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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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「言語障害教育の50年の財産を外へ知らせるとき」

「言語障害教育の50年の財産を外へ知らせるとき」
との道言協会長のご挨拶の通り、
今回のこちらでの研修会では、会員外にも幅広く呼びかけました。
すると、保育園、療育職員はもちろん、不登校支援施設、NPO子育て支援施設など、本当に多職種の方がお集まりくださいました。
遠くは上川、釧路からも。


元道言協事務局長の先生を講師に迎え、午後は私の基礎講座。


検査も大事だが、検査以外の子ども理解も大事。
先生の子ども理解の視点、推察する力、深さはすごいですね。
検査の解釈はあまり得手ではないそうですが、
下手に検査を重ねるより、ずっと、子どもの見方が深い。
ベースとなる発達心理学の知識、言語聴覚障害の知識を
お持ちなのと、経験ですね。
ケース会議で鍛えられると、先生ぐらいの力がつくのかなと。

というか、昔の先生は結構そうやって、子どもを理解しようとしてきた。

検査では、「○○の指標が低い」というのがわかったりするが、
子どもがどう感じているか、子どもの居場所はどこか?
どのような経緯で今に至るのかなど、
もっと深い子ども理解が必要だろうと思っていました。

そこをビシッと指摘してくださったように思います。
語り口はソフトですが、本質の本質に響いたという感じです。




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今日は近隣のことばの教室の先生方と臨床研修会でした

午前ケースレポート2本。
午後、指導参観、指導ビデオ視聴と質疑応答。

指導ビデオはたくさんお見せしました。
基礎講座もこれだけ時間があれば、いろいろな角度から研修できるのですが。

ビデオの感想は、「こんなにぐいぐい構音指導をやっていいのですね」と。
やっていいのです。
もちろん、子どもの実態によりますが、指導を受け入れられる状況なら
構音練習は系統的に、たんたんと、しかし楽しく。
舌の体操などやっている暇があったら、構音動作を練習した方が早い。

筋トレばかりしていては、バスケのシュート率は上がらない。
シュート率を上げるには、シュート練習が一番大事。



何回ぐらい練習したら、次のステップへ?
→子どもの反応を見て決めましょう。
癖が復活するなら、一歩戻ればいい。


LDの指導は?
→LDの指導は存在しない。その子への指導は存在する。
100人のLDの判断された子には、100通りの指導がある。

教室運営の明文規定はあるか
→あります。学校経営要項に入れてもらいます。
2年前に大幅改定しました。


などなど、密度の高い内容になりました。
定例の研修会より充実していたかもしれません。



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質の高い研修会

昨日の研修では定員15名のところ、25名。ことばの教室担当でない先生の方が参加が多いのでした。
そして今回の特徴は、個別の相談依頼がとても多かったこと。
質問カードを作ったせいもありますが、その場での回答はほとんど無理で、後日電話などでお答えすることにしました。
参加者のレベルは様々なので、一斉の研修だけでは限界ですね。

ただ、午後の教育相談講座では、保護者の気持ちにあくまでも寄り添った形での面接対応について議論になりました。保護者の経緯も含めて理解しましょうと。

まずは理解。

すばらしいディスカッションでした。


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「モデルとなる一時間の指導の流れ」

最近よく、こうしたフレーズを聞くのですが。

「一時間の中で、課題を3,4つ用意するか、いくつ用意するか」
「初めに挨拶し、終わりも挨拶するかしないか」
「何回ぐらい練習すればいいか」

など、「新しい先生のためのイメージのために」
とのこと。

なるほどと思う一方、違和感も覚えるのです。

そもそも、「モデルとなる指導の流れ」など存在するのか?
私が担当したお子さんの中には、
1時間の指導の中で、3つ、4つ教材を用意したこともあれば、
1時間、ひとつのことにじっくり取り組んだケース。
愚痴を聞いて終わりだったケース。
遊びの主導権を子どもにわたし、とことんつきあってきたケース。
飽きっぽい子には、次々と教材を替えて提示し、
ネタが尽きたら、お互いにどうしようか相談したケース。

構音指導を優先したケース。逆に別の困り感を優先したケース。
力を付けることに重点を置いたり、逆に心理的なサポートに
重点を置いたケース。

がっちり「指導」したケースもあれば、
遊んでいるようにしか見えないだろうなというケース。
(ちなみに、「自由遊び」と「遊戯療法」とは似て非なるもの。
その違いは一般の方にはわかりにくい)

