忍者ブログ
某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
ブログ内検索
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新コメント
[01/11 board]
[11/21 西村徹]
[02/23 留萌小学校ことばの教室]
[05/10 プー子]
[01/11 にくきゅう]
[11/25 なっか]
[10/26 さつき]
[10/12 赤根 修]
[08/21 赤根 修]
[05/28 miki]
[05/28 miki]
[05/13 赤根 修]
[05/06 赤根 修]
[04/15 miki]
[04/15 赤根 修]
[03/12 かわ]
[03/09 赤根 修]
[03/03 KY@札幌]
[03/01 赤根 修]
[02/28 hakarino]
[02/23 kさん]
[02/23 miki]
[02/12 suge]
[01/15 suge]
[01/15 miki]
バーコード
アクセス解析
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

連携のコツ~それぞれの専門性を尊重し、尊敬する

『軽度発達障害のある子のライフサイクルに合わせた理解と対応
 
--仮に「理解」して「実際に」支援するために---』田中康雄著、学研 より引用
 
 
 
(以下、引用)
 
********************************
 
 
 
非力だからこそ、すべての人に感謝をこめて・・・(P248)
 
 
最後に個人的な私の経験によるものですが、他職種連携のコツを記しておきます。
 
 
①互いの職場に足を運ぶ。そこここの仕事の内容・職場の雰囲気大変さに身と心を寄せ、できるだけ理解しておく。
 
②ここで自分が、この仕事についた場合を想像してみる。
 
③話をするときには、それぞれの職場での専門用語を使用しないように注意し、できるだけ日常のことばでのやりとりをする。
 
④出会った時には「ご苦労様。お互い、大変ですね」と声をかけ相手をねぎらうことを忘れない。くれぐれも、苦言・提言から話を始めない。
 
⑤関係者の助け合い・支え合いは、保護者と子どもを支える基になると考えておく
   
⑥それぞれの専門性を尊重し、尊敬する。
 
⑦最も大切にしたいのは、子どもの「今の心」であり、「未来へ向かう育ち」である。
 
  
***********************************
(引用終わり)
 
 
 迷ったら、この原点に戻りたいと思います。

***


亡くなった、ことばの教室の尊敬する先輩のご家族に、わずかな可能性をかけて、手紙を送りました。
 
もしかしたら、転送されるかもしれないと。
 
しかし、宛先不明で戻ってきてしまいました。
 
  
図書館に行って、亡くなったとされる月の新聞の「お悔やみ覧」を全て調べました。
 
しかし、名前はありませんでした。
 
  
最後まで、先生らしい終わり方でした。
 
お線香の一本もあげさせて頂けないなんて。
 
  
 「過去の私を追いかけるのでなく、先生の中にある温かい気持ちに気づいてください」
 
と言ってくださっているように感じました。
 
 最後の最後まで、謙虚さと温かさと、人間への尊敬を教えてくださったように思いました。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
 


特別支援教育 ブログランキングへ

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


PR

【研修レポート】日本LD学会 第20回大会 その4 「行政に関する最新情報」

●「行政に関する最新情報」文科省初等中等教育局特別支援教育課 樋口 一宗 氏

 通級指導を受けている児童生徒は全国で激増し、昨年度は小中合わせて6万人に対したというグラフが提示されました。
 通級担当教員は全国で約5000名で、そのうち1000名は都道府県が独自に配置した予算であること。小中学校は全国で32000校あることから、全ての学校に配置するにはまだまだ足りないことを文科省としても認識しているとのことでした。しかし国の予算が足りず、来年度は現状維持(増加できない)が精一杯とのことでした。 
 特別支援教育支援員については、来年度初めて、高校にも約500名配置する予定とのことでした。
 大学入試センター試験の発達障害の特例措置については、高校での個別の教育支援計画等が必要で、中学校や小学校の取り組みにも波及するとのことでした。

 

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


【研修レポート】日本LD学会 第20回大会 その1 「中学校通級指導教室」

大会テーマ「あらためて問う発達障害児の学習支援 –知能・学力・生きる力-」
9月17~19日 於 跡見学園女子大学(東京)


●自主シンポジウム「中学校通級指導教室のあり方を考えるⅢ ~通級指導教室と各関係機関との連携~」

 この学会には、通級指導担当の先生も多く参加しています。今回は中学校の通級というテーマに惹かれてこのシンポを選んで参加しました。
 中学校の通級指導教室の先生が、小学校の通級指導教室を訪問することで、小学生時の情報を収集したり、逆に中学校卒業後の進路の情報を小学校に提供できるメリットの紹介がありました。
 また、医療との合同事例検討会のノウハウを生かして、「生徒指導」の会議と接続することで、特別支援教育と生徒指導との連携を図っている事例が紹介されました。
 そして、高等専修学校との連携を取ることで、就職を意識した通級指導を行っている事例も紹介されました。
 高等専修学校の先生は、発達障害のある生徒の就職後の問題として、「同僚に攻撃的態度をとる」、「自分のやり方に固執する」、などを挙げました。そのため専修学校では、「毎週SST指導」、「授業では、話を聞く時間と、書く時間を明確に分けている」、「エプロンや靴のひもを縛る練習」などに取り組んでいるとのことでした。高等専修学校でここまで指導しているところは他にあまりなく、人気がとても高いが、厳しい指導のため、中退する生徒もいるようでした。 
 高校の特別支援教育をどう充実させるかが課題になる中、全国に向けて問題提起するインパクトの強い分科会でした。 





>にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
 


特別支援教育 ブログランキングへ
 

 

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


【コメント】教職は書類作りよりも、子どもと触れあってなんぼの商売

行政に提出すべき書類が増えています。
学校教育の世界にも、説明責任とか、成果主義の考え方が持ち込まれるようになりました。
それはそれで、時代の流れですから、ある程度はやむを得ないのかもしれませんが。
説明することにばかり仕事の比重が移り、肝心の目の前の子どもと向き合う時間が減るとすれば、本末転倒も甚だしいと言わなければなりません。

最近私は、休み時間には意識して、通常学級の子ども達と触れあうようにしています。
研修や雑用が、やっと少し一段落し、就学指導の仕事まで、少し時間ができたからです。
3年生とバスケットボールをして、自身の体力の衰えを痛感しました。
体育館を3往復したぐらいから、息が切れ初め、チャイムが鳴って終わったあとも、しばらく息が荒い状態でした。
またある休み時間には、柔軟体操やバランス感覚を楽しむ遊びになったので、一緒に乗ってみました。
体も硬くなったなあという印象。
最近ウォーキングをサボっていますし。

遊んでみてわかるのは、日常の信頼関係を作るのは、やっぱり休み時間の遊びだなあということ。
掃除当番だけ出て行っても、関係ができていないければ、指導も難しい。

そんな当たり前のことをしばらく忘れていたなあと。
今しばらくは、教師の原点に立ち返り、通級以外の子どもと触れあうことを大事にしたいと思っています。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


【研修報告】「できる、できない」よりも、「育ち」が大切~発達外来のある病院主催の研究大会

 講師の医師は、歯に衣着せぬところがあり、好みが分かれるようですが、今回の講演で印象に残ったことばを紹介します。
 
 「できる、できないの『能力』よりも、『育ち』が大切です。話せるようになること、歩けるようになることも大切ですが、みんなと暮らしやすい人に育て上げることがもっとも大事なのです。能力は高くても、育ちが良くない子が多いです。パーソナリティーが一番問題なのです」
 
 「日本人は就労後、作業をそれなりにできる人が多いのですが、対人関係や余暇の過ごし方が弱いのです。ちょっと何か言われたぐらいで落ち込みます。レジャーは一人、少人数、大人数のそれぞれで18歳までにできるようにすることです」

 「女性のアスペルガー障害は発見されにくいです。結婚して子育てをするようになってからトラブルが多くおこってわかるのです。『女王様型』になってしまうと対応が困難になります。何でも自分の言うとおりに人を従わせようとする型です。小さいうちからの早期対応が必要なのです。」

 「ちょっと何か言われたぐらいで睡眠障害、鬱病になってしまうアスペルガータイプの人がいました。たくさんの薬を処方されてもよくなるはずはありません。『共に歩く』ことです。『大丈夫だよ』と声をかけて共に歩むことで、鬱病はすぐに治ってしまいました」

 「暴力をふるう場合、ほとんどは対応の遅れが原因です。」
 
 「保健師などの多職種が集まって話し合って対応を決めた結果、落ち着いた事例がありました。しかし2年後、全く同じ問題が起こりました。驚いたことに、担任、校長、教頭、コーディネーター、全てが人事異動で代わっていたのです。しかも2年前の確認は全く引き継がれず、やってはいけないとされていた対応を再びとっていたのです。日本の自閉症教育はこれが現状です。こんなことでいいのですか?」

 
にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へにほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


【コメント】「専門性」と「共生」は対立概念なのか?

「専門性」というと、豊富な知識で個別指導というイメージをもちがちですが。
違います。それだけではありません。

「専門性」には、他児との交流という視点も当然含まれるわけです。

スペシャリストの視点と、ジェネラリストの視点、両方が大事なのです。

個別の場か、共同の場か、という二者択一ではなくて、その子に合わせた「しなやかな連続性」が必要なのです。

主義主張もわかりますが、目の前の子の気持ちに立って欲しい。
それが私の一貫した願い。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


【コメント】「特別支援教育」

「『側にもう一人先生がついていれば、あの子はできる』
は、裏を返すと、
『あの子は、先生が側についていなければできない』
となり、これは集団生活の上でマイナス要因である」

・・・

前後の文脈がわかりませんし、どのような意図でこうした発言に至ったかはわかりませんが。

ならば、

近眼の子にめがねを与えるのは、集団生活にとってマイナスなのでしょうか?

