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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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この地方に初めてことばの教室を立ち上げた先生の訃報

葬儀委員長挨拶で故人の紹介。
「小学校教諭として勤めました」でなく、「小学校にことばの教室を立ち上げました」と。

ことばの教室担当は、小学校教員というだけではないのです。
スペシャリストなのです。

「ことばの教室の先生、ではなく、○○小学校の先生と呼ばれるべきだ」
という論調が見受けられますが。
諸先輩が作ったものは、通ってくる親子の想いを受けてのものでした。

檀家のお坊さん曰く、ことばの教室の教育については、熱く語っておられたそうです。

先生の蒔いて下さった種は、今、この地方に、10教室以上のことばの教室開設、発達障害通級指導教室の開設につながりました。

古くからの先生によると、親の会をこの地方に初めて立ち上げた当時の先生だそうです。
親の会名での花も届けられていました。

そして、実は、私自身が小学生の時、先生にことばの「選別検査」を受けた記憶があります。


享年83歳。

先生の遺したものをしっかりと受け継いでいきます。

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学習障害と視知覚~乳幼児心理学

馴化法という方法で、生後数ヶ月の赤ちゃんの「見え方」がかなりわかってきているのですね。

欠けた図形を補って見る(たとえばパックマン図形)ことが困難な、学習障害のある子どもがいます。こうした子は、まず文字を書く以前に、文字の形態把握の段階でつまづくでしょうし、読めても書く段階でつまずく場合もありえます。

ところが、通常発達では、パックマン図形を生後3ヶ月でも、図形が動いていれば知覚できる。
生後6ヶ月で、動きがなくても知覚できるとのこと。

色を見分ける力も、なんと生後2ヶ月で赤・緑経路の色弁別が可能。
生後3ヶ月で、青、黄の色弁別が可能。

つまり、「アオ」ということばを覚えてから色弁別ができるのではなく、ことば以前に弁別ができるということ。


動く物体をとらえる時、その動きの速さにも、見える範囲があるということ。
手を振ってバイバイ程度の手の動きなら、かなり早い時期に見えているが、遅すぎたり、早すぎると、もう見えない。

前に向かって歩いていると、風景が前方一点から広がって見えるし、後ろに向かって歩くと、風景は前方の一点に集約されます。
なんと生後3ヶ月でそれが知覚できるとのこと。
首が据わったころには、風景が広がっていく状況を認識できるのですね。
さぞかし、赤ちゃんにとっては、感動的で楽しい風景であることでしょう。

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ケアマネージャーと特別支援教育

ケアマネージャーでも、

対象者の把握→情報収集→アセスメント(課題分析)→ケアプラン案の作成→サービス担当者会議(本人、家族、サービス提供者参加)→ケアプランの確定→ケアの提供→モニタリング

という一連の過程を通るそうです。


やはり、対象者のアセスメントはきちんと行うわけです。

半身の軽度麻痺で、トイレまでの自立歩行が困難な事例に対して、それまでの環境をできるだけ変えずに、支援の方法を。
ベットから起立するまでの過程のみに、手すりをつけてあげるだけで、その後は自立歩行が可能になる。
まさに、課題分析ですね。


医療でも福祉でも、建設でも、動植物の保護のためにも、「アセスメント」は必要なわけです。

学校教育はどうか。

「アセスメントは必要ない」と豪語する、某通級担当の先生。
いかがですか。


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「基礎看護学」と特別支援教育

患者の病気のことだけでなく、学習スタイルやおいたちを含めたアセスメントが重要。

「指導目標は達成可能であること」
「指導目標の精選」

指導目標で「○○が理解できる」では、評価できないので、「○○が説明できる」

指導目標を立てたら、具体的な教材の用意。

セルフケア行動の指導のためには、患者のステージ「前自覚期、自覚期、行動変化期、行動期、維持期」に合わせた指導が必要であること。

・・・

学校教育と全く同じだと思いました。医療でも、患者理解から看護へ結びつけるのです。
ことばの教室では宿題を出すこともあるけれど、本人や保護者のステージを常にとらえて、適切なかかわりをしていかなければならないでしょう。
否定的な評価は避け、少しずつステップアップしていくように。





