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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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学校教育にこそ、療育、保育の視点が必要である

今日お会いした先生とも話しましたが。
保育、幼稚園教育、療育では、その子の発達に合わせた支援という視点があるのに、どうして学校に上がった途端に。と思うわけです。

学校は学習指導要領によって、指導内容が決められています。
保育の目標よりも、はるかに具体的で、達成できる、できないが明確になりやすい。

確かに学習指導要領には、
***
(7) 障害のある児童などについては,特別支援学校等の助言又は援助を活用しつつ,例えば指導についての計画又は家庭や医療,福祉等の業務を行う関係機関と連携した支援のための計画を個別に作成することなどにより,個々の児童の障害の状態等に応じた指導内容や指導方法の工夫を計画的,組織的に行うこと。特に,特別支援学級又は通級による指導については,教師間の連携に努め,効果的な指導を行うこと。
***

と書いてあるので、障害のある児童に合わせた指導内容を組み立てられるわけですが、一方では、学力を身につけさせなければ、と子どもの実態以上に負荷をかけざるを得ないというプレッシャーもあるわけです。

どこまでが障害でどこからが。どこまでが無理で、どこから許されるのか、といったことも。
障害があるから、と安易にレッテルばりするわけにもいかないし。
「特に,特別支援学級又は通級による指導については,」と書いてしまっているので、通常学級での特別支援教育という色が薄まっているように思うのは私だけでしょうか。

通常学級の先生方の本音が、このあたりにあるように感じています。

下手をすると、通級や特別支援学級の場までもが、通常学級の学習の到達目標に達しなければと、子どもの実態以上に負担をかけている例もあるのでは。
前提がそもそも、おかしいなあと。

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反抗挑戦性障害、行為障害

学級崩壊で毎時間、空いている先生が援軍に回る。
毎日火災報知器が鳴り、そのたびに急行する。
放課後は何十本ものたばこの吸い殻を集めて回る・・・。

初任の頃の中学校でした。

今回の研修会では、そうした学校からの質問もあり。
ADHDは対応を誤ると、反抗挑性障害、行為障害に移行するという話の文脈の中で。
叱られ体験が多くなりやすい障害ですから。

既存の価値観や体制を壊したい衝動性にかられるようになるのは、私もよくわかります。
私もそうした時期がありましたから。

ただその心の背景には、膝小僧を抱えて震えている自分の姿があるのでした。
そして、年齢に不釣り合いな、甘えたいという欲求も。

幼子のように、本当は遊んでほしかったのです。
でも思春期に入って、人目があるからそれもできない葛藤です。

成績が悪くても、学校で一人でもわかってくれる人がいること。
そして、問題行動を「字義通り」に解釈するのでなく。

先輩は「反抗を反抗ととらえてはいけない。愛情欲求ととらえよ」
と教えてくれました。
先輩は、あれた学校、学級を建て直しました。


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自閉症は、心を閉ざす病気という意味ではありません

特別支援教育がスタートして5年・・・。
まだここかあと・・・。

でもそこからがスタートならば、それに合わせるのが支援者の務めですね。

今日は女性管理職の総会時講演ということでお邪魔してきましたが、皆さん、自閉症の意味はご存知だったようでほっとしました。

この頃あの子は自閉症になった、ということはありません。
自閉症は先天性の障害です。
学校の先生は、幼児期の情報を仕入れてください。その中に支援のヒントがたくさんあります。

という話を皆さん深く頷いてきいてくださいました。

特別支援教育と、どの子も同じ対応をしなければ、の二律背反をどうしたらいいのか、という主旨のご質問をいくつもいただきました。
両者は相反するものではないということを具体例を挙げてお答えしましたが・・・。

言うは易しですね。



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タブレットが学習障害児の未来を変える

NHKの再放送を見ました。

タブレットが教科書を音読してくれるし(しかも読んでいる場所も提示してくれる)、書字は活字になるし、文字の拡大表示もできるし、読めない漢字は手書き検索で出てくるし、板書を写し書きできなければ、タブレットのカメラで黒板を撮影して復習できるし・・・。