などなど、進め方は一人一人みんな違ってきました。
それは、子どもの反応や周辺情報などを見ながら対応していくうちに、
自然に、「誘われるように」組み立てられてきたものです。

「モデル」として提示することで、「その通りにすればいいんだ」という、
形骸化した指導に陥ることを強く危惧します。

「どう組み立てればいいんだ」
に対して、安易な「答え」を提示することが、新しい先生への助けに
本当の意味でなるのか。

むしろ、子どもの反応はどうだったかを一緒に振り返り、
どうすればいいかを一緒に考える、自分で考えてみるように
もっていくことこそが大事なのでは?

ベテランの先生の指導を何ケースか見せてもらい、
なぜその子には、そのような指導の流れを組んだ(組むようになったか。
北海道弁では「組まさった」のか)の説明も受けて、初めて
指導の流れの背景にある意味を理解できるはずです。
つまり、目先の「時間配分」ではなく、なぜそうした流れになったのか
「理由」を学ぶことこそ、新しい先生への研修支援になるのではないでしょうか。

表面だけをなぞったコンビニ研修は、「本質」を見失う有害な取り組みですらあります。


このことはたとえば「指導記録」についても言えます。
立派なレイアウトが提案されても、その中身、子どもをどれだけ正確に
見立てられるか、の方がはるかに重要なのですが。
また、黙々とパソコンに向かうより、同僚と「今日は○○さんはこうだった」
と交流することがまず大事にされなければならないことです。

このことについては、また別の機会に。



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「障害別の知識」「指導時間の流れの紹介」よりも、子どもをどう見るか、とらえるかが重要

先輩から頂いた助言

***
・「障害別の知識」「指導時間の流れの紹介」よりも、子どもをどう見るか、とらえるかが重要であり、そのためには、子どもの引き継ぎ資料を見て、子どものイメージをつかむこと。
・経験の長い先生の指導を見学したり、指導を見てもらったりして、相談する。
・研修資料を作ることよりも、事例検討を積み重ねて、子どもの見方、とらえ方の力をつけていくこと。 
***

今回頂いたお題が「障害別の知識と指導法」・・・。

この天と地ほどの理解の差をどう埋めていけばいいのでしょうか。
障害名で子どもを見て、それに合った教材を教えてもらえれば、それは、それは、楽でしょうね。

でもそれでは、その子にフィットした指導には遠く及ばない。


一年生のA君とBさんとが、全く同じ構音の誤り、つまり「ス→シュ」の置換。
A君は置換があっても、友達との会話や授業には全く支障がない。
Bさんは、「すいか」を「シュイカ」としか発音できず、友達にも会話が通じないことがあって自信をなくしつつある。

この場合、A君とBさんとで、指導方針や、指導方法は、全く違ったものになるはずです。

どちらも障害名は「構音障害」。
否、A君の場合は、その困り感や、他の困り感との関連で、構音障害とは言わないかもしれない。

子どもをトータルに理解しようとするまなざしがありますか?
子どもの心の内側を想像力豊かに感じ取ろうとしていますか?





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やっぱりテストの点数が本音なのですね

学力を全国平均レベルへ、というのがテーマのようですが。

点数でしか子どもを見なくなっている現場の雰囲気に強い危機感を覚えます。

成績よりもコミュニケーションが心配なのですが。
授業中に発言しているから、コミュニケーションに問題はないと・・・。
それはコミュニケーションの一側面に過ぎない。
フォーマルな時間よりも、休み時間など、インフォーマルな時間のコミュニケーションが本質。
そういうことは、生徒指導のイロハなわけですが。
そうした観点さえ失われかけているのかな。

人間の見方が、非常に浅い。

自分の言動を自分で振り返ることができず、上の命令だけで動くのは、非常に危険。


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前向きな研修意欲

今年度も研修依頼が続々と来ています。
地元で3本+アルファー、札幌1本、上川方面1本、そしてもう一本来そうです。

気分転換になって、ありがたいことではあります。

そして私自身も、外部から講師を地元に招聘し、地域の専門性アップを願っています。
講師が話すだけでなく、地元からもレポートをという声に応えて調整し、
ある先生が発表することに。
「勉強したい」と。
すばらしい姿勢です。

