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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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診断名

現在、医学的な定義のLDや、ADHD等は
医者にしか「診断」ができません。

ところが、教育的なLD、教育的なADHD、
教育的な自閉症というのがあって、
それらは、医師でなくても「判断」ができる、となっています。
ただ、教育的なLD等の判断は、現在教員だけではできず、
専門家チームが判断することになっています。

したがって、通級担当教員が勝手にLD、ADHD等の
判断名をつけることはできません。

でも、医師でなくてもいいなら、一教員がやってもいいのでは、となります。

そもそも、医学的な、教育的な、という二本立てがあること自体が、
ねじれ現象である、と学会でも指摘されています。

ただ、そのねじれ現象は、現在においては止むをえないことだとも思えます。

教員が短い期間に、しかも、学力の水準や、標準化された各種検査、
生育歴情報、生活状況等のアセスメントを十分に行わないまま、
判断名を言ってしまう傾向が見られるからです。

「あの子、絶対LDだ」
という具合に。

また、診断名が全てではない、と言いながら、
実際には、十分なアセスメントでないままに診断名を使ってしまう
傾向も見られます。

医師も、教員も、アセスメントの各種観点が抜け落ちてはならないこと、
診断名(判断名)の意味や限界をしっかり理解し、
共通の土壌で、その子にどんな支援が必要かを考えられるように
なることが必要と感じます。

そのためにも、やはり「専門性」は譲れない点です。

ちなみに専門家チーム会議に出させて頂いている私は、
今まで一度も、LDか否かの判断をする場面を会議で見たことがありません。
どのケースでも。
そして、知能検査や生育歴情報、学校や家庭での情報など
様々な背景情報がしっかり出ているケースでは、
支援の手立ても構築しやすい、と感じています。

つまり診断名だけで判断してはいけない、というのは
アセスメントがしっかりできているかどうかが重要だと
言い換えることができると思います。

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不登校

いじめと、不登校についての講座を受講してきました。
メモを書きます。


不登校の原因を探しても、見つからないことの方が多い。
「だれも悪くない」

学校の先生も、親も、そして本人も、みんながんばっている。
ただ、がんばりがすれ違っているだけ。

悪い人など誰もいない。


不登校におけるストレスをダムにたとえた先生は、
「ダムに水(ストレス)がたまっているときに、
『がんばりなさい』は、あふれるダムに雨を降らせるようなもの。
まずはダムの水を減らすこと。
軽度の「学校強迫」(いつも学校のことが頭から離れない状態)
なら、休むことで改善する。


不登校の子どもは、いつも学校のことが頭から離れず、
忘れるためにゲームなどに没頭する。
夜寝るときには刺激がなくなり、自己の内部と対面することになり、
学校が忘れらず、眠れない。
だから昼夜逆転はおこる。
昼夜逆転するから不登校になるのではない。逆だ。


学ぶ意欲を失っている子に、学校の勉強をさせるのは、
ダムの水をためるようなもの。

学校の勉強も大切だが、勉強の全てではない。
生活全体で学ぶことがある。
学校の勉強をさせようとするあまり、
学ぶということの全体を萎縮させてはならない。


登校してきた子どもに、保健室に行くよう勧め、
校長室で給食を取り、無理して授業を受けなくて良いと言われ、
明日も来てくれるかと尋ねた。

一見子どものためにしているようで、
子どもの気持ちを全然聞いていない。

*********************

講師は、机の上で研究すると言うより、
日々現場に立ち会い、時間を問わず走り回っているとのことでした。

臨床家の話は説得力、リアリティーがありますね。

既知の内容も多かったのですが、実践家が語ると、
同じ内容でも印象が全然違います。

不登校もやはり、子どもの心情を内側から理解する、
子どもの生活文脈全体を感じ取る、
安心感、ということが大切だと思いました。

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「1時間の指導には、1時間の教材研究を」

既に退職された先輩から教えて頂いたことばです。

ある尊敬する先輩は、いつも本を読んだり、
教材作成に時間を費やしていました。

また保護者や学級担任の先生との面談の時間、
みんなでケース会議する時間も大切にされていました。

通常学級の補欠授業のお手伝いは丁重にお断りし、
周りから一部理解されにくいところもありましたが、
受け持ちの子どもたちも、保護者も、みるみる元気になる
姿を見てきました。

