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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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平成23年度全国難聴・言語障害学級及び通級指導教室実態調査 報告書 ほか 国立特別支援教育総合研究所

平成23年度全国難聴・言語障害学級及び通級指導教室実態調査
http://www.nise.go.jp/cms/7,7390,32,142.html

発達障害のある子どもへの学校教育における支援の在り方に関する実際的研究
-幼児教育から後期中等教育への支援の連続性-
http://www.nise.go.jp/cms/7,7058,32,142.html

言語障害のある子どもの通常の学級における障害特性に応じた
指導・支援の内容・方法に関する研究-通常の学級と通級指導教室の連携を通して-
http://www.nise.go.jp/cms/7,7053,32,142.html


いずれも、国立特別支援教育総合研究所です。

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同一労働・同一賃金

日本のお父さんの帰宅時間のピークは夜中の11時。
残業が多い。
これでは生産性も上がらないし、子育て、家族サービスもできるわけがない。

オランダは、法定労働時間を上回ってもせいぜい2時間。
オランダは、パートタイム労働者も正社員も、同一労働、同一賃金であり、差別してはならないという法律ができた。
その結果、子育てしながらパートタイム労働する女性が増え、管理職もパートタイム労働が可能になった。
夫婦でパートタイム労働して、合わせた給与が1.5人分となり、仕事と家族の時間のバランスがとれている。
税収も増え、国は慢性的な赤字から脱却、福祉や年金に予算が回せるようになった。


日本もぜひそうして欲しいですね。
現状では、出生率が上がらないのも、家族の子育て環境が整わないのも、当たり前なわけです。

仕事のために人生があるわけでないのですから。
そういう私は、12時間労働。+家で仕事。


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それぞれの持ち場のあり方を尊重する

私が初めてことばの教室を担当した時、4月が始まってからすぐに担当児童を決めたり、基本的な知識についてのお話を先輩から頂きました。時間はゆったりと流れ、初めて担当した者でもゆっくりと考える時間があったように記憶しています。

そして今の学校。

通級担当は入学式、始業式の準備に忙殺され、教室で全員が顔をそろえることはできませんでした。

担当者全員が初めて教室に集まったのは始業式が終わった後の日でした。それまで教室の運営は全て後回しになり、気づいたらもう指導の開始直前です。伝えたい情報、知識、教室運営をじっくり検討したり、親御さんとじっくり話したりする時間はとれません。

煮え切らない思いです。

確かに学級担任は忙しいです。

それを支えるのが担任外の役目だと言われれば、ある程度それは言えるでしょう。

ただ、だからといって、担任外の本拠地をないがしろにして良いわけがありません。

通級担当は学級担任ではありませんが、通級児童を担当しているのです。

それぞれの持ち場のあり方を尊重する、違いを含めるという学校経営でなければ、どうして子ども達一人一人の違いに合わせた支援などできるでしょうか。


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通級妥当の明確な判断基準

組織調査部では、通級が妥当かどうかの判断に困っている事例が紹介されました。
その教室内には、明確な判断基準がないようですが、私の前任校であるその時代には存在していました。
いつのまに、引き継がれなかったのでしょうか。

教室によっては、杓子定規になるので、明確な基準を作るべきでないとの意見もあります。
しかし、杓子定規にしないまでも、ある程度の基準は教室ごとに作っておくべきと考えます。
作ったとしても、その運用は柔軟性が必要ですし、そもそも明確な線引きはできないものです。
私の教室にも基準はありますが、数値化できるような明確な内容ではありません。

つまり「基準」というよりは、その教室のポリシーのようなものと考えてよいのでしょう。

私からは、
1)法律上の基準
2)各教室ごとの基準
そして、
3)在籍学校との関係性、役割分担を見据えた上での判断基準
という3つの側面から、通級妥当の判断基準の情報提供をさせて頂きました。

1)は、文部省「就学指導資料」、「就学指導資料補遺」、学校教育法施行規則第140条、そして文部科学省1178号通知、に明記されています。
これらの条文、通知については必ず目を通す必要があります。
2)については、各教室の整備状況や人数、担当教員の専門性などにより、一律には決められないものです。つまり各教室で作ることになります。
3)については、通級指導だけで成果をあげるというより、在籍校との役割分担ができるという見通しを持った上での判断が必要です。
LD通級については、全国調査では、圧倒的に、他校通級より自校通級が多いのはなぜか、を考える必要があります。
また通級指導そのものというよりも、通級担当が在籍学校と親子との間に入って、関係調整するという機能も考えられます。

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マスコミ報道に異議あり 旅費定額制についての報道

最近、自治体職員の旅費に関して、定額制は問題だとか、ホテル代の補助がどうしたとか
報道されています。

確かに、厳しい財政状況の折、少しでも無駄を省くという視点は大切です。

しかし一方では、特別支援教育担当教員の研修旅費が不十分であり、
自腹で、しかも休暇扱いで出ざるを得ないところが多い、という事実をなぜ
報道しないのでしょうか?

