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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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「通級による指導」における個別の指導計画


「個別の指導計画」は、指導目標と手立て、評価から構成されます。
子どものアセスメント情報を含むものは、本来、「個別の指導計画」とは言いません。
「個別の教育支援計画」と言います。
当教室では今年度から、通級による指導における「個別の指導計画」を策定しています。「通級終了時点」の目標である「支援目標」、年度ごとの目標の「年度目標」、そして学期毎の「短期目標」の3つの目標を設定。
手立てや留意点も加えました。


各担当が案として作成した「個別の指導計画」をみんなで検討しました。


教材や手立ては、二の次です。
「目標」が、その子の主訴や困り感、実態に合ったものかどうかが、もっとも大事です。合っているかどうかの判断のために、生育歴を深く掘り下げたり、検査結果の解釈をしなおしたりしました。
学級担任からの情報収集も整理しました。
発達についての知識も動員しなければなりません。
アセスメント情報が不足していたために、目標設定を保留にした事例もありました。


 
「指導計画」の検討は、実際には「子ども理解」の検討でした。


教材は何でもいいのです。
それがどんな指導目標のために使われるか、それが問題だからです。

目標設定のためには、情報収集から問題の仮説の設定という、子ども理解の一連の過程を経なければならない、ということがメンバー同士で共有できたのではないかと思います。
それが共有されたこと自体が、計画の完成度以上に大事なことだったと感じました。

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ADHD? プログラミングのエラー? 見極めを

 「衝動的に行動する」という見立てで一致していても、子どもによってその背景が異なることがあります。
 
 
 

 脳障害のひとつにこんな現象があります。
 つまり、左手では靴下を脱ごうとし、右手では靴下を履こうとする。
 ふざけているわけではなく、意思から手の動きに至るどこかのプロセスに障害があるわけです。
 

 トランプで神経衰弱をするとき、
 1)2枚ずつしかめくれないのに、3枚目をめくってしまう。
 2)一枚めくってすぐ戻し、あと2枚めくろうとする。


などの状態が見られたとき、それが単に「衝動性」とか「ずる」というのではなく、そもそも、意思から行動をプログラミングし、実行する過程に困難があるのかもしれません。


 子どものいつもの様子と重ね合わせて、それを見分けることが重要です。
 もちろん重複する場合もありますし、ADHDの機序の仮説も様々ありますが。
 
 行動の背景の違いによって、アプローチは変わってきます。

 
 いずれにせよ、子どもの悪気がなくても、そうやってしまう。
 「まちがえちゃったね。大丈夫だよ」
 と言ってあげたいです。
 
 
 そして、間違えたなら、それを責めるのでなく、事後対応をほめること。


 

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臨床研修会(自主研修会)実施要領

通級担当の研修の王道は「ケース会議」と「OJT」です。
講座でいくらがんばってお話ししても、実際の指導に結びつきにくいです。
実際に担当しているお子さんについて、多様な視点、専門的な視点で検討し合うことにより、子どもの見立て方を深めることにつながります。
また、「実際の指導の様子を見たい」などのニーズもあります。
実務の中で研修するOJTの要素もからめて、ケース会議後に、ケースに関連した実技研修もイメージしています。

新しい先生への支援も、主要なテーマです。
教員の「個性」も大事ですが、まずは基礎基本をしっかり学んで、その上での「個性」でなければ、それは単なる「我流」、「思い込み」にすぎません。
その意味で、熱心に勉強する新しい先生の実践は、何十年も教職を経験している先生の実践よりも、優れている、と感じることが少なくありません。

毎年、熱心に学ぼうとする先生がたくさんおられることをうれしく思います。

***

平成26 年度 夏季 臨床研修会(自主研修会)開催要項

1 目的
(1)ことばの教室、通級指導教室の新しい担当者を含め、研究協議などを行うことで、地域の言語障害教育、通級指導の教育の質の向上を図る。
(2)通級担当以外の関心のある方とも交流を深め、特別支援教育における地域の連携に寄与する。


2 主催 ○○言語障害児教育研究協議会


3 期日 平成26 年7 月25 日(金)~8 月18 日(月)の期間のいずれかの日(希望をとって決定)
(各長期休業中とも、最大2 回まで)


4 日程
8:00~9:00   個人相談・施設見学、文献閲覧など
9:00~10:00  ケース会議・講座など
12:00~13:00 昼食・休憩
13:00~16:00 ケース会議・講座など
16:00~17:00 個人相談・施設見学、文献閲覧など