まずは自分の受け持ちの子の目の前の状態を
正確にアセスメントし、
専門性に基づく指導をめざさなければならない。

先輩方のアセスメント力は、確かに今考えると古い学説もあったものの、
かなり高度だったように思います。
今の時代の方が情報量は多いはずですが。

子どものちょっとした反応から、様々なことを感じていました。
そして何よりも、人間的な温かみを身体全体から醸し出していました。


「午前中は通常学級で授業し、午後から通級指導をしている」
「通級加配なのに、子どもはほとんどもたないで、
校内の仕事ばかりしている(させられている?)」
「みんなで支援なのだから、通級担当の人事は毎年替わっている」
「ずっとことばの教室がやれるわけじゃないんだ。
2年やったら通常学級に戻りなさい」
・・・・

確かに校内支援は大切です。
その学校の職員ですから。

しかし、目の前の子どもについてよく検討する時間もとれずに、
外の仕事もとなると、すべてが中途半端になるのではないでしょうか。
子どもが目の前に来てから、さあ何をしようか、
部屋にある教材を適当に、
ということでは、通わせる意味があるのか。
(自分も含めて、常に振り返りたいこと)

昨日まで皮膚科だった先生が、
今日から産婦人科をしてくださいと言われて、
自信を持って担当できるでしょうか?
サービス受益者側から見れば、
出産を任せられるのか、と感じます。

全国にこのような例が見られます。

通級担当一年目で、
構音指導のこの字もわからないという先生を
一日いっぱい使い回すという話しを聞くと、
仕事を休んでまで送迎してくださる保護者、
時間を割いて通級してくれる子ども達を
どう考えているのか、と思ってしまいます。

通級制が正式になるとき、国の諮問機関はこの問題を
きちんと指摘しています。
特定の先生が悪いのではありません。
システム上、運用上の問題です。
管理職を含め、このことをしっかり認識して頂きたいのです。

「通級学級に関する調査研究協力者会議」
http://www.ne.jp/asahi/tokyo/ld/ld_1992/060.html

「担当教員の職務の形態の特殊性にかんがみ、
担当教員について校務分掌などの面において
適切な配慮がなされることが望ましい」

通級制が発展してきたのは、その一つには、
そこに専門性を期待されるからです。
親の会とともに、何を大切にすべきか、
先輩方が積み上げてきたものがあるからこそです。

その歴史を無視して、あるいは訪ねずに、
数だけ増やそうとうするなら、
足下から崩れることになるでしょう。

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障害があるから、ただちに通級ではない

授業参観日に、ある学級の授業参観をさせて頂きました。

大部分の子どもは、問題なく過ごしていましたが、

多動で落ちつきのない子
姿勢保持が難しい子
不規則発言する子

実に様々なタイプがいるなあと、あらためて実感。

でも授業そのものは成立していました。

何よりも、先生の個別の配慮が見事でした。

無視と正の強化のタイミング、
一定時間ごとに肩に手をかける、
多動の子へのみんなの注目をうまくかわす。
許される行為と許されない行為のランキングと、
ランキングに合わせた指導、
叱る時も、感情的にならず、ゆっくりした口調で語りかけるように、などなど。

授業の内容、展開の仕方そのものも、実におもしろい。
見ていて飽きないのです。

そして先生は、子どものようすを実によくご覧になっている。
もちろん、何十人も相手なので、見逃すことはあっても、
あの子はこのときもこう発言した、ということをよく覚えておられて、
誉めことばに活かしていらっしゃる。

このクラスの子ども達は、授業の中でそれぞれ育ちを保障されている
という印象を強く受けました。

多動だから、ただちに通級ではない。
書けないから、ただちに通級ではない。
発音が誤っているから、ただちに通級ではない。

私は、通常学級での工夫だけでは足りない、
通級が必要な場合も少なくない、と普段思っていますが、
授業の工夫だけでもできることもある、
と反対側からも実感できたのでした。

もちろん、担任の先生の負担がどうなのかをいつも見ていく必要はあります。

文部科学省も同じことを言っているのですね。

「学習障害又は注意欠陥多動性障害の児童生徒については、通級による指導の対象とするまでもなく、通常の学級における教員の適切な配慮やティーム・ティーチングの活用、学習内容の習熟の程度に応じた指導の工夫等により、対応することが適切である者も多くみられることに十分留意すること。」
(文部科学省1178号通知。H18.3.31)


通常学級の授業から「取り出して」、通級するのであれば、
通級指導の質、専門性が問われます。

つまり、通常学級での授業を上回る意味が
その子にとってあるのでなければなりません。
様々な事情でそれが難しければ、
他の方法をとるべきでしょう。

形ではなく、本質、実質が大切であることを
授業参観から改めて学ばせて頂きました。

そして、組織や形はちゃんとしていないかもしれないけど、
職員室ではいつも子ども達のことが話題になっていて、
生徒指導上の困った子については、たくさんの事例があがる
うちの学校は、すばらしいなあと思うのです。

