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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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自分の出世よりも、世の中の役に立ちたい

昨年は10年ぶりの人事異動でした。生まれ故郷で特別支援教育に関わることができたことは、私の人生にとって、重要な意味がありました。
 そしてここでは自然や校舎がきれい、気さくで温かい方が多く、仕事にやりがいを感じています。
 「丁寧な配慮や働きかけは、子ども自身が生き生きと、自分らしく生きていくために必要なのであって、標準に近づかせるためではありません」とは、言語聴覚士で、子どもの発達支援を考えるSTの会代表の中川信子先生のことばです。
 「学力向上」は大事だと思います。ただ、他県と比べるのではなく、その子にとっての育ちを支援するという視点が特別支援教育の本質なのではと。
 年齢的に「教頭先生に」というお誘いもありますが、この地域に専門性の高い特別支援教育を創造するため、定年まで「教諭」として勤めます。退職後は、公立学校の裏表を知り尽くした言語聴覚士として、民間の立場で応援するのが夢です。どなたか一緒にやりましょう。
 皆様にとって良い一年でありますように。

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場面緘黙、トゥレット症候群、吃音、起立性調節障害 ~実践障害児教育~

『実践障害児教育』(2015,1、学研)

特集されています。
吃音コーナーでは小林宏明先生など、著名な方が書いています。

それぞれ、ベーシックな内容です。
場面緘黙のページでは、「しゃべらない理由を聞き出そうとしない」ことが禁止事項としてあげられます。
本人に聞いても、わからないでしょう。
「どうして」と聞かれることほど、つらいことはありません。
根性の問題ではなく、脳の問題ですから。

某研究会の分科会で、緘黙になった原因探しのために、生育歴をたどろうとする論調が見られましたが。
原因ははっきりしないことが多いでしょう。
こじつけようと思えば、いくらでも・・・。
生育歴をたどるのは、原因探しのためではなくて、子どもがどういう気持ちで今までの人生を送ってきたかを理解するため、ではないでしょうか。



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むしろオープンに

ことばの教室に通っていることを知られたくない子がいるから、関係者は文書をシュレッダーにかけて廃棄を、というのは何かおかしい。知られたくない方がいるのは事実だが、そのことと守秘義務とは別である。むしろ、通っていることをオープンにしても良い雰囲気作りに、関係者は努めるべきだ。
近眼の子にめがねを与えることをなぜ隠す必要があるのか。関係者自身に無意識のうちに、内なる差別意識がないかどうか、内省が必要だ。

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冬季 自主研修会

今回は、ケース会議と、WISC-4、KABC-2の解釈(超初級編)を含めた教育相談の進め方、という盛りだくさんな内容になりました。

参加希望者は、会員よりも、非会員の方が多い状態です。

検査の解釈にあっては、
1)検査の倫理についての再確認
2)こう解釈してはいけない例
を中心にしようかと考えています。

また、教育相談は、「審査」の場ではなく、「協働」の場であることも。


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検査に走る前に、背景情報の収集が先

地域で検査がかけられる人材を、継続的に保とうとする動きがあるそうですが。
以下の理由で、難しい、かつ望ましくない動きと思われます。

1 特別支援学級や通級指導教室の担当教員の人事が保障されていない。
 →毎年のように担当が替わる。

2 検査倫理の観点から、一定の研修を受けた人材でなければならない。
 (ちょっと数時間研修すればできるようになるわけではない)
  大学院卒レベルの心理学などの知識が必要。

3 検査至上主義に陥り、子どもの背景情報の収集がおろそかになる。

4 新しい検査に更新する予算的裏付けがない(うん十年前の古い検査しかない)

子ども理解の上で、まずは検査、ということはあり得ません。
様々な背景情報を知ることがまず第一です。

子どもを理解する力がついて、初めて検査を検討した方がいいでしょう。
検査を学ぶより、子ども理解の見立て方を学ぶことの方が第一に重要だと思います。

検査は専門家に任せて、むしろその検査結果を背景情報と照らし合わせて、どう理解するかに、力点を置いた方がいいのでは。

「検査ができるのは、身だしなみ」という方がいますが。
身だしなみという外見ではなくて、骨となり肉となる中身が重要です。






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LD・ADHD児の心理的疑似体験プログラム

今回は、発達障害のイロハという題名を頂いての講義でした。
今さらイロハ? という違和感を覚えたのが本音です。
しかし、最近の研修会の参加者の顔ぶれをみると、新しい方ばかり。
保護者の顔ぶれもすっかり入れ替わり、学会や関連団体の発足期とは違った世代になっています。

ならば、基本に立ち返って。
基本に立ち返るとは何か。
結論は、疑似体験でした。
『新版 LD・ADHD等の心理的疑似体験プログラム』(日本LD学会、2007)
子どもを外側からではなく、内側から理解しようとするものです。

