忍者ブログ
某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
ブログ内検索
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
[01/11 board]
[11/21 西村徹]
[02/23 留萌小学校ことばの教室]
[05/10 プー子]
[01/11 にくきゅう]
[11/25 なっか]
[10/26 さつき]
[10/12 赤根 修]
[08/21 赤根 修]
[05/28 miki]
[05/28 miki]
[05/13 赤根 修]
[05/06 赤根 修]
[04/15 miki]
[04/15 赤根 修]
[03/12 かわ]
[03/09 赤根 修]
[03/03 KY@札幌]
[03/01 赤根 修]
[02/28 hakarino]
[02/23 kさん]
[02/23 miki]
[02/12 suge]
[01/15 suge]
[01/15 miki]
バーコード
アクセス解析
[6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11]  [12]  [13]  [14]  [15]  [16

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

通級による指導での教科の補充指導は、成績の向上が目的ではない



部首の組み合わせで漢字を作るゲーム「かんじー」




部首の名前を聞いてすばやくカードを取る「部首カルタ」


いずれも、漢字のパーツの視覚的認識を高める遊びです。

通級での教科の補充指導は、テストの成績を上げるとか、ましてや、ある点数を目標とするためではなく、学びやすさ、楽しさを保障するために行います。

勉強そのものが目的でなく、自分に合った方法を学ぶのが目的です。


いずれにせよ、教科の補充指導をするには、週1~3時間の従来の自立活動の時間だけでは足りない、ということは、10年以上前の学会でも指摘されています。

だから、法令上、週1~3時間→週8時間と拡張されたわけです。

従来の短い通級指導時間の中に、自立活動も教科の補充指導も、と欲張って詰め込む事例が見られます。
一度にたくさんの目標をねらいすぎて、結局何の効果も見られないばかりか、有害な指導であったり、子どもに加重な負担を与えてしまいがちです。

また、通常学級でのテストやドリルをそのまま通級指導教室に持ち込んで、指導を受けるケースも見られますが、子どもの特性や課題量に合わせた指導を前提としないなら、これは「通級による指導」の目的外使用に当たります。
それならば、わざわざ通級しなくても、通常学級で指導を受ければ良いことです。

通常学級と同じ内容、方法、到達目標、課題量を別室で行う意味があるのでしょうか?
通級は「分離別学(差別教育)」だ、と主張する向きがありますが、その主張に正当性を与えてしまう事例と言えます。通常学級で学び合うという機会を子どもから奪うことになるからです。

通級による指導は、塾ではありません。


「LDの通級については、月1回(年10回)の下限でも効果的な場合がある」と法令上は定められていますが、それは、周囲の学習環境が調整されていて、通級指導そのものよりも、コーディネートだけで効果的な場合、ということです。


http://kotobaroom.blog.shinobi.jp/Entry/252/
構音の指導研修DVD頒布受付中 ~2014年1月10日まで



にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。
  



にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


PR

『狛江市 育ちの森』(子育て支援ネットワークマップ)

『狛江市 育ちの森』(子育て支援ネットワークマップ)
http://www.city.komae.tokyo.jp/index.cfm/27,31912,128,html


特に裏面。頂いたパフレットの図の意味を中川 信子先生から直接うかがいました。


生まれてから中学校卒業まで、「育ちの森」の中で、あのとき、あの場所でこんな支援を受けてきたね、楽しかったね、とふり返られる森、というイメージだとのこと。


胸にジーンと来てしまいました。


明日は、子どもの発達支援を考えるSTの会主宰で、言語聴覚士の中川 信子先生のご講演です。
平成18年9月15日以来です。
当時は、全道大会ということもあり、400名近くの方が見えました。


今回も、チラシもまかれましたが、口コミでも広がっています。

http://kotobaroom.blog.shinobi.jp/Entry/252/
構音の指導研修DVD頒布受付中 ~2014年1月10日まで



にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


子どもの持てる力とは何か

特別支援教育は、その子の持てる力を最大限伸ばそうとするわけです。
その子の「持てる力」を最大限伸ばそうとするのであって、「平均点」に近づけようということとは、似ていても、全く違います。

ここ数年、「点数」を伸ばすことに関係者が血眼になっているようですが。

点数を上げるために、生活リズムを整えるのでしょうか?
順序が逆ではないかと。

テストの点数と、社会に出てからの適応とは、相関しているのでしょうか?
某有名大学を出た人は、みんな社会への適応がいいのですか?
見る限り、全然関係ないなあと。むしろ逆・・・?

