ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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「かさ かっぱ ながぐつ サングラス」
違うのはどれ?
というような課題を子どもに対してすることがあります。
「サングラス 他は全部雨が降った時に使うから」
というのが模範的な解答です。
しかし、条件によっては、違った解答もあり得ます。
たとえば、かっぱだけが自分の家にはない、とか。
つまり同じ物でも、何を視点にするかによって、同じだったり、違ったりします。
視点によって、違うものでも、同じに見えるということです。
人は過去の経験というフィルターを通して、現在、未来を見ようとします。
そのときに吟味が必要なのは、そのフィルターがどんな特徴があるかを
自分で把握すること。
つまり、目の前の出来事は、過去の経験と同じではない。
一つ一つの出来事には、それぞれ独自のダイナミズムがあり、
その出来事固有の意味が託されている。
過去がこうだったから、今回もこうに違いない、というのは、
眼前の出来事のオリジナリティーを見失います。
眼前の出来事は、独自の過去と未来を結ぶ今という接点です。
独自の過去からのつながりという視点なくして、今をとらえることはできません。
とらえることができたとすれば、それはごく表面的な理解にすぎません。
人は似たような経験を結びつけて分類し、物事を法則的に
とらえようとします。
しかし、その法則、言い換えれば、物事を見るフレームワーク自体が、
どんな独自性を持っているのか、つまり「違い」について
自己検証が必要ですね。
自分のことがわかった分だけ、他人のこともわかる。
逆に言えば、人は自分自身の理解のレベルまでしか
他人を理解できないということ。
実は、これ、子どもに対面する支援者に欠かせない視点だと
思っています。
自分自身の掘り下げの範囲までしか、他人や出来事を
とらえることはできない、ということを謙虚に受けとめ、
自己のフィルターを点検すること。
新しい考え方もいいですが、
人類が数百年、数千年にわたって培ってきた智恵も大事だと思っています。