新しくことばの教室を担当した先生向けの研修会でした。
今年のテーマは、講師が「子ども理解」ということを打ち合わせ段階から何度も強調されていました。
そこで研修テーマも、
『「ことばの専門家」というだけでなく、「その子」の専門家に』
にしました。
講師の先生も、このフレーズを気に入ってくださり、講義内容にぴったり一致したとお互いに確認できました。
講師の地域のことばの教室の研究では、
「子ども理解の仮説」という用語を用いているそうです。
普段私が言っていることと、全く同じでした。
道言協は
「問題の仮説」
と言ってきました。
今その語句も見直し作業に入っていますが。
究極のところ、両者は同じ意味なのでしょう。
子どもにとって、周りにとって何が問題なのか。
長所も含めて、子どもをどう理解するか。
それがあって、初めて「指導方法」が検討されます。
問題の仮説を検討すること自体、実は指導の仮説を裏では立てているわけです。
よく誤解されますが、
「とりあえず何か教材を準備する」ということと、
「子ども理解に基づく指導」とは、
対置する考え方ではありません。
「とりあえず何か教材を用意」したとしても、
その教材用いて関わった子どもの反応を行動観察するわけです。
つまり子ども理解しようとしているわけです。
特別支援教育士のテキストにもあるように、
アセスメントには、
・支援を始める前のアセスメント
・支援をしながらのアセスメント
この2つが存在しています。
この2つを単純化して、二項対立であるかのように論じる向きがあります。
果ては、「子ども理解が大切である」ということへのアンチテーゼとして、
「文字が書けない子がいます。さあどうしたいいですか」
と投げかける研修会まで登場。
私は問いかけたい。
「あなたは何を大事にしようとしているのですか」
と。
「子ども理解」が大切であることは、通級であろうが、特別支援学級であろうが、通常学級であろうが、そして、少年団であろうか! どこでも共通して大切なことなのだ、
という講師の経験に裏付けされたお話は、説得力がありました。
講師の先生、ありがとうございました。
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