北海道出身の人は、起業率が高いと言うではないですか。
これをどう説明するのですか?

「SS(偏差値)」を「上げる」ということは、他の人を蹴落として自分が這い上がろうということです。

何か根本がずれていないでしょうか?

子どもの全体ではなく、一面だけを見ている。
子供観が貧弱になっているなあと。

物の見方、考え方全体が貧弱になっているなあと。
物事の背景を見ずに、表面だけを取り繕うとしている。

トータルな人間観は、どこへ行ってしまっているのでしょうか?

点数が上がれば、万事問題は解決であるかのような論調ですね。最近は。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。
  




にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


日本LD学会 第22回大会 発表論文集 3

・教材教具にパッと顔を輝かせたが、次に会ったときには・・・。
(アセスメント抜きに、教材にとびつく危険性の典型例ですね。)

・高等学校におけるLD評価~評価しやすい採点項目の作成の試み
(高校での特別支援教育、これから充実してほしいです)

・紙の教科書からデジタル教科書まで~文のハイライト表示、白黒反転表示、総ルビ表示、文字サイズ変更など
(「学力」の定義も変わるのではないでしょうか。そもそも学力の定義はあいまいですが)

・多層指導モデル MIM 給食前の空き時間を利用して、または宿題として、MIMのパッケージのドリルなどを利用して指導。指導を受けた子は高い得点。
(パッケージというものを見てみたいですが、給食前の空き時間というものをどうやって生み出したのか、ということの方が興味深いです。給食当番の子はどうするの?とか)

・ASIST学校適応プロフィール
(いろいろな尺度が出ていますね)

・WISC-4 「数唱」<「語音整列」について
(この場合のワーキングメモリの解釈のあり方が注目点です)

・タブレットと「サトシ君」
(いろいろなツールがあるのですね)

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。



にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


日本LD学会 第22回大会 発表論文集 2

・思春期以降は、当事者の自己理解と問題意識がないと、支援の効果があがりにくい。
(思春期に入るぐらいまでを扱う小学校教員としては、いつもこの先を見通した上での指導が大切ですね。逆に「自覚させる」のが早すぎる実践もチラホラ見えますが。発達段階を踏まえることが大切ですね)

・車の運転や、電車に乗れるのも社会で生きる上で大切。ガソリンスタンドの使い方、事故の場合の対応なども。
(こちらの地域では、自家用車は必須です)

・発達チェックリスト CLM(チェックリスト イン 三重)
(色々なチェックリストがありますね。大事なのはチェックリストは、一情報に過ぎないということだと思います)

・高次脳機能障害→認知障害と社会的行動障害
  認知障害→記憶障害、注意障害、遂行機能障害、半側空間無視、失語、失行、失認
  社会的行動障害→依存性、退行感情コントロール低下、対人技能拙劣。固執性、意欲・発動性低下、抑鬱、感情失禁など
  
 

  適切な学級の選択、介助員など必要
(高次脳機能障害のあるお子さんにはわずかに出会ったことがありますが、実はもっと出会っているかもしれないですね)

・抜き出し指導の対象にしないで、多様性のある社会、キャパのある社会、学校へ
(ちょっとできないからすぐ特別支援学級、という流れが私も気になります。一方で、より個別の支援が必要なのに、ダンピングが続いている事例も。どんな就学が適切かはいちがいに言えませんが、専門性、大事です)

・「合理的配慮」ばかり強調されすぎ。まずは国レベルでの環境整備が必要
(「合理的配慮」が、予算をつけない口実に使われるとすれば本末転倒ですね)