今回の滝川大会も、私は全額自腹です。
旅費が出ない以上、出張扱いにもならないので、欠勤扱いです。
事故補償がありません。

中には私事の休暇扱いで行かれた方も多いはずです。

ワタクシゴトでの参加なら、担当している子ども達に研修の成果を
還元しなくてもいいのですかね?
だって、個人的に休んでいるわけですから。
別に個人的趣味で研修に出かけているわけではないのです。

北海道は、専門性ということをいいながら、その研修の機会や予算を削減し続けています。

そして教材だって買ってもらえないから、自腹で買っている先生も多いですよ。

多くは、教職員の良心、自己犠牲によってなりたっているということを報道しなければ、
バランスを欠いていると言わざるを得ません。

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文部科学省 平成25年度予算概算要求 通級分

文部科学省の来年度概算要求が出ました。

http://www.mext.go.jp/a_menu/yosan/h25/1325564.htm

通級は600名増なので、47都道府県で単純に割ると、各都道府県で10名ちょっとの増員。
今年度と同規模です。
来年度も、こちらの地域では、一名分増えるかどうかというところでしょうか。
来年度は希望が多いようですので、かなりの競争倍率です。

一人いるかいないかで、特別支援教育はかなり違います。
でも、お国の事情も大変ですね。借金が。

「インクルーシブ教育」も、特別支援学校から通常学校への「認定就学措置」を見なおして、
原則希望に添ってというように変えることを打ち出したようですが、その分、
通常学校への教員の増員がどれだけなされるのかは、まだ全く見えない状態です。

教員というより、保護者同士の間で、このことについて、不公平感があるので難しいです。
「特別支援学級なら、個別にきめ細かく見てもらえると思って同意したのに」
という方々とどう向き合ったらいいのか、正直答えがない状態です。

特別支援学級は、同一障害種の子どもが6人まで、教員一人。
7人からは、教員が2名になる(7名から8名までは加配がつく)、という基準です。
特別支援学校の基準より、教員数が少ないのは確かです。

これをどのように充実させるかが、課題ではないでしょうか。



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「障害があるから通級妥当」ではない

通常学級には様々なタイプの子が「そもそも」、「もともと」存在しています。
低学年であれば、早生まれ、遅生まれの要素も入るし、
差が大きく感じられることもあるでしょう。

この時期、まだひらがなが読めない、書けない1年生が一定程度いることでしょう。
ラ行とダ行が混同している子ども。
サ行がシャ行に置換している子ども。

確かに今の時期では、「標準的な物差し」で見れば遅れはあるかもしれないけれど、
だからといって、直ちに通級妥当ではないのです。

通常学級の中で伸びていくことをまず考え、通級は初めからの選択肢ではありません。
通常学級での指導の工夫や、TT、支援員、放課後の指導など、他の選択肢もあります。
もちろん、就学前の段階から明らかに通級による支援が必要と判断される例もありますが、それは「障害があるから」、という単純な理由ではないのです。個々の実情、条件などケースバイケースでの判断なのです。

通級担当がこの点をしっかりおさえておかないと、「通級は差別的な分離・別学教育だ」
という主張に理論的根拠を与えることになるのではないでしょうか。

通常学級から「取り出す」ということに対して、もっと敏感になる必要があると感じています。


文部科学省1178号通知より

「通級による指導の対象とするか否かの判断に当たっては、医学的な診断の有無のみにとらわれることのないよう留意し、総合的な見地から判断すること。」

「学習障害又は注意欠陥多動性障害の児童生徒については、通級による指導の対象とするまでもなく、通常の学級における教員の適切な配慮やティーム・ティーチングの活用、学習内容の習熟の程度に応じた指導の工夫等により、対応することが適切である者も多くみられることに十分留意すること。」


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そう、先を焦らないで

103.jpg「今、身につけさせないと、大人になってから困る」
「今できるようにしないと、いじめの対象になる」

というような思いと接することがよくあります。

確かに他児と比べたら、遅れているかもしれない。

でも、そうした大人の思いは、子どもの頭の上を通り越すだけで、子どもの心には響かない。

「マイナス査定」では子どもは伸びない。

自分でできるようになりなさい、と口うるさく指示して、ますます子どもの自立性を奪ってしまうパラドックス・・・。

他人の気持ちをわかるようになりなさい、と教えている大人が、子どもの気持ちをわかってあげていない。
子どもは、わかってもらえる経験の積み上げにより、人の気持ちをわかる土壌が培われます。

焦る気持ちは、私も親であるし、教員なので、とてもよくわかります。

そうした方々によく話すこと。

私自身の生育歴。


母はつわりがひどく、出産まで食事が全くできず。
出生時体重 2500g。
双子で生まれた1500gの妹は、出生直後に死亡。
生まれるまで、双子だとは医師も気づかなかった。
それぐらい、2人とも小さかった。
泣き方は弱々しかった。

出生後も、母は不安と恐怖で、私を抱きかかえることができず。

首の据わり 12ヶ月
歩き始め  1歳6ヶ月
1語文   2歳6ヶ月 

小学校低学年の時、周りの子が、友達や親とたくさん「会話」している様子を見て、
刺激が強すぎて怖かった。

どうして自分にはそれがないんだろう、きっと他の友達は、自分が教えてもらっていないことを教えてもらっているに違いない、とずっと違和感を持っていたが、それが何か、ずっとわからなかった。

会話しても相手にされない、何かずれている、周りは離れていくという孤独感を味わっていた。

子どもの頃の写真を見ると、笑っている顔はほとんどない。

親戚には、「ya君は変わった遊び方をするね」と言われていた。

高校時代、自殺念慮が頭から離れない。

教員にはなるつもりはないけれど、教育に関わる仕事がしてみたくて大学へ。

そして大学で哲学に触れて、多様なとらえ方を知る。

親元を離れたのも大きかった。


仲間に励まされて教員になり、たくさん失敗して、学級崩壊もして、
4年目にようやく子ども達の信頼を得るようになる。

そして、中学校、小学校(複式)の通常学級担任を6年経験したあと、ことばの教室へ。

子どもの生い立ちを学ぶうちに、自分自身にも特性があることに気づく。
救われた思いがした。謎が解けた思いがした・・・。

そして今に至ります。

未だに引っ込み思案で、3人以上のランダムな日常会話についていくのは大変で、
聴覚過敏があって(病気もあるけど、元々のもある)、人見知りもあって、
体力もなくて、ほかにも色々あるけれど、一応、支援の仕事をさせて頂いています。