こうした前向きな先生方がネットワークを組めば、もっと地域が活性化していくだろうなと。





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私自身の生育歴 どうして自分だけが違うんだろう

出生時体重  2500g。
くびのすわり 12ヶ月。
初歩     1歳6ヶ月。
1語文    2歳6ヶ月。

もう1人の「妹」は1500g。出生後数時間でこの世を去る。

母は食べ物が出産まで受け入れられず。
出産後も「怖くて」だっこもできず。
医師は出産まで、双子だとわからないぐらい、小さい2人だった。

幼稚園では泣いてばかりだった。
花火、突然の物音、鼻血でも泣いた。
幼稚園の盆踊りも怖かった。
人が楽しそうに語り合っているのが怖かった。
ゴミ一つが気になる。並んでいないと気になる。
人形の目が、テレビのアナウンサーが
自分だけを見つめているので怖い。

どうして自分だけが違うんだろう。
どうしてみんなは、家族と楽しそうにしゃべっているのだろう。
みんな、僕が習っていないところへ行って、
会話の勉強をしているに違いない・・・。





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小1男児。科学的な仮説はどれか。

小1男児の相談。科学的な仮説はどれか。

(1)言葉の発達の背景には様々あり、一つの原因で説明できるものでない。
(2)箸が上手に持てないのは、小さい時からやらせなかったから
(3)話さないのは、言葉を必要としないほど手をかけすぎたから
(4)人見知りが激しいのは、一日中母子だけで家に閉じこもっているから 
(5)親の言うことを聞かないのは、小さいときから甘やかしてきたから

支援者は、「都市伝説」「ゼロイチ思考」「一対一対応の因果の仮説」から自由でなければなりません。


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不適切な通級指導

不適切な通級指導はどれか。

①    通常学級の漢字テストで80点以上をめざす指導
②    「カ行→タ行」の置き換えに対する指導
③    リズム法による吃音指導
④    ごっこ遊びの中で、社会的ルールを参照する指導
⑤    漢字の意味をロールプレイングで学習する指導


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道の臨床研と、地元の言語研究会&就学指導委員会共催研修会 WISC 相談

1月14日の道言協臨床研究会にお呼ばれしました。

2つの事例レポートの検討と、構音基礎講座。
発表者お二人とも、子どものことを熱心に考えて、試行錯誤されていることに感銘を受けました。
子ども理解と指導の過程は、決して間違っていなくて、先生と子どもとの良い関係がこれからも伸びていくだろうと思いました。

一事例について、関わったことがある先生が様々な立場で参加できたことも大変有意義。

「スペシャリストとジェネラリスト」の両方の視点。
そして、問題行動に対して「折り合いをつける」。
この視点でお話させていただきました。

S.E.N.S-SVの先生からは、臨床クラスターによるWISCの解釈、再認と再生という視点を提供いただきました。ストンと胸に落ちました。きれいに解釈できるものですね。


そして、
「事例研は、どのような質問をするかがとても大事です。質問を考えることで、自分の担当する子どものことで悩んだとき、自分で自分に質問ができるようになる。そのことで子ども理解が深まるのです」
との大先輩のお言葉は、とても重厚でした。

そして、レポートの内容を大先輩が観点ごとに整理したプレゼンが秀逸でした。
収集した情報を整理するだけで、こんなにも子どもの状態像がクリアになるのかと。
「情報の整理」は子ども理解の重要な一過程です。

後半は、構音基礎講座。
言難ABCの内容をそのままやるよりも、事例を元に子ども理解と指導の手立てを考える、検査実技も盛り込む、ということの方が勉強になると考えました。
結果、ちょっと盛りだくさんで消化不良のところがあったかもしれません。

でも、構音だけでなく、子ども全体の理解の上で、指導の優先順位を考えるということの大切さは共有できたかと。

感想シートを後日拝見し、今後の参考にしようと思います。


15日は地元の就学指導委員会と、言語研究団体との共催研修会。
相談申込み受理から、事前の情報収集、必要な検査や観点の準備。
そして各種検査の概観と、検査実技、知能モデルの概要、面接演習まで、
講座全体で、一事例の相談というストーリー仕立てにしました。

