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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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認知心理学と脳科学

久しぶりに、専門的な講座を受講しています。

認知心理学といえば、過去、通信講座で勉強した内容を思い起こすのですが、実際に受講してみると、脳科学に関する言及がとても多くて驚きました。

脳科学の進歩はすごいですね。
しかし、講座でも指摘されている通り、単純に○○の部位が活性化したからどうだとか、1対1でとらえてはいけないこと。

某文献でも、こういう運動をしたら脳のこの部位が活性化したから、この運動は○○に効果があるだとか。

そんなに単純ではないですね。

自閉症にしても、LDにしても、脳の特定部位だけで説明できるなら、こんなに楽な話はありません。


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【自作教材】ラ行、ダ行弁別シート



ラ行とダ行の構音の置き換えのあるお子さんは少なくないと思います。
言語発達年齢に比して、相当年齢の置き換えならば、すぐに構音指導は私はしません。
ただ、就学後、ラ行、ダ行を含む書字の際、相互に入れ替わっていることがあります。
ラーメン→ダーメンのように。

こうした場合、誤学習を文字を媒介として修正することで、構音もいつのまにか改善していることもあります。

ラ行とダ行の弁別力を見るのにも、練習するにも適した教材です。

書字の際の手先の巧緻性に負担がかかるなら、空欄には文字を書かせるのでなく、当てはまる文字を選択して指さし、または文字カードを空欄に置く、というようにします。

イラストは著作権の関係でぼかします。

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検査はアートだ



構音検査の結果、その構音の特性をまとめると、シンプルに何行かにまとめることができることがあります。
法則性の発見です。

WISCにしても、K-ABCにしても、一見複雑な結果に見えて、そこからシンプルな法則性を発見できる場合もあります。
ただ注意したいのは、シンプルさにこだわって、解釈に強引さが出てくること。

その点、構音検査では、きちんと調べれば、単純な方程式にまとめられる場合が多いと思います。
いかにまとめられるかで、指導、支援の方向性、ポイントも定まってくるでしょう。

相互に矛盾した情報がある場合には、なぜ矛盾するのかを検討することが大切です。

指導、支援の方向性が定まらないのは、子ども理解が浅いことが原因である場合がほとんどです。






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ソーシャルスキルトレーニングの可能性と限界

私が小さいとき、友達に嫌なことを言われました。
親に相談したら、「なんでそんなことを言うのか、聴いてご覧」とアドバイスされました。
理由を問うことで、事実を明らかにし、相手の言動を自分でふり返らせることが目的だったのでしょう。

翌日私は、親の言うとおり、「どうしてそんなこと言うの?」と尋ねました。
すると友達は答えました。
「そんなこと言っていないよ!」
おわり・・・。


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ことばの教室でできるようになっても、通常学級や家庭など、本番でできるようになるかというと、疑問符がつきます。
そもそも、自閉的傾向の有る子は、ある場ではできても、場や条件が変わるとできない。
そもそも、「習った」ソーシャルスキルをどの場面で使えるかがわからない。

「主張できる」アサーショントレーニングも良い方法ではありますが、本当にその子に必要な指導なのか。

「表現力」「主張する力」にばかり力点を置くSSTも気になります。

お友達がいて、休み時間も関わり合う遊びができていて、学級集団にも乗れている。
おとなしめだけど、社会性、コミュニケーションに障害があるとは言えない。
「主張」はおとなしめ、というだけで通級対象になるのか?

子どもの行動の表層だけではなく、その背景にあるものを見定めること。
そして、通級による支援が有効なのかどうかは、慎重に判断すること。

ソーシャルスキルトレーニングは、原則、「その時、その場」で。
そして、通級で行うとしても、日常生活に近い内容でなければ、意味をなさないわけです。

指導時間のかかわり遊びそのものに、「楽しさ、安心感」がなければ、意味がない。
楽しさ、安心感の積み上げことが、通級による支援のキモだと思うのです。

「ふりかえり」にこだわる実践もありますが、そもそも短期記憶が弱かったり、衝動性の強い子に、あとになってから「ふりかえる」が、あまり意味をなさない場合もあります。

その時その場で、連続的即時強化。

SSTを実践する前に、その可能性と限界点を見極めること。
小貫悟先生の本で一番大事なのは、後半の実践例ではなく、前半の論述の部分だと思うのです。


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一つの方法、一つの根拠で語れるほど、事態は単純ではない

「廊下は歩こう」という大きな張り紙が貼ってあります。
「走るな」ではなく「歩こう」と肯定的な書き方がよいとされたからだと思いますが。
未だに、あの貼り紙を見て、走るのを止めた子どもに出会ったことがありません。
そもそも、衝動性が高い子は、その文字を見ないし、学習効果で見慣れてしまえば、そもそも頭に入ってきません。

「わかりやすくすれば、その子はできる」

一面においては事実ですし、課題をルーチン化することで、こなせる子どもがいることも事実。
先の見通し、下見をすることで、不安が軽減する子もいるでしょう。

しかしながら、「わかりやすく」だけで語ってしまうリスクも、一方においては存在しています。

いくら「わかりやすく」しても、子どもにその動機付けがなければ、効果には結びつかないでしょう。

大人でも、やりたくもない物を絵カードで指示されて、やる気になるでしょうか?