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「○○障害だから、この教材」じゃないんだけどなあ

某報道記事を見て。

まあ紹介して頂けるのはありがたいのですが、
どうしても、「これには、これ」というようなまとめ方に
ならざるを得ないですね。
限られた紙幅で、よりわかりやすい表現をするためには、
やむを得ないことなのでしょう。

本当はそういうことが言いたかったのではないですけどね。

でも記事が良い悪いというよりも、
そう書かないと一般の方にはわかりにくいということでしょう。


教材は、「その先生」と「その子」との関係性、
いわば「呼吸の具合」で
作られる、使用されるものです。

一生懸命作った教材であっても、
来室した子どもの表情を見た瞬間、
あるいは指導の過程で現れる、
子どものわずかの反応を見た瞬間、
それらを全部取りやめる、
あるいは大幅にアレンジする、
段階を調整すること、
より重要なニーズに近づくこと、
違う角度からアセスメントしてみること、
これらのことが大切だと思っています。

ある方法が良い、というものが、
他児にも使えるとは限らない。
まず、そのままでは使えないことの方が多い。

使えるとしても、使い方が違う。

その違いを知るために、詳細なアセスメントがあるわけです。

膨大なデータが必要なのは、
障害だけを切り取って見るのでなく、
子どもを丸ごと理解するためでしょう。
親子のドラマを自分のこととして、
内側から理解しようとするためでしょう。


テレビでバナナが良いと報道されれば、
バナナが何日も品切れ状態になる。

他国のことはよくわからないけど、
それが我が国の特性ならば、
その特性に合わせた戦略が必要なのだと改めて思いました。

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「しつけ」は、「叱ること」と同義ではない。

「しつけ」は「しつけ糸」

つまり、おおまかな方向性を示す、
というのが本来の意味です。

小学校時代、優等生と言われた子ども達が、
中学校に上がって、大荒れに荒れる学年になった
ということがありました。

小学校で力で押さえつけられても、
中学校で爆発したわけですね。

自分で考えてできるようにする、
というが教育なのでは。

急がば回れ。

即効性のあるやり方は、永続性はない。
ということだと思います。

子どもの育ちを長い目でみること。

親の会の大先輩の親御さんのお話を聞くと、
長い目で子どもを見ることがいかに大切かと思うのです。

20~30代の若者の死亡者のうち、3人に一人は
自殺という我が国の実態。

もっと自己肯定感を大切にしたいと思います。
それはまず教育ができることなのでは。


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歯の治療に見る特別支援教育の理想

子どもの歯の治療、フッ素の塗布に付き添いました。

歯医者さんでは泣くことが多かったのに、
今回は泣きませんでした。
子どもの歯科治療について、地域の評判が良い、
某歯医者さんの接し方がすばらしかったからでしょう。

従来、泣く子を無理矢理診察台に載せ、
泣いても「大丈夫だよ」という励ましで、
何とかがんばらせていましたが、今回は違いました。



診察台に座るところから、スモールステップの行動目標としている。
→「ここにすわってみようか」と促す。
しぶる子どもには、あくまでもやさしい促しだけで、
物理的に引っ張ったりはしない。

しぶるので、私も一緒に座って良いか尋ねると、
「一緒に座っていいですよ」と柔軟な対応。

その後も、子どものスモールステップの行動目標を設定していることが、
雰囲気からよくわかりました。

2 
診察台にDVDが置いてあり、好きなDVDを選んで、
見ながら治療が受けられる。
→緊張緩和に一定の効果。



使う器具一つ一つを見せて説明し、子どもが納得してから治療する。
→次に何をするのかを視覚的に提示することで、
不安感を解消しようとする試みですね。

子どもが拒否しているときは、絶対に無理をしない、強制しない姿勢でした。


4 
治療を嫌がった時は、その理由を検索し、柔軟な対応をしている。
→治療の途中でも、
「疲れた? じゃあ少し休もうか」と言って背もたれをあげる。

ことばの教室でも、練習中に子どもが多動になったり、嫌になってきたときは、
「疲れた?」と必ず聞き、小休憩を入れるようにしていますが、
同じ対応が歯科で見ることができるとは驚きでした。
保険点数に直接影響するでしょうに、
時間に余裕がないと、なかなかできないことでしょう。