脚の不自由な子に車いすを与えたり、少し広めのスペースを確保するのは、
集団生活にとってマイナスなのでしょうか?

逆上がりのできない子に、足がかけられる補助具を与えることは、集団生活にとってマイナスなのでしょうか?


「学級集団はみんな、がんばれば同じだけできるようになる」
「人は生まれつきみな同じ」
「できないのはしつけが悪いから。本人の努力が足りないから」

という幻想が、未だに正論のようにはびこっていることに、強いショックを受けたのでした。

「この子がいたから、みんながやさしさを学んだ」
こうした声も、別のケースから、今日は聞かれました。


違いすぎる世界観が、今も同居しています。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


全国学力テスト 中止

学テが中止になったと報道がありました。

導入までにも、導入後にもいろいろ議論がありましたが、
個人的には弊害の方が大きいなあと感じています。

順位への過度な執着。

「学力が低下している」という幻想が大々的にキャンペーン展開され、
その結果、お勉強偏重の世論ができてしまったなあと思っています。

通級時に、授業を抜けさせたくないという保護者が増えているのも、
そうした背景があるのではと思っています。

いいですか。

就職して、途中で退職してしまう人の多くの理由は、
読み書き能力ではなくて、コミュニケーションの問題なのです。

計算ができなくたって、自動化されたレジの担当はできる時代です。
すぐ忘れたって、ネットで調べれば何でも出てくる時代です。
暗記力よりも、情報を適切に取捨選択する能力の方がはるかに大事な時代。



「『差異あるときは確認せよ』
の意味がわからないために機械が操作できなかった。
それは「ゆとり教育」によって漢字が読めない子どもが増えたからだ・・・。
だから、うちの職場では、毎朝漢字のドリルをやっている・・・」



機械が操作できなかったのは、
漢字が読めるかどうかではなくて、わからないときに
先輩に尋ねられるかどうかというコミュニケーション能力の問題ではなかったのか?

とある番組を見て思いました。

小さい子にまで分刻みで勉強させ、ぼうっとしている時間を作らせない家庭・・・。
ぼうっとしている時間は無駄どころか、精神保健上とても大事な時間なわけですが。
あるハウツーものの本には、生活の隙間の時間に取り組みことで能力アップだとか・・・。

どうしてそんなに先を急ぐのですか?

何のために生きている、という中心軸なしに、
ただ読み書きができたってだめでしょう、って思うのですよね。
それは土台のぐらついたのっぽビルです。

上にいくら積み上げても、情緒という土台がもろかったら、
土台から崩れますよ。

学校は確かに、学力を伸ばすということが大事だけど、
学力を支える「屋台骨」はどうなのですか?

ある特別支援学級では、お勉強ばかりで、
自立活動を全くしないという例があると聞きます。
保護者の希望を尊重するということもあるので、
必ずしも間違いとは言えないかもしれませんが。

でも「学力」は、その子の理解のレベルに合わせなければ単なる拷問に過ぎません。
本人にとって、その学習内容をどう感じるのかという視点を絶対に見失ってはいけない。

つまりそれは「自立活動」。
文字の読み書きの前に、「伝える」ことの喜びは体験できているのですか?
書きたい、書いて欲しい相手、読んで欲しい、読みたい相手がいるから書くのでしょう?

「本人の気持ちを内側から理解する」
ことが目的の「LDの心理的疑似体験プログラム」

時々体験し直してみることが必要なのでは。

ソーシャルスキル指導だって同じ。
接し方、話し方の技術を教える前に、
自分自身の理解、他人の理解、場面の理解など、
理解がまず大事でしょって思うのです。

そして理解のさらに根本として、
関わることが楽しい、うれしい、という気持ちは体験できているの?
「共感」は保障されているの?

どうも形だけ、見た目だけ、に走ってしまいがちなのかなあと。

皆さん原点に返りましょうよ。

パソコンの画面を見つめるだけでは、本質に近づけませんよ。(^_^)


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へにほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


【研修報告】「発達がい(ADHD・LD・ASD)への理解と支援 これまでの10年・これからの10年」(2011.5.7)

 オホーツクADHD&LD懇話会が10周年を迎え、記念行事が開かれました。

 日本のLDの教育研究では第一人者の竹田契一さん(大阪医科大学LDセンター顧問)は、特別支援教育が始まって5年目を迎える今年の現状と課題を具体例を交え指摘していました。