・自閉症は脳内の一極集中ではなく、総合的・統合的に要求された場合に困難を示す
(『そだちの科学 21 自閉症治療・療育の最前線』日本評論社,2013 にも同様のことが書かれていますね。脳の特定の部位ではないわけです)



にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


日本LD学会 第22回大会 発表論文集 

LDの定義、検査
・DSM-5
・-1.5標準偏差
・標準得点78以下(7パーセンタイル順位未満)
・KABC-2
・換語困難の状態を呈していても、他の能力も低ければ検査はフラットに。
・各地方での独自のアセスメントシステム
・検査の解釈の誤り、伝え方の誤り たくさんあるよ


RTIについて

LDの視線計測
LDのある子の文字の注視回数、サッカード距離、文字の左上領域を長く見る、狭い窓サイズで眼球運動への影響、並列的に処理可能な視覚要素の量

ICT、デジタル教科書

チームによるアセスメントから指導へ
(これ使えるかなあ? ことばの教室複数配置の教室では、一人一つ以上、検査を覚えれば、複数の検査バッテリーが組めます。でも検査に対しての基本的なセンスが必要ですが。)


***

今年も出席できませんでしたが、発表論文集には興味深い内容がたくさん入っています。

RTIの基本的なフレームワークがまとまっているのは参考になりました。

Donald DeshlerさんのRTIの説明はなるほどと思いますが、欧米並みの20人学級で先生複数、支援員、実習生などが入り込む環境と、我が国の35人学級で先生一人の環境とでは、前提がそもそも違います。そのままRTIを日本で採用できるのかなあとか。
でも教えてみて、反応みながら、より手厚い支援へという流れは、検査依存の向きに対して、一定のインパクトがありますね。
RTIの理念のそのものは、学校教育の原点のではないかな、でも客観的に見ることも大事で、検査が不要とまでは言えないなあと。
両者は議論の末、合意点を見いだしているようですが。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


星槎大学創立10周年おめでとうございます

星槎大学創立10周年おめでとうございます。私は科目履修生として、全国で初めてネット中継によるスクーリングの窓口役をさせて頂きました。中継カメラを送って頂いて職場や自宅のテレビと接続するなど、大学は学生の立場に立ち、学生は大学の運営に協力する手作り感たっぷりのスクーリングでした。今は特別支援教育の専門家チームや就学指導委員等の場で、教えて頂いたことをこれからも生かしていきたいと思います。貴学の益々のご発展をお祈りしています。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。
  

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


資格は自分の行動を縛るためにある

ステータスのためでない。
子どもや関係者のために、自分の行動を規制するためのもの。

科学は、子どもに誤った指導をしないためにある。
原因究明されていないからといって、テキトーな指導をして良いのではない。

我流もいいでしょう。
ならば資格は返上すべき。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。
  


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


自分を知らなければ、他人を理解できない。

自分を知らなければ、他人を理解できない。
自分の多面性を知ることで、他人の中に自分を発見できる。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。
  




にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


検診ではなく健診。保護者本人の視点で

就学時検診ではなく、就学時健診。
訓練ではなく自立活動。
ことば狩りではなく、歴史的に大きな意味があります。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。
  




にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


色覚異常

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131001-00000520-san-soci&pos=2

色覚検査は差別になるからと、検査義務が廃止されていますが、検査はやってはいけないということではないのですね。
赤い字を読み飛ばすなどから、学習障害と誤って判断するケースがないか、慎重に検討する必要がありそうです。

聴覚障害も同様で、語音弁別力は脳の問題ですが、そもそも聴力はどうなのか、きちんと調べた上で判断しなければいけません。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。
  

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


活字に酔っている暇があるなら

食事中、口腔内に、人生で経験したことのない強い衝撃と痛みを感じました。その後も、食事するたびに刺すような痛みを感じていましたが、忙しくて歯医者には。
でも観念して診てもらったら、歯が割れているとの診断。根っこまで割れているので、抜歯しかないと言われ、抜きました。抜歯自体も初めてのことで、どれだけ痛いか恐怖でしたが、意外とあっさり抜けました。

