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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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「修了」か「終了」か

前任校では、ことばの教室の修了判定会議で
修了と判断された子には「修了証書」
継続の子には「努力賞」
修了ではないが、卒業のために通級を終わる子には「奨励賞」
が授与されました。
パソコンが得意な私が賞の製作に携わったのでよく覚えています。

何か違和感はあったけれど、当時は理論的に違和感を説明できず、
昔ながらということで、慣例に従っていました。

修了式には来賓が出席し、
「修了できなかった子ども達」の前で、
「修了生の皆さん、修了おめでとうございます。
ことばが治り、これからは自信をもって暮らして下さい」
と挨拶。

ICFという新しい障害モデルが登場し、
通級対象が変わってきて、この昔ながらの考え方が
妥当かどうかという議論が起こりました。

「修了」を「終了」に書き換え、
障害についての考え方を改め、その考え方が
形にならなければならない。

今、修了式や証書授与を廃止したり、簡素化した教室が
増えてきています。

前任校では、しがらみもあって、すぐに廃止にはなりませんでしたが、
今の教室に転勤してきて、それらが全て廃止され、
しかも親の会からは、「修了」「継続」にかかわらず、
一年がんばって通った子には全てプレゼントが当たる、
という先進的なあり方に感銘を受けたものでした。

ちなみに法的には、途中退級や卒業など全てを含め、
「修了」ではなくて、「終了」なのでした。
現場より法的な方が、インクルーシブなのではとすら思えます。

昔の機能性構音障害が主だった時代には
「がんばれば、ことばがカイゼンする」
は通じたかもしれませんが。

式の練習のために、指導を休みにした時代が懐かしいです。


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中学校への引き継ぎ

通級担当児童が卒業します。
中学校への引き継ぎ文書を作成しています。
引継ぎで大切なことについて、諸先輩や実践家の先生方から
教えて頂いたことがあります。

1 引継ぎ文書は、関係者間のコミュニケーションツールの一つに過ぎない。
  様式にとらわれない。引継ぎは、フェイス トゥー フェイスが基本。

2 たくさんのことを盛り込みすぎない。字が多いと読んでくれない。

3 保護者と話し合って、同意を得た内容について引継ぎ文書とする。

などなど。
そして本当は、

4 保護者自身がそれぞれの機関に様式を持っていき、
 それぞれの機関で書いてくれたことを保護者自身が引き継ぐ、

というスタイルが、プライバシー保護上も望ましいとは思いますが、
条件が許せばの話しです。

いずれにせよ、経緯の事実だけでなく、
通級担当として、指導記録や、それぞれの関係者へのインタビューなどの
膨大な情報を整理して、「総合的判断」、「予後の見通し」を組み立てるのは、
かなりの労力です。

こんなこともあったなあ、あんなことも、でも随分成長したなあ、
と感慨にふけりながら作成しました。
そして、これでよかったのかなあ、など心の痛みもスパイシーです。

以前、行政で作成したIEP様式の検討に関わったことがありますが、
今回作っている文書は、それとは様式がかなり違っています。(^_^;)
似た部分もありますが、様式も一人一人ある程度違っていても
いいのでは、と思っています。
ひとり一人の特性が、相手に伝わることが目的なのですから。

IEPを作ることが目的になっている昨今の状況は、どうなのかなあ
というのが率直な感想ではあります。

関係者同士がコツコツ顔を合わせて情報交換する過程こそが
大事だと思うのです。
というか、作成のために、子どもと向き合う時間が減るなら本末転倒ですね。

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オヤジギャグ

オヤジギャグが、予想外に、親子との人間関係に
すばらしい潤滑油の役目を果たすことがあります。

また、オヤジギャグが子どもに通じるときは、
音韻分析能力の発達状況を評価するための
一つの情報にはなり得るのでは。

試してみる価値はあります。

魚釣りゲームをしていて、イカをずるして釣ろうとする子どもに、
「イカをそんな風に釣るとは、イカサマだ!」

一対一の狭い指導室で、ウケなかったときの余韻、寂しさは、
かなりのものがありますが・・・。

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ほめる場面で一番いい笑顔をしているのは

ほめられた人ではなく、ほめた人なのだそうです。

先日テレビでやっていました。

ある企業では、職員の退職率が高かったそうですが、
ほめる研修を職員全体で受けて、
ほめるシステムも作ったところ、
退職率が激減したそうです。

世知辛く、余裕のない世の中ですが、
遠回りのようでいて、実は近道なのは、
子どもも大人も、
いいところを見つける、見つけられる、
ということなのでは。

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DSM-5

DSM-V の案が出たようですね。

まだ、ワーキンググループは○○を推奨しますと書いているので、
これから各ワーキンググループの提案を検討するということでしょうか。
まだ変わる可能性があるということですね。