学習障害の診断には、発達検査が必須ですが、タブレットの場合、どのように活用したか、学級全員分の操作記録がリアルタイムで大学に送信、個々の活用の特徴を把握できる。

つまり、文字の拡大機能を多様した子の場合、文字の形態把握に困難がある可能性があるとか、音読機能を多様した子は、文字の読み(デコーディング)に難があるかもしれない、などその子の支援の方向性がわかってくる。

発達検査をしなくても、タブレットの使用の仕方で特性が把握でき、支援に結びつく、というある意味、RTI的な要素を感じました。

そして、もちろんタブレットの効用については私も認めますが、自宅ではタブレットのテレビ電話機能を使って、大学のスタッフと相談ができるなど、関わるスタッフの充実ということも、子どもの学習意欲に関係しているのではないか、と感じました。
プロジェクトでやっている事業なので、充実した予算、スタッフ、機材の配置ができるわけで、お金と手間をかければ、それは学習意欲は向上するでしょう。

問題は、これだけのお金と手間を全ての学校にかけられるかというと、そうではない、という点。
ただタブレットというキカイを学校に導入すればそれでうまくいく、というものでもないでしょう。

そして、「その子だけタブレット使用」を拒否する先生を責めるべきではないということ。
以前にも書きましたが、学校だけでなく地域全体が、特別支援教育の理念を理解していないと、どんなによいことであっても、副作用を生じる可能性があるということ。
その意味では、特別支援学級や通級による指導でまず導入してみるというのは、理解されやすいかもしれないですね。

また、子どもの人数分の機械が導入できるなら、使うかどうかは子どもが個々に選択するというやり方も入りやすいでしょう。

番組でも言っていましたが、学力とか知能とは何かということを根本から問い直し、議論する段階なのだと思いました。

そのうち、知能検査に、IT機器の活用能力を測る下位検査が登場するかもしれないですね。
知能検査自体の意義も、RTIとともに、さらに問い直されていくかもしれません。

ただ、タブレットの操作情報の統計だけを見て判断するのは危険性も感じました。
子どもが自分の苦手なところを自分で把握して、それに合わせた操作ができているとは限らないことと、やはり直の目で行動観察することが一番大事だということ。

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そんなことぐらいで、なんて言ってはいけない



子どもにとっては重大なこと。
大人にとって、他人にとっては重大ではないかもしれないけれど、本人が重大だと感じているということ自体は事実です。

そんなこと、大人になったらいくらでもある、という人自体、それだけのものを積んできたから言えるというだけの話であって。



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通級の法律面、制度面を学ぶことは、子ども理解にもつながる

今日は、「特別支援教育の動向」というお題を頂いていたので、通級の制度面、法律面、DSMや国の最新の調査情報等と絡めてお話させて頂きました。

制度面を学ぶということは、単に法令を学ぶというだけでなく、子どもやその周辺をどう理解したらいいのかということにもつながります。

そうした観点からの質問もたくさん出て有意義でした。

また、制度面の知識がないと、教室も運営できませんし、不理解なアプローチに対する反駁もできません。

各教室の代表者が集まる場でお話できたので、教室運営に、子ども理解に役立ったのではないかと。


理事会のメンバーだけで聞くのはもったいないとの感想も頂きました。


新しい先生への研修支援は、こうした内容も含め、系統的な研修プログラムを策定して、進めなければなりません。

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【教材】ペパクラビューワー


ペパクラビューワー

http://www.tamasoft.co.jp/pepakura/download/viewer.html

無料で幾何学的な立体を作れます。

既存のものはだいぶ古くなったので、作り直しました。



ちなみに、材料は、フラットファイルのおふる。
インクジェットプリンタで、展開図を印刷。

無意味音節(非語)の練習で、練習音+立体で出たひらがなを言う。
また、その逆に、立体文字+練習音、などに使用。

数字の方は、20面体なので20まであります。
すごろくを早く終わらせたいときに? とか、数字のお勉強など、様々な使い方。
5までの数字しか認識できないお子さんには、6まで書かれたさいころ(普通ですね)、4までしか認識できない子には、5までのさいころをつくってやり、すごろくをすると、継次処理優位の子にはいいかもです。