むしろ、そうした苦しみを通ってきたおかげで、今があると思っています。
同じつらさを経験してきた子ども達の気持ちがわかります。

生育歴は関係ないという人もいるけれど、表に見える部分では関係ないように見えるけど、
内部ではとても「関係ある」のです。
ただ、人はある程度変わり得る存在でもあります。

必要な支援は、子ども達が生き生きと暮らすためであって、
「発達を追いつかせるため」ではなく、「標準の大人」に近づけるためでもない、と思っています。

その時々の子どもに合わせて、「適時、適切、適量」が大事です。
遅れを「治す」のでなく、同じ位置から「付き合って」欲しい。
「前から引っ張る」のでなく、「一緒に前に進んで」欲しいのです。

子どもの頃の、楽しさ、安心感こそが、大人への土台につながると思っています。
「能力」よりも大事なこと。

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「障害のない者」なんてこの世の存在しますか? 文科省中教審に異議あり

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/084/shiryo/1323488.htm
公立義務教育諸学校の学級規模及び教職員配置の適正化に関する検討会議(第15回) 配付資料

が出ました。

この中で、

「資料1-1:中教審初中分科会 特別支援教育の在り方に関する特別委員会報告 概要(案) 」


内容についてはかなり、現状を踏まえた内容になってきているように感じました。
(最初はどうなるのだろうと、ハラハラしていましたが)

ただ、気になる点をいくつか。

***(引用はじめ)

障害者の権利に関する条約第24条によれば、「インクルーシブ教育システム」(inclusive education system、署名時仮訳:包容する教育制度)とは、人間の多様性の尊重、障害者の精神的・身体的な能力を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に教育を受ける仕組みであり、・・・

***(引用おわり)

障害者の権利に関する条約第24条
http://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h20hakusho/zenbun/pdf/furoku4.pdf

ここには、「障害のない者」などという表現は出てきません。「その他の児童」などとは書いてありますが。
「障害のない者」なんて、この世に存在するのでしょうか?
条約は、「 『障害のある者』と『ない者』とを予め分けて考えて、その上で一緒に学習しましょう」などという薄っぺらい内容なのでしょうか?

「障害はお互い様」
という視点に立つ必要があるのでは?
私も含めて。
障害があるから、ではなくて、個別的な配慮が必要なことに合わせる、ということがインクルーシブなのでは?

「支援者側」にも「障害」があるし、自分の中にある、という視点が本質的に必要なのでは?

条約にはこう書かれています。

***(引用はじめ)

学問的及び社会的な発達を最大にする環境において、完全な包容という目標に合致する効果的で個別化された支援措置がとられることを確保すること。

***(引用終わり)

「統合」でなくて「包容」だし、「包容という目標に合致する効果的で個別化された支援措置」なのです。

だから、通級も特別支援学級も特別支援学校も否定しているわけではない。
もっと連続性や交流を保障しつつも、それらの場はインクルーシブのために必要なのです。

通級、特別支援学級、特別支援学校も否定している、と条約を解釈している人がいます。
だから、特別支援学級に籍があっても、ほとんどの時間を通常学級で一緒に過ごすということをしています。
それはそれで「共同、交流学習」の意義としてはよいと思うのですが、個別指導も必要なのに、それを全くしていない事例に出会います。通常学級でほぼ問題なく過ごせても、卒業後、就労など人生全体を考えたとき、この子に必要な教育は何か、を考えたいものです。スタッフの数をそのためにさらに充実させる必要はありますが。


前文以下の内容については、現実を踏まえた具体的な提案が盛り込まれています。ST,PT,OTの活用とか、通級担当教員の充実とか、特別支援学校の免許保有率の向上とか。
ただ、まだ気になるところがあるので、次回触れます。


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言語障害とは何か

今回の公的講座の感想文を読むと、「言語障害の内容だったので、隔年で違う内容も扱ってみては」という意見があれば、「言語障害の内容ではなかった」という意見もありました。同じ講座を受けられていて、これは興味深いです。言語障害をどうとらえるか、参加申し込み時点で、違いがあるわけです。今回の講座は、子どもをどう理解するか、その深い理解に基づいて指導の手立てを考えるので、どの障害種にも共通する大切なことなわけです。しかし、講座名自体が「言語障害」なので、申し込み時点で先入観を持たれる可能性ありです。だから講座名を変えることも視野に講師陣に相談中です。

ことばの教室は、週の限られた時間の指導なので、子ども理解をしっかりした上で、指導の手立てを考えます。それは過去もこれからも変わることのない根幹部分です。特別支援教育で、ことばの教室の活躍が期待されているのは、その幹があるからなのです。だからノンカテゴリカルに様々な相談に応じるキーパーソンになるのです。限られた指導時間なので、全てのお子さんに通級が妥当かどうかはまた別の議論にはなりますが。

いずれにせよ、講座では、言語障害だから関係ないや、と先生方に思われないよう、何らかの手立てが必要です。


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「藁をも掴む思い」


DVDのご注文を頂いています。
「簡単な自己紹介」では、何人もの方が「藁をも掴む思いで注文します」
と書いて下さっています。
本を読んだだけではわからない、実際の指導を映像で見たい、と。

