ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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通級担当経験が36年という超大物の先生をお呼びすることができました。
私たちことばの教室担当の強みは、こうした横のつながりがあることなのです。
そして午前中は講義、午後から演習とケース会議、という組み合わせは、黄金の比率です。
感想アンケートをみてもそう思いました。
「知識を授けられる場」と、「話し合う場」をバランスよく配合することが、研修会を企画する側にとっての責任なのです。
さて、講師の先生からは、言語障害教育の概要についての講演をしていただきました。
事前の打ち合わせは全くなく、先生のお考えにお任せしていたのですが、新しい先生へ伝えなければならないことは、普遍的に同じなのでしょう。ズバリの内容をお話してくださったように思いました。
以下、私のメモです。
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・指導プログラムを子どもに降ろすのではなく、子どもに合ったプログラムを組み手立てるのが言語障害教育。そのままでなくアレンジすること。
・サイエンスを学ぶのは、子どもを「治す」ためではなく、「指導の間違い」をしないため。
・「指導計画」を見直すことは多いが、「子ども理解」まで掘り下げて見直すことが大切
・「問題の仮説」ではなく、「子ども理解の仮説」
・「受容、共感」は通過点であって、指導目標ではない。方針である。
***
お話の内容は、教材紹介などの具体的なお話は一切なく、本当に概論でした。
「明日の指導を教えて欲しい」というニーズに対して、妥協しやすい私は、ついつい教材紹介に手をつけてしまいます。
しかしそれでは、子どもの実態を見ずに、紹介されたとおりに教材を使ってしまうことにつながります。
子どもをどう見たらいいのか、という力は育たない。
だから、うまくいかない。
うまくいかないから、長く担当する気持ちになれないわけです。
また、指導計画を見直すだけでは、本当に子どもにフィットした指導は作れません。
子ども理解にまで落とし込んで見直すことが大切です。
その指導計画自体が、子どもに合っているのか、子どもはどんな力をどのように持っているのか、周囲の環境との関係性は、生まれてから今までにどのようなおいたちを経てきたのか、の理解がなければ、「計画」は上滑りしてしまいます。
そのためには、子どもをどのような視点で見たらいいのかという専門的知識、そして情報収集がなければなりません。
「指導の間違い」が起こるのは、子どもをよく見ていないことと、専門的知識が不足しているからなのです。
個別の指導計画を持ち寄る研修会をやっている団体がありますが、子ども理解をとばしているなら、研修としての意味に疑問を感じます。
子どもの詳細がわからずして、どうして、「この目標、手立ては良い、悪い」の議論ができるのでしょうか。
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