汎用性、高いです。


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学年に合わせるのでなく、その子に合わせる

「○年生だから、この勉強をしなければいけない」
この考え方自体が、他国から見ればどうなのか、自分の育ってきた習慣、環境、教育を一度リセットしてとらえ直すこと。

これは、学校だけではやるのは難しいし、地域を巻き込んでいかなければならない。

学年(生活年齢)に合わせるのでなく、発達年齢に合わせるということが、どうしてそんなに受け入れられないのかなあと。

特別支援学校や、特別支援学級、通級などの特別支援の場では、そうしたことが容易な環境のはずですが、そうした場でさえ、従来の価値観を克服できていなかったりします。

通常学級では個別の支援を手厚くするのは難しいですが、その子オリジナルの達成目標の設定はできるでしょう。もちろん、集団行動よりも個別指導が望ましいお子さんもいますから、通常学級で全てできるというわけではありませんが。

ただ、生活年齢に合わせるというのは、逆差別じゃないかなあと。

その子にとってのやりがい、その視点を見落としてはいけないだろうと。

ギフテッドのお子さんには、飛び級があってもいいし。

私が同年齢の人を見ても、一人として同じ人はいないのです。
それは、誰もが感じていることだと思うのですが。

同年齢の子が一つの同じ狭い部屋に閉じ込められているというスタイル自体が、世の中に出たらほとんどないはずです。
成人式ぐらいですよね。

年齢で何でも線を引くのは、やめてほしいなあ。

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オノマトペをバンバン使う

昨日、NHKクローズアップ現代では、オノマトペを取り上げました。
陸上競技の指導にも、「ザクザク走れ(だったかな)」というように取り入れたことで、効果が上がったという事例が紹介されました。
「ザクザク」を論理的に説明すると、脚の角度を何度にして、というように、長い文になってしまうが、オノマトペを使うことで、一言で、かつ直感的に説明できるとのこと。しかもそのオノマトペは、脚の動かし方などの科学的な分析がまず頭の中にあって、それをオノマトペに翻訳しているので、より効果的なのだとのこと。
考えてみればことばの教室でも、オノマトペを使った指導をしています。
舌を脱力させる指導では、「ホットケーキのようなふわっとした舌」と表現します。
語頭で詰まる吃音のある子への、流ちょう性促進技法では、「出だしをそっと」などと、言ったりします。(こうした直接的指導は、本人と信頼関係ができていて、直接指導を本人も望んでいる場合などに限られますが)

「力を抜いて」だと、どう抜いていいのかわからない子も多いので、直感に訴えるオノマトペは使えます。余計に混乱する子もいるので、ケースバイケースですが。

もっと使える場面はないか、私もオノマトペの語彙?を増やし、指導の効果を高められるのではと、ワクワクしてきました。
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芽が出たばかりなのに、台風にも耐えられなきゃだめだと言いますかね

一度芽を出したばかりの作物は、寒さで枯れてしまっています。
我が家の豆も、寒さで2本しか生き残っていません。

そうかと思えば、ここ数日は信じられない暑さです。
水をまくのを忘れていたので、生き残っていた作物もひからびていました・・・。

本葉4枚が出たころに畑に定植する種類もあります。
でも個体差があるから、定植時期をずらしているものもあります。

芽が出て、双葉が出たばかりの苗に、「台風に耐えられるように」とすぐ畑に移す人がいるでしょうか。
強いのは生き残るかもしれないけど、弱いのは枯れてしまう。

それでいいと言われるかもしれないけれど、もう少し苗が丈夫になってから定植すると、豊かな実りにつながるはずです。

個体差を無視して、今を大切にせずに、ずっと先のことばかりを心配して、小さいときから「鍛えて、みんなと同じようにする」というのは、その背景に差別、排除の論理はないですか、と。
「枯れたのは、自分のせいだ」と言っているのと同じだなあと。
その前に、周りが変わるべきことがあるのでは、と。

今を大切にできなくて、将来が大切にできるわけがない。
今は、未来のためにあるのではない。
今の積み重ねが、未来につながっている。

少しずつであったとしても、子どもの育ちを信じること。見ていくこと。
育つのは子ども自身であるということ。


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実際の指導を見たり、見せたりして学ぶOJT

百聞は一見に如かず。
理論学習や文字上のコミュニケーションだけでは足りません。

実際はどうなのか。
指導を互いに見せ合うことです。

実際的な研修になります。

理論学習
ケース会議
OJT


3つが揃って、初めて研修としての価値が生まれます。

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板書がきれいだなあ





「先生も、○○塾みたく、新しい先生に教えないと」
とある親御さんに言われました。
実情をご存じなのですね。 

その某塾のCM。
文字がきれいという意味でなく。
レイアウトがわかりやすい。
よくまとまっている。
余計なことばがない。
図式化がうまい。

内容が伴っているのはもちろんのこと。

CM用に何度も設計されたのだろうとは思いますが。

パワーポイントで作ると、たくさん書けるので、どうしても大量の文字量に。
比較して、話しながら板書すると、書く時間が限られるので、必然的に合理的な表現になりますね。