Learning Disorder に代わって? 
Learning Disabilities  が 登場しましたね。
でもその範囲は日本のそれよりやはり狭いままで、
読み、書き、計算に限定していて、
それ以外の特定不能の学習障害も、
Learning Disabilities  の中に入れると、書いてあるような。

また自閉症のところが、ASD 自閉症スペクトラム障害として、
アスペルガー障害や特定不能の広汎性発達障害もその中に含めるというのが
大きいところでしょうか。

 
英語が訳せないので、正確なところはわかりませんが、
だれかがわかりやすく解説したレポートを出して頂けるのを
待つことにします。

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安心感が全ての指導の土台

来室時の子どもの表情や行動に注目することが大切です。
明るい表情なら、「いい顔してきたねえ」
暗い表情なら、「今日は元気ないね。何かあったのかな?」
とワンストローク交わして、深入りはしない、というようにしています。

指導記録に「来室時の様子」を書く先輩がいたのを思い出します。

通級してくる子ども達の中には、
たまに上着を脱がない、脱ぐことをためらう子がいます。

こうした子の行動を指導する前に、
その子の背景を感じ取ることが大切だと思っています。

つまり

1 寒暖の差をあまり感じ取れない特性がある。
2 ある種のこだわりがある。

そしてもっとも丁寧に見なければならないこと

3 その子に何かの強い不安がある

学校や家庭での不安かもしれないし、通級の不安かもしれない。


実はうちの娘も入園式数日後の集合写真で、
最後まで帽子を脱ぎませんでした。

先生に、写真撮影だから脱ぐよう何度も促されましたが、
泣きじゃくって絶対に脱ぎません。
できあがった集合写真を見ると、うちの子だけ
帽子をかぶっていました。

私はすぐに、不安が影響しているとわかりました。
当時は幼稚園に行きたくない、と毎朝泣いていて
食事も喉を通らない、という時期でした。

かぶらせながらも写真撮影をしてくださった
関係者の皆さんに、わかってくれたことをとても感謝しました。

実は私も就職してから、不安がとても強いときに、
上着を着たままの時期がありました。
そのときは自分でもわからないものです。
今ならはっきりわかります。

もう一枚着て、自分を守らないと、不安なのです。

上着を着たままなのは、たしかにマナー違反。

しかしそのときに大事なのは、マナーを教えることなのか、
それとも不安に寄り添うことなのか。
そのことを、その子の過去から未来までを通して
見つめた中で判断するのでなければならないのでしょう。


人は、安心感があってこそ、初めて順法精神や
マナーを守って人付き合いをよくしていこうという
気持ちがわいてくるのでは。

何が土台で、何が応用なのか、
いつも優先順位を考えていきたいと思っています。


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ある開業医の怒り-ステレオタイプを卒業しよう

某地方雑誌をパラパラめくっていると、
ある開業医の怒りの記事が載っていました。

つまり、医師は、勤務医より、開業医の方が楽だという
見方は間違っている、もっと現場を見て欲しい。
休日も最新の研究を学び、この地域にも
最新の医療を提供しようとがんばっている、
予定のない休日は、年3,4日しかない。
開業医は経営のことも考えなければならないし、
高額の最新の機器を購入して分割で返済するなど大変。
ストレスで、診察中に倒れたこともある、とのこと。

いやはや、テレビで「勤務医の条件が悪くて開業医に」
という実態が報道されているのを見て、そうなんだと
単純に考えていたのを反省させられました。

○○障害だから、この指導法。

というのもやはりステレオタイプ。
一人一人の違いを丁寧に、科学的に見ていくところに
指導の本質がある、と常に自戒したいと思っています。


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次年度の通級担当向け研修会

meeting1.jpg









次年度の通級指導担当教員のための公的な研修会を
そろそろ組み立てています。

要望が多く、今回主催者が理解してくださったのは、
年1回を2回に増やすことです。
1回目は基礎的な内容の研修、
2回目は中級的な内容です。

初級的な内容では、
検査と指導の基本を扱いますが、
子どもが単にできないことをできるようにするといいうだけでなく、
子どものつらさを内側から擬似的に体験する内容に。

中級的な内容では、子どもの見立てから指導仮説を
どう立てるかを徹底して鍛える内容にしたいと
考えています。

新しく担当した先生や、担当が一人しかいない教室では、
仲間同士で事例を深め合うということができにくいです。

グループ毎に、一つの事例について話し合う機会を設けることで、
協議する力や、アセスメント力をつけることができれば
と考えています。

最後のコマでは、実際に教材を作ってみて交流します。

簡単に言うと、特別支援教育士の指導実習のイメージです。

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教育困難の中学校

zetubou.jpg






私の初任は中学校で、地域で3本の指に入る
教育困難校と言われました。

校舎は、まさに柱以外は全て破壊されました。
殺人以外の非行は全てそろっていました。
対教師暴力で骨折した先生もいました。
いじめの手段も一通りそろっていました。

授業はあちこちのクラスで不成立で、
学校全体が休み時間なのか、授業時間なのか
わからない状態でした。

私はと言えば、教材研究も中途半端に
部活の指導に時間をとられ、
帰宅後は疲れ切っている中で、問題行動をとる生徒の
保護者に連絡を取るなどしていましたが、
行き違いも少なくありませんでした。
深夜まで家庭訪問に出かけたりもよくしました。