就学指導委員とことばの先生の相談の力量アップが目的でしたが、自分の学校の通常学級担任、支援員、近隣の特別支援学校の先生など、様々な方が参加しました。

お昼のバイキングでは、先生同士の交流もできたようです。
お昼の交流も重要な研修と考えています。

これまで、就学指導委員向けの研修は、公的には企画も立案も運用もできないできたようです。
だから民間活力を使ったわけです。

公と民がコラボして、足りないところを補い合い、連携していくこと。
団体の組織力が弱まっている中、これからますます重要な取り組みと感じます。



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この研究主題は、古くて新しい

研究主題「ことばを支える『心の育ち』を大切にした支援のあり方を考える」

研究の柱


その子をどのように理解していくか。
→子どもの実態把握


その子にとっての問題をどのようにおさえ、問題の発生と経過をどうとらえるか。
→子ども理解の仮説


その子にとっての必要な育ちとは何か。どのようにかかわり支援するか。
→支援の計画と実際


支援の経過をどのように振り返り、関係者と情報共有するか。
→支援の省察と共有


各研究の柱の意図は以下の通りです。
(1)「その子どものどこをどのように観て、理解していくのか」「その子どもを担当者はどんな姿勢で理解していくのか」ということを考えます。「ことば」「聞こえ」という側面だけでなく、多面的な視点で総合的に子どもを観て、支援の方向付けにつなげていきます。

(2)その子どもの困っていることや保護者の心配が「どのように発生したか」の筋道を考えます。実態把握で得た情報を基に、「その子どもにとっての問題」を明らかにし、その子がどのような育ちの中で現在の状態に至ったのかの要因を探り、仮説を立てながら理解を深めていきます。

(3)これまでにとらえた「その子どもにとっての問題」とその子どもの「育ち」、その中の「問題が発生してきた背景」の理解を基に、どう子どもと保護者を支えていくかを考えていきます。また、「今、その子に必要な支援は何か」を常に考えながら支援に当たります。

(4)事例を中心とした研究を進めるために、担当者が指導過程での自分の実践の考えや思いを丁寧に振り返り、省みて(=省察)いきます。個人の記録で、周りの担当者との交流で、教室研修やブロック研修で、大会発表でと、様々な機会を利用して省察・共有し、研究を進めていきたいと考えます。


***

さて、「言語障害教育」での実践を「古い」と評価し、「最新の学説」と対置させるような議論が散見されます。
「発音よりも、学習面の支援が重要なのでは?」など。

しかし、それは、「言語障害教育」の研究実践への誤解です。
上記の研究主題を読んでいただければわかるように、「言語障害教育」は、初めから、「ことば、きこえ」という側面だけでなく、その背景を徹底的に見ようとしてきました。

構音練習ばかりやっているというわけではないのです。

道言協の研究主題は、「言語障害」にとどまらず、どの子、どの関係者にも必要な、古くて新しい視点である、と思います。


今度の小樽の臨床研では、後半で、構音障害の基礎講座をお願いされました。
直前まで、パワーポイントを整理しようとしていましたが、手が動きませんでした。
何かもやもや感が。

そして、もやもや感の原因がわかりました。


基礎知識の研修もするけれど、より実践的な研修にしようと。
そしてトータルな子ども理解の力をつけられるような研修にしようと。
せっかく道言協の研究主題が設定されているのですから、これを使います。

ある事例について、教育相談事例研修です。
その子についての、「子ども理解の仮説」、「支援の計画と実際」をワークシートを使って、少人数グループで協議します。

そこに検査、相談の実技をはめ込み、OJTの要素を入れていきます。

どうでしょう?


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本物の支援者

聞こえがよくない私に、
偽物の支援者→「音楽が聴けないなら、海の音でも聴きに行けば」
本物の支援者→チャイムの音が鳴り終わるまで、話すのを待ってくれた。
その姿勢は、子どもに対しても現れている。
どんなに著名な先生を味方につけても、日々の実践が子どもの側からの理解でなければ。

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「WISCの解釈を1時間半で講義してくれませんか」

今日も、「WISCの解釈を1時間半で講義してくれませんか」と頼まれました。しかも「言語性、動作性」などと。いつの時代の話でしょう。
断る側も、断られる側も傷ついてしまいますが、丁重にお断りしました。認知心理学や発達心理学、統計学など、様々な知識を動員して、初めて解釈は可能ですよ、とご説明したのですが。
代わりに就学相談の委員会と、言語の研究協議団体との共催で、WISCを含めたアセスメントと相談の進め方の研修を一日日程でやります、と紹介させていただきました。