絵カードなり、棚で課題を示すけれども、どれをどの順番で行うかは、子どもと相談しながら、私は進めています。

その時に、明らかに、「先の見通し」がとれない不安が原因で課題を拒否する場合は、実際にやって見せた上で、改めて諾否を尋ねます。
それでも拒否ならば、私は無理をしません。


子どもの反応を一つだけ取り上げて、子ども全体を評価することの危険性にも、注意する必要があります。
ある現象だけを見て、この子は「○○」と決めつけてしまう。
その結果、解決の手立ても単純化してしまい、子どもにヒットしない結果に結びつきます。

子どもの行動は、ダイナミズムの現れであり、流動的であり、氷山の一角に過ぎません。


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【実物教材】文字の間違い探し



「さけん よいろな!」
「したかっは、せったいこ
のぼらないてください!」


ヒント

すべり台の反対側からのぼろうとしている子に注意しています。

解説
文字の読みは、意味理解と関連しているわけですね。だから、単純に読みの練習を繰り返せばいいわけではないのでした。語いや文法、場の状況の理解、一般常識などとも関連しているわけです。




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WISC-4 「時間」を測る時に気をつけること

日本文化科学社 該当ページ
http://www.nichibun.co.jp/kobetsu/technicalreport/

にも書かれています。

そして、実習を受けた際に注意されたこと。
「ストップウォッチは、音が鳴らない物であること」
「子どもの目の前でストップウォッチを見せながら、『用意ドン』などとプレッシャーを与えないこと。机の下にストップウォッチを持つこと」

タイムプレッシャーに弱い子が、その影響を受けるのを避けることは大事でしょう。


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「様子を見る」から「支援の開始」へ

「後追い支援」から、先手の支援へ。
「様子を見ましょう」から「支援を開始しましょう」へ。

1.6健診が未だに「歩けるか」などの荒い検査のみにとどまっているところも多い。
「共同注視」ができるかなど、もっと詳細な健診になるように。

医療関係者が地域に入っているところでは、保護者が気軽に相談できる雰囲気が整っている。

***

医療関係者の講演を聴きました。
その通り、とうなづきながら聴いていました。

学校に上がってから「大変だ」では、遅いわけです。
「後追い支援」は、誰よりも、子どもがかわいそう、と感じています。

「通常学級に放り込めばいい」という大人の論理により、子どもが二次障害、三次障害、不登校に陥っているケースもよく見ます。

社会性、コミュニケーションが第一の支援のテーマなのに、「文法学習」や「聴く練習」にパターン化した指導も気になります。

そもそも、各段階での相談で、子ども理解がおざなりです。

あらゆる方面からの「改革」が必要だなあと。


「子どもに支援が必要なら、はっきり言ってほしい」
親の会の大先輩のお母さんから、私に言われたことばを思い出しました。

支援を具体的にイメージできるよう、情報提供していく必要も感じています。

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通級妥当の判断は、法令と科学的根拠に基づき、説明責任がある

個人で経営する場なら別として、教育公務員であるならば、法令や科学的根拠に基づいて説明できなければなりません。
そして通級担当は、専門性、科学的根拠に基づいて、通級妥当の判断、指導を行う義務があります。

主訴の現象面だけを見るのでなく、その背景になにがあるのかを探らなければなりません。
そもそも、主訴で言われている実態があるのかどうかも含めて検討する必要があります。

ある種の現象だけを見て、因果関係を単純に結論したり、「子どもが通いたいから」と言っている、という理由だけで措置判断するのであれば、科学的考察ではなく、個人的な感情的判断であって、客観性がありません。
説明責任を果たしているとは言えないのです。

そして、TTや支援員、個別の配慮など、通常学級での工夫などの選択肢の一つとして、通級による指導があるにすぎません。

障害があるから、通級ではないのです。

「審美性」を「言語障害」として判断するのは無理があります。



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アセスメントと指導

アセスメントについて話してほしいという依頼が。
とても幅広くて、まずその依頼の背景をアセスメントしなければ・・・。

講義でお話ししても、現場に反映されるには距離がとてもある、というのがこれまでの実感。
「実際」が変わらないと意味がない。
だからOJT(実際にやりながらの研修)が大事なわけです。

