ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
■メールはこちら
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
私達の現状
1 専門性の欠如
・音声言語の表出を発達の指標としている点は良いが、音声表出に重きを置きすぎるあまり、非言語的コミュニケーションのチャンスを見逃している。
・診断名を発達の評価の材料のひとつにしているのは良いが、個別的ニーズではなく、診断名で子どもを分類し、指導仮説を立ててしまう傾向がある。
・「みんなが同じ」という指導は社会性の育成の価値基準になるが、個別的ニーズを見落とす傾向もある。
・「努力すれば誰でも必ずできる」という意気込みは良いが、個々による得手不得手、達成レベル以上の期待を持ち、過剰な負担を与えてしまうことがある。
・学級担任が必要以上に自分を責めたり、劣等感を抱いてしまう。
・発達障害、行動障害は、重度の児童虐待は別として、中枢神経系の先天異常が基本であるにもかかわらず、親の療育態度のみに障害の原因を還元してしまう傾向がある。(稚拙な因果類推)
・善悪の二元論だけで発達臨床を片づけてしまい、子どもの背景や、情緒を多角的視点で捉える力が弱い。
・具体的な対応法、技術の引き出しが少ない。
・「どこまでが障害で、どこからがわがままか」などと、障害と健常を機械的に分け、子どもをトータルではなく二元論で分類しようとする傾向がある。
・障害に対する基礎知識、臨床診断能力の欠如
2 教師の条件的問題
・時間的、物理的多忙
・専門性の向上のための研修機会の不足
・免許制度、指導者養成体制の不備
・地域に児童精神科医がいない。
・多職種で、多角的に子どもの臨床をとらえるシステムがない。
***
以上は、2001年(今から12年前)に、有志で研究会を立ち上げようとした時のレジュメの一部です。
結局は転勤で、このプロジェクトはなくなってしまったのですが。
こうして読み返すと、今とあまり変わっていないかなあ。
発達を診てくれる医師は、この時以来、いらっしゃるようにはなりましたが。
未だに障害名で子どもを見ようとする傾向、善悪や二元論で子どもを見る傾向は続いています。
子どもの言動を評価するとき、まず善悪という二元論を横に置いておいて(緊急事態や、即時強化も必要なので、その場でのそれなりの対応は必要ですが)、その行動がなぜ生じたのかを検討することこそ、特別支援教育の本質に迫ることになるわけです。
↑ 次回記事も期待の方は一日1クリック プリーズ。