LDの文部科学省定義から入るのは簡単です。
でも、定義から入っても、身にしみて理解することにはならない。
当事者の気持ちになれるか、立場に立てるか、それが支援の分岐点です。
子どもに「させる」指導ではなく、子どもが「する」指導へと。

LDの文部科学省定義のスライドに至るまでに、25枚のスライドを通過する必要がありました。
体験したからこそ、班で話し合ってみたからこそ、そのあとに映し出された「定義」は、重みを持って受け止められたと感じています。




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発達障害を理解することは、発達を理解すること

この地での講義は3回目です。
1回目は、某校からの依頼。
2回目は、教育委員会からの依頼。
そして、今回は、任意団体から依頼でした。

最新の乳幼児発達心理学の知見をクイズにして、班ごとに回答してもらいました。
しかし、正解は、どの班の予想をもはるかに下回る年齢の時に獲得している能力なのでした。

たとえば、サリー・アン課題に代表される誤信念課題(心の理論)
かつては、4,5歳で通過すると言われていましたが。
最新の研究で、1歳6ヶ月で既に獲得しているとわかったのです。
(ことばを介さず、映像と、赤ちゃんの視線の動きで判明)

ここで参加者の知的好奇心は一気に盛り上がりました。
つかみはOK。

つづく。


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授業はどうでしたかと聞かれましたが

それよりも、本人がどんな想いで、どんな経緯で今に至っているのか。
授業の感想を述べる前に、それらのことを質問させて頂きました。
そして、授業の進め方うんぬんというよりも、個別の指導計画や個別の教育支援計画などを読ませて頂いて、お子さんに出会って、今必要な支援の方向性を提案させて頂きました。

特別支援教育について議論するとき、通常の授業の反省とは視点が変わるはずです。

既成の価値観でとらえてしまうと、本質が見えにくくなります。

話はとびますが、たとえば、PTAと親の会とは、似て非なるものです。
PTAの考え方、習慣、進め方だと、本質をとらえた活動には成りにくいでしょう。




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心理検査の解釈は、子どもの輪郭を描いただけである

至言と思います。

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幼稚園からの引き継ぎ

保育要録を眺めているだけでは見えてこない。
逆に言えば、保育要録の行間から読み取れる保育者の願い、子どもの叫びを聞き取らなければいけない。
学級担任の先生は、行間を読み取る余裕なんてない。
そこを読み取るのは、コーディネーターの役目。

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子どもの歴史を歪曲してはいけない

まっすぐに見ること。
自分の立場を守ろうとするあまり、事実から逃げてはいけない。
学校は子どものためにある。



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将来のために今何をすべきか、ということも大事ですが

「今、ここ」の安心感の積み上げが、将来につながる、という視点も大事。
将来への不安をあおって、今を見ない関わりは、将来破綻するのですね。
心理的安定という土台ができていなければ。


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「言語発達の遅れ」だから、言語概念や語いを広げる指導をという単純なものでない

たとえば、
「ハシって知ってる?」
と尋ねられて、
「知らない」
と答える。
でも、「ハシを使うまねをして」
という指示では、
上手にハシを使ってご飯を食べる動作ができる場合。

単純に「ハシ」を知らないのか、とはならないわけです。

もう少し、掘り下げた検討が必要かと。

1 「知っている」の問われている語用論的意味がわからない(どう答えて良いかわからない)
2 「知っている」と答えた場合、「説明して」と再質問されるのを避けている
3 言語的な定義はできないけれど、経験している動作とことばとは結びついている
4 「橋」なのか「箸」なのかわからなかった
5 経験上の様々な箸の形状、場所の中で、どの箸を質問されたのかわからなかった。

他にもいろいろと。

検討のためには、
1 イラストでハシを示して、知っているか尋ねる
2 いくつかのイラストを並べて、「ごはんを食べるとき使う物」と質問して指さし回答

etc.

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講演しても、参加者はほとんど忘れる

・メモしても、その紙をどこかに無くしてしまう。もう一度読み返す可能性は低い。
・うなづいて聞いて下さっても、実はほとんど理解されていない。
・知識は身についても、実践の場と結びつかない

これらは、これまで何度も経験してきたことです。
一方的に人の話を聞くということが、いかに難しいことか。

だから、研修は、OJTと、ケース会議を柱にしていくべきだと思います。
ただし、経験の浅い先生ばかりでグループを組んでも、正確なアセスメントと指導に結びつけるのは難しい。
経験の長い先生が主導していくことが、やはり必要。