5 
保護者の対応に柔軟に合わせる歯科衛生士
→ 最後の仕上げでどうしても拒否した子ども。
万策尽きて、親にしか出せない強化刺激のカードを切って欲しいという雰囲気を感じた私は、
「最後までがんばったら、○○のお祭りに連れて行ってあげる」
と言ってみました、
これは効果がありましたが、歯科衛生士は
その強化刺激の提示に歩調を合わせてくれました。

ただ、「お口を開けて」の指示にわずかに口を開けた反応に対して
すかさずほめることで、強化されたはずなのに、というシーンがありました。
また、「治療拒否」なのか「意思表示への抵抗」なのかの鑑別が、
歯科衛生士さんは見抜けない場面もありました。

しかし、それはその子にずっとつきあっている私だからわかることで、
初対面の方にはわかるはずもありません。

それどころか、初めの問診の段階で、
これまでの別の歯医者さんでの子どもの反応を細かく尋ね、
経過をアセスメントする姿勢はすばらしいものでした。

全体としては、
小児歯科治療の専門家である歯科医師、衛生士と、
その子の専門家である私の良いコラボレーションができました。

スペシャリストと、ジェネラリストの協調ですね。

ずばり特別支援教育の理想を見ました。

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「おなかいたい」にはいくつもの意味が

字義通りの意味
「おなかいたい」

言外の意味
「私のそばにいて。離れないで」
「本当は今は痛くないけど、ときどき痛くなるのをわかってほしい」
「本当は幼稚園(学校)に行きたいのに」
「本当は遊びたかったのに」
「本当はご飯が食べたかったのに」
「いつ治るのか、痛いのが終わるのか不安」


「おなかいたい」を大声で泣かれて言われ続け、
療育者側も精神的な負担に。

自分を責める気持ち、人を責める気持ちを抑えて、
子どもために何が必要か、常に粛々と前向きに考える。


「いたいねえ」「必ず治るからね」と声をかけながら、
お腹をやさしくなで続けてあげると、
不思議と訴えなくなり、
いつのまに眠りに落ちているのでした。

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自閉症・情緒障害特別支援学級

文部科学省は、やっと、特別支援学級の対象となる障害の名称に
「自閉症」を加えたようですね。

http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/1246163.htm

通級制においては、平成18年度から既に「自閉症」は明記されていたので、
特別支援学級の名称との間に、ねじれ現象がおこっていたわけです。

関係者にとっては、一歩前進というところでしょうか。

生まれつきの障害である「自閉症」が、
育て方が原因と誤解される「情緒障害」の枠で扱ってきたこと自体が、
誤りだったはずですから、明記されたこと自体は歓迎できます。

ただ、学級編成の仕方は、今までと変更がないようで、
たとえば、自閉症のお子さんと、情緒障害のあるお子さんがいても、
学級は一つだけで、従来通り、一緒に学習をすることになるのでしょう。

自閉症と情緒障害とでは、アプローチの仕方が全く違うと思うのですが。
学会でも学級編成のあり方についてよく議論になっています。

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「話し合い」よりも授業を見せ合う方が

今日は、支援員の方が、通級指導を見に来てくれました。
ちょうど時間がとれたということで。

他校では当たり前のことかもしれませんが、
うちでは画期的なことです。

場によって異なる子どもの姿を情報交換できたのも、
お互いに有益でした。
そこから、各場での役割分担が明確になってきました。

今日は通常学級の公開授業もあり、見に行きました。
ことばで議論するよりも、お互いに授業を見合うことが、
実は有効な連携になるのではないかと思うのでした。


おごらず、鼻に掛けず。
子どもの成果は、他の先生や関係者のお陰様。
子どもの未解決の課題は自分の課題。
という姿勢で歩まなければ、と感じました。

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ことばの教室発表ビデオを作りました

私は最近、各発表場面で、発表内容をビデオにしてしまって、
当日上映するという手法をよく用います。

理由は
1)予め言いたいことをまとめて録音しておくことで、
言い落としや、話題の脱線、早口を防ぐことができる。

2)録音した内容を自分で聞いてみることで、
内容の正確さ、妥当性などを検証し、録音し直せること。

3)万が一、発表の都合が悪くなっても、
主催者に録画したDVDだけ渡しておけば何となる。
また、似たような発表依頼を他から受けた場合でも対応しやすい。


作り方は、
1)まずパワーポイントを作成する。
2)パワーポイントの説明音声を画面ごとに録音する。
3)パワーポイントの画面をハードコピー(画面まるごとを画像ファイルとして保存)
4)ムービーメーカーを用いて画像と音声を編集する。
5)DVDに焼く!