日本は教育後進国なので、担当になる前の1年研修が保障されず、
担当になってから「藁を持つかむ思い」の先生方がたくさんおられるわけです。

少しでもお役に立てば。

おぼれかけている人に、安易に教材を紹介しても流されていくだけですし、
飛び込んで一緒におぼれてしまっては、意味がないわけです。


毎年のように担当が替わり、前年度の形だけを真似しても、方向がずれていくだけです。大事なのは、形ではなく、哲学。子ども理解。

DVDでは構音指導の具体的な方法も提示させていただいていますが、
あえて、音ごとにインデックスも設けていません。
カ行の指導方法を見たいから探す、という見方は難しいと思います。

音ごとの指導方法に走る前に、構音障害の仕組みや、考え方の体系を
理解していただきたいと思っています。

それができれば、音ごとの指導方法を初めて理解できる土台ができたことになります。

音ごとに指導方法を知りたいという方は、別の文献に当たって下さい。
そういう文献もありますから。
でも、目の前の子どもにヒットする確率は低いと心得てください。頭痛があるから痛み止め、ではなく、なぜ頭痛があるのかをよく調べる必要があるのと同じです。


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どう読んでも、インクルージョンでなく、インテグレーション

某団体の研究協議を読みました。

「通級で文字の読み書きができるようになっても、通常学級から離れることで失うものが多い」
(要旨)

→まあ、確かにそうしたデメリットも含めて検討しなければならない、という点は賛成です。
できなくたっていいじゃないか、それよりもみんなと一緒にすごすことの方が、という論旨も。
ただ、できないまま過ごすことで失敗体験を重ね、自信喪失につながるケースも多いのです。

「自尊心と自己肯定感を取り違えている、自己肯定感は、できなくても自分を肯定できること」
(要旨)
→確かにその通りですね。ただ、通級は単に「できなかったことをできるようにする」だけではないのです。


「わかりやすさばかり求めるのはおかしい。わかりにくいからこそ、こどもはわくわくする」(要旨)
→確かにその通りですが、「わくわく」ではなく「そわそわ」、「びくびく」、「さびしい」と感じている子がいることも事実です。


みんなと一緒に、という主旨は賛成ですし、できるだけそうしなければならないし、そのためのスタッフや教材の充実も必要でしょう。
しかし、子どもによっては、より少人数から始めた方が良い場合、内容、時期もあります。

小学校一年生で、刺激への反応が強すぎたり、他害が多くて失敗体験を繰り返す子どもに、まず一対一でコミュニケーションの楽しさ、安心感などを育てることが必要な場合もあります。子どもによってその時期は様々です。それぞれの時期に合わせた対応をすることが一番大事なのでは。

個別指導と全体指導のメリットがそれぞれ生かされる組み合わせ、そしてそれは子どもを中心に考える、ということなのでしょう。

「特別支援教育とは、どこまでが特別でなくて、どこからが特別だというのでしょうか」(要旨)
→これは、「特別支援教育」の誤解の典型例と読ませていただきました。
「特別支援教育」とは、一人一人の違いに合わせた教育という理念であって、障害児と健常児を区別するという意味ではありません。「しょうがい児教育」というネーミングの方が、よっぽど差別的ではないでしょうか。

通級や、特別支援学級、特別支援学校に在籍の子どもが急増していると騒がれますが、先進国で比較した場合、日本は特別支援教育を受けている割合はまだまだ低いです。まあ、日本が教育予算で先進国かどうかという議論はあるとしても。

障害の有無でなく、一人一人の違いに合わせるということが、インクルージョンの真意のはずです。

ずっとみんなと一緒にいることが、過剰なストレスになる子だっています。
私、その子の気持ちがすごくよくわかります。

特別支援教育は、分離教育でも、統合教育でもない、弁証法的止揚だと、私は教わりましたし、そう思いますし、それを目指さなければならないと思っています。

だから、「障害があるから通級」ではないし、明確な線を引いて区別するものでもないし、個々の実情、環境、本人の気持ちとのかけ算で判断しなければならないわけです。

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週1回で効果が見込める指導、見込みにくい指導

平成18年から通級対象が拡大し、言語障害、情緒障害のほか、LD,ADHD、自閉症なども通級しても良い対象に加わりました。これには現在、メリットとデメリットが出てきています。
通級妥当の判断、個別の指導計画作成の段階では、メリットとデメリット、できることと、できないことを明確に区分する必要があるように感じています。

通級はかつて、「週1時間から3時間」と決められていました。
言語障害の指導が、その時間程度での実践で成果を上げていたことに基づき、国が決めたものです。
しかし、通級対象が拡大し、LDなども対象となると、週1~3時間では足りません。
そこで上限を週8時間まで拡大したわけです。
これは、「週9時間以上」という特別支援学級の時間数と連続性を持たせるという意味もあったでしょう。

逆に、LD,ADHDは月1回でも良い、という規定も設けられました。
これは、月1回の指導で効果を上げるという意味ではなく、通常学級や家庭での取り組みを経過観察する意味合いが強いということでしょう。

週1から3時間で成果が上がると思われる指導内容

1 機能性構音障害の指導
2 言語コミュニケーションの指導
3 吃音の指導


週1~3時間では成果が上がりにくいと思われる指導内容

1 教科の補充指導、漢字、読み書きなどの直接的な学習指導
2 ADHDの行動改善を目的とした指導(効果がないとは言えませんが、主たる指導は通常学級での個別的配慮でしょう。むしろ通級では、心理面やコミュニケーション面を主にアプローチした方が良い場合が多い)
3 ビジョントレーニング
4 そのほか