5 会場   
1)○○小学校
2)5 名以上の希望のある場所(○○管内。ただし、1 名以上は会員であること)


6 内容
1)ケース検討(各自持ち寄ったレポートを元にケース検討)
2)希望により講座、個人相談


7 講師・助言者 ya(○○小学校ことばの教室)


8 会費 ○○言協会員 無料、 非会員 300円


9 用意するもの
○A4サイズの簡単なケースレポート1枚×人数分(発表は任意。無でも可)
※レポートは別紙様式を参考にし、保護者の同意を得る。


○飲食物(各自ご用意ください。参加者で希望により外食もあり)


10 申し込み方法 別紙に記入し、7月2日(水)までFAX、またはメール送信する。


11 その他
(1)職員派遣依頼の公文書は、日程の決定後に改めて会長名で送付する。
(事務局の決済を経て、呼びかけ人が発送事務を行う)
(2)本事業収入は、○○言協会計の収入とする。
(3)吹雪や事故等で開催が中止になった場合は、呼びかけ人から教室代表へ連絡する。教室代表は、各教室職員に連絡して頂く。
(4)本事業は、○○言協会則第9 条、および臨床研修会細則に基づく。また「新しい先生のための旅費措置事業」対象事業に該当する。

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「育てる」なのか「育ち」なのか




議論になったことがあります。
「育ち」がテーマなら、指導者は必要ないのではないか。
子どもが自分で育っていくなら、「育てる」行為は必要ないのではないかと。

でも、「育ち」を「支える」のが通級担当の役目ではないかと思うのです。

「教え込む」ことも、時には必要な場合もあるかもしれませんが、
週の限られた通級の中で「定着」をめざすのは、子どもにとっても、大人にとっても窮屈です。

「子どもが育つ」のを下支えする、後押しする、共に歩む、というイメージが近いと思うのです。

「教師」ということばはありますが、「育師」ということばはありません。

でも、通級担当は「育師」の方が近いと思うのです。

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指導参観に、共同研修に

特に何もしていないのですが、関係者とのつながりができてきています。
数年後のイメージをしていたものが、相手先も同様のイメージを描いていたようで、すぐに実現の運びです。
話すほど、新しいアイデアも浮かんできます。

子どもを中心に、関係者ができることをしてこうという気概を感じる、素敵なまちです。

このまちに本物を作っていきたい、そう願っています。


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新刊の研修文献 『きこえとことば研修テキスト』全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会,2014ほか

『言語聴覚療法臨床マニュアル 改訂第3版』協同医書出版,2014


http://www.kyodo-isho.co.jp/cgi-local/search.cgi?id=book&isbn=978-4-7639-3049-1


→カラー刷りになったからというだけでなく、内容も第2版よりわかりやすくなった印象です。
高い本ですが、「安い、わかりやすい本」よりも正確で、信頼性が高いです。


『エッセンシャルズWISC-Ⅳによる心理アセスメント』カウフマン他著、上野一彦監訳、2014、日本文化科学社
http://www.nichibun.co.jp/book/detail/?id=77

→WISC-4の専門書の第2弾。『WISC-Ⅳの臨床的利用と解釈』に比べて読みやすいです。
解釈の仕方について、2冊とも読んで、その違いを比較することが有益と思います。
検査の仕方や解釈の誤りやすい例が列挙されていて、実践的な内容です。




2冊とも読み応えがありますが、ぜひ教室に一冊ずつおいて、長期休業中でもじっくり読みたいところです。


『きこえとことば研修テキスト』全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会,2014
http://www.nangen.jp/sub4.htm

ことばの教室の経験の浅い先生のために作成されたテキスト第2弾。
会員でない教室にも、名簿があれば全て送るという良心的な取り組み。

今後は、全難言協の「はじめのいっぽ」でも、このテキストをベースにするようです。
北海道でも、新しい先生のための「言難ABC」を開講していますが、この文献にも目を通しておくといいでしょう。