翌日の教材研究や学級経営の準備もままなりませんでした。

人事は3名が新卒で、そのための新卒指導教員の先生も新卒でした。
若い先生方ばかりで、ベテランはほとんどいませんでした。
学校全体が地域の信頼を得るのが難しい状態でした。

先生方の飲み会は、お通夜のように暗いことも
少なくありませんでした。

赴任当時は、ゴールデンウィークまで
生きていけるだろうかという不安にかられました。

今にして思うと、発達障害があると思われる子ども達が、
割合として多くいたように思います。
もちろん、環境的な要因がその状態を助長させていた部分も
多々ありました。
何か病気だろうというような認識は持っていましたが、
詳しくはわかっていませんでした。
当時は発達障害という概念自体が整理されていない時代、
LDといえばレーザーディスクと誤解された時代でした。

周りもたいへんだったけど、一番たいへんだったのは、
本人たちだったでしょう。

今にして思うと、もっとこうすればよかったという心の痛みを
覚えます。
ただ、新卒の私にとっては、あのときはあのときで
限界だったのではないか、
数多くの失敗体験から学んだ今だからこそ、
色々なことが言える、とも思えます。


成人してから、あるきっかけで彼らに会いました。
敬語で話しかけてくる姿を見て、立派な成長に感動しました。

今だけを見るのでなく、過去の経緯や未来へのつながりの中の現在、
という視点で学校を、地域を、先生方を、子ども達を見ることの
大切さを想いました。

そして、よそ者としての視点ではなくて、
私にできないことは人に求めない、
その現場で自分が担任をしていたら、という想像力を発揮して、
その大変さを感じ取り、労をねぎらい、
悩みに寄り添うという姿勢を
これからも大切にしたいと思ったのでした。

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きょうだいの支援について

ご質問頂きましたが、質問内容は非公開ということで承りました。
でも、回答も非公開にすると、お相手も読めないので、
こちらに回答させて頂きます。

一般に、きょうだいはいろいろと我慢していることが多く、
比べられることへのつらさもありますね。

また、該当の子への支援が中心になり、きょうだいへの目配りがどうしても少なくなってしまいますから、きょうだいを含めた行事への参加とか、きょうだいも親に愛されているということが伝わるような接し方もあるようですね。

下の子が上の子を超えても、親が上の子の長所をとらえて、長所を大切に接することで、きょうだいも接し方をまねていくのでは、と思いました。点数じゃないよ、というように。

あとは、ご家族の状況を直接拝見しないことには何とも言えません。
家族関係はシステムで、全体をとらえていく必要がありますので。

ほか、きょうだいに関する論文、文献、親の会の取り組みもあるようですので、検索してみてください。

ことばの教室では、きょうだい間の評価と関係調整を図るために、いっしょに通級し、指導に参加して頂く場合があります。楽しい遊びを共有するだけで、きょうだいの表情が週毎に明るくなり、親御さんの肩も少し軽くなったかな、という場合があります。

それと、ご本人のある情報については、是非病院の先生にお話しされると良いのではと思いました。
そのことが本人の自信の低下につながるおそれもありますので。
もちろん、プロであれば、限られた情報から色々推測することが必要ですが、より正確にとらえ、正確な手立てを考えるためには、情報が大切です。

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就学指導委員会

就学指導委員会の面接が来週からあります。
就学指導委員会は、就学の措置、ハコモノの整備の
必要性の答申が役目です。
教育予算の編成とも絡むので、
人員配置や空間などの物的条件の答申が主たる目的です。

個別的な具体的配慮は、担任同士、学校同士の引継ぎの中で
行われることに期待し、委員会としては基本的には措置までが役目です。

しかし最近は、個別の具体的な配慮など、
いわゆる発達障害についての相談も増えてきました。

しかしうちの町では、相談を受ける人員と時間などの都合上、
措置の判定までが限界であり、それが元々の役目でもあり、
いわゆる通常学級に在籍する発達障害のある子どもの
個別的な具体的配慮までには手が伸ばせないのが
実態です。

この時期に面接時間、検査時間を増やすことは、委員を務める
学校の先生の日常の授業にも著しい支障を与えます。
かといって、予算のタイミングの関係上、この時期を
ずらすこともできません。