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「言語活動」と「学力」

学習指導要領で「言語活動」が取り入れられたのは、結局、国内外の学力テストで、その部分が低かったから、ということのようですね。

しかし、そもそも、「学力とは何か」ということは論争中であること。
「言語能力」の裏付けとなる心理学的な研究が、まだこれからであること。

こうした現状では、現場は「言語活動」の目的、手段について、とまどうのではないでしょうか。
また、「表現」が重視されるようになりましたが、「何を」の部分が空疎になっていないか。
さらに、「言語活動」についての「プロジェクト」の実践はなされているが、日常の教育活動全体の中で、という部分は軽視されがちであること。

***

知識の詰め込みではなく、批判的思考などの言語能力により重点が置かれたのは良いと思います。
そして、「読む能力」は、単に繰り返して読んだり、たくさんの本を読めばよいというものでもない、一人で静かに読めば良いというものでもない、ということが言及されるようになったのも良いと思います。

ただ、「言語能力」には個人差が大きく、日常生活の「経験」に依存する部分が大きいのでは。
つまり、学校教育だけで「言語能力」を伸ばすということは難しいのでは。

経験したことがない内容の文章を読んで理解するというのは難しい。
もちろん、年齢が上がるほど、経験を飛び越えて、演繹的思考ができるようにはなっていくのですが。

でも、やっぱり、ベースにある「遊びを通したコミュニケーション」が一番大事ではないのかなと。
うまれてから就学まで、就学以降の「経験」「コミュニケーション」の土台が大事ではないかなと。

通常学級では、そこから進めるのは難しいことでしょう。
「言語活動」に着目して、能力を伸ばそうという試みは、それはそれでわかります。
それによって、本当に伸びる子もいるでしょう。

「学びあう」とか、「教えあう」、「伝えあう」は、通級指導でもできないことはないですが、基本は通常学級でなされること。

通級指導教室の立ち位置は、単にテストの成績を上げるためではなく、「土台」を育てる場でなければならない。
そして個人差に応じて、「言語」だけでにとどまらず、様々な思考、表現を育てていく場である。ということを改めて思うのでした。


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小児看護学 「死」に向き合う子ども

自分や同じ病棟にいた友達の「死」に対して、子どもがどう向き合うのか、どう支援、看護するのかというテーマを扱った講義でした。

4歳までは「死」を「寝ている」ものとしてしか理解できない。
5歳から9歳までは「死」を擬人化する(お星様になったんだ等)
10歳以降で、命の不可逆性、永遠の別れが理解できる。

だから、子どもの実態、発達段階に応じて、死の説明を検討すること。
「退院したんだよ」
というウソの説明は、4,5歳の子どもでもわかってしまう。
看護師に対して不信感を持ったり、トイレで一人で「怖い」と泣いたりします。

それまで一緒の病棟で暮らしていた「友達」が、個室に移って、周りが騒がしくなって、そして静かになる。
それを「退院したんだよ」と説明して、納得できるはずがない。
なぜなら、退院する子は、周りの子に報告して、お別れの挨拶をしていくはずだから。

それまで、いつも連絡、報告してくれていたのに、急に連絡なく、いなくなるのはおかしいと。

「○○くんは、お星様になったんだ。だから今はお別れの挨拶にいけないけれど、いつかおうちに行って、最後のお別れの挨拶をしにいくんだ」
と答える子どもは、死について、発達段階に応じた説明を受けているのでしょう。

そして自らの死。
脈拍や体温、呼吸、触覚の低下、光への過敏性など、自分の体が変化していくことへの不安、恐怖。
夜中に「眠れないから、絵本を読んで」とナースステーションにやってくる幼児。

できるだけ、子どもによりそうこと・・・。

そして家族への支援。看護。

人生の最後まで、人としての尊厳を守ろうとする看護師の姿勢、そうしたスピリットが看護師を養成するカリキュラムに反映されていることに、強い感動を覚えました。

***

私の双子の妹が、生後すぐに亡くなったことを親から聞かされたのは、9,10歳ぐらいだったと思います。
だから、死の不可逆性は理解できていたと思います。
ただ、それが重大な意味だとわかったのは、さらにずっとあとだった気がします。