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ADHDの正しい理解のために



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組織の解体的出直し

子どもを守るために、あえて波風立たない方向に舵を切ることもありました。
時が解決してくれるだろうと。
自分の担当の子だけは守ろうと。

そうしているうちに、それが内外に認められ、結果として良い方向に行くのでした。

でも、解体的出直しが必要な時もありました。
その時は強い痛みを伴いますが、必要なことだったのだと思います。

17年もやっていると、色々ありました。

でも、不正はやっぱり許されない。
ヒトは弱いから、印象で判断してしまう。
そのことを繰り返し味わってきました。

だからこそ、失敗は失敗と素直に認める自分でありたい。
結果やデータは誇張したり、ゆがめず、まっすぐに認める自分でありたい。
「いいことは自分の手柄、悪いことは他人のせい」の不安から自由な自分でありたい。

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ことば狩り 「障害」「障碍」「しょうがい?」

「障害」を「障碍」に書き換えるべきだという主張がありましたが・・・。

「害」の文字を使用していることに対して、「人権侵害」だと主張する向きがある(あった)ようですが。

平安時代頃に『障碍』と書いて「しょうげ」と書き、「悪魔が邪魔をする」という意味が辞書に載っているそうです。
それでも使うのですか?

「障害」はだめだから「しょうがい」にしましょうだとか。
もう、意味がわかりませんね。
生涯?


それなのに、「通常学級」ということばは使わず、「普通学級」と言っている。
特別支援学校内だって、「普通学級」と言っているのですがね。

「普通学級」の反対は「特別支援学級」という発想自体が、実は差別的ではないのかな?
インクルーシブの理念は、「障害のある人と、ない人とが共同で」ではない。
始めに、障害のある人、ない人、と人を区分けする時点で、差別は始まっている。
そこに気づけないのかなあと。
インクルーシブ教育と、インテグレーション教育は全く別物です。
全ての子を「普通学級」に放り出すことが、その子にとって理想的な教育なのでしょうか?
それぞれの子が、能力を最大限に発揮できる教育環境を用意することこそ、人権擁護なのでは?


「カウンセリング」は、兵士の心を癒すために始まったのだから、軍国主義だ。
だから、学校に持ち込むのは反対だ・・・。
「カウンセリング」を受けた人は、軍国主義者になるとでも言うのでしょうか。


ことばとは少し違いますが、ある方によると、「背広」は元は軍服。
ネクタイも、兵役に出る男の妻が、「形見」として下着をちぎって首に巻かせたのが始まりらしい。

腕時計も、発祥は第一次世界大戦時。
銃器を持ちながら時間を見るのに、懐中時計をいちいち出すよりも、腕時計にした方が見やすい。
だから、時計の文字盤は、腕の内側から見えるようにするのが、本当らしい。

こう挙げていくと、ことばも、物も、歴史の洗礼を受けているわけです。
ことば狩りによって、特別支援教育に必要な本質がそらされてはいけないなあと。

「平成」は使わず、西暦を使いましょうだとか。
男女にかかわらず「さん」付けで呼びましょうというのも、私には同列に見えます。
本人と先生との関係性、実態の中で、敬称は選択されるものではないかなあと。
一律にこうすべきだ、という運動論の方がおかしい。
「奥さん」もだめで、「妻さん」にしましょうだとか。
語源をたどれば、言わんとすることはわかりますが、よろしくない意味の含まないことばなど、存在するのでしょうか?


ただ、今回のDSM-5で、「障害」を「症」に換えたのは、学術的必然性はあるのだろうと思います。根拠に一定の説得性があることから、世の中への影響も一定程度あるだろうと。
ただ、「知的障害」は「障害」のままなのはなぜだろうなど、疑問もないわけではないですが。


まあ、いろいろな考え方があってもいいのでしょうが、自分の主義主張が、どんな根拠に基づいているのか、自分で調べて、自分の頭で考えるということが大事だろうと。


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言語障害→言語症?

Communication Disorders コミュニケーション症群/コミュニケーション障害群

Language Disorder 言語症/言語障害
Speech Sound Disorder 語音症/語音障害
Childhood‒Onset Fluency Disorder(Stuttering) 小児期発症流暢症/小児期発症流暢障害(吃音)
Social(Pragmatic)Communication Disorder 社会的(語用論的)コミュニケーション症/社会的(語用論的)コミュニケーション障害
Unspecified Communication Disorder 特定不能のコミュニケーション症/特定不能のコミュニケーション障害

日本の学校教育での「言語障害」と、Language Disorderは、同じではないでしょうけれども、この流れで行けば、教育用語も変わっていくのでしょうか?