「ひらがなの『あ』が書けない子に対して、どう指導したらいいでしょうか?」
子どもの情報も、何もない中での発問。
その発問自体に異議を唱えたら、「時間がないので」と、発言を制止、邪魔者扱いされてしまいました。
しかも、子どもの情報を出さないのは、意図的なのだと。
アセスメントは必要無いという考え方もあるからだと。

この団体は、もう末期ですね。

新しい船に乗り換える時が来たのでは。

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「ことばの教室に通っていました」ご本人の講演と茶話会

親の会の講演会&茶話会でした。

講演会では、かつてことばの教室に通級して、今は学校の先生をされている方をお呼びしました。
私も前座を務めましたが、まとまりがなく、盛り込みすぎを反省しました。


お呼びした先生のお話をまとめると、

・昔は週に1回40分の指導を受けるため、朝6時に出発。国鉄とバスを乗り継いで、帰宅したのは夕方だった。
・学校は一日欠席扱いで、旅費も負担だったことから、2つの習い事もやめてしまった。
・地域に唯一の教室であり、難聴など障害の重い子の通級が優先だったため、なかなか通えず、やっと通級できたのは、たまたま空きができた6年生の時だった。


現在は、全ての市町村ではないですが、おおむね教室が一つずつは設置され、交通条件もよくなってきました。
通級時間は授業を受けている時間と見なすことができますし、旅費も支給されます。


現在も通級したくてもできない子ども達が大勢いることは確かですが、諸先輩方の苦労があって今のインフラがあるのだと、改めて思いました。

そして本人として、言われたくなかったこと、励みになったことのお話は、説得力がありました。


その後の茶話会は、保護者だけでなく、学級担任の先生、他地域のことばの教室担当や、幼児療育支援の方なども含め、異職種の方々が集まる豪華な集まりになりました。
これは、ここ数年、2,3人しか集まらなかった茶話会とは、明らかに異なるものでした。
内容は、子育てや通級についての質問と、経験の長い保護者からの情報提供などが中心になりました。


・通級していることを他児にどのように説明したらよいか。掃除を抜けてくることを指摘されるのをどのように対応したらいいか
→「苦手なところがあるから」ではなく、「ことばの習い事に行っている」。ピアノだって、苦手だから通うのでなく、習うために通っている。どうどうと通っていることをオープンにした方がいい。掃除は、別の時間にゴミ捨てに行くなど、代わりの役割をお願いするなどして、他児の理解を得る。他児も育つ必要がある。低学年のうちに、通級の意味、理解をめざしたい。


・きょうだいとの関係

・構音と医療との関係


・通級の交通手段について。手帳がなくても利用できるサービスの紹介

・学校のサポート体制の取り組みと、通級指導教室設置への視野


などの話し合いになりました。

感想アンケートでは、今回の集まりが励みになった方や、本人の視点で子育てを考えたいとの書き込みがありました。

今回の集まりで、関係者同士がつながるきっかけともなりました。
この輪が広がることを願っています。


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死を考える人もいる

どうして自分だけができなんだろう。
どうして自分だけ違うんだろう。
どうしてうまくいかないんだろう。

死を考える人もいます。
私もそうでした。

だからこそ、能力を伸ばすというだけでなく、

「自分はこんなことで、世の中の役に立っている」
「自分はこれはできないが、これはできる」
「同じことで悩む人々のために」
「一人ではない」

という気持ちに至れるように。

自分を知ること、対処法を知ること。

長い目で見たときに、通級による支援の一番大事なことだと思うのです。


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私自身の生育歴



・幼稚園では泣いてばかりだった。


・花火、突然の物音、鼻血でも泣いた。


 幼稚園の盆踊りも怖かった。


・人が楽しそうに語り合っているのが怖かった。


・ゴミ一つが気になる。並んでいないと気になる。


・どうして自分だけが違うんだろう。


 みんな、僕が習っていないところへ行って、


 会話の勉強をしているに違いない。

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障害の種類にかかわらず、全ての子に必要なこと


親の会でお話しすることになっています。
基本的なお話を聞きたいとのことでしたので、ことばの教室のシステムや障害種別の説明をします。
でも最後は、障害種別を超えて、全ての子に必要なことをまとめています。
エキスです。

知らず知らずのうちに、「標準に近づかせようとする」指導を私たちはしていないでしょうか?
極端な例、WISC等の検査の評価点を上げるために指導をしてはいないでしょうか?