今、生かされていることの意味を考えました。

そして、どんな子も、最後まで人としての尊厳が守られなければならない。そうした視点で、特別支援教育を見ていきたいと思いました。


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ことばの教室を初めて担当した先生のための研修会 構音障害

道言協(北海道言語障害児教育研究協議会)では、初めて担当した先生のための研修会を毎年開催しています。私は構音障害の講座を担当しました。
参加者の中には、全国的に著名な先生も見えていました。つまり、新しい先生のための基礎講座を作り上げてきた方です。
本当は私のような者より、その先生に講座をしていただきたかったですが、今回は一参加者で、とのご意向とのことでした。
でも、講座の最後にその先生から的確で、専門性の高いご講評をいただくことができました。私が勉強になりました。
講座の進め方を振り返ると、反省することしきりです。
きっとアンケートを読むと、よいことがたくさん書いてあるでしょうが、アンケートとは、もともとそんなものでしょう。
それに甘んじず、もっと修行しなければ。
講座を担当して改めて思うのは、わずか3時間の講義で、構音をマスターするのは難しい。単純なようで、実は本当に奥深いものです。
本当なら、全道各地を回って、OJTスタイルで、実際の指導を拝見してディスカッションしたいところです。
昨年、休憩時間に個人的質問を受けたところ、長蛇の列ができてしまい、十分な対応ができませんでした。今回は原則、個人相談はなしにして、メールで受けることにしました。それでも、「どうしたらいいでしょうか」というご質問をいただきました。どうしたらいいですか、の前に、どんな子ですか、から始まります。だから時間がたりなくなるのですね。
さて、講師の契約は来年度までです。
それまでに、短い時間で効率的な研修になるように、修行を重ねたいと思います。
自身のプライドだとか、形を見せるためでなく、子どもたちのために。数を集めるためでなく、困っている方々のために。

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「小児看護学」と「教育の最新事情」

重病で安静が必要な子や、伝染病により他の人に病気が伝播する恐れがある子に対して、子どもを個人病棟に隔離することがあります。
講義では、隔離が必要な条件、隔離の仕方などの説明がありました。

その時の印象は、「あくまでも子ども視点に立っている」ということです。

***

保護者は隔離病棟に入室する際は、マスクや手袋、指定の服を着なければなりません。
しかし子どもにとっては、保護者のそんな姿を初めて見るので、不安になるでしょう。
お母さんがマスクをしていると、顔の表情が読み取りにくくなるので、子どもは不安になります。
手袋を通してしか、子どもに触れることができないことも。
そして、窓の外では他児が遊んでいて、うらやましく思うでしょう。

狭い病室で、生活リズムが単調になるから、巡回の時は、できるだけ長い時間をとって話しかけてあげましょう。

歩いてトイレに行ってはいけないのに、自分で歩いて行こうとする子には、
「あの子は歩いて行けるけど、あなたは看護師を呼んでね。そうしたら、車いすに乗ってトイレに行けるよ」と具体的にやり方を教えること。

「ベットから降りてはいけない」の指示に従わず、ベットの上でトランポリンの様に跳んだり、隣のベットとの間を渡り歩いて遊んでいる子に注意したら、「だってベットから降りていないよ」よ。

子どもはふざけているのでなく、わからなかっただけ。わかるように具体的に説明すること。

***

このように、隔離や身体の保護についての説明だけでなく、子どもはこういう気持ちになるから、身体拘束を続けることで、知的、社会性、手先の巧緻性の発達に影響するから、拘束は最低限度に、という説明が、あくまでも「子ども視点」なのに感動しました。


ところが、教育に関する講義ではいつも思うのですが、「学校体制」の説明が多い気がします。
図書室の活性化のため、「○○コーディネーター」を配置して、地域と連携する組織を作って、など組織図が多い。

本に興味が持てない子、文字の読みが苦手なので本を毛嫌いする子、運動の方がしたい子、「自主活動」と称して、実際には、休み時間も係活動を強いられ、友達と遊ぶ時間が無い子・・・。

