学習指導要領で「言語活動」が取り入れられたのは、結局、国内外の学力テストで、その部分が低かったから、ということのようですね。
しかし、そもそも、「学力とは何か」ということは論争中であること。
「言語能力」の裏付けとなる心理学的な研究が、まだこれからであること。
こうした現状では、現場は「言語活動」の目的、手段について、とまどうのではないでしょうか。
また、「表現」が重視されるようになりましたが、「何を」の部分が空疎になっていないか。
さらに、「言語活動」についての「プロジェクト」の実践はなされているが、日常の教育活動全体の中で、という部分は軽視されがちであること。
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知識の詰め込みではなく、批判的思考などの言語能力により重点が置かれたのは良いと思います。
そして、「読む能力」は、単に繰り返して読んだり、たくさんの本を読めばよいというものでもない、一人で静かに読めば良いというものでもない、ということが言及されるようになったのも良いと思います。
ただ、「言語能力」には個人差が大きく、日常生活の「経験」に依存する部分が大きいのでは。
つまり、学校教育だけで「言語能力」を伸ばすということは難しいのでは。
経験したことがない内容の文章を読んで理解するというのは難しい。
もちろん、年齢が上がるほど、経験を飛び越えて、演繹的思考ができるようにはなっていくのですが。
でも、やっぱり、ベースにある「遊びを通したコミュニケーション」が一番大事ではないのかなと。
うまれてから就学まで、就学以降の「経験」「コミュニケーション」の土台が大事ではないかなと。
通常学級では、そこから進めるのは難しいことでしょう。
「言語活動」に着目して、能力を伸ばそうという試みは、それはそれでわかります。
それによって、本当に伸びる子もいるでしょう。
「学びあう」とか、「教えあう」、「伝えあう」は、通級指導でもできないことはないですが、基本は通常学級でなされること。
通級指導教室の立ち位置は、単にテストの成績を上げるためではなく、「土台」を育てる場でなければならない。
そして個人差に応じて、「言語」だけでにとどまらず、様々な思考、表現を育てていく場である。ということを改めて思うのでした。
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