ちょっと面倒ですが、慣れると簡単です。
「構音の指導研修DVD」もこの方法で作成しています。


さて、ことばの教室での実践を校内で発表する機会を得て3年目。
今年は私が担当することになりました。

ことばの教室では何をやっているのかイメージがつかみにくい、
というのが通常学級などの先生方の実態だと思います。
また、今年は実際の指導内容を示して欲しいという要望が出ていました。
したがって、今回は指導場面のビデオをできるだけ取り入れることにしました。

ことばで説明するよりはるかにイメージしやすいはずです。
通常学級の先生方との連携は、実際の指導を見て頂くのが
実は一番有効なのではないかと思っています。


ビデオの内容は、最近ブログに掲載した教材を用いた場面が中心です。
全部で35分。
第1部として実際の指導場面を、
第2部として通級児童の各種統計を提示しながら、
今後の課題を述べています。

このビデオは、「言語発達の指導研修DVD」に発展させることも意図しています。

教室の先生方の決済て、承認を得て本番に臨む予定です。

 

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安心感と子育て

どたばたして、今、我が子の生活全体を面倒見ています。
幼稚園が始まったら、弁当も作らなければなりません。

しばらくはブログの更新もしにくいですが、
今日は少し時間ができたので。


今日、図書館で本を借りてきました。
借りたい本を選ばせました。
中身をほとんど見ないで、
カバーの色合いだけで
4冊選んできました。

ねんねの前に、4冊読んであげました。

「読み聞かせ」でなく「読みあい」

そこまではできなかったけれど、

難しいことばをわかりやすくアレンジしながら、
絵の細部から読みとれることを「話し合い」ながら、
読んであげました。

文の正確な理解の前に、
子どもと楽しさを共有できることを優先しました。

借りてきた本はとても気に入ったようです。

本を枕元に置いて寝たいと要求しました。

本に手を大事そうに添えて、
いつのまにか眠っていました・・・。


集団では
ほとんど何もできない我が子。

しかし個別では、
これほどまでに生き生きと。


「標準に近づかせるためでない」
「安心感があってこそ、能力は伸びる」

ある有名な方のことばが、
時間が経つほどに、
心に深く刻まれていくのを感じます。
他のことばではそんなことはないのに。

不思議です。

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「わかりあい」とは

某団体が研究テーマとして掲げている「わかりあい」についての私の思い。
今年は発表なので、最後のまとめに書いた原稿から抜粋(一部改変)です。
(なかなか理想通りにはいきませんが、めざしています)

***************************

担任の先生方や保護者などには
「目で見た方が優れている」などと
紋切り型の説明をするだけの関わりから、
関係者の苦労をねぎらい、関係者の実践に敬意を払い、
本児の成功体験の喜びをわかちあうように、
私の関わりは変わってきた。

「わかりあう」ことは、
考え方を同じにするということでなく、
違いを認めあい、ねぎらいあい、
一致点を模索することの中に
見えてきたように思う。

****************************

愚痴を言いたくなるときは、自信がないときですね。

「誰も責めない」

難しいですが、めざしたいです。

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「みんな」「いっしょに」

*********************

学校教育の中で、
「みんな」「いっしょに」ということばがよく使われる。
もちろんそれは大事なのだが、
誰もが一人で生まれ、一人で死んでいく、
一人一人感じ方がみんな違うのに、
一つの絵を見てみんなで笑えることが愛おしい。
そのことの前提をとばして、
「みんな」「一緒に」は違うと思う。

********************

またまた心から頷けることばに出会いました。

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「読み聞かせ」ではなく「読みあい」

「子どもと言えば、青い空が似合う」と考えがちです。

しかし、子どもにとっての空は、
いつもこの瞬間も変わっていて、
高さはいつも新しい。
子どもは、世界との折れ合いの付け方を
日々調整して生きているのですね。

「この絵本はこんな本だから、この読み方がふさわしい」
と外側から決められることではなく、
あなたと私の中でこの瞬間にどんなものが誕生するか、
どんな世界が見えるのかを感じながら作り合っていきたい。

それが「読み聞かせ」ではなく、「読み合い」

という主旨のご講演でした。

私は感動とともに、「これだ」と思いました。


国語の教科書に出てくる物語文を読解する力は、確かに大切です。
しかし、それだけでは何か違う、と私はずっと思っていました。
今回の講演で、その違和感の正体をついにつかんだ、という感じです。