また、田中ビネーだけでは個人内差を十分把握できませんし、
学校生活の場面を実際に観察しなければ、その子の実態は
とらえにくいですのです。

それらの仕事は、本来は専門家チームの役目であり、
役割分担すべきだ、と就学指導委員会で何度も指摘
されているのですが・・・。

実は私も、うちの町の専門家チーム巡回相談員を
お願いされていたのですが、色々とあってナシになりました。

今私にできることは、担当している子ども達が
進学後もスムーズな支援を受けられるよう、
中学校の先生への引継ぎに一工夫を凝らすことです。

ただ一方で、就学指導委員会に個別の教育支援計画を
利用する実践が全国で出てきています。
就学指導委員会できめ細かな対応も検討しようという
試みなのでしょう。

いずれにせよ、ハコモノ(ハードウエア)と、
手立て(ソフトウェア-)の両方からアプローチすることが
重要です。

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非力だからこそ、すべての人に感謝をこめて

就学指導委員会や、巡回相談の季節になりました。
今年は延べ140ケースの相談と判定に関わります。
また、発達検査もお手伝いすることになり、ますます勉強していかなければと襟をただしているところです。

さて、色々な方と関わる上で大切にしたいことです。

田中康雄先生は、『軽度発達障害のある子のライフサイクルに会わせた理解と対応 --仮に「理解」して 「実際に」支援するために---』学研
の中で、「他職連携のコツ」として、こう述べています。
 
 

 

*****************************

①互いの職場に足を運ぶ。そこここの仕事の内容・職場の雰囲気、大変さに身と心を寄せ、できるだけ理解しておく。

 

 

②ここで自分が、この仕事についた場合を想像してみる。

③話をするときには、それぞれの職場での専門用語を使用しないように注意し、できるだけ日常のことばでのやりとりをする。

④出会った時には「ご苦労様。お互い、大変ですね」と声をかけ、相手をねぎらうことを忘れない。くれぐれも、苦言・提言から話を始めない。

⑤関係者の助け合い・支え合いは、保護者と子どもを支える基になると考えておく

⑥それぞれの専門性を尊重し、尊敬する。

⑦最も大切にしたいのは、子どもの「今の心」であり、「未来へ向かう育ち」である。
 

 

***************************

人を責めたくなるときは、たいてい、自信がないときですね。
相談業務に関わる時、上記のことを思い出して、少しでも精進できればと思っています。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

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通級の心理的な負担を減らすには

以下の相談がありました。
回答をさせて頂いています。

http://kotobaroom.blog.shinobi.jp/Entry/312/#comment1


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指導報告書

当教室では、年2回、学級担任の先生に「指導報告書」を送っています。
通級での指導目標、手立て、子どもの状態像の変化や予後の推定、
学級での配慮をお願いしたいことなどを書いています。

指導報告については、以下のことが大切と考えています。

1 
忙しい学級担任の先生に読んで頂くため、
文字数は少なく、文字のフォントは大きめにして見やすく、
端的にまとめたものであること。
盛りだくさんに書くと、かえって読んで頂けません。


学級担任の先生との「双方向」の情報交流が大切であり、
一方的に報告するというよりも、リアクションしやすいように記載すること。
→「学級での様子についてもお知らせ頂けると幸いです」
「学級での学習面、コミュニケーション面、運動面、集団活動などでの様子はいかがでしょうか」
「指導の参考にしたいので、是非お知らせ頂けるとありがたく思います」
というように。

「指導報告書」を送っても、何の反応もない、という通級担当の先生の嘆きを
聞くことがありますが、こうした一言を添えるだけでも違います。

報告それ自体に単独で意味があるのではなく、
報告することでどんな教育効果を期待するのか、
読む側にとってどうなのか、まで見通した上で取り組むことが大切と思っています。

今日、早速一ケースについて、学級担任の先生から電話で
リアクションがありました。ありがたいことです。



学級での配慮事項を書く際、「上から目線」にならないこと。
→30~40名見ている学級担任の先生には、その子にだけ、
ああしてください、こうしてください、とは書けません。
「本児は、○○の特性を持っているので、
視覚的に見せてあげることでわかりやすくなるかもしれません」
というように、子どもの特性を挙げるにとどめます。
その特性に対してどう指導するかは、あくまでも学級担任の裁量であり、
通級担当がとやかく言うのは、越権行為だと思うからです。

ただ、たとえば、自然改善が難しい構音の誤りについては、
「引き続き、発音の誤りの指摘は避けて頂き、
会話の内容に反応して頂けると幸いです」
というようにお願いする書き方をしています。

構音指導の報告では、「舌平らをあめ玉を使って練習し」
などという内容は、学級担任が読んでも、日常に活かしにくい部分です。
練習方法よりも学級での配慮事項、予後についてお知らせした方が
意味があるのでは、と思います。



