命的ダメージであり、教室を牽引してきた世代(いわゆる「第2世代」)も大量退職し続けています。
現在、道言協(北海道言語障害児教育研究協議会)では、新しい先生のための研修を喫緊の課題とし、札幌で年一回「言難ABC」を開催。各ブロックでも同様の取り組みを計画的に進めることを求めています。
あるベテランの先生は、「通級担当の人事は、かつてないほど危機的だ。しかしそれでも種をまき続ける(研修を進める)しかない」と述べています。また、全道のこれまでの研究成果を新しい先生のために、何らかの形でまとめ、伝承していく必要性を指摘しています。
某県では「1年目」の先生への研修や、ベテランの先生の指導を見学するために出かけることが、管理職の理解も得て公務として認められています。2,3年目の先生へのケアにも取り組み始めています。
当管内では、「新しい先生のための旅費措置事業」により、ベテランの先生の指導を見学したり、教えてもらいに行く、来てもらうための旅費措置をしています。また、札幌の「言難ABC」への旅費補助もしています。積極的な活用を進めることが期待されます。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


個別の指導計画

個別の指導計画の策定をしています。
作成することも大事ですが、策定の過程で、スタッフ同士が議論すること自体が大事だと思っています。
たとえば、

1 限られた通級指導時間に比べて、指導目標が大きすぎないか?
2 学級担任などからの情報収集や検査なども含め、子どもの教育的ニーズに合った指導目標か?
3 評価が可能な指導目標か?

などが問われます。

たとえば、「5W1Hで話すことができる」という従来の指導目標に対して、子ども理解に基づく指導目標の設定になっているのか、議論の中で徹底的に掘り下げています。

本当に、文法構成の問題なのか?
むしろ語用論の問題ではないか?
たとえば、
「僕はリンゴを食べました」という文法的には正しい発話の場合に。

1)兄弟も食べたけど、自分も食べられたという意味か?
2)リンゴは普段嫌いだったけど、ついにリンゴを食べることができた、という意味か?
3)リンゴが大好きだということが言いたかったのか?
4)給食でリンゴが出たのは珍しいと言いたかったのか?
5)朝食はいつも食べてこないけど、今日は何か口にしたと言いたかったのか?

同じことばでも、「背景の意味」「経緯」によって、そのことばの表面的な意味あいは、全く違ってきます。
会話のずれというのは、本当はそこにあるのではないか。
お互いに、話し手のことばの語用論的な解釈のすれ違いが生じているのではないか?

そうなると、単なる「言語」の問題ではありません。
文法を鍛えればよいという話ではありません。

会話のずれの具体的なエピソードを聴く中で、そのことは明らかになります。

ことばを「直す」のでなく、子どもが受け止められたと感じられるよう話せる対応が第一優先ではないのか。

そんなことを議論しています。

従来の慣習や見立てを白紙に戻して、徹底的な子ども理解、発達の学術的根拠に基づく指導を磨き合っています。
ちょっとつらいかもしれませんが、生きた研修になるはずです。




にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


個別の指導計画、教育相談実施報告書、アセスメント情報は金庫に保管するのでなく

日々の指導で生き詰まった時に、読み返すためにあります。

某学校の経営要項を読むと、「金庫にしまう」ことを内規にしているところがありました。
確かに個人情報だから大事ですが、ぱっと見返すことができなければ、せっかくのアセスメントが意味をなしません。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


構音障害は単なる「滑舌の問題」ではない

構音障害について、正しいのはどれか。

1 発音は成長とともに改善するのだから、指導は必要ない。
2 舌の筋肉を鍛えれば、構音は改善する。
3 発音がうまくできない子には、原則として構音指導を優先する。
4 障害は、環境とのかけ算であるから、構音指導よりも、周りへの理解啓発があれば良い。
5 聴覚的弁別(語音を聞き分ける)能力を高める指導だけで、構音が改善する場合がある。


***

構音障害は、成長とともに改善する場合もあれば、自然には改善しない場合もあります。
専門的な検査と判断が必要です。
子どもの場合は特に、知的発達や情緒面なども含め、総合的に判断する必要があります。
その子にとっての指導の優先順位は、予後の推定を含めて判断しなければなりません。

機能性構音障害は、他の障害とは違って、適切な指導によって「改善」するものです。
周りへの理解啓発を求めるのはもちろん大切ですが、指導によって改善ができるものを放置してはいけません。


たとえば、ラ行ダ行の相互の置き換えなど、聴覚的な弁別能力が背景にあって、発語器官に問題がない場合、「耳を育てる」だけで改善する場合があります。
構音障害だから、口を鍛える、滑舌を直す、という単純なものではありません。



にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***




忍者ブログ [PR]

graphics by アンの小箱 * designed by Anne

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***