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日本精神神経学会 DSM-5病名・用語翻訳ガイドライン

日本精神神経学会は、28日、「DSM-5病名・用語翻訳ガイドライン」を発表しました。
https://www.jspn.or.jp/index.shtml
それによると、


Autism Spectrum Disorder 自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害
Attention—Deficit/Hyperactivity Disorder 注意欠如・多動症/注意欠如・多動性障害
Specific Learning Disorder 限局性学習症/限局性学習障害


スラッシュをつけて、従来の表記を並べるようです。
語の与える印象によって、今後どのような影響を世の中に与えるか注目したいと思います。

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お母さんが構ってあげなかったから、こどもが○○になった

久しぶりにこのことばをききました。

たたかいが必要なようです。
もう戦場も決まりました。

いったい、何世代前の話なのでしょう。

念のため、たたかいとは、口げんかのことではありません。
人に対してでなく、構造への対峙です。
既にいろいろな構造的実態が見えてきました。
親を責めるのが支援ではないはず。




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子どもの行動には必ず意味がある

通常学級では「問題行動」に見えることでも、通級担当が見ると、その行動には意味がある、と感じることがあります。

もっとも、通常学級では集団の妨げになる行動については指導しなければならないし、放置するわけにはいかないという学級担任の立場は尊重しなければなりません。
また、指導しなければならないでしょう。

ただ、指導するにあたって、子どもの行動の背景、理由がわかっている場合と、そうでない場合とでは、対応の仕方が変わるかもしれません。

子どもの行動の背景、理由を解釈し、お伝えすることも、通級担当の大事な仕事だと感じます。
そのためには、通級担当自身が、子どもの行動観察、アセスメント能力を持っていなければなりません。

単なるサボりだとか、姿勢保持が悪いとか、多動だとか、指示を聞かないとか・・・。
実は、指示の語用論的な意味が通じていないだけだったりします。
実は、友達同士の遊びの一場面を切り取っての行動であり、他人にとっては悪意でも、本人にとっては、善意の行動だったりするかもしれません。

担任を責めるのでなく、本人を責めるのでもなく、親も責めるのでなく、そうならざるを得なかった経緯、経過を理解し、うまく折り合って対応することの大切さを思います。


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「とりあえず明日の指導をどうすればいいか」がわからないのは、ベテランも同じ

新任地に来て、思うことです。
子どもにとっても、私にとっても、出会いは初めてです。

指導記録やアセスメント情報があっても、実際に子どもに会ってみなければわからないことも多いです。
アセスメント情報に記載されていない情報も、出会いによってわかってきます。

初めのうちは、何をやっていいのか全くわかりません。

それは経験の短い先生だけでなく、長い先生も同じです。

だから、安易に「明日の指導はこうやったらいいですよ」と教えるのは、その先生の、子どもを見る力を奪うことになります。

「悩んで下さい。苦しんで下さい。子どもの反応をよく見て下さい。保護者や担任、病院の話をよくうかがってください。そして情報をトータルして、その子にどんな支援を必要とするかを検討してください。」

明日の指導を教えるのではなく、子どもの見立て方を伝える。

これが本当ではないでしょうか。

実際私も、今そのような状態にあります。

何度か会ううちに、法則性が見えてきます。
指導の手がかりが見えてきます。

病院にリハビリを見に行ったり、保護者や担任の先生と懇談を重ねたりして、状態像が見えてきます。

「とりあえず明日の指導」を求めたくなるのは、カリキュラム(教える内容)が予め決まっている通常学級のやり方をひきずっているからでしょう。

通級指導は、カリキュラムからスタートするのではなく、子どもからスタートします。
この「コペルニクス的転回」を実現するためにも、「悩む期間」が必要なのです。


新しい先生のための公的な研修講座を5月に開いてもらっているのは、何度か子どもに出会ってから研修した方が効果が高い、という経験則に基づいています。


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言語発達遅滞3




 前回の事例では、言語発達遅滞の根拠となる情報はありません。
 文字は読めないけれど聞かせてあげればよくわかる、会話や検査等からも、むしろ言語能力は高い可能性があります。言語能力への依存が高い田中ビネーでも高い数値を得ています。
 よって、純粋に文字の読み書きだけが遅れているわけで、LD(学習障害)の疑いがあります。ただし、
 
 聴力や視力の問題もないので、脳機能の問題が疑われます。
 ただし、7歳という年齢では、慎重な判断が求められます。
 低学年においては、読み書きの遅れが1年分以上認められる場合、LDの判断が視野です。
 読んで聞かせてあげるなどの対応が、補償としてはヒットした指導と言えるでしょう。
 あとは、読めない書けない原因(機序)を明らかにして、個別では、長所を活用して読み書きに結びつけることでしょう。