自校通級の学級担任の先生には、指導報告書を手渡しする。
→机の上にポンと置いてしまわざるを得ないのが、
時間帯が合わない教員同士の宿命です。
ただ、この機会を捉えて、時間を何とか見つけて、
手渡ししながら、「最近、○○ちゃんどうですか?」
という情報交換のきっかけにします。
紙よりも、顔を直に合わせて話すのが大事だと思うからです。

同じ報告でも相手の反応によって微妙に表現を変えるのが、
コミュニケーションですね。
紙だとそれがしにくくなるので、紙と同時にニュアンスも
報告させて頂くということ。


5 
わかりやすい表現を心がける。
→指導記録、カルテなどは、むしろ専門用語を用いなければなりませんが、
「指導報告書」など外部の人に見てもらう文書は、
専門用語をかみくだいて、わかりやすい表現にしなければなりません。


・・・・・・

「ことばの教室では何をやっているかわからない」
という声を学級担任の先生から伺うことがあります。

それは、報告が届いていない場合もあるでしょうが、
ときおり、報告が届いているはずなのに、こうした声が
聞こえることがあります。

それは、単に報告していないからではなく、
もっと別の意味がある、と語用論的に
とらえる必要があります。
つまり、ただ報告の量や頻度を増やせばよい
という話ではないようです。

指導を実際に見て頂き、その後ディスカッションする、
というのが最もわかりやすく、意味のある連携だと思います。
学級担任への配慮事項を求めるなら、
それを自ら実践している姿をお見せできなければ、
本物とは言えないでしょうし、
学級と通級での子どもの姿の違いを生で見て頂いた方が、
学級担任の先生にとってはるかに、本質的な
気づきを提供できるはずです。
また、学級担任の先生からも色々アドバイスを
頂ける場合もあります。

つまり、文字に書いた紙の報告書はあくまでも
連携のきっかけに過ぎない、というおさえが大事では。

なかなか時間がとれませんが・・・。

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「ゲームロボット21」で体調を測る?

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%A4%E3%83%9E-%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%8821/dp/B000B7C6RW

これは、教室では結構人気です。
21のゲームが入っています。

独身の時に自腹購入したのですけどね。

特に人気なのは、「光と音を追え」
つまり、9つのランプがランダムに光るので、
その順番通りに押す、という課題です。
1回やるごとに、光る個数が増えていきます。

一回ごとに交代して、失敗した人が負け。

視覚的な短期記憶、継次処理ですね。

導入時のラポート形成や、構音指導の小休憩などに使います。

色々な子に試して、その日によって成績が違うのは、
実は私自身でした。

今来ている実習生にも指摘されました。
「先生、昨日は強かったのに、今日はどうしたんですか?」

私の場合、何をやっても調子がいい日と、
その逆の日の差が大きいようです。

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言いまつがい 2

スポーツ後らしく、汗をびっしょりかいて来室した子ども。
気持ちよく構音練習するために、
タオルを差し出して、「これで汗ふいて」と言うべきところを
「これで汗かいて」
(もっとスポーツさせてどうする)

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それぞれのペースでの育ち 

「かわいい」と近寄る女性。
「お菓子食べられる?」と、食べかけを持ってきた小学生の女の子達。
「目がくりくりしてきれいだね」と声をかけるおばあちゃん。

「かわいい。ばあばあ」とあやす小学生と思われるお兄ちゃんと妹。
まもなく泣き出すわが子。
いつのまに、人見知りをするようになったのね。

泣く姿を見て、きょうだいの妹と思われる子が、
両手を必死に合わせて「あ~あ」と謝っています。

「いいんだよ。声をかけてくれてありがとう。
知らない人だから、ちょっとびっくりしただけだよ」
と話すと、納得して頷いていました。

職業柄、すぐに発語の困難があるお子さんなのかな、
ようすを見ると理解言語はそれに比して高いな、と思いながらも、
その子のやさしい振る舞い、輝く瞳にほのぼのとしたものを
感じました。


我が子は、ジェスチャーを伴わない「はくしゅ」の口頭指示で
拍手するようになり、翌日も可能、場所を変えても可能なことから、
音の聞き分けや語い、長期記憶、運動の随意性、
ことばと行動の結びつきができはじめたなあと。
人見知りから、顔などの見分けができはじめました。
指さした方向にやっと見てくれるようになりました。
三項関係ですね。

中途半端な知識を持っていると、色々心配になりますが、
みんな、それぞれのペースでの育ちがあるんですよね。

温かい声かけは、人をこんなにも
ほのぼのと温かい気持ちにさせるのか、と思いました。

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玉井邦夫先生の臨床研修会  経緯を理解する

学校の給食で、あるものをいっぱいかけて食べる子ども。
単純には「親がかけさせているから」、「好き嫌いを容認しているから」となりますか。
しかし、そこには経緯がありました。
子どもの認知特性の他、お母さんの子育てのとてもつらかった悩みの経緯。