 この中で竹田さんは、「先生と相性が合わなければ、どんなに良い教材を作っても効果が上がらない。『また先生と会いたい』と思われることが大切」、「『3年生だから自分の名前が書けて当然』と何度写し書きせてもできないのを子どものせいにしてはいけない。子どもに合った教材を」と話していました。

 ADHD当事者で、当事者団体「えじそんくらぶ」の代表 高山恵子さんも、ADHDに関する最新情報や、特別支援教育の動向について話していました。

 この中で高山さんは、「特別支援教育は難しいことではなく、がんばっているのにできないという価値観を持てるかどうかの話だ」と述べていました。

 北海道教育大学の二宮信一さんは、パネルディスカッションの結びの講話で、専門家に過度に依存する施設中心型のサービスではなく、各地域がチームで現状に合わせたサービスを展開する「CBR」について説明していました。最後に「支援をすることによって、支援する必要がなくなるための支援」ということばが印象的でした。

***

この記事は、当言語障害教育団体の記事を先取りして掲載したものです。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


「○○できる、できない」の視点だけでなく、本人の気持ちを大事にすること。・・・10年たって思うこと

世の中も身の周りも、最近いろいろなことがありすぎて、
ブログを書く余裕と体力がありませんでした。
ご心配をおかけしましたが、やっと回復してきています。
今後ともよろしくお願いします。

さて、関わらせている多職種団体が設立10周年を迎えました。
記念誌を発行するということで、原稿を書きました。


***

懇話会と私のこれまでと、これから
            某公立学校ことばの教室 ya
 
 2000年、私は前任校のことばの教室に勤務していました。
 通級児童の保護者の中に、田中康雄先生(当時、十勝ADHD&LD懇話会代表)
のもとに通院し、また活動に積極的な保護者がいらっしゃいました。
 懇話会設立準備会へつながったきっかけの一つでした。
自分自身の特性を知りたいという思いもありました。
 毎月の準備会には、大学の先生や病院の先生、小中学校、幼稚園、
療育の先生、そして保護者など、二十数名の方が集まっていました。
 用意された資料には、「LD」、「ADHD」、「感覚統合」、「脳生理学」の
研究などが載っていました。普段あまり目にしない、当時としては
最新の研究に触れることに新鮮さを感じたものでした。
 日本LD学会に参加するようになっていたのも、
最新の研究を子どもたちに、という気持ちからでした。
 先輩である十勝の懇話会にも出席し、参加規模の大きさと、
保護者、関係者のパワーに圧倒されたものでした。

 今思うと、当時は、「LD,ADHD」の診断名を重視する傾向は
あったかもしれません。
 しかし、「育て方が原因ではなく、生来の特性」という考え方は、
従来の学校教育の文化では、必ずしも理解されにくい部分でした。
 育て方でなく、一人一人の違いなのだという「コペルニクス的転回」のためには、
診断名重視の傾向は、当時としては必要な過程だったのだと思います。
 そして、2001年、懇話会が発足しました。
 「もっと愛情を与えなさい。しつけもしなさい」と、周りに言われ続けました。
 愛情もしつけもいっぱいしてきました。これ以上、
何をすればいいと言うのでしょうか? 
『親の育て方が悪い』と斬り捨てていいんでしょうか?」
 この保護者のことばが、活動の一つの原点なのだろうと思います。
 そして誰かを責めたくなるその方自身も、実は悩んでいたということ。
 支援者が当事者を支援するという図式ではなく、共に支え合うということ
なのだろうと、活動を通して気づかせていただきました。
 「障害はお互い様」なのだと。
 
 さて、特別支援教育の今後の課題として感じていることがあります。
1)担当教員の専門性を確保すること。
2)逆に、コチコチの専門性だけでなく、子どもの日常を含めた
トータルな理解と支援、つまりジェネラリストの視点を大切にすること。
3)「○○できる、できない」の視点だけでなく、本人の気持ちを大事にすること。
4)検査やアセスメントの趣旨と限界の「正確な」理解に向かうこと。
5)子どもや関係者、そして自分自身を長い目で見つめること。
6)「支援方法」は、本に載っているのでなく、子どもの深い理解の中にあること。

 これまで関わらせて頂いたことに感謝の気持ちを述べ、
課題解決のため、これからも関わらせて頂ければと思います。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へにほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


小学校では特殊学級を勧められ、中学校では高校進学できないと言われた、そして今宇宙へ

しばらく記事の投稿ができませんでしたが、やっと少し時間ができました。

先日、とても元気になる講演を聴く機会がありました。

北海道の中小企業の管理職の方で、その方の生育歴は、まさにタイトルの通りとのことです。
みんながラジオ体操をしている時に、一人で砂遊びをしていたり、
ほかの兄弟が一緒に遊んでいるときに、本人は一人で砂場の砂をふるいにかけ続け、
一週間がんばって、海岸の砂と同じ手触りになるようにした、とのこと。