3つの講義の資料作成をしていますが、パワーポイントを全面的に見直したいです。
いつやるか?、あとにしよう。


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おもちゃを工作して遊ぶ

それだけで、手先の巧緻運動にもなるし、それで遊べば、コミュニケーションスキルの育成にもなります。持ち帰れば通級の報告にもなります。
というか、作って交流するという要素は、広く社会生活ともつながりますね。
 料理して食べるとか、文書を作って提案するとか。

 幼稚園教育でも、保育でも。実に総合的だなあと。

それが全てではないですが。

 数値化しにくい目標というのがあります。
 笑顔が何回増えたとか、数値化しようと思えばできるけど、数値は数値にすぎない、という視点をはずしてはいけない。


 今日はペットボトルがコロコロ回って走るおもちゃを作り、ルール作りから、ふり返りまでしました。
すぐできます。




元ネタはこちら。


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「指導の誤り」は研修を踏まえることで回避できる

1 複数の音を一度に指導(応用的に例外あり)
2 舌のトレーニングしすぎ、or 弁別しすぎ
3「構音発達遅滞」で構音指導重視しすぎ
4「ウ段」の指導で、口唇をとがらせすぎ
5「イ段」の指導で、口角を引きすぎ
6 単語の練習重視しすぎ
7 ステップが荒い 
8 自覚させるのが早すぎ
9 未定着なのに構音の宿題を課す
10 指導する音の順番
11 音読が非流ちょう性の子に文字を用いた音読練習
12 舌だしをせず側音化構音の指導
13 発語器官重視しすぎ or 軽視しすぎ
14 鑑別があまい。(歪み? 置き換え?)
15 全ての音を評価していない


だめだしのようになりましたが、これらは研修を踏まえることで回避できるはずの「指導の誤り」です。
構音の指導は学術的に完成しているものです。

新しい、オリジナルな考え方も結構でしょう。
しかし、新しいオリジナルな考え方を導入するのであれば、従来の研究をしっかりと学習し、説得力のある根拠を持ったものでなければなりません。
奇をてらった、指導者自身が自己顕示欲を満足させるためのものならば、子どもたちにとっての不幸でしかありません。

従来の研究は、「先輩方の失敗から学んだ知恵の蓄積」とも言えます。
子どもたちは限られた時間、期間に通うのですから、指導者には、過去の同じ誤りを繰り返さない責任があるのです。

いろいろと質問してくださる先生がたくさんいらっしゃいます。
自らの考え方に固執せず、学ぼうとする先生は短期間でとても伸びている、と感じています。

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教育=学力ではない

十年以上前の日本LD学会への参加時のメモがノートに書かれていました。


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呼称、復唱、音読で構音をみる

呼称→絵を見てその名前を言う
復唱→先生のまねをして言う。
音読→文字を読む

のそれぞれで、構音の様子を見ることもあるし、練習時にもそれぞれの様式(モダリティー)で行います。

たとえば、


文字の読みがたどたどしい子に、音読での構音練習はフィットしない
→構音練習は、前後の音との「わたり」を練習することになるので、一文字一文字の逐次読みでは、音のわたりにはならない。また、読むことに集中力をとられ、構音にまで意識がいかないので、ワーキングメモリに負荷がかかる。


復唱は良好でも、呼称で構音を誤る場合がある。
復唱では、提示された音自体に聴覚的刺激の効果がある一方、呼称では、単純に絵の名前を言うので、ついうっかり、いつもの習慣での構音が現れる。その場合には、復唱が良好であれば、呼称を中心に練習する。そして、「おいしい + ○のつく単語」のように、2語文にして練習したりする。

常に、モダリティーを意識して構音を評価、指導していくことの大切さを思います。

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公的講座「言語障害教育」に22名参加 3 「言語発達の評価と指導」