ちょこちょこと、講演依頼が入ってくるのですが、地に足のついた研修になるように。

「○○の指導をどうしたらいいですか」の質問には、事前のアセスメントを徹底していきます。


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虐待を受けている子の症状

不安 
1)認知的、情緒的症状~大人の顔色をうかがう
2)身体的症状~発汗、胸や腕の痛み、頭痛、嚥下困難

→嚥下困難と虐待との関係は昔はわからなかった

うつ
1)気分症状~希望のなさ、孤立感、気分易変など
2)認知症状~低い自己評価、自責的、など
3)身体的症状~睡眠の障害、疲れやすい、食欲の低下、など

ストレス症状
1)PTSD~解離症状、ファンタジー、反応の麻痺、覚醒亢進
2)ホルモン分泌への影響、など

atkinson et.al、2003



思ったより、被虐待による表現型は多様なのでは。
一見問題のない家庭でも、実は、ということが多い。

子育て支援の充実を。
ためらわずに通告を。


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合理的配慮と障害者差別解消法

高校受験での配慮がされる事例が出ているようです。
また、大学入試で、医師の診断をつけたとしても、
高校受験や定期テストで合理的配慮を受けた実績がなければ、
認められない。

一方、障害があってもなくても、違法なことは違法なこと。
検討すべき課題はたくさんあるようです。


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学校に行けない自分はダメじゃない、不登校の時期は人生に意味があった

と思えるように支援するのが、関わる大人の役割。

人生80年のうち、学校教育は長くても16年。

卒業後の時間の方がはるかに長い。

同年齢の子が40人も同じ部屋で過ごすという環境自体が、一般社会ではあり得ない。

学校に行かないと、社会性が育たないなどの良くない影響が、というけれど。
無理して学校に行かせて心をぼろぼろにして、成人以降も精神疾患に悩まされることの方が、はるかに「良くない影響」。

子どもの人生を長い目で見つめること。

問題なのは、不登校に対応できる教員配置が決定的に不足していること。

理想はわかっていても、対応が十分できない歯がゆさ。


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遊んだあとに、感想を聞くのは不自然

また遊びたい、で終わるのでよい。

と知的障害教育総論。

何かトラブルがあったら、その都度、調整に入ればいい。
決めるのは子ども。

ぐらいに、遊びをとらえていいのでは。


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新生児微笑から社会的微笑へ

「心の2ヶ月革命」・・・チンパンジーにも見られる
新生児微笑から社会的微笑へ
新生児模倣から社会的模倣へ
「見つめ合い」の急増


「心の9ヶ月革命」・・・ヒトにしか見られない
視線追従
社会的参照
共同注意








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指導方法の前に、子ども理解を

何度でも書きます。

具体的な手立ての前に、子どもが学校で、家庭で、地域で、どんな想いで暮らしているのか。
詳細なアセスメント情報の中に、答えはあります。

学校では見せない、本当の子どもの姿が、そこに。

通常学級担任の先生に、新たなアセスメントの視点を提供させて頂く。

それがかかわりを変えるきっかけになるわけです。

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何年生だから、ではなく、その子の発達に合わせる

  • 乳幼児期(誕生~18ヶ月頃)行動としてのまとまりのない状況から、歩行までの移動や言葉でのやりとりが可能にある。

 

  • 幼児期(18ヶ月頃~6歳頃)大人の支援を受けつつ、生活や遊びを通して、生活と活動の基盤を身につけ、人格の基盤を形成する。

 

  • 児童期(6歳頃~13歳頃)思考や推理などの知的能力が飛躍的に発達し、自律的な自我意識をもつ人格を形成する。

  • 青年期(13歳頃~20歳頃)子どもでも大人でもない時期であり、心理的また社会的自立をめざす、自分は何者で、大人としてどのように生きるかを考える。

同年齢の標準に近づかせるため、ではなく、その子にとって必要な発達の段階に合わせること。

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心の育ち

遊びが大事。「心の育ち」という新研究主題は、新しい先生へのわかりやすさも意識している。ただし、その意味するところは実はとても深い。発達という視点だけではない。だからこそ大事。見えないものこそ大事。発達障害通級が増えているが、どんなそだちをしてきたのかの視点が抜け落ち、勉強や見た目の行動にばかり目を向けていないか。


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発達障害ブームで、構音指導は下火

構音指導の必要がないケースもあるが、必要なケースもある。
発達障害vs構音障害の図式ではなく、一人一人の教育的ニーズに合わせるのが特別支援教育。
そして構音指導するからには、科学的根拠に基づかなければならない。
保護者の求め通りにするのが構音指導ではない。
構音指導には、指導する音の順序、方法がある。

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検査の選択のためには、事前の情報が必要である

あそこへ検査に行けば、いろいろなことがわかる。
という前提をどのように崩していくか。
一番子どもと接している方の情報8割、検査2割。

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生後7、8ヶ月児のお母さんの顔の認知

お母さんの顔と、別人の顔とを合成した顔では、子どもは好んで見ない。
お母さんの顔をパーツではなく、全体としてとらえていることがわかる。

生後5ヶ月児でも、人の顔を見ると、右脳の血流量が増加する。
大人と同じ。


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