というお話しは納得でした。


私たちは、今の現象だけを見て判断してしまいます。
今だけを見て、経緯をよく調べないということでは、
単純な因果で「推測」してしまいやすいものです。

「ことばが遅いのは、お母さんが声かけをしなかったから」
など。

研究団体の資料にも書いてありましたが、
「生育歴」は、単に「一語文が1歳」というような数値だけを
意味するのではありません。
親子が、周りが、どんな過去の経緯の積み重ねで今があるのか、
どんな思いで生活していらしたのか、

経緯を知っているのと居ないのとでは、指導のあり方、優先順位や保護者支援のあり方に大きな違いが生じる場合があります。

かつて研究団体は「問題発生要因の仮説」を立てることを大切にしていました。
つまり「何が原因か」。
「○○が原因で、今の△△の状態があるのではないか」
ということ。

しかし今は、「問題発生要因の仮説」が、「問題の仮説」に変わりました。
つまり、その子にとって、関係者にとって、「問題」は何か。
同じ構音障害であっても、AくんとBさんとでは、
様々な条件を検討したときに、「問題」の焦点が違うということ。
同じ状態でも、一人一人教育的ニーズが違う、ということですね。

この時点で、「生育歴」をなぜ調べる必要があるか、
その意味が180度変わった、と私は思っています。

少なくとも、単純な因果律でとらえるのではなくて、
物事は因果の複雑な連鎖、部分と全体、過去現在未来の響き合いの中に存在しているということを観じつつ、一つ一つの臨床に丁寧に関わっていきたいと思うのです。

経緯を理解することは、誰かを犯人扱いするためではなくて、むしろ未来に向かうための礎となるのです。

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発達障害とパーソナリティー障害

「自己中心的」とか、
「傷つきやすい」とか、
「自分に甘く、他人に厳しい」とか、
人のパーソナリティーを表現することがありますが、
発達障害とパーソナリティー障害、
そしてPTSDとの関連を考察する講義を
ある小児科の医師から受けました。

この分野の研究はあまり進んでいないそうですが、
当事者、関係者にとっては関心の高い事柄ではないでしょうか。

「どこまでが障害で、どこからが・・・」というような。

一つ間違えると誤解を生みかねませんが、
今回の講義はレベルが高くて、久しぶりに知的好奇心が
高まりました。

当事者にとって「パーソナリティーを」というのは難しいのでは、
と思いながらも、
でも活動後の「振り返り」など、SSTの分野で行われていることの中には、
パーソナリティーという視点とつながる部分も少なくないのでは、
と思っています。

夫婦の関係がよくなくて、子育ても苦労している保護者には、
「夫(妻)をあきらめなさい」ということを先生は話すことがあるそうです。

「あきらめる」ことで、気持ちが軽くなり、
そのことで相手が変わり、
やがて子育てにも参加するようになる。

「夫(妻)はこうでなければならない」
と考えるほど、苦しくなりますね。

「良い意味でのあきらめは大事」
とても納得でした(^_^) 。


以下のことは、生きやすさにつながるようです。
支援者にとっても大切な視点ですね。

「生きやすいパーソナリティーとは」

・自己の受容→自分の不完全さを認める
・自分の行動への責任感→自分の役割を遂行する
・他者への信頼感→他者の行動に受容的である
・集団への所属感→他者と協力しようとする
・貢献感→他者の役に立ちたいと願う


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人も一人一人、物事も一つ一つみんな違う

「かさ  かっぱ  ながぐつ  サングラス」

違うのはどれ? 
というような課題を子どもに対してすることがあります。

「サングラス   他は全部雨が降った時に使うから」
というのが模範的な解答です。

しかし、条件によっては、違った解答もあり得ます。
たとえば、かっぱだけが自分の家にはない、とか。

つまり同じ物でも、何を視点にするかによって、同じだったり、違ったりします。
視点によって、違うものでも、同じに見えるということです。


人は過去の経験というフィルターを通して、現在、未来を見ようとします。
そのときに吟味が必要なのは、そのフィルターがどんな特徴があるかを
自分で把握すること。

つまり、目の前の出来事は、過去の経験と同じではない。
一つ一つの出来事には、それぞれ独自のダイナミズムがあり、
その出来事固有の意味が託されている。

過去がこうだったから、今回もこうに違いない、というのは、
眼前の出来事のオリジナリティーを見失います。

眼前の出来事は、独自の過去と未来を結ぶ今という接点です。
独自の過去からのつながりという視点なくして、今をとらえることはできません。
とらえることができたとすれば、それはごく表面的な理解にすぎません。

