研究主題に「心」という語句を入れることについて、「広すぎる」「どうやって評価するのか」という疑問の声が出ています。
正直、私も広すぎるとは思いました。
しかし、「心」とは何か塊のようなものではない。
また「行動」と対置させるような「別物」でもない。
全ての感覚のインプットが全くない状態での「心」はありえないし、外界との関わり、そして関わりの中でのアウトプットがある、それらすべてが「心」であるのだと思うのです。
「学校が恐怖の対象でしかなかったのに、卒業時には満面の笑み、自信をもって、卒業証書を受け取れた」
「心」は見えなくても、「心の育ち」は見えるのでした。
そして、絵カードを見せて、「フライパンもわからないの、この子」ではなく、「フライパンを使っての家庭での体験をコーディネートする」
「お母さん(お父さん)が用意したフライパンで、目玉焼きを作った。熱いのが怖かったけど、できたらおいしかった」
「フライパン」は、こうした生活文脈の中で意味を獲得していくわけです。
「ことば」を表面的にのみとらえるのでなく、もっとトータルに、もっと文脈的にとらえるべきなのでしょう。
新研究主題の「心の育ち」には、こうした意味が込められている、と私が考えていたら、他の人も、そう思っているのでした。
「教材紹介」に走る前に、「なぜ」なのかを問うこと。
「なぜ」を問う前に「何が問題なのか」を問うこと。
発達検査の数値だけを見るのでなく、子どものヒストリーを見ること。
こうした過程を経ないと、子どもの「心の育ち」は見えてこないでしょう。
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