ここの歯科医は、通院のたびに、ブラッシングの指導を丁寧にやってくれます。「いや、そうじゃなくて、こう!」と少々厳しいです。
でもお陰で、長年歯ブラシが当たらなかった歯の部分にしっかりあたり、つるつるにできるようになりました。

実技による研修は大事だなあと。

「文書作成」「記述」にこだわって、活字に酔っている間は、自分の世界への固執からいつまでも脱皮できないのです。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。
  









にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


将来やりたい仕事

「ことばの教室の先生になって、困っている子どもを助けたい」

作文を読んだ時、涙が出そうになりました。そんな風に思ってくれていたなんて。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。
  




にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


人生で経験したことのない強い衝撃と痛みを

食事中、口腔内に、人生で経験したことのない強い衝撃と痛みを感じました。
その後も、食事するたびに刺すような痛みを感じていましたが、忙しくて歯医者には。

でも観念して診てもらったら、歯が割れているとの診断。
根っこまで割れているので、抜歯しかないと言われ、抜きました。
抜歯自体も初めてのことで、どれだけ痛いか恐怖でしたが、意外とあっさり抜けました。

ここの歯医者さんは、通院のたびに、ブラッシングの指導を丁寧にやってくれます。
今回は「いや、そうじゃなくて、こう!」と少々厳しいです。

「歯茎がピンク色じゃなくて、薄紫でしょう、ブラシが当たらず歯垢がたまり、歯茎がやせて、最後は歯が抜けてしまうのです」
一眼の高級カメラで撮影した口腔内の写真を見せながら、かなり力強い説明を。

でもお陰で、長年歯ブラシが当たらなかった歯の部分にしっかりあたり、つるつるにできるようになりました。

「実技による研修」OJTは大事だなあと。
どの業界でもやっているはず。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。
  




にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


先日の吃音についての報道がネット上で見られます。

どさんこワイド
http://www.stv.ne.jp/news/streamingWM/item/20130815191113/index.html

ことばの教室担当は、子どもの将来のことも視野に支援を考えていかなければならないと改めて考えさせられました。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。
  

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


構音の指導研修DVD 頒布期間延長



延長記事

なお、昨日までお申し込み頂いた方の分は既に発送しました。


メールはこちら

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


通級の新しい先生向けの研修会

北海道言語障害児教育研究協議会主催の新しい先生への支援のための研修会でした。
参加者は、ことばの教室等の経験が0年から長くても数年の先生方ばかりで、発音記号の「ロングエス」の内容からの講義になりました。

「構音練習はいつやるか?」
「今じゃないでしょ!」

構音練習の開始条件は、子どもの言語発達年齢が、おおむね4歳半以上に達していること。
構音だけが切り取られて存在するのではなく、人と人との相互のコミュニケーションの延長線上に構音はあること、よって、構音練習の前に、コミュニケーションが育っているという前提条件が必要であること。

子どもの発達、コミュニケーション等を詳細に評価し、「適時」を判断することが大切である、とお話させて頂きました。

その前提で、構音指導を開始するには、構音についての正確で体系的な評価が必要であることなどを、実際の音声サンプルを聴いて記載する実技を通して学びました。

今回の研修企画は、新しい先生向けに、「子どもの見方・とらえ方」、「構音障害」、「難聴」、「吃音」の各講座を設け、それぞれ2~3時間ずつ、合計2日間にわたって開かれました。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。
  

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


DSM-5と発達障害

上野 一彦先生のブログに、DSMの最新情報について載っています。
http://u-kaz.jugem.jp/


「障害」から「症」への訳の変更が検討されているとか。
訳し方で、イメージがだいぶ違いますね。

訳の変更が、インクルージョン教育への一助となることを願います。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。
  





にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


公的講座 「通級指導」に30名

この公的団体の主催の研修会は、多くても20名程度ですが、今回の「通級指導」の講座は、学校の先生だけが対象で、たいした宣伝もしていないのに、30名という異例の人数が集まりました。もちろん外部講師の招聘という効果もありますが、内容(『「支援」の前に、「子ども理解」を』)をみて魅力を感じた方も多くいたようです。昨年までの指導実習形式を改め、基礎知識の伝承と、ケース会議による子どもを見立てる力の向上を図ったため、進め方は原型ととどめないほどにリフレッシュしたわけです。

