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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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ことば狩り 「障害」「障碍」「しょうがい?」

「障害」を「障碍」に書き換えるべきだという主張がありましたが・・・。

「害」の文字を使用していることに対して、「人権侵害」だと主張する向きがある(あった)ようですが。

平安時代頃に『障碍』と書いて「しょうげ」と書き、「悪魔が邪魔をする」という意味が辞書に載っているそうです。
それでも使うのですか?

「障害」はだめだから「しょうがい」にしましょうだとか。
もう、意味がわかりませんね。
生涯?


それなのに、「通常学級」ということばは使わず、「普通学級」と言っている。
特別支援学校内だって、「普通学級」と言っているのですがね。

「普通学級」の反対は「特別支援学級」という発想自体が、実は差別的ではないのかな?
インクルーシブの理念は、「障害のある人と、ない人とが共同で」ではない。
始めに、障害のある人、ない人、と人を区分けする時点で、差別は始まっている。
そこに気づけないのかなあと。
インクルーシブ教育と、インテグレーション教育は全く別物です。
全ての子を「普通学級」に放り出すことが、その子にとって理想的な教育なのでしょうか?
それぞれの子が、能力を最大限に発揮できる教育環境を用意することこそ、人権擁護なのでは?


「カウンセリング」は、兵士の心を癒すために始まったのだから、軍国主義だ。
だから、学校に持ち込むのは反対だ・・・。
「カウンセリング」を受けた人は、軍国主義者になるとでも言うのでしょうか。


ことばとは少し違いますが、ある方によると、「背広」は元は軍服。
ネクタイも、兵役に出る男の妻が、「形見」として下着をちぎって首に巻かせたのが始まりらしい。

腕時計も、発祥は第一次世界大戦時。
銃器を持ちながら時間を見るのに、懐中時計をいちいち出すよりも、腕時計にした方が見やすい。
だから、時計の文字盤は、腕の内側から見えるようにするのが、本当らしい。

こう挙げていくと、ことばも、物も、歴史の洗礼を受けているわけです。
ことば狩りによって、特別支援教育に必要な本質がそらされてはいけないなあと。

「平成」は使わず、西暦を使いましょうだとか。
男女にかかわらず「さん」付けで呼びましょうというのも、私には同列に見えます。
本人と先生との関係性、実態の中で、敬称は選択されるものではないかなあと。
一律にこうすべきだ、という運動論の方がおかしい。
「奥さん」もだめで、「妻さん」にしましょうだとか。
語源をたどれば、言わんとすることはわかりますが、よろしくない意味の含まないことばなど、存在するのでしょうか?


ただ、今回のDSM-5で、「障害」を「症」に換えたのは、学術的必然性はあるのだろうと思います。根拠に一定の説得性があることから、世の中への影響も一定程度あるだろうと。
ただ、「知的障害」は「障害」のままなのはなぜだろうなど、疑問もないわけではないですが。


まあ、いろいろな考え方があってもいいのでしょうが、自分の主義主張が、どんな根拠に基づいているのか、自分で調べて、自分の頭で考えるということが大事だろうと。


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Comment
No Title
子どもとの関係性…男の子たがら「君」が良くて女の子だから「ちゃん」が良いというわけではないですし、性同一性障害の子もいる。「さん」は、子どもも大人も全てに対応していると思います。そういう表現をすすめることが
そんなにずれてることなんでしょうか?

偏った思想になってる部分もあるとは思いますが、本当にそれでいいのか考えて主張してきたことで守られてきたものもあると思います。

子どもたちにプラスになっていなければ、意味はなあのかもしれませんが。



Re:No Title
ご指摘ありがとうございます。私は「さん」付けについて「ずれている」とは書いていません。そうした運動の意図もわかっているつもりです。
今回の記事で述べたかったのは、色々な考え方や運動そのものを否定しているのでなく、その意味を深く検討して運動に加わっているのか、という点です。
あなたが感じているように、「偏った思想になっている部分」を指摘したまでです。
あなたがお感じになっている「偏った思想になっている部分」とは何を指していますか?
では、どのような考え方が「偏っていない思想」なのでしょうか?

私は「偏っている」とか「ずれている」という表現をしていません。
文末にあるように、様々な考え方があっていいと書いています。
しかし、その運動の背景をどこまで理解していますか、という点を指摘したかったのです。

【 管理人ya 2014/06/20 23:02】
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