ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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「文字の学習はあとでいいなんて大間違いだ。文字がわからなければ、学習についていけない。学校は文字による学習がほとんどなのだから」
という方がいます。
確かにその通りかもしれません。
しかし、たとえば3歳児に、ひらがなを一生懸命教えるのは妥当なのでしょうか?
英才教育をやるならともかく、音韻分析機能が、4歳レベルに達していない子どもに、文字を読ませる指導、発音の指導を一生懸命やって、はたして成果があがるのでしょうか?
子どもは成功体験や、学ぶ喜びを積みあげられるのでしょうか?
「○年生なんだから、文字がわからないと困る。今まで何をしてきたのか」
なんて言われますが、そもそも特別支援教育は、その子の育ちに合わせるためにあるのでしょう。
文字が読めないなら、絵で見せればいい。経験を積めばいい。心理検査で明らかになった得意な入り方を取り入れた指導を考えればいい。
文字の学習の前に、音韻表象、言語概念、視知覚というレディネスは育っているのでしょうか?
そうした個別の支援ができるのが、特別支援学級であり、通級指導教室であり、自立活動なわけです。
そうした特別の場が、子どもの実態を無視しして、「学年相応」の勉強の場となるならば、本来の目的から逸脱していると言わなければなりません。
一人一人、育ちのペースは違います。その違いに合わせるのが特別支援教育のはずです。
子どもの実態を無視して、みんなに合わせる、みんなに追いつくように強いることが、子どもの学校生活を豊かにするのでしょうか?
何年生だから、ここまでできるようにさせなければいけない、という発想自体が、「悪意のない差別」なのかなと。
そうではなくて、「その子にとっての一歩だけ先」を提供するのが特別支援教育でしょう。
今回の講座では、2本のケースレポートの検討を行いましたが、それぞれの力はだいたい何歳レベルなのかという見立てをするための資料を提供させていただきました。
それは音韻分析能力であり、視知覚、視機能であり、言語概念の発達などについてでした。
言語発達は、「音韻論」、「意味論」、「統語論」、「語用論」の4つの視点で見ること。その4つの視点の具体例を示させて頂きました。
結果、詳細な説明は1時間半ではとてもたりず、「音韻論」だけで終わってしまいました。
子ども言語発達の理解を取り上げるだけでも、何時間も必要です。
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