学校の先生には「どうせ無理」と言われ続け、
「それでは食べていけない」とみんなに言われ続けていた・・・。
だから学校は大嫌いだったそうです。

それが今、この会社で作った製品は、JAXA(宇宙航空研究開発機構)でも採用され、
新たな飛行機の開発は、アメリカの企業と手を組んで進めているとのこと。


彼のすばらしいところは、技術をマニアックに磨いてこられたということだけでなく、
自分の生育歴をおそらくは正確に振り返るとともに、
今、そして将来自分は何をしようとしているのか、何をしなければならないかを
客観的に掘り下げながら人生を送っておられる、ということではないかと思いました。

だからこそ、彼の話には強い説得力を感じました。
たとえば、(以下、私のメモなので、正確ではないかもしれません)


「勉強は、
いい企業に就職するためにするのではない。
社会の問題を解決するためにする」
 

今の日本人は、「どーせ無理」とあきらめてしまう。
自殺者の増加につながっている。
学校の先生も子どもたちに言っている。
子どもたちから夢を奪っておきながら、
「自信を持て」などと矛盾したことを言っている。

大学の講義では、外国人は熱心に参加し、
日本人の学生は携帯をいじっているか、寝ているだけだ。
将来何をしたいかという夢もない。

大学卒の就職の採用が減っているのは、そうしたことが背景にある。

赤ちゃんが初めてつかまり立ちした時、
「危ないから、どうせ無理だからやめなさい」とは言わない。
周りの危険な物をよけておきながらも、「すごいね」とほめて、
応援するはず。
いつから「どーせできない」と言うようになったのか。

みんなから浮かないように、「普通」であることを追い求めている。
みんな「特別」「一人一人違う」存在だ。

将来どうしたいのかというビジョンが全くない。
「してもらう」ことばかり考えて、
自分から何をするということがない。

アメリカには人口比以上に、多様な趣味がある。
海に行けば、得体のしれない物が動いていたりする。

飛行機の開発で手を組むことになったアメリカ人に会ったとき、
「これまでの日本人は趣味を持たない人ばかりだった。
初めて趣味を持つ人と会った」と言われた。

会社では、定期的に社員の趣味の発表会をやっている。
趣味のない日本人が多い。
社員に「普通の人」はいらない。
飛行機やロケットが大好きな人であればいい。

子どもたちのやりたいことを奪ってはいけない。

私はロケットの開発をしているがそれが一番の目的ではない。
やればできるということを日本人に復活させるのが最大の目的。

etc.



講演が終わっての感想。
私は通級指導で、やれ読み書きの指導だ、運動面の指導だ、
コミュニケーションの指導だと言っていますが、
とてもスケールが小さいような気がしてきました。

子どもたちの好きなこと、趣味をもっと生かす。
そしてそれは、単に教科学習を促進する手段というだけではなくて、
趣味に打ち込む、そのこと自体が将来への大きな学びなのではないか、ということ。

「学力向上」とか、「体力向上」とか、順位がどうしたとか、
そうした見方とは、もしかすると違っているのかもしれませんが、
しかし教育の本質、人生の根本を問われたような気がしたのでした。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
 

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


内閣府と文部科学省の意見案、意見募集

内閣府と文部科学省の議論とを見ています。


・内閣府
障害者制度改革の推進のための第二次意見(案)(第二次意見(素案2)の修正版)
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/k_29/

「本人・保護者が望む場合に加えて、最も適切な言語やコミュニケーションを習得するために特別支援学校・学級を選択できるようにすること。」

→以前からちょっとニュアンスが変わったように感じます。
 「加えて」以下が。


気になる点もあるけど、特に、
「障害のある子どもが障害のない子どもと共に教育を受けるという障害者権利条約のインクルーシブ教育システム構築の理念」

→障害のある子、ない子、とまず分けた上で、共に、というのは、本当に正確な表現なのでしょうか?
言わんとすることはわかりますが。
過渡期なのでしょうね・・・。


・文部科学省中央教育審議会初等中等教育分科会
特別支援教育の在り方に関する特別委員会論点整理に関する意見募集の実施についてhttp://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/12/1300850.htm

→現行の特別支援教育は、「インクルーシブ教育」に「漸次的に」進んでいることを認めた上で、さらに進めていく内容。「共同、交流学習」や「認定就学制度」、「保護者の意見聴取の義務づけ」など少しずつ進んでいるわけです。

特別支援学校や特別支援学級も、通級も、インクルーシブの理念からは必ずしも矛盾しないことを指摘しています。
ただ、それらにもっと連続性を持たさなければならない、ということも指摘していて、上野一彦先生も同内容をブログに書いていますね。

特別支援学校の分室を普通学校に設置している例も紹介されていて、道内にも例があるので、いい動きだと思いました。通級指導の「巡回による指導」も。
両者とも一定の条件がなければできませんが、財政も含めて、その条件を満たすよう注文もしています。
親元を離れて、遠くの寄宿舎に住まわせて、という状況をなんとか改善して欲しいです。