「漢字が○○字書けるようになる」という壮大な目標を週1回の指導目標として掲げている例を見ますが、それが効果的なのかということと、そもそも通級の目的としてどうなのか、ということと、2つの点で疑問があります。
テストの点数を上げるために、通級指導があるわけではありません。

成績の上がり下がりに一喜一憂するよりも、その子をトータルに理解し、教育的ニーズ、指導の可能性と限界とをどのように認識しているのかが大事、ということです。

また、指導時間数自体も、指導の手立ての一つであるという認識が必要では、と思います。

逆に言えば、それだけの目標を掲げるのであれば、相当時間数を指導にあてる覚悟が、指導者自身にあるのか、ということです。またそれだけの時間を「取り出して」まで個別指導を受けさせることが、本当に子どもにとって良いのかという判断も必要です。

通級対象の拡大は結構ですが、まずはその教室の主たる対象(ことばの教室なら言語障害)の指導が専門的にできるかどうかが大事です。そのほかの対象を受け入れるには、一定の制限が設けられている(担当教員の専門性)ことも必要という「お達し」もあります。

私自身ももう一度、指導計画を見なおしてみたいと思います。


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通級のセカンドオピニオン

聴力はほぼ固定してしまい、耳鳴りと音の響きは日によって悪くなったり良くなったりです。
今の病院に不満を感じているわけではありませんが、まだ受けていない治療方法があります。
その病院にはその設備は整っていないようです。
なので、大きな大学病院でその治療についての意見を伺えないかと思っています。
調べたら、セカンドオピニオン外来は、主治医への不満は受け付けないようですね。
あくまでも、別の医師の意見を聞いて参考にする、という目的であることが事細かに書かれています。

学校はどうでしょうか。
通級指導に関しては、セカンドオピニオンが権利であることを公的に制度化しているところはありません。
でも、子どもは先生を選べません。

学級担任であれば、色々な個性の先生と出会うことが、子どもの育ちにとって大事と思います。
しかし通級では、その指導の質を問われます。

限られた通級時間の指導では、子ども理解のためのアセスメントや、科学的根拠に基づいた指導が必要です。

学校の通級指導では構音が何年も改善しなかったのに、幼児ことばの教室や民間に通ったところ、すぐに改善したという報告を散見します。
それはセカンドオピニオンではなく、「転院」に相当するのではありますが。

通級の先生を選べない以上、少なくとも、親子にセカンドオピニオンを受ける権利を認めるべきです。
そして、セカンドオピニオンを受けることについて、担当の先生は快く了とすべきです。
学校は先生方のためにあるのでなく、子ども達のためにあります。
担当の先生によっては、自らセカンドオピニオンを保護者に勧めている方もいます。
とてもすばらしいことだと思います。
親子にとっても、先生にとっても有益なのではないでしょうか。


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通級担当児童の在籍校訪問 「連携」とは

放課後が指導時間の中心である通級担当は、在籍校に放課後お邪魔することはまず不可能です。

でも今回なんとか調整をつけて、お邪魔することができました。
特別支援学校のパートナーティーチャー派遣制度と抱き合わせが実現しました。

結論から言うと、授業を見せていただき、直接関係者とお話しできたことは、とても有益でした。
「連絡帳」で情報交換しても、連携には必ずしも結びつかない、とアンケートを元にした論文も出ています。
「連携」はフェイス トゥ フェイスでなければなりません。本当は。
その意味では、訪問させていただいて良かったです。


ただ、協議の時間は、私を含めた客が部屋の前席に「講師」として案内され、学校の先生方は、子どもの机のような並びで「聞く側」になっていました。
主人公は子ども達と、日常関わる先生方であって、私は単なる通級担当に過ぎません。
恐縮しました。
せめて、机は四角に並べて、皆が輪になって話し合えたらいいなあと。

特別支援教育は、まだ「専門家に教えてもらう」というイメージなのでしょうか。

私は資格は持っているけれど、自分自身のことを「専門家」と思ったことは一度もありません。
勉強、実践している方はたくさんおられ、私の不勉強ぶりは、恥ずかしい限りです。

今回の訪問では、学校の先生方が子どもを中心に、試行錯誤されているのがとてもよくわかり、感謝感激の思いでした。
自分の非力がむしろあぶり出されたような気持ちでした。

これから、たくさんのピースを一つずつ並べて、共同で絵を作っていかなければならない、どうやって作ろうか、というところです。


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通級指導教室のことカミングアウト

この地域のことばの教室は歴史があるため、ことばの教室に通うことに対しての偏見、差別的なイメージはありません。
差別的なイメージを持っているとすれば、それはむしろ教員の側でしょうか。
「安易な分離・別学だ」などと。
でも、学校の先生や親御さんでも、「実は子どもの時、通っていました」と話して下さることも少なくありません。
発音を聞いていると、指導はかなり上手な先生に受けていたな、と感じることもあります。

通級することがわかるといじめられるのではないか、という声を親御さんから聞くことがあります。
でも、実際に通ってみたら、それは全く心配なかった、と必ずなります。
むしろ、こちらの側が、もう通わなくても良いのではと思っても、続けて欲しいとリクエストされるぐらいです。

いじめられるかどうかは、通っていることがわかるかどうかではなくて、日常の友達とのコミュニケーションがどうかによる部分の方がはるかに大きいです。


通級は行きっぱなしではなく、「行って帰ってくる」わけです。帰りには自作の工作を持って帰ることもあるなど、むしろ周りからうらやましがられます。
そばにいた子に、「先生、私はいつになったらことばの教室に通えるの?」と尋ねられることもあります。
他校通級なら、「習い事の一つが増える」という感覚です。
「ことばの勉強に行ってくるよ~」と、授業中や帰りの会。掃除の時間に抜けてきて頂いています。