***

 さて、今回も知的に遅れはないが、行動面が心配なお子さんです。
 おそらく、読者の多くは、ADHD(注意欠陥多動性障害)を想像されたと思いますが。
 そう判断するには、足りない情報があります。


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言語発達遅滞2



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前回のクイズ1は、「言語発達遅滞」というよりは、情緒障害(場面緘黙)です。
家庭の会話の様子が詳細に述べられていること、学力が高いことなどから、言語発達遅滞と判断する根拠が、この時点では発見できません。
むしろ、情緒に課題があることがわかります。

こうした子に、「話せないから」と言って、文法の学習をしたり、「語彙を増やす指導」をしても、時間の無駄です。
ましてや、「家では話せるのだから、学校でも話せるように練習しよう」などと、発話や音読を強制するのは有害ですらあります。

時間が無駄かどうか、有害かどうかは、子どもについての様々な情報収集の結果、初めて判断できることです。

「どうやって指導したらいいですか?」
の答えは、その子自身の実態の中にあるのです。

***

さて、クイズ2です。この子は「言語発達遅滞」と判断できるでしょうか。

障害の判断は、子どもにラベリングするためではなく、「支援のおおまかな方向性」を検討するために行うものです。

その判断を誤ると、その後の支援も誤ることになります。


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言語発達遅滞



 
子ども理解のためには、3つの要素が必要です。
以下は、3つの要素を含んだアセスメント情報です。
本当はもっと細かく情報収集するのですが、演習ということで、この限られた情報で、通級が対象とする障害腫にあたるかどうか検討してみてください。
  

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「ことばの専門家」というだけでなく、「その子」の専門家に

新しくことばの教室を担当した先生向けの研修会でした。

今年のテーマは、講師が「子ども理解」ということを打ち合わせ段階から何度も強調されていました。
そこで研修テーマも、
『「ことばの専門家」というだけでなく、「その子」の専門家に』
にしました。
講師の先生も、このフレーズを気に入ってくださり、講義内容にぴったり一致したとお互いに確認できました。

講師の地域のことばの教室の研究では、
「子ども理解の仮説」という用語を用いているそうです。
普段私が言っていることと、全く同じでした。

道言協は
「問題の仮説」
と言ってきました。

今その語句も見直し作業に入っていますが。
究極のところ、両者は同じ意味なのでしょう。

子どもにとって、周りにとって何が問題なのか。
長所も含めて、子どもをどう理解するか。

それがあって、初めて「指導方法」が検討されます。

問題の仮説を検討すること自体、実は指導の仮説を裏では立てているわけです。

よく誤解されますが、
「とりあえず何か教材を準備する」ということと、
「子ども理解に基づく指導」とは、
対置する考え方ではありません。

「とりあえず何か教材を用意」したとしても、
その教材用いて関わった子どもの反応を行動観察するわけです。

つまり子ども理解しようとしているわけです。

特別支援教育士のテキストにもあるように、
アセスメントには、
・支援を始める前のアセスメント
・支援をしながらのアセスメント
この2つが存在しています。

この2つを単純化して、二項対立であるかのように論じる向きがあります。
果ては、「子ども理解が大切である」ということへのアンチテーゼとして、
「文字が書けない子がいます。さあどうしたいいですか」
と投げかける研修会まで登場。

私は問いかけたい。
「あなたは何を大事にしようとしているのですか」
と。

「子ども理解」が大切であることは、通級であろうが、特別支援学級であろうが、通常学級であろうが、そして、少年団であろうか! どこでも共通して大切なことなのだ、
という講師の経験に裏付けされたお話は、説得力がありました。

講師の先生、ありがとうございました。



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「楽しさ、安心感があってこそ、能力は伸びる」

用意した教材を全てリセットして、遊びに徹することに。

毎年1000人ずつ減っていくまち。
いろいろなところに無理がかかっています。

まわって、まわって、子ども達が一番影響をうけるわけです。

文法とか、表現力の前に、楽しい、生きていて良かった、私は愛されている、を取り戻す。

そして週1回の指導で本当に足りているのか、より適切な支援は何かを真剣に検討しなければ。


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「学習面だけが遅れているんです」

よく聞くフレーズですが、実際には、そんな例はまれです。
「言語発達の遅れ」は、なかなか発見されにくい、気づかれにくいです。
「普通に会話できるから問題ない」と思われがちなのですね。