ただ、通級の「巡回による指導」は、私の知っているところでは取りやめたそうです。
保護者と疎遠になる、指導内容がフィットしないなど、デメリットの方が大きいので。
むしろ、全ての学校に通級を設置すべきでしょうね。



内閣府も文部科学省も、理想をしっかりもちつつ、事実をしっかり見つめた上での制度改革の動きを期待しています。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


「親のせいでも、子どものせいでもない、心がすれちがっている苦しみ」

年末大掃除をしていたら、ある先生の名言集が出てきました。
この先生は、私が初めてことばの教室を担当したときの同僚で、
私とは一年の付き合いで定年退職されました。
この先生との出会いがなければ、私は通級担当を続けていなかっただろう、
というくらいに、私の教職人生に大きな影響を与えた方です。

親御さんから「仏様」と言われるぐらい、顔から優しさがあふれている先生でした。

何度かこの先生の話題を記事にしてきましたが、
名言集は、今のブログに載せていませんでした。

どうやら過去の掲示板やHP時代に載せたきりのようです。

14年前の内容なのに、今でも通用する、
否、今だからこそもう一度見直さなければならない内容に思えるのです。

親の会で保護者向けに話していた内容を改めてここに掲示します。

(彼のことばを私が独自にまとめたものなので、
彼の主旨と正確に合っているかは保障できませんが)

***

・ことばの前に、心のキャッチボールが大切。

・親のせいでも、子どものせいでもない、心がすれちがっている苦しみ

・にきびの先っぽをどうにかしようと、「自分がいなくなってしまえばいい」ぐらいに思ってしまう。

・ことばの教室に喜んで楽しく通っているのは、ダイヤモンド以上だ。

・親は子どもの幸せをみんな願っている。ただ、あまり一生懸命で、子どもを通り越してしまう。

・心配することはない。黙って笑顔でいればそれでいい。3件向こうから見たらわかる。

・「うるせえ、ばばあ」と言って、ドアをバタンと閉める子は、少し前まで、ほおをすり合わせて、気持ちよく寝ていた。子どもの反抗を「がんばっているね」と受けとめること。

・「適時、適切、適量」いつ、どれくらいのことを、どれだけ与えるか、しつけも、話す中身も。→子どもの反応を見て、通じたかどうかがわかる。こちらが興奮していたら、「親は勝たねばならん」と思ったとき、親は負けている。それでは伝わらない。

・「こんなことがあった」と報告してくれると、担当の先生はうれしい。

・ことばが遅れていることに気づくだけでよい。子どものレベルに合わせられるから。

・週1回の指導で効果を上げたいという先生の気持ちを子どもはわかってしまう。→「こいつと遊んだら楽しいや」と思ってくれるぐらいがちょうどいい。先生は、「子どもとの関係がまだできていないから、もう少し遊ばなければ」と思う。

・同じような症状の子がいたとしても、同じ教材では通用しない。先生にも子どもにもリズムがある。

・親御さんに19年分のお礼を言いたい。

・昨日より一回だけ多く笑ってあげてください。甘えてだめになることは、絶対ありません。それは19年間、親御さんから教えてもらったことです。

・発音が何年かかって治らなくても、よくしゃべることが最も大切。

・ことばを使う、笑う、気持ちが伝わることが最も大切。

・発音がよくならなくても、他が必ず伸びていることに気づくことが大切。

・夏休みの工作。せっかく作った子どもの作品をお母さんがやり直してしまう。「俺は不器用だ」という気持ちを持たせてしまう。その気持ちは一生続いてしまうから、できるだけそのような気持ちを持たせないように。

・理屈が通じない時期が子どもにはある。自分のもらったケーキが大きくても、隣のお兄ちゃんが自分のケーキをおいしそうに食べているのを見ると、自分のケーキが小さく見えてしまう時期がある。

・カッとなって言ってしまっても、その後、どれだけ間を置いて、どう接するかが大切。お互い生身の体なのだから。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


まさに天が与えた出会い

公的施設である会合が終わった後、廊下を歩いていると、
別の団体の部屋から出てきた方が。

最近、関係者間で話題になっていた、あの先生。
今日もちょうど、先生の話をしていたところでした。
地域の誰に聞いても、先生を信頼していた声ばかりでした。

お久しぶりです。お元気ですか。

「一年で担当が代わるなんて、子ども達を軽視していますよね」
「子ども達のことをまず第一に大切に考えていました」
「通級担当は楽だからと、色々な仕事を押しつけられ、
ことばの勉強をする時間がとれなかったのです」
「引継ぎがうまくいかなくて、退職後、どうなっているか心配していました」