人は似たような経験を結びつけて分類し、物事を法則的に
とらえようとします。
しかし、その法則、言い換えれば、物事を見るフレームワーク自体が、
どんな独自性を持っているのか、つまり「違い」について
自己検証が必要ですね。

自分のことがわかった分だけ、他人のこともわかる。
逆に言えば、人は自分自身の理解のレベルまでしか
他人を理解できないということ。

実は、これ、子どもに対面する支援者に欠かせない視点だと
思っています。

自分自身の掘り下げの範囲までしか、他人や出来事を
とらえることはできない、ということを謙虚に受けとめ、
自己のフィルターを点検すること。

新しい考え方もいいですが、
人類が数百年、数千年にわたって培ってきた智恵も大事だと思っています。

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連携の本質とは

夏休み後、子どもが急に伸びた、というお話しを
職員室で複数のケース、複数の先生方から聞きます。

あれもできない、これもできない、だからここを標準に近づけようとか、
順位を上げようというのでなく、子どもの育ちをじっくりと見守り、
肯定的に評価する。
その変化のリズムに合わせた関わり、ということの
大切さを学ばせて頂きました。

そして何よりも、先生方が子どもの肯定的変化を
とてもよくとらえていらっしゃることがすばらしいと思うのです。

何年生だからこれができて当たり前、という視点でなく、
この子にとっての育ち、と言う視点で。

そして先生方がいつも、子ども達のことを話題にして、
情報交換、連携している。

本当にすばらしいなあ、と思うのです。

私は担任の先生や、支援員などに、
通級時の様子を文書で報告することがありますが、
一番反応があるのは、その文書の内容でなく、
そこに貼り付けた写真の子どもの姿のことでした。
「○○くん、笑顔でしたね」

親御さんにお話ししたら、そういえば家でもとのこと。
能力的なことはもちろんですが、
いろいろなことに楽しさを感じ、自ら動くようになったとのこと。
うれしさを共有できたのでした。

関係者が子どもの育ちの喜びを分かち合う、
それが連携の本質なのではないか、
ということを学ばせて頂いた気持ちです。


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デジタル化しても、結局アナログの大切さは無視できない。

便利に作ったつもりでも、ミスが起きやすくなったりしますね。

新聞記事は、記事の扱い方が大きさ、位置などから
アナログ的に、全体的に把握できますが、
ネットニュースは、表題が縦に並んでいて、
ニュースとニュースの間の関係性が把握しづらいですね。
検索という便利さと引き換えに、犠牲にしているものもあります。

辞書も、確かにネットの検索機能はすばらしいけれども、
子どもが小さいうちは、辞書を手で引くということが大事だと思うのです。

「あ」の次は「い」、などと、音の分析機能を高めることにもなるし、
目で引くのでなく、手で引く、という感覚の統合上も意味があるし。

原稿をパソコン上で添削しても、印刷すると新たな誤りを発見することって
多くないですか?
パソコンは原稿の一部しか表示できません。
大きなディスプレイを使っても、せいぜい1~2ページですね。

印刷して手にとって、全体を眺めながら細部に注目できます。
そして紙の重さ、厚み、めくる感覚、というアナログの動きによって、
新たな知覚が生まれるわけです。

ちょっと話は違いますが、
テレビのチャンネルも、リモコンじゃなくて、
テレビのそばに行って、スイッチを押す、
その押す姿、表情を家族に見せながら、
その意図、ニュアンスを、非言語的にやりとりすることが
大事だと思うのです。

チャンネルを変える信号を送るだけでなく、
その意図、空気も送らないと。

私はパソコン歴ウン十年ですから、デジタルの便利さは
よくわかります。
そしてその分、危うさもよくわかります。

と、ブログというデジタル媒体を用いて主張しました。
ブログには大きな可能性と、落とし穴もある、
ということを常に意識していることも必要では、ということ。


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中川信子先生著『発達障害とことばの相談』お薦めです

今日届いた中川信子先生の新書です。
http://skygarden.shogakukano.jp/skygarden/owa/sol_detail?isbn=9784098250479

読後感を一言で言うと、「感動した」です。

1 
教え込むのではなく、引き出す。
「エンパワメント」
「尊厳」
という哲学が、本全体から感じられます。

そして著者の人生、生涯との関連を語る
「おわりに」の章では、
STとしての、というより一人の人間としての、
切なる想いが強く胸に迫ってきました。

2 
ご家族4組の経験談は、子どもの育ちを
「長い目で」見ることができることを
当事者の視点で伝えてくれます。
「涙味のアイス」は、もらい泣きしそうになりました。

専門家が語るよりも、先輩の当事者に語って頂いた方が
はるかに親御さんの心に届く、ということを
親の会の活動の中で感じることが多いですが、
そうした働きをまさにこの本がしてくれるようです。
そうした意味で、親御さんにもお薦めです。