先生が絵本を読まれると、同じ本でもまったく違う本のように
おもしろく感じるのが、魔法にさえ感じました。

先生は会話でも、相手の反応をよく見ておられるのを感じました。
その場、その瞬間に感じ取れるものを大切にされているのだなと。

***********

私を励ましてくださったのは、同じ職種の方々もそうですが、
実は親御さんもでした。
がんばってよかったと思いました。

親の会をもう何十年も支えてくださった方々が、
引退を公式に表明され、これからの親の会の方向性も話題になりました。

今後は、ことばの親の会だけで続けるのは、
時代の流れからみて難しい。

他の親の会等の団体と連携を深めることが必要だと指摘がありました。
きっとそうだろうなと、私も思いました。

******************************

専門家だからとか、親だからとか、先生だから、とか、
確かに立場もあるし、考え方の違いもあるけれど、
その地下茎で確かにつながっているものがある。
何か引き合うものがある。
何か懐かしいものがある。
それらが立場の違いを超えて存在していることが感じられたとき、
私の心の傷は癒えていたのでした。

先生である前に、親である前に、専門家である前に、
この世で出会うことができた「人間同士」なんだなと。


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***


励まされたなあ

いろいろあって心に傷を負うことも少なくありませんが、
感謝されたり、励まされたりすると、
その傷は癒されてあまりあるほどに感じます。

傷を負ったからこそ、今の癒しがあるんだなあと。

わかってくれている人もいるのだなあと。

がんばってよかった。

この感謝の気持ちを今度は誰かのためにと思えるのです。

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***


「忙しい」は「心をなくす」と書く

またまた更新が滞っております。
大規模な催し物の準備で、時間がとれません。
愛読者の皆様済みません。m(_ _)m


最近思うこと

1 一人でも多くの人が、「通って良かった」と思える場を提供していきたい。
 世の中まんざら捨てたものでもない、と思って頂ける人が増えることを。
 せっかく頂いた命と世界ですから、世の中のために少しでも役に立ちたい。

2 DVDの頒布が、試行版を合わせて230枚を突破しました。
 ニーズは結構あるのだなと実感しています。
 つたない内容で、がっかりした方もいるかもしれませんが、
 逆に「役に立った」というご感想を頂くと、私が励みになります。
 学校の先生は長期休業日(いわゆる夏休み)に見る予定という方も多そうですね。


3 厚生労働省の調査では「仕事にやりがいを感じる」と回答した人が
 がくんと減ったとか。
 非正規雇用やいきすぎの成果主義を見直すきっかけになればと。
 どこかの療育病院で「自分の権利を守れなければ、人の権利も守れない」という主旨で、職員には年休の完全消化、時間短縮などに取り組んでいるそうで。
 財政的な裏付けがなければ難しいでしょうが、それを実践しているということはすばらしい。 
 ある哲学者は、
 「他人の人格をいつも同時に目的として扱い、決して単に手段として扱わないように行為せよ」
 と言っていたそうで。


忙しい時こそ、大事なことを忘れないようにしたいものです。
またまた、思いつくままに。

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***


支援者側の健康も大切に

「夜寝る前30分は、仕事をしてはいけませんよ!」
「好きなことをしてから寝てください」

就寝ぎりぎりまで教育の仕事をしている私に、
指圧の先生から「教育的指導」が入りました。

寝る直前まで仕事をしていると、交感神経と副交感神経の
バランスが崩れ、疲れがとれにくくなり、ストレスの原因になります。

私のブログを訪れてくださる皆様には大変感謝していますが、
夜中にアクセスされる方もおられるようで、
(もちろん、どこのどなたがアクセスされたかは、私にはわかりません)
どうぞ無理をなさらずに、と申し上げたいです。

さて、最近私は「どくだみ茶」にはまっています。
ちゃんと、やかんで沸かすやつです。
顔の皮膚につやが戻ってきて、精神的にも安定してきた感じがします。

その代わり、利尿作用でトイレが近くなるので、気をつけないと!

また、朝ウォーキングとストレッチも最近の日課です。
一日でもさぼると、体調がわるくなります。


「教職員の健康調査 アンケート速報!!」
http://www.kodomo-ouen.com/questionnaire/02.html

精神疾患で休職している先生が増えています。
皆様もお気をつけください!