 「文字の学習はあとでいいなんて大間違いだ。文字がわからなければ、学習についていけない。学校は文字による学習がほとんどなのだから」
 という方がいます。
 確かにその通りかもしれません。
 しかし、たとえば3歳児に、ひらがなを一生懸命教えるのは妥当なのでしょうか?
 英才教育をやるならともかく、音韻分析機能が、4歳レベルに達していない子どもに、文字を読ませる指導、発音の指導を一生懸命やって、はたして成果があがるのでしょうか?
 子どもは成功体験や、学ぶ喜びを積みあげられるのでしょうか?
 「○年生なんだから、文字がわからないと困る。今まで何をしてきたのか」
なんて言われますが、そもそも特別支援教育は、その子の育ちに合わせるためにあるのでしょう。
 
 文字が読めないなら、絵で見せればいい。経験を積めばいい。心理検査で明らかになった得意な入り方を取り入れた指導を考えればいい。
 文字の学習の前に、音韻表象、言語概念、視知覚というレディネスは育っているのでしょうか?
 そうした個別の支援ができるのが、特別支援学級であり、通級指導教室であり、自立活動なわけです。

 そうした特別の場が、子どもの実態を無視しして、「学年相応」の勉強の場となるならば、本来の目的から逸脱していると言わなければなりません。
 
 一人一人、育ちのペースは違います。その違いに合わせるのが特別支援教育のはずです。
 子どもの実態を無視して、みんなに合わせる、みんなに追いつくように強いることが、子どもの学校生活を豊かにするのでしょうか?
 何年生だから、ここまでできるようにさせなければいけない、という発想自体が、「悪意のない差別」なのかなと。
 そうではなくて、「その子にとっての一歩だけ先」を提供するのが特別支援教育でしょう。

 今回の講座では、2本のケースレポートの検討を行いましたが、それぞれの力はだいたい何歳レベルなのかという見立てをするための資料を提供させていただきました。
 それは音韻分析能力であり、視知覚、視機能であり、言語概念の発達などについてでした。
 言語発達は、「音韻論」、「意味論」、「統語論」、「語用論」の4つの視点で見ること。その4つの視点の具体例を示させて頂きました。
 結果、詳細な説明は1時間半ではとてもたりず、「音韻論」だけで終わってしまいました。
 子ども言語発達の理解を取り上げるだけでも、何時間も必要です。

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公的講座「言語障害教育」に22名参加 2 「指導計画」の前に「子ども理解」を!

通級担当経験が36年という超大物の先生をお呼びすることができました。
私たちことばの教室担当の強みは、こうした横のつながりがあることなのです。

そして午前中は講義、午後から演習とケース会議、という組み合わせは、黄金の比率です。
感想アンケートをみてもそう思いました。
「知識を授けられる場」と、「話し合う場」をバランスよく配合することが、研修会を企画する側にとっての責任なのです。

さて、講師の先生からは、言語障害教育の概要についての講演をしていただきました。
事前の打ち合わせは全くなく、先生のお考えにお任せしていたのですが、新しい先生へ伝えなければならないことは、普遍的に同じなのでしょう。ズバリの内容をお話してくださったように思いました。
以下、私のメモです。

***

・指導プログラムを子どもに降ろすのではなく、子どもに合ったプログラムを組み手立てるのが言語障害教育。そのままでなくアレンジすること。
・サイエンスを学ぶのは、子どもを「治す」ためではなく、「指導の間違い」をしないため。
・「指導計画」を見直すことは多いが、「子ども理解」まで掘り下げて見直すことが大切
・「問題の仮説」ではなく、「子ども理解の仮説」
・「受容、共感」は通過点であって、指導目標ではない。方針である。

***

お話の内容は、教材紹介などの具体的なお話は一切なく、本当に概論でした。
 「明日の指導を教えて欲しい」というニーズに対して、妥協しやすい私は、ついつい教材紹介に手をつけてしまいます。
 しかしそれでは、子どもの実態を見ずに、紹介されたとおりに教材を使ってしまうことにつながります。
 子どもをどう見たらいいのか、という力は育たない。
 だから、うまくいかない。
 うまくいかないから、長く担当する気持ちになれないわけです。