とてもわかりやすい、読みやすいという点でも。


さて、この本には、ABAやTEACCH、絵カードがほとんど、
あるいは全く登場しないという意見が出ているようですが。

「スモールステップに分けた」、「ほめる」、「ていねいな配慮」
「視覚的手がかり」、「目で見える工夫」などという語句も含め、
あちこちに表現されている、と私は読みました。
「あちこちに」という表現は正確ではないですね。
「必要な子に必要な支援を」と書かれているし、
その理念が本全体に貫かれています。

「○○法」などの専門用語が人に伝わるときに、
表面的にだけ理解し、あるいは自分のステータスのために、
形だけまねするという風潮を私の日常の中で見かけることがあります。
その結果、子どもや関係者に無理がかかったり、
「その子」にマッチしない、「その子」を見ていない、と感じることがあります。
著者はまさにそのことを指摘、示唆しているように思います。

そして、専門機関では専門的な実践をある程度できるとしても、
家庭でいつも理屈通りにやることは、なかなか難しい。
むしろうまくできないことの方が多いのでは。

トラブルや、逆に子どもの発達を感じる時は、
いつどこで突然現れるかわからない。
全部カバーしたつもりでも、あちこちで抜け落ち、
考えもしなかったことが起こるものです。
そして理屈通りにできなかった自分を責めたり、
疲れ、落ち込んだりしてしまうのが家族というもの。

構えすぎずに、日常の中での関わり楽しむことを第一に、
と考えて楽にいきましょう、ということなのでは。
それは「長い目で」という視点ともつながります。

そしてそれは専門的なアプローチを否定しているのではなく、
むしろそれらを生活文脈全体の中で、
本質を見失わずに活かそう、という主旨なのでは。



自閉症療育について、「音声言語でのことばかけ」を
かなり重視していて、時代遅れだという意見もあるようですが。

この本の「言葉かけ」の主旨は、かつての
「言葉のシャワーを浴びせてください」
とか、
子どもが見ていないのに、「これはお盆だよ、お盆だよ」
と聴かせるというのとは全く異質です。

子どもが何を表現しようとしているのかを常に感じ取ろうとし、
それに合わせた関わりを、というのが主旨と読みました。

それはインリアルの視点でもありますね。
否「インリアル」ということばを使った時点で、
何か急に色あせる、その哲学や理念が抜け落ちて伝わる感じが
私はするのです。

子どもが何を表現しようとしているのかを感じ取ろうとする、というのは
「人間の尊厳」が基底になければならないのでは。
それは教育だけでなく。


著者がそうした専門用語をあまり用いないのは、
わかりやすい文章ということもあるでしょうが、
既に持っている知識をいったん脇に置いて、
もう一度その専門用語の本質を考え直してみませんか、
と訴えるためではないかと思うのです。

それは自閉症を心因論に引き戻す意図とは、
全くことなる次元だと感じます。

つまり、時代遅れどころか、時代の最先端を行くのが
この著書です。

この本は専門書ではなく、まさに一般の方向けです。
そして実は、既有知識でいっぱいだけど
その理解は表面的にとどまっている「専門家」に
向けられているメッセージなのでは。
その意味では専門職の方にも強くお薦めです。

以上は、私の感想というフィルターを通していますので、
関心のある方はぜひ直接読んでみてください。

私は知人の多くにもお薦めすることを決めました。


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不適切な行動を無視するだけでは足りない

分科会で話題になったことは、
「無視すると、こんどはその行動が友達に向かうので
無視もできない」
という話しがありました。

ほめることも強化子としては使いづらいとも。

行動を修正することはもちろん大事ですが、
その子はその行動で何を求めていたのか、
それを満たすということも重要、とDr.から指摘がありました。

私がよくやるのは、
注目牽引行動による不適切な行動(たたくとか)に対して、
何をして欲しいのかを感じ取った上で、
それをことばで言うようモデル提示し、
言えたら反応してあげるという方法です。

たとえば、遊んで欲しくてたたいてきた場合は、
たたく行動自体は無視し、
「遊んでください」
とモデル提示。
子どもがその通りに言えたら、たくさん遊んであげる。
それを繰り返すことで、行動が置き換わってきます。

指導者を馬鹿にするような言い方、挑発は完全無視。
私はパソコンをやり始めます。
そして「ya先生」と正しく呼べたときだけ反応。
正しい言い方が出ない時は、モデル提示して、
言えたら反応。

これで一定期間でかなり改善しています。


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発達障害とことばの相談「ことば」を育てるために大人ができること

発達障害とことばの相談「ことば」を育てるために大人ができること

http://bp.shogakukan.co.jp/n-nakagawa/

言語聴覚士 中川 信子先生の連載記事です。

以前にも書きましたが、迷ったときに、
「ここに戻っていきたい」
という感じがします。

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