隠す必要はありません。
大人が変に隠したり、言いよどめば、逆にマイナスのイメージを子どもに持たせることになります。
つまり大人の意識の問題、というのが結論です。

歴史の浅い地域では、その点は難しいかもしれませんが。
でも、


「近眼の子にはめがねを与える」
「座高に合わせて、椅子、机の高さを合わせる」

ということと同じなのですがね。
特別支援教育とは、そういうことなのですから。



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技術の伝承の危機

一昨日テレビで、大手鉄道会社の相次ぐトラブルの背景に、「技術の伝承」の問題がある、というドキュメンタリーが放送されました。
40代の職員がとても少なく、技術と経験が豊富な50代の職員はほとんどが管理職になったため、経験の浅い職員を教えるベテランがとても少ない。そのことによって技術が若い職員に伝承されにくく、事故の多発を招いている、というのです。

これから日本の教員の年齢構成比もそのようになっていくでしょうし、技術職の多くも、この「技術と経験の伝承」が課題になっています。技術で食べてきた国なのにですね。

ことばの教室の担当も同じ状況になっています。
経験の浅い先生でも熱心な方はたくさんいますし、個々に見ていくと違うところも多いので、マクロで見たときの話しですが。


当地域の小学校のことばの教室経験年数  

0~4年  約60%

15年以上 約9%


 
また、「経験が浅くて指導に不安がある」と答えた教室は、

80%!

これは緊急事態と言えます。


私を含めて経験の長い先生方の責任を感じています。

一番の責任は、そうした人事を行っている学校、行政なのですが、私たちはあっけにとられている暇もなく、具体的な手立てを打つ必要を感じています。

「技術と経験の伝承」
今始めないと、取り返しの付かない事態に陥るでしょう。

確かに、通級担当の楽しさを話し合うことも大事ですが、それだけでは単なる精神論に過ぎません。
具体的には何も変わらないのです。

具体的な提案です。

1 「自主研修会」を既存の組織の一部として公的に位置づけること。そのための会則改正を行うこと。

2 各地域でのケース会議に、ベテランの先生を派遣したり、逆にベテランの先生の指導を見学しに行くなどの際に予算措置を行い、出張扱いでできるようにすること。

3 既存の組織の年3回の研修の中に、経験の浅い先生のための基礎講座をシリーズで編成して行う。
そのために、これまで全道大会レポート検討に割いてきた多大な時間を縮減し、その分、新しい先生への支援のための時間とすること。

4 新しい先生には、道言協の「言難ABC」の参加旅費を一部補助すること。
 
 

5 親の会と、研究協議団体の連名で、教育局に対し、人事ついての特段の配慮を行うよう、要望書を提出すること。


予算があるわけですから、こうしたアイデアを次々と出して、問題解決に具体的に動くリーダーが必要なのです。



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ことばの教室が作られた理由

好評により、また検索ワードから記事にしました。

こちらの地域では、口蓋裂による構音障害のお子さんがいらして、当時片道6時間ぐらいの国鉄に乗り、医療と併行して、養護学校で構音訓練を受けていたようです。
または、数時間先の養護学校へ。
学校を一日休みにして、国鉄とバスを乗り継いで、毎週一時間のために通うというのは、並大抵のことではなかったでしょう。
そこで保護者らが立ち上がり、地域の普通学校にもことばの教室をと設立運動を展開しました。
地域にもよりますが、議会に働きかけたり、署名を集めたり、その一方で、言語障害教育課程の大学を卒業した先生を人事でスカウトするということもしていたようです。

今地域には10の小学校にことばの教室が設置されていますが、その歴史を知る職員は、私も含めてもういません。
私は「○言協20年の歴史」という冊子や、昔からの親の会の役員の方にお話を伺って知りました。

よく、「学校は医療機関じゃないのだから、ことばの教室で医療的なことをしたり議論したりするのはおかしい」という主張を耳にします。
でも、そもそも始まりは、学校教育の範疇だったわけです。

むしろ、学校教育には医療や福祉などの様々な異質な観点をもっと取り入れていくべきです。
「開かれた学校」とは、そういうことも含めてなのではないでしょうか。

というわけで、ことばの教室は国が先に動いたのではなく、親子の願いから始まったということであります。
国はむしろ、制度上は存在しなかった「通級」の実態を認めざるを得なくなった、というのが本当です。


これから通級指導教室を設置したい地域では、

1 親の会が推進する
2 実態を作る。(具体的に計画、イメージして要望する)
3 親と教師、行政がスクラムを組んで動く

ということが重要です。

親が一人、二人で苦情を言っても行政は動きません。
公的団体として動くことが重要です。
関係者同士が言い争いをしているより、スクラムを組んで動くことが大事です。


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通級担当がころころ替わる最大の原因は、相談相手がいないこと

どこの地域もその傾向がありますが、教室の規模が大きく、
通級担当が複数配置されていて、ベテランのいる教室では、
比較的、担当年数が長い傾向があります。
逆に一人教室など、相談相手がそばにいない教室や、
規模が大きくてもベテランがいない教室では、担当の入れ替わりが
激しい傾向にあります。

今日は、言語の研究協議団体の理事研修会がありました。

そこでは、各担当の「やりがいに感じていることを」を交流しました。
各担当のやりがいを交流することで、通級担当の意欲を高め、
もって担当年数の長期化につなげる、という仮説に基づいていました。

また基礎的な知識を講義するというやり方では、担当がやる気をなくしてしまう、
という仮説にも基づいていました。

それは入り口としては正解と思われました。
しかしながら、そこから先は・・・。???