かつては、出席者同士が顔見知りになることが研修会の目的の一つでしたが、それをメインにする時代は終わりました。人がつながることも大事なのだけれども、それぞれの場でいかに専門性を高めるかが問われるようになってきています。
午前の講義は諸事情で私が外部講師に代わってピンチヒッターをしましたが、予めパワーポイントを送ってくださっていたので、それをもとにお話しました。特別支援教育士の先生が作られた資料だったため、一目見て私自身が胸落ちしました。先生の意図を正確に読み取って解説できたか不安でしたが、感想をみると、わかりやすかったとの意見が多数あり、ほっとしました。CHCモデルとか、難しい話もしたのですが。

午後のケース会議も、実際的な話で良かった、ことばの教室の先生だけでなく、特別支援学級の先生も多くいて、色々観点で検討できてよかった、子どもを見立てる力をもっと身につけたい、との感想もありました。
今回は、「言語障害」「発達障害」と、障害別の班編制を予定していましたが、講師の都合により、急遽、障害別をはずして班編制を行いました。それがかえって良い効果をもたらしました。


全体としては、シリーズで何日か連続でやって欲しいとのご意見も複数ありました。

単なるお茶会ではなく、本当に力を付けたいという熱意に圧倒されました。

研修ニーズは明らかに変わってきています。


あとは人事ですね。こうした先生方が一年でも長く担当していただければ、私の役目は終わるわけです。
現状、今週は一日おきに講師依頼が。。。

言難ABCでお会いしましょう。
『構音の指導研修DVD』も持って行きます。
その場なら、送料がかかりません。

それにしても参加者名簿を見ると、言難ABCは、札幌近郊の方々は多く参加されるようですが、地方になると、2名ずつという状態ですね。
基礎知識を体系的に学ぶ場が、距離に関係なく等しく保障される必要性を感じます。
それぞれの場で言難ABCを立ち上げていかなければなりません。
また、旅費保障ももっと手厚くする必要があるでしょう。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。
  



にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


私達の現状

私達の現状

1 専門性の欠如

・音声言語の表出を発達の指標としている点は良いが、音声表出に重きを置きすぎるあまり、非言語的コミュニケーションのチャンスを見逃している。

・診断名を発達の評価の材料のひとつにしているのは良いが、個別的ニーズではなく、診断名で子どもを分類し、指導仮説を立ててしまう傾向がある。
 
・「みんなが同じ」という指導は社会性の育成の価値基準になるが、個別的ニーズを見落とす傾向もある。

・「努力すれば誰でも必ずできる」という意気込みは良いが、個々による得手不得手、達成レベル以上の期待を持ち、過剰な負担を与えてしまうことがある。
 
・学級担任が必要以上に自分を責めたり、劣等感を抱いてしまう。

・発達障害、行動障害は、重度の児童虐待は別として、中枢神経系の先天異常が基本であるにもかかわらず、親の療育態度のみに障害の原因を還元してしまう傾向がある。(稚拙な因果類推)

・善悪の二元論だけで発達臨床を片づけてしまい、子どもの背景や、情緒を多角的視点で捉える力が弱い。

・具体的な対応法、技術の引き出しが少ない。

・「どこまでが障害で、どこからがわがままか」などと、障害と健常を機械的に分け、子どもをトータルではなく二元論で分類しようとする傾向がある。

・障害に対する基礎知識、臨床診断能力の欠如

2 教師の条件的問題
   ・時間的、物理的多忙
   ・専門性の向上のための研修機会の不足
   ・免許制度、指導者養成体制の不備
   ・地域に児童精神科医がいない。
   ・多職種で、多角的に子どもの臨床をとらえるシステムがない。