学校には、様々な子どもの実態があります。

それらの子どもの実態を見ずに、「学校図書を活性化させるために、こういう組織を作りました」

子どもの気持ちから遠いなあと。

医療と教育とでは、どうしてこんなに差があるのでしょうか。

もちろん、医療は、一人一人の患者さんと接しますし、学校は一度にたくさんの子を動かさなければいけない事情もあるでしょう。

でも一番の問題は、学校はやらなければいけないことが多すぎること。
やらなければならないことの縛り、決まりが多すぎること。
「○○コーディネーター」という名称だけで、何種類もあります。
生徒指導、図書、特別支援教育、いじめ、食育、体力、学力・・・。
多すぎです。
教員は様々な組織を掛け持ちで、学級の授業以外の仕事を背負っています。

この問題に集約されていくような気がするのです。

学校教育に、もっと、子どもの側に立った視点がほしい。
そうした研究がもっと増えてほしい。
色々なプロジェクトを縦割りで学校に課すでなく、それらのプロジェクトが現場レベル、子ども個々のレベルで、どれだけ負担になっているのか、トータルな視点での研究の進歩を望みます。

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心理統計法 ”t検定”

”t検定”についての講義でした。

平均値を比較する際に、特に2つの平均値の差の有意性の検定を行う方法のこと。
その際、母集団A,Bを全部比較はできないので、抽出した標本間で比較する。

心理統計法のイロハの知識なのでしょうが、私はぼやっと理解していたに過ぎないと実感しました。

そして、今はエクセルで簡単に、「2つの母集団の分散の検定」(f値)が出せるのですね。

これがきちんと理解できることで、たとえば、WISCなどの検査法の信頼性を検討できるということになるのでしょう。

「WISCの解釈の仕方を教えて」の回答は、ものすごく幅が広く、深いのです。





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認知心理学の講義

心理検査を扱う際「符号化」という概念と出会うことがよくあります。
わかっているつもりでも、講義を受けると、その理解は浅かったと思いました。
たとえば、

「符号化特定性原理」
 経験A&B
 A→B ○
 C→B ×

A、Bを経験した際、
AがあるとBを思い出しやすいが、Cという別のことがあると、Bは思い出しにくい。
「符号化」にはたとえばこのような原理がある。

符号化そのものが苦手であると、記憶も整理されないですね。

「記憶する」の前に「理解する」が大事なわけです。


そのほか、「潜在記憶」と「顕在記憶」
「プライミング効果」

「気分一致効果」
「気分依存効果」

昔ならったなあと思うことが次々と。

こうした知識を改めて学ぶことで、子ども理解、検査の理解につながっていくと感じました。

心理検査は公認心理士が解釈する、という国の方向性の意味が改めて認識できました。


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小児看護学

ファロー四徴症、心室中隔欠損症などの先天性の疾病については、これまでも就学相談等の生育歴情報の収集の過程でよく目にしてきました。

発達障害とどれだけ関連するかについては、ある程度わかっていましたが、改めて整理され、なるほどと思いながら受講しました。

家族とどのように面接し、病気を告知し、その後のフォローを行っていくか、「誠意をもって対応する」「後回しにしないで、できるだけ早く告知する」「告知時に混乱して、話の内容を理解できない場合も多いので、繰り返し、丁寧に説明する」「子どもの元気に暮らす姿も伝える」など、就学相談にも通じる内容でした。

就学後、何年もたってから、「そんな教育サービスがあったのか」とおっしゃる保護者が少なくありません。
支援者は、保護者の反応や、信頼関係が崩れることを恐れるあまり、情報提供を遅らせ、「小学校に任せる」「中学校に任せる」ということであってはならないと、改めて思うのでした。

就学相談では保護者の意向をできるだけ尊重することにはなりました。
しかし、専門家として、お子さんにはこんな支援が必要だと判断した、ということは、最終的な結論はどうあれ、伝える機会がなければならない、と思います。
保護者は客観的な情報を十分に受け、その上で検討して頂く必要があるでしょう。

それは、保護者の先輩や、就学相談のベテランの先生が共通しておっしゃっていることです。

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アセスメントと指導 特別支援教士SVによる講義、事例検討