もう亡くなりましたが、ことばの教室の先輩が私に教えてくれたこと。
「理事会は、議案を審議することではなくて、それが終わった後に
弁当を食べながら、参加者同士が悩みを相談し合うことが本当の目的ですよ」

この団体の出席率が一番高いのが、この理事研修会であるのは、
相談ができる、というところも一役買っているように思われます。

議題の審議が終わった後は、必ず何人もの先生方が、私に相談をしてくださいます。

それだけ、経験の長い先生への相談の機会が少ない、ということの裏返しでもあります。

逆にベテランのそろった大規模教室に初めて担当になった先生は、
周りにいつでも相談できて、楽しくて幸せだ、とおっしゃっていました。

今、新しい先生へ必要な支援は、相談できる場と人を用意すること。
そして、基礎知識とOJT(現場での研修)です。

新しい先生方の多くは、今の指導が良いのか、
子どもをどう見立てたらいいのか、日々悩んでおられます。
それが出発点です。

今、会の研修のあり方は、大きな曲がり角に来ているように思えます。
新しい先生のニーズを正確に捉えた対応が求められます。
正確に捉えないと、会の存続の意義自体が問われるという危機感を持っています。


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児童福祉法等の改正による教育と福祉の連携の一層の推進について

児童福祉法等の改正による教育と福祉の連携の一層の推進について
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/1322204.htm

文部科学省と厚生労働省とが共同で出したのですね。



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ことばの教室の新設をめざす他市町村教育委員会の方が見えました。

色々ご質問を頂いたのでお話ししました。
 

ことばの教室には、「通級制」と「特別支援学級」の2種類があります。
通級制の教員配置は「過員配置」です。つまり定数として法律の定めなないけれど、一時的に特別に配置しましょうという扱いです。めやすとして、通級予定の児童生徒が、10人以上いることが必要です。きちんとした配置基準にはなっていないため、20人居ても配置されない場合もあれば、3人でも配置されるところもあります。地域の実情や国の経済情勢などによって変動します。
北海道の通級制のことばの教室も同じように「過員配置」の扱いであり、ほとんどは国の予算です。北海道単独で増やしている人員もあります。
 

通級制のことばの教室と、いわゆる発達障害通級とは、法律上の扱いは全く同じです。教員の配置基準も同じですし、両者とも「通級による指導」が法的根拠です。学校教育法施行規則第140条です。
だから、学校での看板は、「ことばの教室」でも良いし、「ことばとまなびの支援室」でもいいし、何でも良いのです。
ただし、基本的には扱う障害種は一つの教室に一種類が原則です。つまり、言語障害を扱う教室は、言語障害のある児童生徒が通級するのが原則です。しかし、担当教員の専門性や、指導方法の類似性などに応じて、他の障害種の通級が混在してもOKです。(文部科学省1178号通知)
たとえば、ことばの教室に、発達障害のある児童生徒が通級することは条件付きで許され、発達障害通級に言語障害のある子が通級してもOKです。指導できる専門性があるかどうかは別として。
 

特別支援学級としてのことばの教室を設置するか、通級制のことばの教室を設置するかは、基本的には就学指導委員会での措置判断によります。それぞれで扱う障害の程度が異なります。ただし、特別支援学級のことばの教室は、北海道の場合、児童生徒が一人でも該当していれば、学級が開設される可能性が高いです。そこに、その学級の在籍児童以外の児童生徒が、学級が空いている時間に通級することは、法律的にも認められています。
 
そのほか、もろもろ。
教育委員会の特別支援教育コーディネーターが、直々におたずね下さるなど、設置のために尽力くださるという動きは、たいへんすばらしいです。

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「1回ぐらい通級を休みにしても良い」が教室を滅ぼす

「年度末の会議なのだから、一回ぐらい通級を休んで、会議に出て欲しい」
「スキー授業でどうしても人手が足りないから、一回ぐらい通級を休みにして手伝って欲しい」
「運動会、学芸会の準備で人手が足りないから、通級を休んでスタッフとして動いて欲しい。教室の職員である前に、学校の職員なのだから」

各係や分掌から頼まれる仕事は、それぞれの立場からの依頼であり、
その内容はごもっともなわけです。
しかし、それぞれの係から教室担当者に依頼される事例を積算していくと、
ついには通級指導そのものが、たとえば
一ヶ月にわたりできなくなってしまうということを、
各依頼者は気づきにくいものです。
通級児童は、週に1、2回程度しか通級できないのです。
指導を一回休むのは、通常学級で1週間授業を休むのと同じ
重みを持つ場合が少なくありません。

本校では長い年月の間に、運動会の事前準備の日は例外的に通級を休みにする、
学芸会の前日は、指導のない時間に仕事を手伝う、などと、
一つづつ積み上げながら合意点を見いだしながら、その体制を作ってきました。

また、通級担当者同士が悩みを共有し合い、子どもに還元していくという主旨の
先生方の集まり、研究協議会は、親の会の理解を得ながら、むしろ通級を休んででも、
それ以上に子ども達に還元されるということから、築かれてきたものです。

そうした歴史を無視して、簡単に通級を休みにするという発想が果たして許されるのでしょうか。

通級指導を受ける児童には、指導を受ける学習権があります。
学校の都合によって、その権利が奪われることは、決してあってはならないのです。

通級担当は、その学校の職員である前に、事実上、地域の支援を担うための配置なのです。


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あくまでも、当事者、本人の視点で

雨の日のせいか、今日は聴覚補充現象が強く、遠くのプレイルームで遊んでいる子どもの声が、そばで聞こえるようにギンギンと響き、痛みを覚えました。休み時間に2年生の廊下を歩いていると、子ども達の黄色い声で、耳が壊れてしまうのではないかと思いました。
 
