当時としては画期的な考え方でした。
ちゃんと子どものことを理解しましょう、その上で指導を考えましょうと。
「初めに検査法ありきではなく」という考え方も、現在でも通用しています。
そればかりか、ますます重要になってきています。
「とりあえず検査しましょう」が流行している現在では。
ただ一方で、「お母さんがすぐに何でもやってあげたから、話す必要がなく、ことばが遅れた」、「何でも手を貸すから、不器用になった」などと、「母原病」を彷彿とさせる仮説が、当時から事例レポートにけっこう書かれていて、首をかしげていました。
保護者向けの書棚に、未だに「母原病」という本が並んでいたのには驚きました。
「何でもやってあげた」ことで、「ことばの発達が遅れた」???
子どもの言語表現には、「要求」も確かにありますが、それ以外に、「叙述」もある。
「コミュニケーション」の語源は、「伝え合う」ことではなく、「共有する」
にもかかわらず、あたかも、こどもの言語が、「要求」だけでなりたっているかのような仮説。
赤ちゃんが、おむつが濡れたり、お腹がすいて泣くのは、不快だからです。
しかし、不快感から泣いていると、心地よい状態にしてくれる、ということを繰り返すうちに学習するから、泣くことに「意図」「意思」が加わるようになる。
つまり、「泣いたら、心地よい状態にしてくれる」を学習する。
でも、そもそもそうした学習機能が弱いお子さんもいる。
そもそも、「快、不快」の感覚のトラブルもあるかもしれない。
その子の生育歴も調べないで、ただ「甘やかしたからことばが遅れた」
専門家の立場の人が、こんなことを言ってはいけないなと。
素人レベルで言われているのは仕方がないですし、啓発活動はしていかなければなりませんが。
「教育的診断に基づく指導」の本来の主旨が理解されていれば、「母原病」仮説を回避できたのでは、と思うのですが。
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを
***
PR