通級経験は私の方が倍長いけど、
幼少期から大変な苦労をされてきた先生の一言、一言が、
子ども達への博愛と、人生への感謝の気持ちにあふれていて、
私の胸に、ジンジンと響き、涙が出てしまいました。

「ya先生は真面目だから、何でも引き受けてしまう。
性格だから簡単に変わらないだろうけど、体だけは大事にしてね」

いつも私を励ましてくれていた先生が、数年の時を経て、
また励ましてくれました。

通級の現状について、色々な想いで胸が押しつぶれそうになっていたけど、
先生の想い、博愛の心に触れて元気を頂きました。
一番大切な方向へ引き戻して下さった気持ちです。

偶然にしては、あまりにもできあがった巡り合わせでした。

先生お元気で。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へにほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


日本の通級制度の幅をもっと広くしたい

国が定める通級対象である
「通常の学級での学習におおむね参加でき、
一部特別な指導を必要とする程度の者」
という範囲を超えて、通級対象としている事例があります。

また自立活動が主であり、教科の補充指導はあくまでも「従」なのが、
通級制度の趣旨ですが、
教科の指導が主になっているケースもあります。

検査や情報収集などをしないで、LDと判断してしまっているケースもあります。

これらは、通級制度の趣旨から見て妥当かどうか疑問があります。

ただ、考えて見れば、支援の必要な子で通級が良いと判断されるケースは、
国が設定している現在の通知・通達よりも、もっと多いはずです。
それを狭めているのは、第一に、人材の不足があります。

一方、特別支援学級に在籍する児童は、
特別支援学級での指導が「中心」となるようにカリキュラムを編成すること、
という縛りが、こちらの自治体ではでてきました。

「共同、交流学習」の主旨はどこへ行ってしまったのでしょうか?

通常学級に在籍し、通級の幅を広げていく方向と、
特別支援学級に在籍し、通常学級との交流、共同学習を広げていく方向とが
重なり合うように進めることが、これから大事なのでは、と思っています。

通常学級、通級、特別支援学級のそれぞれに連続性を持たせることです。

ならば、もっと柔軟に運用できるように、制度や人員を考える必要があります。

就学指導委員会で、保護者や本人が通級を希望し、
「通級妥当」と判断して、進学先の学校に答申したにもかかわらず、
教室が開設されなかった、という話は、少ない例ではありません。

通級が支援の全てではありませんが、小学校の通級で自信ややる気が育ったので、
進学先も継続してやって欲しい、というニーズがあることも事実です。

北海道では、中学校の通級指導教室担当教員は、10名の配置だそうです。
小学校の数百名とは大違いです。

関係者間の調整をどのようにしていけばよいか、頭の痛いところです。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


新たな支援への出発~新築発達支援センターにST.OT正職員配置



公私共々お世話になっている、発達支援センターが、
来年4月の新築移転に向けて、建設が進んでいます。

センターはこれまで、マンションの一部を借りる形で運営されてきました。
しかし、全道第2位を誇る? ケース数に耐える構造と広さでは、
とてもありませんでした。
移転新築が関係者の長年の悲願でした。

新施設は、木造2階建て、1階に機能訓練室や保育室、
2階に言語・聴覚指導室などを配置。
これまで私たち小学校教員と一緒に運営してきた幼児ことばの教室は、
こちらに分離移転することになります。

分離移転に当たっては、親の会も含め、様々な経緯がありました。
分離移転はしますが、新施設は当小学校教室のすぐそばに建てられ、
連携しやすい環境と言えます。

すばらしいのは、これまでの職員に加えて、
言語聴覚士、作業療法士が正職員として新たに雇用されるという点。

臨時職員が一般的になりつつある全国的な状況の中で、
これは子育て支援に力を入れようとしていることを強くアピールするものです。
職員の身分が安定するということは、
子ども達を長いスパンで落ち着いて見ていくことができるということです。

某紙では、「発達に遅れのある子ども達とその親を支援するのが役割」
とありますが、広く子育て支援一般という大きなくくりがまずある、
という位置づけのはずです。

自分も子育てしていて、就学前までの支援というのが、いかに重要かを
実感しています。

私はこの動きに大きな期待と、私自身が生まれ育ったこのまちでの、
歴史的な節目に出会っていることの喜びを、
自分自身の生育歴と重ね合わせて感じています。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へにほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


通級担当教員の経験年数

「ことばのことは、ことばの教室の先生が詳しい」
「特別支援学級の先生にはわからない」
などと言われますが、現状はそうでもありません。

経験年数が全てではありませんが、
以下の数値が現状を示しています。

通級指導教室の担当教員の経験年数:3年未満が65%
(国立特別支援教育総合研究所 笹森・廣瀬(2009))

JDDネットでは、通級担当教員の専門性の向上を求めています。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へにほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