「勉強の遅れ」の背景に、言語発達の遅れがあることが多いです。

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「心」は見えないが、「心の育ち」は見える

研究主題に「心」という語句を入れることについて、「広すぎる」「どうやって評価するのか」という疑問の声が出ています。

正直、私も広すぎるとは思いました。
しかし、「心」とは何か塊のようなものではない。
また「行動」と対置させるような「別物」でもない。

全ての感覚のインプットが全くない状態での「心」はありえないし、外界との関わり、そして関わりの中でのアウトプットがある、それらすべてが「心」であるのだと思うのです。

「学校が恐怖の対象でしかなかったのに、卒業時には満面の笑み、自信をもって、卒業証書を受け取れた」

「心」は見えなくても、「心の育ち」は見えるのでした。

そして、絵カードを見せて、「フライパンもわからないの、この子」ではなく、「フライパンを使っての家庭での体験をコーディネートする」
「お母さん(お父さん)が用意したフライパンで、目玉焼きを作った。熱いのが怖かったけど、できたらおいしかった」
「フライパン」は、こうした生活文脈の中で意味を獲得していくわけです。

「ことば」を表面的にのみとらえるのでなく、もっとトータルに、もっと文脈的にとらえるべきなのでしょう。
新研究主題の「心の育ち」には、こうした意味が込められている、と私が考えていたら、他の人も、そう思っているのでした。


「教材紹介」に走る前に、「なぜ」なのかを問うこと。
「なぜ」を問う前に「何が問題なのか」を問うこと。
発達検査の数値だけを見るのでなく、子どものヒストリーを見ること。
こうした過程を経ないと、子どもの「心の育ち」は見えてこないでしょう。







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自由会話を大切にする

というフレーズを最近よく聴きます。
とてもいいことだなあと。

各種検査も大事ですが、まず一人の人間として出会って見て、会話を通じてわかることがたくさんあります。

意味論・・・りんごは、果物で、食べ物で、赤い皮で
統語論・・・文法構成はどうか、助詞の使い方、電文体発話
音韻論・・・発音、音の配列、語想起(音韻の想起。ちなみに、元々語いがないのに、ことばが思いつかないことも「語想起(困難)」と言っている方がいますが、元々その単語を知っているのに思い出せないことを「語想起」と言います。)
語用論・・・指導者のことばの意図をとらえての会話

この4つの視点を常に心にとめながら、自由に会話しているようで、実は詳細なアセスメントをしているわけです。

だから、子どもの会話で気になったことはメモに。

話してくれたことを箇条書きににしたり、図示したりして、内容をまとめて見せてふり返るのもいいでしょう。

一つ大事なのは、「自由会話」は、指導者が自由に話すことではないこと。
子どもの発話の文脈に合わせて、子どもが話したいという気持ちになるように進めること。

そして、子どもによっては、「自由会話」が苦手な子もいます。
「自由会話」自体に楽しさを感じにくい子もいます。
実は私自身が子どもの頃・・・。

統制された内容の方が会話しやすし、自由にされることが苦痛な場合もあります。
絵で図示した方が伝えやすい子もいます。

文法から入った方がいい場合もあります。

その子によってそれぞれ。


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指導方法の前に「なぜ」を





「首が痛い」という主訴に対して、

A治療院=ひたすら、首のマッサージ
B治療院=どんな主訴でも、型どおりのマッサージ
C治療院=身体全体をアセスメントし、首のこりが腰から来ていると判断。腰のゆがみの矯正から始める。
D治療院=アセスメントの結果、重要な病気の疑い。後日精密検査で手術が必要と判明。


「事例検討」がA治療院のようになっていないか。
患者が満足しているのだから、A治療院でもいいのでは、という考え方もあるかもしれませんが。
患者の命に関わることです。患者の満足は、支援者の自己満足に過ぎません。

子どものアセスメント情報もなく、教材紹介すればいいという考え方は、こうした結果を招きがちなのです。

○ワーキングメモリが弱いから、ワーキングメモリを鍛える指導
→でも、その前に、子どもの心理、生活はどうなっていますか?
一日中家族でけんかで、抑鬱的になっているなら、能力は落ちて当たり前。
「楽しさ、安心感」の保障が、まず何よりもすべきこと。