***

以上は、2001年(今から12年前)に、有志で研究会を立ち上げようとした時のレジュメの一部です。

結局は転勤で、このプロジェクトはなくなってしまったのですが。

こうして読み返すと、今とあまり変わっていないかなあ。
発達を診てくれる医師は、この時以来、いらっしゃるようにはなりましたが。

未だに障害名で子どもを見ようとする傾向、善悪や二元論で子どもを見る傾向は続いています。
子どもの言動を評価するとき、まず善悪という二元論を横に置いておいて(緊急事態や、即時強化も必要なので、その場でのそれなりの対応は必要ですが)、その行動がなぜ生じたのかを検討することこそ、特別支援教育の本質に迫ることになるわけです。



にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。
  

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


「どうしてことばの教室に通っているの?」「どうして○○学級なの?」

こうした質問は、周りの子から、本人から、そして先生方から寄せられることがあります。
特に先生方から「周りの子に、どうやって説明したらいいですか?」
と尋ねられます。

そうした場合、
「今まではどう説明してきましたか?」
「今までは、どのようにその子に対応してきましたか?」

とお尋ねします。


「聞かれたことはないけれど、今後聞かれた場合に」
という回答も多いです。


そして
「医師の診断を受けていないのに、説明をどうやったらいいですか」
と。

幼稚園の先生は、この点、説明がとてもうまいです。
「○○くんは、まだわからないから、△△をしているのですよ」
そして、その子への対応は、他児とは違っていても、違和感は特にありません。

「まだわらかないから」には、「わざとではない」というニュアンスが入っていて素敵です。

小学校の対応の上手な先生は、
「(みんなは)、○○ページをノートに写しなさい。○○くんは、まず教科書を出してみよう。はい、よく出せたね」
と、みんなとは違う、スモールステップの個別の教育目標をただちに設定して、達成したらほめるということをされていました。

それは他の子にとっても、教科書を開くことは望ましい行動なのだ、ということを間接的に強化していることにもなります。

毎日の接し方が「説明」の姿であって、「この子はADHDだから」ということばの説明は、かえっておかしな方向に行ってしまうのでは、と思います。

「ことばが上手じゃないから、ことばの教室に通っています」
というのは、ネガティブな説明で、望ましくない説明でしょう。

日常会話の中で、発音の誤りがあっても、さりげなく正音を返してあげる関わりを先生が見せてあげることが、その子への対応へのモデル提示になるわけです。

「だんだん上手に言えるように、練習しているんだよ。発音を間違えていても、聞き取ってあげましょう」

非言語的な説明、モデルとしての説明がまずあることが重要だなあと。
医学的な診断は、説明を補強することには、必ずしもつながらないのだと。

普段から、「みんな違ってみんないい」ができていないと、いきなりタブレットを与えることで、他児がうらやましがって、人間関係が悪化するということもあるようです。

「土台」ができていなくて、いきなり手段に行くことで、本人にとってかえって負担になるのであれば、「非合理的配慮」なのです。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。
  

  

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


どこまでが「合理的配慮」で、どこからが「非合理的配慮」か

「合理的配慮」とは、文部科学省HPによれば、


「合理的配慮」とは、「障害者が他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。

   障害者の権利に関する条約(H19署名、未批准)


「過度の負担」は、学校の先生にとっても、周りにとっても、そして本人にとっても、ということ。

今日、NPO法人エッジの方は、「学校の先生が、夜遅くまでその子のために教材準備をするのは過度の負担であって、合理的配慮ではない。たとえば、簡単にコピペで対応できたり、100円ショップで買える程度でなければいけない」とおっしゃっていました。

ただ、学校の先生は既に持ち帰り仕事が常態化し、心身を病んでいる先生も本当に多くなりました。(ワタシもですが)

今の状態だけでも十分「非合理的」なわけです。

「合理的」か「非合理的」かの判断は誰がどのような基準でするのでしょうか。

口では簡単に言えますが、第3者委員会を作れば足りる、というほど単純ではないでしょう。

「過度の負担」は「合理的配慮」ではないですよ、と宣言したこと自体は評価できますが。


以下には、合理的配慮の例が載っています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/attach/1297377.htm