お呼びして、ご講義、事例検討をしました。

毎年お呼びする講師の共通のお話は「アセスメント」の重要性。

特別支援教育士は、アセスメントにもっとも厳しい資格と言われます。

午後の事例交流では、特別支援教育士の指導実習並みのレポートが・・・。
初めて担当した先生には、ちょっと難しいと思いましたが・・・。

感想アンケートを見ると、アセスメントから指導へのつなげ方がよくわかりました、というポジティブな感想が多数寄せられました。

難しくても、流れの雰囲気がわかる、という意味で、研修のねらいにぴったりの内容になりました。


「アセスメントなんか必要無い、その場でその時の判断をしなければ」
それはそうです。その時はそうでしょう。
しかしアセスメントには、指導までのアセスメントと、指導しながらのアセスメントと、2つあるわけです。
今までは、どちらかと言うと、「ながら」が中心でした。
「ながら」ならまだいいですが、アセスメント否定主義もありました。

そこに、指導前までのアセスメントに光をあてたのが、特別支援教育だったはずです。

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認知心理学と脳科学

久しぶりに、専門的な講座を受講しています。

認知心理学といえば、過去、通信講座で勉強した内容を思い起こすのですが、実際に受講してみると、脳科学に関する言及がとても多くて驚きました。

脳科学の進歩はすごいですね。
しかし、講座でも指摘されている通り、単純に○○の部位が活性化したからどうだとか、1対1でとらえてはいけないこと。

某文献でも、こういう運動をしたら脳のこの部位が活性化したから、この運動は○○に効果があるだとか。

そんなに単純ではないですね。

自閉症にしても、LDにしても、脳の特定部位だけで説明できるなら、こんなに楽な話はありません。


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一つの方法、一つの根拠で語れるほど、事態は単純ではない

「廊下は歩こう」という大きな張り紙が貼ってあります。
「走るな」ではなく「歩こう」と肯定的な書き方がよいとされたからだと思いますが。
未だに、あの貼り紙を見て、走るのを止めた子どもに出会ったことがありません。
そもそも、衝動性が高い子は、その文字を見ないし、学習効果で見慣れてしまえば、そもそも頭に入ってきません。

「わかりやすくすれば、その子はできる」

一面においては事実ですし、課題をルーチン化することで、こなせる子どもがいることも事実。
先の見通し、下見をすることで、不安が軽減する子もいるでしょう。

しかしながら、「わかりやすく」だけで語ってしまうリスクも、一方においては存在しています。

いくら「わかりやすく」しても、子どもにその動機付けがなければ、効果には結びつかないでしょう。

大人でも、やりたくもない物を絵カードで指示されて、やる気になるでしょうか?

絵カードなり、棚で課題を示すけれども、どれをどの順番で行うかは、子どもと相談しながら、私は進めています。

その時に、明らかに、「先の見通し」がとれない不安が原因で課題を拒否する場合は、実際にやって見せた上で、改めて諾否を尋ねます。
それでも拒否ならば、私は無理をしません。


子どもの反応を一つだけ取り上げて、子ども全体を評価することの危険性にも、注意する必要があります。
ある現象だけを見て、この子は「○○」と決めつけてしまう。
その結果、解決の手立ても単純化してしまい、子どもにヒットしない結果に結びつきます。

子どもの行動は、ダイナミズムの現れであり、流動的であり、氷山の一角に過ぎません。


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「様子を見る」から「支援の開始」へ

「後追い支援」から、先手の支援へ。
「様子を見ましょう」から「支援を開始しましょう」へ。

1.6健診が未だに「歩けるか」などの荒い検査のみにとどまっているところも多い。
「共同注視」ができるかなど、もっと詳細な健診になるように。

医療関係者が地域に入っているところでは、保護者が気軽に相談できる雰囲気が整っている。

***

医療関係者の講演を聴きました。
その通り、とうなづきながら聴いていました。

学校に上がってから「大変だ」では、遅いわけです。
「後追い支援」は、誰よりも、子どもがかわいそう、と感じています。

「通常学級に放り込めばいい」という大人の論理により、子どもが二次障害、三次障害、不登校に陥っているケースもよく見ます。

社会性、コミュニケーションが第一の支援のテーマなのに、「文法学習」や「聴く練習」にパターン化した指導も気になります。

そもそも、各段階での相談で、子ども理解がおざなりです。

あらゆる方面からの「改革」が必要だなあと。


「子どもに支援が必要なら、はっきり言ってほしい」
親の会の大先輩のお母さんから、私に言われたことばを思い出しました。

支援を具体的にイメージできるよう、情報提供していく必要も感じています。

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アセスメントと指導

アセスメントについて話してほしいという依頼が。
とても幅広くて、まずその依頼の背景をアセスメントしなければ・・・。

講義でお話ししても、現場に反映されるには距離がとてもある、というのがこれまでの実感。
「実際」が変わらないと意味がない。
だからOJT(実際にやりながらの研修)が大事なわけです。