このほかにも、「特別支援教育について20分で語ってください」という依頼も、日程が合わないという理由でお断りしました。
テーマは「特別支援教育で学力向上!」
なんか違うかなと。
20分で語れるわけがないし、学力テストの平均点をみんなでめざす、という趣旨の「学力向上」と「特別支援教育」とは、全く合わないのです。


研修の中身が、コンビニエンスな方向に行っている気がしてならない。


こうした中、教員の大量退職と若返りにより、先輩方が積み上げてきた財産が継承されない危機感を国も持っているようですね。今後に期待。


私の教室では最近、教育相談を研修の場として、ことばのテスト絵本一つの使い方を含め、一から実技研修をしています。

「テスト絵本」のカバーを外すのは、相談が始まってからではなくて、相談前に外しておいた方が時間の節約になるとか、ページのめくり方まで、細部にわたってです。
掘り下げるべき構音はどの音なのかの判断だとか、メモ用紙に注視せず、子どもの表情を注視せよとか。

教育相談のローカルルール、学術的根拠に基づかない様式も、すべて廃棄しました。


先生方の力がどんどん身についているのを感じています。
やっぱりOJT(実務しながら研修)が一番効果的ですね。


研修で一番身につくのは「教育相談」ですね。
かつて、言語障害教育課程の免許取得のための実習は、「教育相談」が一番ハードルが高く、かつ一番ためになる研修として位置づけられていた、と聞きます。


地道に一歩一歩やっていくしかないですね。


今後もコンビニエンスなノリの研修依頼はお断りします。

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検査法の組み合わせで、正しいのはどれか。


 検査法の組み合わせで、正しいのはどれか。



① 田中ビネー知能検査V ―――― 個人内差の把握
② WISC-Ⅳ ――――――――――  言語性IQと動作性IQ
③ ことばのテスト絵本 ――――― 選別検査
④ PVT-R(絵画語い発達検査)――― 全般的な言語能力
⑤ 就学時健診の一斉知能検査――― 知的障害の有無の最終判断



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「できる、できない」の単純な物差しだけで、子どもを見ないでほしい

目標を設定し、達成のために努力し、振り返るというモデル自体が、子どもを追い込んでいく事例もあるのです。
多くの子どもにとっては有益なモデルでも、ある子にとっては障害の状態を悪化させることも。

支援者は、いつも、自分のよって立つ位置を対峙化し、枠組みの外側から眺めてみることが大事なのでしょう。


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愛着障害

田中哲先生の講義でした。
生まれてから、学童期、思春期、成人期、そして自分の子を育てるまでの愛着障害の及ぼす連鎖の過程が見事な構造図で示されました。エリクソン等もたぶん敷衍しながら。
愛着障害、その周辺は、現場では実は多いと感じています。支援者側も子どもの言動に傷つきやすいのですが、一番つらいのは子ども。そういうものなのだと押さえることが大事だと思っています。
そして、目で見た方がわかりやすいとか、適切な行動はほめるというような、発達障害によく挙げられるアプローチだけでは足りない。支援者、とりわけコーディネーターにそうした知識と経験がないと、現場をさらに混乱させることになります。
特別支援教育に特別知識のないある学級担任の先生。子どもの愛情欲求の偏りに気づき、休み時間ごとにぎゅうっと抱きしめて上げました。手だてはそれだけではないようですが、学級全体がだいぶん落ち着いたのですね。
会議を開いてチームを作って、形を作ってどうのじゃなく、力のある人同士がインフォーマルに臨機応変に対応する力を引き出すのが、コーディネーターの役目だと思っています。
そしてWISCのデータも大事だが、愛着障害を含め、心という観点でもっとこどもを見て欲しい。
特別支援教育は、情緒障害という、心の問題も対象にしていることを忘れないで欲しいのです。