各種検査は、能力の一部しか測っていません。
検査は、子ども理解のツールの一つではありますが、検査の成績を上げるために指導があるのではありません。
目先の視点ではなく、その子の自立のために必要なことを考えることでしょう。

本当は、保護者の先輩にそのあたりをお話して頂いた方がいいと思いますが、今回の講演は、従来の4倍から5倍の参加希望数のようです。

地域、時代のニーズに合った企画、内容をこれからも考えていきたいです。

 

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「公認心理師」国家資格と特別支援教育士

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g18601043.htm

法案が国会に出されています。
付則で、特別支援教育士に対して、国家試験の受験にあたっての特別規定が入るかどうか、注目されます。

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KABC-2の研修

今回の自主研修会の申し込みで、「KABC-2の研修をやってほしい」という要望がありました。
確かに当教室には器材がありますが、専門的な研修を受けた人材がいません。

マニュアルを片手に解説をできなくもありません。
しかし、専門的な研修を受けていない者が講習を開くということは、やってはいけないでしょう。
今回は見合わせました。

近々、全国規模の研修会があるようなので、まずは自分がしっかり勉強したいと思っています。


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「様子を見ましょう」はやめましょう



・期限を決めて
・様子を見る観点を明確にして

保護者に十分な情報提供を行う機会を保障すること。

関係者が連携し、情報を一元化すること。

ジェネラリストとスペシャリストとの両方の視点で子どもを見つめること。

ひとつずつ、変えていかなければ。


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【教材】BIGジャラゲーム SST、手続き記憶など



某レストランのポイントがたまってもらったゲーム。
ほとんど、ドンジャラのパクリです。
マニュアルを読むと、あがったら、「ビッグボーイ」と言うそうです。
ほとんど宣伝。

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【文献紹介】言語聴覚療法 臨床マニュアル 改訂第3版

言語聴覚療法 臨床マニュアル  改訂第3版
http://www.kyodo-isho.co.jp/cgi-local/search.cgi?id=book&isbn=978-4-7639-3049-1


言語聴覚士向けのマニュアルなので、少し難しいのではとも言われますが、私が見たところ、第2版よりかなりよみやすく、わかりやすくなった印象です。
カラー刷りになったことや、レイアウトが見開き2ページになったこともありますが、説明もわかりやすくなった印象です。

失語や嚥下などは、ことばの教室で扱う機会は少ないかもしれませんが、事故や血流等のトラブルによる脳損傷によって生じる高次脳機能障害など、学習障害等のモデルを検討する際に参考になるでしょう。
嚥下を学ぶことは、発語器官の仕組みを理解し、MFT(舌筋機能訓練)などの指導につなげる上で参考にもなるでしょう。

もちろん、構音障害、言語発達遅滞、吃音も扱っています。




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吃音について触れる時、子どもの人生への畏敬の念を持って

「その子の成人後までを見通して、学童期の吃音の指導に当たらなければいけない」
講師のお話は、過去の悲しい出来事を踏まえ、胸に突き刺さるようでした。

「利き手を矯正したら吃音になる」
「吃音を指摘したら吃音になる」(診断起因説)
「メンタル面で弱い子が吃音になる」
「吃音については本人に触れない方がいい」

これらの誤った情報を排除し、正しい知識を伝えることも含めて指導にあたること。

そして、より楽にどもるための「練習」も、子どもが自覚し、練習に同意した場合には必要であること。構音指導と同様に、軟起声から始めて、単音節、単語、文へとレベルを上げること。

指導の終了時期は「本人が大丈夫」と思ったときであること。
ただし、症状軽快後も半年は経過を見ること。
その後も、自助グループへつなげるなど、継続的なフォローがなされるようにすること。

当事者であり、かつ支援者としてのお話には、正確な知識と、子ども、社会への熱い想いを感じました。

少しでも世の中が、吃音についての正確な知識、望ましい対応、当事者が生きやすくなること。

「祈り」を感じる研修会でした。


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側音化構音の指導 基礎講座

他の行事の方が大事だと。
講義よりも、悩みを話し合うことが大事だと。
基礎講座の時間がなかなか拡張できませんでした。
しかし、今回60分の枠を頂いて、講義させて頂きました。
他の行事との選択研修にしたところ、基礎講座は会員の3分の2の方が選択しました。
やはり、基礎講座は、会員のニーズ第一位であることが、証明されたのです。

しかし、60分では全然足りませんでした。
時間の終わりを告げたとき、多くの参加者は残念がっておられました。
他の時間を削ってでも、もっともっと、基礎講座を充実させることが必要なのでは?

