便利に作ったつもりでも、ミスが起きやすくなったりしますね。
新聞記事は、記事の扱い方が大きさ、位置などから
アナログ的に、全体的に把握できますが、
ネットニュースは、表題が縦に並んでいて、
ニュースとニュースの間の関係性が把握しづらいですね。
検索という便利さと引き換えに、犠牲にしているものもあります。
辞書も、確かにネットの検索機能はすばらしいけれども、
子どもが小さいうちは、辞書を手で引くということが大事だと思うのです。
「あ」の次は「い」、などと、音の分析機能を高めることにもなるし、
目で引くのでなく、手で引く、という感覚の統合上も意味があるし。
原稿をパソコン上で添削しても、印刷すると新たな誤りを発見することって
多くないですか?
パソコンは原稿の一部しか表示できません。
大きなディスプレイを使っても、せいぜい1~2ページですね。
印刷して手にとって、全体を眺めながら細部に注目できます。
そして紙の重さ、厚み、めくる感覚、というアナログの動きによって、
新たな知覚が生まれるわけです。
ちょっと話は違いますが、
テレビのチャンネルも、リモコンじゃなくて、
テレビのそばに行って、スイッチを押す、
その押す姿、表情を家族に見せながら、
その意図、ニュアンスを、非言語的にやりとりすることが
大事だと思うのです。
チャンネルを変える信号を送るだけでなく、
その意図、空気も送らないと。
私はパソコン歴ウン十年ですから、デジタルの便利さは
よくわかります。
そしてその分、危うさもよくわかります。
と、ブログというデジタル媒体を用いて主張しました。
ブログには大きな可能性と、落とし穴もある、
ということを常に意識していることも必要では、ということ。
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