子どもの前で元気な笑顔を見せられない、
疲れた顔で出勤するのは避けたいものです。
それができない勤務条件なら、何かが間違っているのです。


鬱病について。
最近「非定型鬱病」という概念が広がりを見せているそうです。

鬱病の典型と言えば、「日内変動」と言って、
朝調子が悪く、午後から回復してくるというのがあります。

でも最近は逆のパターンも増えているそうです。

不眠も鬱病の典型ですが、かならずしも不眠でなかったり、
自分を責めるのが鬱病だと思ったら、
他人を責めるのが主となるパターンもあるそう。

もっと早くこのことを知っていれば、あることについて、
さらに正確な評価と対処ができたかも、と思ったりもしています。

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もう少しゆっくりでもいいのでは

今日は休日。
久しぶりに身体のメンテナンスを受けてきました。

数年ぶりに訪れたその場所では、先生が私の顔も見るなり、
「初めての人じゃないですよね」と。
私を覚えていてくれたのでした。

しかし、寝ている私の頭の方に座った先生は、ぼそっと一言。

「白髪増えましたね!」

がーん。
くやしいけどその通り。
年を取ったなあ。

「先生も、○○○ですね」、などとは言わなかったですが。(^.^;


久しぶりに会ったといえば、もうかなり前に通っていたお子さんの
お母さんに、最近何人も、立て続けに、偶然街で会いました。

偶然がよく重なるので、
私は何か振り返ることを運命は求めているのかな、
とさえ感じました。

「お久しぶりですね」
「お元気ですか」
「お子さんどうですか」

内容は書けませんが、それぞれの展開を見せているようです。

でも思ったことは、
当時のお子さんの姿は、当時の周辺の状況との関係性を
前提としているのだなあと。

時間がたち、子ども本人の成長による変化も当然ありますが、
生活の枠組み、前提自体が変わり、
関係の中で子どもも変わる部分がある。

周囲の本人への評価の観点も変わっていくでしょう。

当時できなかったことは、今となってはそれほどの
問題ではない、ということも多い。

逆もありますが、前者の方が多いかも。

そこで改めて思ったことをいくつか。

1 指導者は、その時だけを見ていてはいけない。
 10年後、20年後の姿を思いながら。

2 できないことをつっつくよりも、できることを伸ばした方が
 予後は、できないことをできることでカバーできるんだな。

3 そんなに焦らないで、もっとゆっくり考えてもいい。


最近、特別支援教育について、
集団への帰属に重きをおく文脈が
強まってきている感じがするのは、私だけでしょうか。

「もっとがんばれ、もっとがんばれ」

「さもないと、世の中についていけないよ」、と。

一面それは事実だし、世の中の流れを無視して教育はなり立たない。

ただ私は思うのです。

特別支援教育にしろ何にしろ、
すばらしい技術や理念、言い回しがあったとしても、
それを
「本人がどう感じるのか」
の視点が一番大事なのではないか、と。

訓練のための訓練。

それもいいのかもしれないけど、
その子のQOL(生活の質)を高めるために教育はある、
平たく言うと、
「本人がそれによって楽しいと感じるのかどうか」
なのではないかと。

「楽しい」、だけでなく
「感動した」とか、
「うれしい」とか、
「役に立った」とか。


確かに、本人がいやがっても、やらせなければならないことはあります。

ただ、将来身につけさせるべきかどうかという視点は、
単にお勉強の成績とか行動だけではなくて、
「楽しい日々の積み重ねによる、心の将来への投資」
という視点も大事なのでしょう。

将来の幸せが人生の一部なら、
「今」の幸せも人生の一部なのですから。

LDの心理的疑似体験プログラム。

確かに広く普及しましたが、
自戒を込めて言うなら、
「のど元すぎれば」なんとやら。

定期的に体験し直すのもいいかもしれないですね。

本人がどれだけ苦しんでいるのかを、「内側から」理解する。

この原点にもう一度立ち返る必要があるのでは。

最近、そんなことを感じるのです。

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特別支援学級への支援も

先日の、ことばの教室の先生方向けの研修会には、
他の障害の特別支援学級の先生方も多数見えていました。

そこでもやはり「構音指導」のニーズがあって、
毎日試行錯誤されているのだなあと改めて感じました。

「お口の体操を毎日すれば、少しずつでも
発音が改善するのではないか」

こうした淡い期待と不安を抱きながらのことなのでしょう。

そうした先生方にもお渡しした『構音の指導研修DVD』が
少しでもお役に立てばと思います。

その子の構音の要因は、

お口の機能、形態の問題なのか。
聞いたことばをインプットし、処理し、表出する過程の問題なのか。
音に注意を配分する力の問題なのか。
心理的な問題なのか。
それらが複合的に作用しているのか。