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子どもの気持ちから出発する特別支援教育


皆さんお久しぶりです。ものすごく忙しくて、すっかりご無沙汰しておりました。
でもやっと一息入れる時間ができたので。
最近、特別支援教育の文献なり、ネット記事を見ても、心がときめかないのです。歳を取って、仕事への熱意が、ぼちぼちのレベルまで下がったのでしょうか。きっと記事自体は価値あるもの。
私の感じ方の問題かと。
大型書店では、お決まりのように特別支援教育のコーナーへ。でもパラパラめくって終わり。
ところが、帰りがけに手にした幼児教育の本。
なぜか頬を伝って流れるものが。
止まらなくなりました。
どうしてなのか、自分でもわかりませんでした。
どうしていいのか。
衝動買いにしてはちょっと高いけど。
レジのお兄さんに涙が見られないように。

帰ってから、涙の理由を考えました。
この本には、子どもの気持ちが書かれている。
あくまでも、子どもの気持ちがまずあって、そのために、園の体制はどうあるべきか。
子どもの気持ちの側から、世の中が翻訳されている。

「形を整える、体制を作る」
大事なことです。
しかしそれらが、子どもの側から作られようとしているのか。
コーディング、デコーディング、チーム会議・・
。それはそれで。
でも何か違う、何かずれている、という違和感の実態がようやく見えてきた気がしたのです。
論文発表のために実践があるんじゃない。そうした動機は、見えてしまう。

ようやく整理されてきました。

そんなことのあった、この一ヶ月でした。

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老眼

最近、小さい文字が見えにくくなっていました。
本を読むのがつらく、文字を書くことも億劫に感じていました。
特にLD学会の論文集の文字が読めない。

慢性疲労が原因だと思っていました。

しかし、めがねをかけたとたん、文字が目の前にとびこんできて、びっくりしました。

そして、これまで文字を読むことにこんなにストレスを感じていたのかということに気づいたのです。

指導記録を書くのがつらい原因のひとつも、目の問題とわかりました。

文字の読み書きがつらい子の中には、自分がつらいと感じていることに気づいていない場合もあるのだとということに改めて気づきました。

眼鏡屋さんでの目の検査で、「これならよく見えるでしょう」と渡され、文字がくっきり見えたときの感動は、ほかにたとえようがありません。


特別支援教育が、老眼鏡をかければ解決できるような簡単なものではないでしょう。
ただ、本人の困り感によりそう支援というのは、決して派手なものではなく、専門性が地味に、しかも確実に伝わるような、静かなものだと思うのでした。





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「障害はお互い様」

親が悪い。
子どもが悪い。
学校が悪い。
行政が悪い。
専門家が悪い。
彼が悪い。彼女が悪い。

私自身も反省しなければなりませんが、「問題」を自分の「外」に見ているとき、実は自分が見えていないことが多い。
「問題」は、実は自分自身の中にもあります。

「お互い様」の視点に立つことで、「問題」を自分の「内面」の現れとしてとらえ、当事者意識を持って関わることができるのだと思います。

批判して終わりという評論家ではなく、前向きに関わる臨床家として、コツコツ実践していきたい。
時間に余裕ができた今、改めて思い直しています。


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子どもの興味関心に合わせた指導こそ、通級指導の一丁目一番地

集団への帰属自体を指導目標とするのでなく、子どもが強く興味関心を抱いている内容に合わせた指導をしたいものです。

学校のカリキュラム通りに縛られること自体が苦痛と感じる特性のあるお子さんがいます。
その子の興味関心に合わせた指導をすると「余計にはまってしまい、収拾がつかなくなる」と。
でも、とことん好きなことに取り組むこと自体が、勉強になるはずです。
「好きなこと」から、聴く話す、読み書き、製作など、多様に広げられる。
ことばの教室、通級指導教室の一丁目、一番地。

ソーシャルスキルトレーニングは、本に書いてあるようなことをしても、その子にフィットするとは限らない。
むしろ、せっかくの興味関心のある内容について取り組み、それを他児とのコミュニケーションのきっかけとした方が、はるかに成果のあるSSTにつながると思うのですが。


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価値観のカオス化と、科学的な事実とは別である

万有引力の法則は、科学的な事実。
でも、明日になったら、銀河系は、突然消失するかもしれない。
あるいは、地球の周りを太陽が回り始めるかもしれない。

エビングハウスの忘却曲線は、明日から人間の脳に革命が起こって無効化するかもしれない。

しかし、そうしたことはフィクションとしてはあり得ても、実際には意味のない議論。

いろいろな価値観があるのだからと、科学的な事実をもカオス化する議論は無意味。

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構音障害の事例検討に参加しました

先日、構音障害等のケースレポートの検討にお呼ばれしました。
開会式から来賓待遇で、教育長などと一緒に拍手で迎えられ、研修後は拍手でお送りくださいと・・・。
そして来賓控室で接待して頂き、恐縮することしきりでした。