○ラ行があまいから、ラ行の指導
→でもその前に、「私は愛されている。受け入れられている」があるのか。
赤ちゃん返りの一つの表れが「ラ行」の甘さにつながっていないか。
「人工的に作られた楽しさ」と、その背後にある「孤独感」を読み取れているか。
ずっと前から、ラ行が甘かったのか、言えた時期もあったのか。
家族内力動はどうなっているのか・・・。
発語器官に問題はなく、書字にも問題はない、発音の誤りはいつもではない・・・。
のか、どうなのか。


「どうやってしどうするの?」の前に、「どうしてそうなっているの?」の検討する力を育てるのが、経験の長い先生の仕事であり、新しい先生への研修プログラムは、それこそが重要なのです。


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「教育的診断に基づく指導」

当時としては画期的な考え方でした。
ちゃんと子どものことを理解しましょう、その上で指導を考えましょうと。

「初めに検査法ありきではなく」という考え方も、現在でも通用しています。
そればかりか、ますます重要になってきています。
「とりあえず検査しましょう」が流行している現在では。

ただ一方で、「お母さんがすぐに何でもやってあげたから、話す必要がなく、ことばが遅れた」、「何でも手を貸すから、不器用になった」などと、「母原病」を彷彿とさせる仮説が、当時から事例レポートにけっこう書かれていて、首をかしげていました。

保護者向けの書棚に、未だに「母原病」という本が並んでいたのには驚きました。


「何でもやってあげた」ことで、「ことばの発達が遅れた」???
子どもの言語表現には、「要求」も確かにありますが、それ以外に、「叙述」もある。
「コミュニケーション」の語源は、「伝え合う」ことではなく、「共有する」

にもかかわらず、あたかも、こどもの言語が、「要求」だけでなりたっているかのような仮説。

赤ちゃんが、おむつが濡れたり、お腹がすいて泣くのは、不快だからです。
しかし、不快感から泣いていると、心地よい状態にしてくれる、ということを繰り返すうちに学習するから、泣くことに「意図」「意思」が加わるようになる。
つまり、「泣いたら、心地よい状態にしてくれる」を学習する。
でも、そもそもそうした学習機能が弱いお子さんもいる。
そもそも、「快、不快」の感覚のトラブルもあるかもしれない。

その子の生育歴も調べないで、ただ「甘やかしたからことばが遅れた」
専門家の立場の人が、こんなことを言ってはいけないなと。
素人レベルで言われているのは仕方がないですし、啓発活動はしていかなければなりませんが。

「教育的診断に基づく指導」の本来の主旨が理解されていれば、「母原病」仮説を回避できたのでは、と思うのですが。

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ことばの指導は、表現力の前に理解力が大事。共通理解のために面接重視を

「ことばの教室に通うことで、上手に言える子になってほしい」
「ことばの教室に通うことで、話せるようになってほしい」

親御さんや関係者としては当然の願いです。
ただ、表現力の前に、ことばがどれだけ理解できるのか、物事の関係性がどれだけ理解できているのか、ということが、まずは大事です。

教育相談時や個別の指導計画の策定時に、親御さんや学級担任の先生などに対しては、その前提を確認した上で、通級を開始した方が良いでしょう。
そのためには、教育相談時に、保護者との面接もしっかり行う必要があります。

子どもだけ連れてきて、簡易な検査だけを行い、保護者面接を行わないで、通級妥当の判断、というのは、アセスメントの仕方としても問題がありますし、保護者との共通理解という点からも問題です。自校でも他校でも。

前任校では、10年かけて、そのシステムを強固なものにしていきました。

教育相談時や、就学相談時には、通級の主旨やシステムについても詳細に説明し、親御さんがイメージできるようにした上で、通級を始められるようにしました。

だから、通い始めてから、「毎週通うのですか?」、「いつ来るのですか?」という質問は出てくることはありませんでした。


「ことばのおいたち」は、通級開始時に書いてもらう物ではなく、通級妥当の判断をするために、相談前に書いて頂くものとして、改めて位置づけました。
アセスメント情報は、きれいなファイルに大事にしまって金庫に保管しておくものではなく、指導をふり返るために時々見返すためにあるものです。
(かつて先輩はそのように位置づけていたはず。いつの間にか、形だけが残って、主旨がずれてしまったようです)

多岐にわたる質問項目も見直して、書く負担の軽減、措置判断に必要な最低限の情報、的を射た質問にまとめる必要を感じています。


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