構音の誤りは、どの音が、どのように、どれだけ、
どのような条件で検出されるのか。

あるいはその構音の状態は、本当に今指導のニーズがあるのか。


様々な観点からアセスメントし、その子にもっとも効果的と
思われる方法で指導を行うのが、通級での構音指導です。

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NHK「今日の健康」4月10日午後8時30分

(以下、引用)

正しく知ろう 学習障害
[お茶の水女子大学教授] 榊原 洋一
知的発達には遅れはないものの、読み書きや計算が極端に苦手が子どもたちがいることは、以前から知られていたが、最近では、学習面や行動面などに困難を抱える子どもについて研究が進み、「学習障害」とされるようになってきた。普通の子どもと変わりないため、やる気がないなど誤解されてしまうことも多いので、学習障害が疑われる場合は、家族や学校関係者など周囲の大人が早めに気づき、適切に対処することが大切。

(引用終わり)

http://www.nhk.or.jp/kenko/

わずか15分の番組ですが、基礎的な啓発という意味で、どのようにまとめるか興味があります。

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発達障害情報サービス(厚労省) 良質のHP

 発達障害情報サービス(厚労省)
 http://www.mhlw.go.jp/ddis/index.html


説明が大変わかりやすく、学術的にも正確だと思いました。
発達障害についての誤解をとても丁寧に解説しています。

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DVDブック どうする?ゆうきくん

NHK学校放送の『みてハッスル、きいてハッスル』の中の
ソーシャルスキルのコーナーが、本とDVDになって出ました。

『DVDブック どうする?ゆうきくん』NHK編、2008年2月

学校予算で買ってもらいました。

DVDは映像でわかりやすいのはもちろんですが、
的確な発問が含まれたワークシートや、ぺープサートも
添付されていて、すぐに使えます。

各課題についての解説も的確だと感じました。

ソーシャルスキルは、単に映像を見せれば身に付くものでなく、
実際にやってみる(ロールプレイング)ことや、応用行動分析等を
組み合わせて行うことが大切だと思います。

そうした観点も解説には入っているので、納得です。

***

さて、話が逸れますが、


高機能自閉症(アスペルガー症候群)のある子どもの中には、
人付き合いの上で、たとえば以下の失敗が多いことがあります。

*************************

・相手のことばや行動の意図が読めない
(したがって、自分は被害者だと誤解しやすい)
・相手が嫌がる、傷つくことばを平気で言う
・前後の文脈に関係なくただ自分の言いたいことだけ話す
・一方的に話し、他人の話が聞けない
・他人の会話や、何かやっている最中に割り込む
・言葉の前提条件がぬけるので、何を話しているのか人にわかりづらい

などなど

*************************


単なる「わがまま」、「自己中」と思われがちですが、
実は上記のことが原因で、人付き合いがうまくいかないわけです。
本人にとっては、わけがわからないのに人に責められて、
つらいのではないでしょうか。周りの人もつらいです。

たとえば、ゲームなどに負けそうになると、すぐ「やめた」と言って
周りから責められる。
責められた本人は、その意味がわからず、逆切れして相手を責める・・・。


原因を探り、場面の状況を解説してあげたり、練習をして、
日常生活で失敗体験を積み重ねないようにするには、
他人の支援が必要と思います。

自分はどういうことが苦手で、どうしたらいいか、という自己理解も。

「自分は普通でないと感じていたが、その原因がわかって安心した」
梅永、2004、「診断を下されてよかった理由」より。

実は私自身も、診断名をくだされたことはないけれど、
この道に入って、このことを知って、安心した部分があります。

ただ、大人になってからでは、就職してもその後、
結婚してもその後が問題になってきます。
学校教育のうちに・・・と思うのです。

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・・・(TOT)


1 指示はわかりやすく
2 褒める
3 予告する
4 「××してはいけない」ではなく、「○○する」

などなど・・・。

これら子育ての基本は、
この仕事で食べている人には常識ですね。
でもこの常識を
どのように人に伝えていけばいいのか・・・。

「口で語るな。実践で語れ」
というけれど、
なかなか伝わりませんね。

スモールステップは、
子どもに対してだけではないですが・・・。

やっぱり、子育ての当事者も成功体験が積めるように、
こちら側が工夫しないといけないのですね。
当事者にもいろんな方がいますから、
個々のニーズに応じて。


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至言3 「叱るより褒めるというのは、単に時代の流れだからではない」

「罰は即効性があるが、
やがて効かなくなり、
より強い罰にエスカレートする
という科学的事実に基づいている」

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