大会なので、来賓対応なのだと思いますが、庶民派としては、昼食も皆さんと食べながら質問に答え、いつのまにか帰っちゃうというスタイルが慣れているのですが。
同じことばの教室の仲間なので。

とはいえ、年1回、ブロックとしてはかなり規模の大きい大会を開いていること。
そのたびに行政や関係者などをお呼びし、連携を深めていること。
ケース検討は、発表から始めるのではなく、予めレポートを各教室に送っておき、事前に読んできていることを前提に説明は省略、質問への回答から始めるという方式は秀逸と思いました。

うちの地域では全道レポート検討で、「発表の予行演習」までしているのと比べると、時間と労力のコストパフォーマンスがかなり高いと言えます。

また、ブロックの研究が、道言協の研究と完全にリンクしており、研修会ではまずのその説明から入っていました。

かなり取り入れるべきことがあるのではと思いました。

ただ、ケース検討では、その子の理解というより、構音指導のやり方についての質問が多く出されました。
もっと交通整理して、ケースの子どもについて検討できればよかったのですが、私もそれに乗っかって、講義に近い形になってしまいました。

反省しつつも、この傾向はどこも似たようなものだと思います。

研修の王道はケース会議なのですが、会議を進めるための前提として、基礎知識を学ぶ場が、どこも課題なのかもしれません。

でも、今回のケース検討で一番よかったのは、大会という体裁をとっていたため、管理職の先生も何人も参加されていたこと。
研修終了後、「これは普通教員免許ではできない仕事だと思った」と感想をおっしゃていました。これこそが連携ですね。



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個別の指導計画

個別の指導計画の策定をしています。
作成することも大事ですが、策定の過程で、スタッフ同士が議論すること自体が大事だと思っています。
たとえば、

1 限られた通級指導時間に比べて、指導目標が大きすぎないか?
2 学級担任などからの情報収集や検査なども含め、子どもの教育的ニーズに合った指導目標か?
3 評価が可能な指導目標か?

などが問われます。

たとえば、「5W1Hで話すことができる」という従来の指導目標に対して、子ども理解に基づく指導目標の設定になっているのか、議論の中で徹底的に掘り下げています。

本当に、文法構成の問題なのか?
むしろ語用論の問題ではないか?
たとえば、
「僕はリンゴを食べました」という文法的には正しい発話の場合に。

1)兄弟も食べたけど、自分も食べられたという意味か?
2)リンゴは普段嫌いだったけど、ついにリンゴを食べることができた、という意味か?
3)リンゴが大好きだということが言いたかったのか?
4)給食でリンゴが出たのは珍しいと言いたかったのか?
5)朝食はいつも食べてこないけど、今日は何か口にしたと言いたかったのか?

同じことばでも、「背景の意味」「経緯」によって、そのことばの表面的な意味あいは、全く違ってきます。
会話のずれというのは、本当はそこにあるのではないか。
お互いに、話し手のことばの語用論的な解釈のすれ違いが生じているのではないか?

そうなると、単なる「言語」の問題ではありません。
文法を鍛えればよいという話ではありません。

会話のずれの具体的なエピソードを聴く中で、そのことは明らかになります。

ことばを「直す」のでなく、子どもが受け止められたと感じられるよう話せる対応が第一優先ではないのか。

そんなことを議論しています。

従来の慣習や見立てを白紙に戻して、徹底的な子ども理解、発達の学術的根拠に基づく指導を磨き合っています。
ちょっとつらいかもしれませんが、生きた研修になるはずです。




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個別の指導計画、教育相談実施報告書、アセスメント情報は金庫に保管するのでなく

日々の指導で生き詰まった時に、読み返すためにあります。

某学校の経営要項を読むと、「金庫にしまう」ことを内規にしているところがありました。
確かに個人情報だから大事ですが、ぱっと見返すことができなければ、せっかくのアセスメントが意味をなしません。


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