まるでハウリングを起こしているスピーカーのようです。
 
また、運動会の練習の放送の音が急に聞こえてきて、身体全体でショックを覚えました。運動会当日のために、既に3種類の耳栓を用意しています。
 
きっと聴覚過敏の子も、運動会はこれだけつらいのだろうなあと、本当に自分のこととして感じました。
 
大人の視点では、子どもに運動会にどれだけ参加させられるかとか、どれだけ我慢させられるだろうか、と考えてしまいますが・・・。
 
 
 
NHKのラジオ第一放送では、「子どもの心相談」というコーナーがかつてあり、内田良子さんを始め、すばらしい先生方のカウンセリングに学んだ点は多くありました。(今でも細々とやっているのでしょうか)
 
内田先生の視点は、大人の都合ではなく、あくまでも子どもの視点に立ってのものであり、それは一貫していました。
 
大人の自己満足、自己顕示欲ではなく、その子の今と将来への視点に立って。
 
全ての手続き、仕組み、ことば、はそこから作られていかなければならないなあと思うのです。


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学級担任は忙しくて、それ以外は忙しくない、と単純に言えるか

私が初めてことばの教室を担当した時、4月が始まってからすぐに担当を決めたり、基本的な知識についてのお話を先輩から頂きました。時間はゆったりと流れ、初めて担当した者でもゆっくりと考える時間があったように記憶しています。
 
そして今の学校。
 
通級担当は入学式、始業式の準備に忙殺され、教室で全員が顔をそろえることはできませんでした。
 
担当者全員が初めて教室に集まったのは始業式が終わった後の日でした。それまで教室の運営は全て後回しになり、気づいたらもう指導の開始直前です。伝えたい情報、知識、教室運営をじっくり検討したり、親御さんとじっくり話したりする時間はとれません。
 
煮え切らない思いです。
 
確かに学級担任は忙しいです。
 
それを支えるのが担任外の役目だと言われれば、ある程度それは言えるでしょう。
 
ただ、だからといって、担任外の本拠地をないがしろにして良いわけがありません。
 
通級担当は学級担任ではありませんが、通級児童を担当しているのです。
 
それぞれの持ち場のあり方を尊重する、違いを含めるという学校経営でなければ、どうして子ども達一人一人の違いに合わせた支援などできるでしょうか。


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私の教職人生に大きな影響を与えた先輩方の訃報~何を引き受け、伝えるのか

昨日は地区親の会40周年記念の集まりがありました。地区に初めてことばの教室ができた時の担当の先生や当時の親の会の役員の方々、そして現役の方々が集まりました。格調高い手作りの記念誌を見ると、諸先輩方が作り上げてきた、職員と保護者との連携の深さ、歴史の長さに尊敬の念を持ちます。
 
当時の通級児のお母さん方と話させていただき、かつては差別や不理解(学校の先生からのも含めて!)もあったけれど、親同士が悩みを共有し合うことで乗り越えてきたこと。当時色々悩んだけれど、子ども達はもう20、30歳代で、それぞれの場で活躍し、楽しい人生を送っておられるというお話を伺いました。親御さんの先輩方の積み上げてこられたご経験は、ぜひ今の親御さんにも伝えて欲しい、そうした機会があったらいいなあと思いました。
 
「親ははっきり言ってもらった方がいい。その時しかない」、「先生、普通学級に戻ったりしないでくださいね」という親御さんのことばはとても重く感じました。
 
長くことばの教室を担当され、退職後は地域の様々な活動に従事され、生き生きとされている先生方とも交流させていただきました。
 
その中で、ショッキングなお話も聞きました。
 
私の教職人生に大きな影響を与え、通級一筋だった先生が、昨年6月に亡くなっていたこと。
 
彼は私が初めてことばの教室を担当した時、20年の大ベテランでした。
 
彼が居なければ、私の今はありませんでした。
 
彼のことについて、過去の記事で何度か紹介させていただきました。
  
そして、今の職場に異動した際、定年退職で、担当児童を私に引き継いでくださった、やはり通級担当の長い先輩の先生も、3年前に亡くなっていたこと。
 
会合では泣く暇もなかったので、帰宅後にゆっくり反芻しました。
 
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先生が退職される際、花束を持って、涙ながらに感謝とお別れの挨拶をされていた多くの親子の姿を思い出します。こんなにたくさんの方とつながっておられたのだと。

日々励まし続けておられた先生の姿が想像されました。
 
先生は私に「教える」ということはありませんでした。
 
先生のご自分の担当のことを話されて、さりげなく私にほのめかしてくださっていました。「あの先生は」ではなく、「私もともに」という謙虚さと温かさが満ちあふれた先生でした。
 
先生は、子どもを通り越すのではなく、あくまでも「適時、適切、適量」が大事だと伝えてくださったように思います。
 
へたくそな私の指導に対しては「子どもが生き生きとしていますね。笑顔が何よりも」と励まし続けてくださいました。
 
先生の姿には、私はまだまだ遠く及びませんが、先生のこころざしを少しでも実践し、近づきたいと思います。
 
そして、その温かいまなざしを次の世代に伝えていきたいと願っています。
 
先生が蒔いてくださった種が、悩み苦しむ全ての親子のもとに届き、花開くことを。
 
この世界に導いてくださったこと、本当にありがとうございます。
 
安らかにお休みください。そして遠くから見守っていただければ幸いです。


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