「ひらがなの『あ』が書けない子に対して、どう指導したらいいでしょうか?」
子どもの情報も、何もない中での発問。
その発問自体に異議を唱えたら、「時間がないので」と、発言を制止、邪魔者扱いされてしまいました。
しかも、子どもの情報を出さないのは、意図的なのだと。
アセスメントは必要無いという考え方もあるからだと。

この団体は、もう末期ですね。

新しい船に乗り換える時が来たのでは。

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死を考える人もいる

どうして自分だけができなんだろう。
どうして自分だけ違うんだろう。
どうしてうまくいかないんだろう。

死を考える人もいます。
私もそうでした。

だからこそ、能力を伸ばすというだけでなく、

「自分はこんなことで、世の中の役に立っている」
「自分はこれはできないが、これはできる」
「同じことで悩む人々のために」
「一人ではない」

という気持ちに至れるように。

自分を知ること、対処法を知ること。

長い目で見たときに、通級による支援の一番大事なことだと思うのです。


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私自身の生育歴



・幼稚園では泣いてばかりだった。


・花火、突然の物音、鼻血でも泣いた。


 幼稚園の盆踊りも怖かった。


・人が楽しそうに語り合っているのが怖かった。


・ゴミ一つが気になる。並んでいないと気になる。


・どうして自分だけが違うんだろう。


 みんな、僕が習っていないところへ行って、


 会話の勉強をしているに違いない。

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障害の種類にかかわらず、全ての子に必要なこと


親の会でお話しすることになっています。
基本的なお話を聞きたいとのことでしたので、ことばの教室のシステムや障害種別の説明をします。
でも最後は、障害種別を超えて、全ての子に必要なことをまとめています。
エキスです。

知らず知らずのうちに、「標準に近づかせようとする」指導を私たちはしていないでしょうか?
極端な例、WISC等の検査の評価点を上げるために指導をしてはいないでしょうか?

各種検査は、能力の一部しか測っていません。
検査は、子ども理解のツールの一つではありますが、検査の成績を上げるために指導があるのではありません。
目先の視点ではなく、その子の自立のために必要なことを考えることでしょう。

本当は、保護者の先輩にそのあたりをお話して頂いた方がいいと思いますが、今回の講演は、従来の4倍から5倍の参加希望数のようです。

地域、時代のニーズに合った企画、内容をこれからも考えていきたいです。

 

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「様子を見ましょう」はやめましょう



・期限を決めて
・様子を見る観点を明確にして

保護者に十分な情報提供を行う機会を保障すること。

関係者が連携し、情報を一元化すること。

ジェネラリストとスペシャリストとの両方の視点で子どもを見つめること。

ひとつずつ、変えていかなければ。


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【文献紹介】言語聴覚療法 臨床マニュアル 改訂第3版

言語聴覚療法 臨床マニュアル  改訂第3版
http://www.kyodo-isho.co.jp/cgi-local/search.cgi?id=book&isbn=978-4-7639-3049-1


言語聴覚士向けのマニュアルなので、少し難しいのではとも言われますが、私が見たところ、第2版よりかなりよみやすく、わかりやすくなった印象です。
カラー刷りになったことや、レイアウトが見開き2ページになったこともありますが、説明もわかりやすくなった印象です。

失語や嚥下などは、ことばの教室で扱う機会は少ないかもしれませんが、事故や血流等のトラブルによる脳損傷によって生じる高次脳機能障害など、学習障害等のモデルを検討する際に参考になるでしょう。
嚥下を学ぶことは、発語器官の仕組みを理解し、MFT(舌筋機能訓練)などの指導につなげる上で参考にもなるでしょう。