「検査をどうやったらいいかわからない」
「構音の聞き分けができない」

こうした会員の声に対して、「教材紹介」をすることが、会員のニーズに合っているのでしょうか?

教材の前に、子どもの状態をどう見立てるのか、必要な支援は何か、を学ぶことの方が先なのでは?

前例踏襲の呪縛から解放され、今のニーズに、私たちはもっと敏感にならなければ、と思うのです。



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各種検査、標準偏差-1.5SDか、-2SDか

検査で、標準偏差が出た時に、標準と比較して、支援の必要性を-1.5SDで判断するか、-2SDで判断するか。
アメリカでは州によっても違うわけです。
障害の判断は、投入される予算という事情によって変わる可能性があります。

つまり「障害」(症)は、「操作的定義」であり、「障害と言うことにしておきましょう」ということなわけです。

こう考えると、障害(症)とは何かという問いを常に持っている必要があると感じます。

ただ、だからといって、明らかに支援の必要な子に対して、「障害は操作的定義だから、根拠がない」などと言って、支援を受けられないとしたら、子どもにとってどうなのでしょうか。

最終的には、検査結果データだけではなく、子どもの全体的な理解のもとで、総合的に判断するということが大事です。

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「指導目標」への固定観念

「指導目標」というと、「できなかったこと」を「できるようにする」と考えがちですが。
しかし、子どもの実態によっては、「維持」が目標となる場合もあるはずです。

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検査結果は、他のアセスメント情報と付け合わせて解釈する

このことは、心理検査、発達検査に限らず、およそ、検査と呼ばれるものには共通して大切なことです。

聴性脳幹反応(ABR)は、聴力検査の中でも、脳の下の部分(橋:きょう)の反応を見る検査です。
電極を取り付けて、耳から音を聞かせ、脳の電気を測定します。
しかし、ABRの結果が悪い=難聴 と即断してはいけません。
なぜなら、測定誤差があるかもしれないからです。

ABR<知的能力(正常範囲)
であれば、ABRの結果に誤りがあったのかもしれません。
あるいは、特定の周波数の聞こえだけが悪いために、実際と比べてABRの結果が低く出た。

知的能力<ABR
であれば、知的な遅れがあっても、その背景に聞こえの問題がある可能性は低い。

もちろん、こんなに単純ではありません。
しかし、いずれにせよ、ABRの結果は、必ず、社会性や言語発達、知的能力などからめて評価しなければなりません。


私に心理検査、発達検査の依頼が来たときには、ただでは受けません。
かならず、学級での様子や他の検査、生育歴情報などの情報を事前にまとめて頂き、提供頂くことにしています。
検査で全てがわかる、と誤解されないためでもあります。
情報をまとめるだけで、子どもの困り感の全体像がわかり、検査が不要になる場合もあるでしょう。
そして事前情報があることで、検査の選択が正確になります。




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「検査法」超基礎講座

田中ビネー知能検査Ⅴ
 →全般的な知能水準を測ります。その子の知的能力が、同年齢の他児と比べてどのくらいの差があるか「個人間差」を測ります。
産出されるIQは、13歳までは正規分布ではないため、WISC等のIQと比較するのは無意味です。
IQよりも、精神年齢、基底年齢が重要です。

WISCなどウェクスラー型知能検査でも全般的な知能は出せますが、指標得点間、下位検査間にばらつきがあれば、その値は慎重な解釈が必要です。
よって、指標得点間に有意差があるのに、FSIQが低いことを理由に、「知的障害」と教育的判断をするのは、根拠に乏しいです。


 


WISC-Ⅳ
 →その子の中で、得意な分野、苦手な分野のバランス(個人内差)を見るには第一選択になります。
「言語理解」「知覚推理」「ワーキングメモリ」「処理速度」の4つの指標得点の差異が重要です。
 
 最近は、GAI(一般能力指標)(言語理解、知覚推理)、とCPI(認知熟達度)(ワーキングメモリ、処理速度)との比較についての報告が出てきています。
 また「臨床クラスター」(下位検査間に共通する能力)の研究も進んでいるようです。
 これらについては、既に感じていたところを科学的に根拠づけられた、という印象が強いようには思いますが。

 

*子どもの実態や、検査の目的によって使い分けることが重要です。

*検査は、数値だけでなく、検査時の行動観察、日常の情報、生育歴情報と付け合わせて解釈されなければなりません。

『エッセンシャルズ WISC-Ⅳによる心理アセスメント』カウフマン他、日本文化科学社
では、行動観察の重要性が、これでもかというぐらいに強調されています。


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