 また、指導計画を見直すだけでは、本当に子どもにフィットした指導は作れません。
 子ども理解にまで落とし込んで見直すことが大切です。
 その指導計画自体が、子どもに合っているのか、子どもはどんな力をどのように持っているのか、周囲の環境との関係性は、生まれてから今までにどのようなおいたちを経てきたのか、の理解がなければ、「計画」は上滑りしてしまいます。
 そのためには、子どもをどのような視点で見たらいいのかという専門的知識、そして情報収集がなければなりません。
 「指導の間違い」が起こるのは、子どもをよく見ていないことと、専門的知識が不足しているからなのです。
 個別の指導計画を持ち寄る研修会をやっている団体がありますが、子ども理解をとばしているなら、研修としての意味に疑問を感じます。
 子どもの詳細がわからずして、どうして、「この目標、手立ては良い、悪い」の議論ができるのでしょうか。

 
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公的講座「言語障害教育」に22名参加 1 美しすぎる校舎、自然風景

水曜日は、「指導を見たい」と遠くからいらした先生方への講義と指導参観、カンファレンス。ついでに呼びかけたら、講義に16名も駆けつけて下さいました。

そして今日は、某校舎をお借りしての公的講座。
美しすぎる校舎、自然風景です。



青い海と、白い山。
これが学校からの眺めです。
信じられない美しさ。




ことばの教室の指導室からこんな風景が眺めるなんて。
私の指導室の窓からは、駐車場しか見えないのに。




こんな環境で学べる子ども達は、幸せだなあ。
先生方も仕事に張り合いが出るというものです。
遠くから来ていただいた講師の先生と一緒に、「わー」と感動の声をあげました。

研修の内容は次回。


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「ハウツー」の前に「ホワイ」を

今日も、某団体からの講演依頼を受けました。
通常学級に在籍する特別の支援を必要とする児童への「指導の仕方」を教えて欲しいとのことでした。
どのように切り込んでいくか、いきなり講演テーマの否定から入るのもインパクト があるかもしれません。  

数えられないほどの「支援方法」の文献の数々。  
特別支援教育は、すっかりそのイメージになっています。  
でも、子どもの行動の「わけ」を訪ねる(あえて「尋ねる」ではない)ことなしに、指導方法なんてありえません。  

どちらかというと、教職経験が長い先生方の集まりのようですので、「特別支援教育は特別なことではない。従来の生徒指導、教科指導における児童理解の延長です」が胸に落ちることを期待します。  

「一日5分でできる発音指導の仕方を教えて下さい」
「IQ85の子にすべき指導を教えて下さい」
「落ち着きのない子への指導方法を教えて下さい」  
・・・

私はお尋ねしました。
「発音はどの音が、どんなときに、どの程度、どのようになっているのですか?」
「IQ85は、どんな検査で、検査中の様子はどうでしたか?」
「いつどんなときにどのように落ち着きがないのですか?」  

解答は、「なぜ」の中にあります。
「なぜ」の中に「ハウツー」はあります。


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周りの全ての事象は、自分の心の写し絵

あなたの周りを変えようとしてもほとんど意味がありません。
まず最初に、自己の信念を変えなさい。
そうすれば、あなたの周りのあらゆることがそれに応じて変わります。

 
                     ブライアン・アダムス





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「アスペルガー障害」が消えてなくなる


「言語発達遅滞の理解と指導」という題で、公的講座でのお話の準備中です。
1時間30分のうち、1時間を説明にあて、残り30分を質疑応答に、と構想中です。

言語発達遅滞をどのように評価するか、という話だけでも、いくつもの知能モデルや、生育歴などの子どもの発達の見方についての知識が必要なわけですから、1時間と言っても、本当にダイジェストなお話になります。

新しい先生向けの参考文献では、国立特別支援教育総合研究所発行の『言語障害教育における指導の内容・方法・評価に関する研究』(H22)が筆頭でしょう。

その他、手堅いところでは『言語聴覚療法シリーズ 言語発達障害1,2,3』(建帛社)あたりでしょうか。

『特別支援教育の理論と実践』金剛出版
も、「聞く」「話す」のつまづきや、発達についてよくまとめられています。

いずれにせよ、言語発達遅滞を論じる上で触れなくてはならないのは、今報道もされている「アスペルガー障害」「自閉症スペクトラム障害」でしょう。この説明だけでも、新しく担当した先生にわかりやすくするには、最低、30分~1時間は欲しいところですが、割愛して触れていく予定です。