もちろん、構音障害、言語発達遅滞、吃音も扱っています。




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「指導目標」への固定観念

「指導目標」というと、「できなかったこと」を「できるようにする」と考えがちですが。
しかし、子どもの実態によっては、「維持」が目標となる場合もあるはずです。

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ことばの教室における「個別の指導計画」の作成の留意点

当教室では、以下の約束事で、作成することになりました。

***


1 各目標は、支援者の視点ではなく、子ども本人からの視点で書く。
例)
 ×「○○させる」
 ×「○○体制を強化する」
 ○「○○できる」
 ○「○○の支援のもとで、△△ができるようになる」


2 目標設定は、支援目標→年度目標→短期目標と、下位に行くほど具体的にする。
  
例)短期目標
 ×「流暢なことばで話すことができる」
 →○「絵の説明課題で、助詞『が』を用いて話すことができる」
 →○「吃音の発生時には、一度緊張をゆるめることが自分でできるようになる」 


 ×「発音が改善する」
 →○「シ音について、自由会話レベルまで正音が出せる」
 →○「舌平らが安定してでき、『ジ』が単音節レベルまで安定して出せる」
 (どの音がどのレベルまでできるのか、を具体的に書く)


 ※ あとで評価がしにくい目標設定は無意味。
   


3 通級の支援目標は「発音が改善すること」そのものではなく、発音が改善する「ことによって」スムーズな言語コミュニケーションがとれるようになることが目標。


4 無理な目標設定は行わない。達成しやすい目標を設定する。
  週の限られた通級時間に見合った目標設定にする。


5 目標も手立ても、その時によって柔軟に変更ができる。一度作ったら二度と変えられないわけではない。保護者や同僚と相談の上で変更を検討する。


6 各目標は、「自立活動」が主であり、「教科の補充指導」を主たる目標にしてはいけない。
 例)×「九九を間違えずに暗唱できる」
   ×「2桁-1桁の繰り下がりの計算ができるようになる」


7 他の職員に予め見せて、助言を受けてから保護者に見せて、話し合って同意に至るのが望ましい。


***

構音の指導目標の設定のためには、現状の構音の状態を評価しなければなりません。
どの音がどのレベルから障害音となっているのか。
ただばくぜんと「不明瞭」とか、「カが発音できない」という曖昧な評価では、指導計画は策定できません。
つまり、指導計画を策定する作業そのものが、実は子ども理解を深める過程です。

「まずは作ることに意義がある」
亡くなった先輩のことばは、「形を整えなさい」という単純な意味を指すのでなく、「作成を通して、子ども理解、知識の学習のために、もがきくるしみなさい」という意味を指していたのでした。

だから、形だけをまねするのは無意味なのです。


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「ことばの教室」への「教育相談」

今年度の当教室への教育相談は、例年より多いのだそうです。
前任校ではこの程度のペースでしたが、当教室としては既にハイペースです。

その原因のひとつとして、家庭訪問時期の前に、教室パンフレットを学級担任に配ったこと。
家庭訪問時に教育相談を紹介してもらい、つながるケースが多いようです。

支援を必要としているのに、つながっていないケース、支援の頻度や程度と、子どもの実態とが合っていないケースが多いように感じています。
措置判断のシステム、相談のシステムがうまく機能していなかったように思われます。

近眼の子にめがねを与えるように、特別の支援が当たり前のように提供されるように、システムを整えていく必要を感じています。

ヘルプを求めている子ども達のために。

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学習障害と聴力障害、視力障害

「板書をノートに写せないんです」
「斜め線がうまく書けません」
「一斉の指示だけではわかりにくいので、個別に声をかけています」
「落ち着きがなく、すぐ離席します」
「授業中ぼうっとしていて、集中できない」

などという話を聞くと、まず思い浮かぶのは、LD,ADHD。

しかしちょっと待って下さい。
聴力は測りましたか?
視力は測りましたか?
生活リズムは調べましたか?
朝ご飯は食べてきていますか?

視力がこんなに低いなら、板書が写せなくて当たり前。
中耳炎で聴力低下している事例も。
すでにそうした事例に出会ったり、相談を受けたりしています。

アメリカでは、それらのことを調べて、そうした要因がないと判断された段階で、初めて医師の出番です。

「言えることばが少ない。カタコトしか話せない」

本当に言語発達遅滞ですか?
実は被虐待による情緒障害が背景にあるのでは?

どんな背景があるかを知ることで、指導目標も、指導仮説も全く異なったものになるのです。


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