また、「合理的配慮」の提供として考えられる事項としては、

(ア)教員、支援員等の確保
(イ)施設・設備の整備
(ウ)個別の教育支援計画や個別の指導計画に対応した柔軟な教育課程の編成や教材等の配慮

を挙げています。

ただ、特別支援教育を担当する前に、十分な研修を積んで現場に臨める体制を作ることは、先生方にとっても、本人にとっても、「合理的配慮」につながるのだろうと思います。

基礎知識や実技の研修を受けることで、現場ではもっと、先生も本人も楽にできるだろうに、と思えることが、少なからずあります。

つまり「合理的配慮」は、教員養成課程の仕組みに対しても求められている、と考えるべきではないでしょうか。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。
  

   

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


「他の教室ではどうしていますか?」は死語



この金魚さんは、私がことばの教室を担当した時には既にいて・・・。
聞くところによると、そのずっと前から生きていたらしく。
20年は超えているでしょう。
20年、ことばの教室に通ってくる親子の姿を見つめ続けてきた金魚さん。

めまぐるしく交代する、ことばの教室の担当の人事。
一番長く「担当」しているのは、皮肉にもこの金魚さんなのでした。

かつては「他の教室ではどのようにしていますか」が、決まり文句でした。
研修の場では。
しかしそれは、各教室に経験の長い先生が居た時の話。

経験年数がどこの教室でも短くなった今となっては、この質問自体が愚問でしかありません。


今回の自主研修会にしても、公的研修会にしても、発表レポート数が極端に減りました。
一方、経験の長い先生の話、となるとたくさんの方が参加されるようになってきました。
研修のニーズは急激に変わってきています。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。
  

 




にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


図画の評価

バウムテストH-T-P風景構成法そして図工で描いた行事の絵などなど。図画を見て、発達段階や心理的な状況をある程度評価できることがあります。凝った解釈になると、右側が未来を示すとか、木の根っこが長いとどうだとか、頭足人だとボディーイメージができていないとか・・・。確かにその通りかもしれませんし、ある程度統計学的な根拠もあるのでしょう。そして、もう一つの視点を私は最近特に大切にしています。絵の全体的な印象、雰囲気を感じ取る、ということ。視点を変えると、同じ絵でも、全く違ったものに見えてくることがあります。部分に注目しているとわからなかったのが、全体を見たときに、「ああ、このキャラクターは描いている子ども自身なんだ」と気づき、絵の印象が180度変わることがありました。その瞬間、その絵のタイトルの本当の意味、子どもの置かれている状況が、日常感じていることを如実に示している、と感じることがあるのです。私は絵の才能はないですし、人物画は基本ゲジゲジです。一応、ボディーイメージに困難を感じることはありませんが。だから、芸術関係はだめだめなのです。でもだから、余計に感じたのかもしれません。トータルな総合的見立てと、細部への丁寧な視点。科学的な客観的視点と、主観的に「観じる」視点。見立てが変われば、支援の方向性も変わります。図画だけでなく、両方を大切にしていきたいと改めて思いました。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。  

 

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


センスのよい支援者との出会い

有名ではなくても、下積みをコツコツされている支援者と出会うことがあります。
センス、基本的知識、トータルな判断、子どもへの接し方の温かさ・・・。

そういう支援者と出会うと、励まされ、学ばされる思いです。
そして、これが本物だと感じるのです。
まだまだ、捨てたものではないなあと。

経験年数が少なくても、謙虚に学ぼうとする支援者との出会いも、励みになります。

このブログコメントに投稿してくださる方からも感じます。

元々、私は学会にこっそり出かけて、アカデミックな知識を得て、現場の子どもたちに還元することを愛する人でした。

資格は取るためではなくて、勉強したかっただけで、その先に資格があっただけのこと。


今では、あちこちから講演依頼が来るようになりました。
そんな忙しい日々を送っていると、下積みの日々の楽しさ、時にはつらさを忘れてしまいそうです。

もう一度そんな時代に戻りたいけれども、周りがそれを許さない状況になっています。



にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。
  

 

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***




忍者ブログ [PR]

graphics by アンの小箱 * designed by Anne

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***