ところで、「アスペルガー障害」と診断された多くの方が、新しい「自閉症スペクトラム障害=ASD」では基準を満たさないとの報道があるようです。
ただ、もともと、アスペルガー障害をも包摂する概念が「ASD」だったのではないかと思うのですが。
このあたり、デリケートな問題ではあります。
診断の運用のあり方が本人、周囲にとってプラスになるようにと期待します。

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(以下CMは、記事と無関係です)


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すばらしい事例発表

先日の研修会では、担当2年目の先生の事例発表がすばらしかったです。

1 子どもの実態、反応を見ながら、指導方法を柔軟に立て直している。
2 構音指導では視覚的な支援を多用し、「音の渡り」が子どもにもわかりやすい。
3 構音や口腔機能についての基礎知識がしっかりしている。
4 生育歴情報等の情報収集がしっかりしている。(ただし、学級担任からの情報収集や検査結果の解釈には課題がありました。でもこれは、経験の長い先生にも課題とするところであり、本当はそこにターゲットを当てた研修システムの確立が、支援者のニーズなわけですが)

とても2年目とは思えない質の高い発表でした。
明らかに、1年間の教室内での研修の積み上げがあると感じました。
この教室では、比較的安定した人事を背景とし、経験の長い先生を中心に、学術的根拠に基づく質の高い研修に熱心に取り組んでいました。
だから、新しい先生は、子どもの構音の着実な進歩を経験できるわけです。

機能性構音障害は、きちんとしたアセスメントと基礎知識、子どもを見るセンスがあれば、確実に改善するものです。
卒業まで改善しないままだとすれば、指導に問題があるのです。
記録の取り方だとか、お手紙の書き方などという枝葉末節なところにこだわるのでなく、子どもの利益を最優先に考えた研修内容を組み立てて欲しいものです。


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新しい先生への支援体制の「法案」可決成立

当地方の言語の研究協議団体の総会、研修会がありました。

総会では、道言協(北海道言語障害児教育研究協議会)の「言難ABC」(新しい先生向けの研修会)への参加旅費の補助を向こう5年間措置する会計予算案、および、地域の経験の長い先生の指導を参観したり、話を聞きに行くための旅費を向こう5年間補助する会計予算案が原案通り可決しました。
また、これまでこのブログでも何度も取り上げた「自主研修会」を会の正式な動きとするための会則改正案も可決しました。

これにより、新しい先生の研修支援のための「予算の矢」、「場の矢」の2本が放たれたことになります。
最後の一本の「矢」を放つのは、ハードルが高いのですが、何とか合計「3本の矢」として実現したいところです。

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院内学級の補欠授業

私の所属する学校には、「院内学級」があります。
近くの総合病院に出向いていって、院内に設置されている学級で、入院中の児童と出会います。
久しぶりに補欠授業を頼まれて、もう一人の先生と行ってきました。

通常学級での教科指導の経験豊富な先生の1対1の授業は、子どもの学習能力のアセスメント、推理がすばらしく、どこでつまずいたかを超スピード、超正確に判断、直ちに手立てが出てきて、私は足下にも及ばない気持ちでした。

餅は餅屋です。
通級担当の立ち位置は、やはり勉強でなく、自立活動だなあと感じた瞬間でした。

ところで、院内学級の補欠授業と言えば、様々な思い出があります。

10年を振り返ると、歩行困難なお子さんがとても多かったです。
あれだけ関わりが難しく、手を焼いたのに、病気が治り、院内を自分の脚で歩けるようになって、それまで見たことがないような満面の笑顔、生きる喜びの表情を見せ、とても素敵な関わりを最後に退級したお子さんもいました。

看護師さんや看護実習生さんも同室して、楽しくゲームをしたこともありました。

長い入院生活になるほど、お子さんの心理的な負担は強まり、行動にも出てしまうのです。
退級時の満面の笑顔を見たとき、入院中にいかに心を励まし、信じ続けるかが大事かを思い知らされました。

院内学級って、こんなに素敵で、やりがいのある仕事なんだなあと。

テレビ番組でもやっていたようですが、現実もドラマチックなのです。

機会があれば、ずっとやってみたいとも思いました。

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