純粋特別支援教育批判

難しそうなタイトルにしてしまいましたが、決して難しくありません。
まず、「批判」とは、「非難」とは違います。

「純粋な特別支援教育」というものを抽出する、というような意味です。

(哲学に触れたことのある方は、カントの『純粋理性批判』と同じような主旨と
お考え下さい)

では、「純粋な特別支援教育」とは何か。

それは「純粋ではない特別支援教育」を検討すればいいでしょう。

では、「純粋ではない特別支援教育」とはなんでしょうか。

1 文書や仕組みを作ること自体が目的。
2 中身がなくて、あるいは、足下の実践が空虚で、「つながる」こと自体が目的。
3 個々の実態を無視して、「標準の数値」に近づけようとする。
4 事実をよく調べなかったり、あるいは事実を歪曲したり、誇張する。
5 トンデモ理論に傾倒し、周りを巻き込む。
6 言行が一致しない。(人にそれを求める時に、自分はそれができるか、ということ)
7 理論に蓋然性がない。(矛盾があるということ)
8 理論に蓋然性はあるが、妥当性がない。
(理論に矛盾はないが、その子の実際に当てはまらない)
9 主義主張が先に立って、目の前の子どもの実態を見ない。
10 生徒指導や学習指導などの教育機能と、特別支援教育が全く別個にあるような考え方。

ただ、これらの共通点としては、「一生懸命やろうとしている」ということ。
これらは単に非難されることではなくて、より洗練されていく過程なのだということ。

実は上記は特別支援教育の世界だけにある、ということではなくて、
世の中そのものだったりします。

であれば、世の中、そしてその世の中に生きている私自身を
メタ認知することこそが、「純粋な」特別支援教育につながるのでは。

特別支援教育は、単なる技術論ではなく、
哲学のシフトなのだろうと思います。

自分で自分のことを正確に理解すること、
すべてはここが出発点であると思うのです。

そしてぶれてはならない軸は、「その子にとってどうなのか」
ということ。
それ以上でも、それ以下でもない、と思うのです。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


特別支援教育の原点化

前回はネガティブな記事でしたので、今回はポジティブに。

「形骸化」の反対語は何だろうと調べましたがはっきりせず。
「原点化」ということばはありませんが、今回は「対概念」ということで。

低学年参観日がありました。
通級指導がたまたま空いていた私は、各クラスの様子を拝見しました。

通級時の子どもの様子だけでなく、通常学級での様子を知ることはとても重要です。
子ども達の姿は、授業に食いついている姿そのものでした。
それぞれの授業の展開がとてもすばらしかったです。

鮭が大きくなるまでの過程の説明文を「いつ」「どこで」などの
ことばに気をつけながら読解するという授業でした。

ある先生は、子ども達に丁寧に説明しながらの展開をしていました。
ある先生は、発問、指示に数字を入れるなど、具体的、端的なことば遣いでした。
ある先生は、鮭の卵から稚魚がかえる瞬間をビデオ映像で見せていました。

うちの学校の職員室では、子ども達について話題がいつも出ています。
これは、「特別支援教育」という用語が確立するずっと前から、
生徒指導上、大切だと言われてきたことです。

「特別支援教育」とは、今までに無い新しいことをする、ということではなくて、
昔から大切に積み上げられてきた実践を確認すること、
だと思っています。

本でかじったことを目の前の子どもに当てはめるのではなくて、
目の前の子どもの姿そのものの中に解答を見いだす、
ということだと思うのです。

今年の日本LD学会発表論文集が届きました。
それにも、この主旨と似たような論文がありました。

うちの学校では、特別支援教育を真正面から取り上げて、
研修などはしていません。
でもその実践の姿は、「特別支援教育」だなあと感じることがたびたびあります。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へにほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


特別支援教育の形骸化

・コーディネーターの指名率
・校内委員会の開催率
・個別の指導計画の作成率

それぞれは、それぞれで大切なことなのでしょう。

しかしそれが数値目標と化し、数字が上がることが目的になったとき、
一番忘れられているのは、目の前の子ども。

形だけがあって、中身がない。
子どもの実態に迫れない。
何とも虚しいことです。

形があって中身ができるのではなくて、
子どもがいて、その実態の深くて正確な理解ができて、
必要な支援が出てきて、それがいつのまにか形になっている。
目立たなくても、コツコツ積み上げている。

それがめざすべき姿だと思うのです。

そのためには、やはり、基礎知識とセンス、そしてスタッフ同士の
日常のちょっとしたコミュニケーションの積み上げが大切だなあと。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へにほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


人事と通級担当加配申請時期です

こちらの地域では、10月中旬から下旬にかけて、
来年度の通級担当過員配置の申請をします。

教育委員会から降りてくる様式に、障害別対象人数や、
指導予定時数などを書き込んで提出します。

我々ことばの教室では、その制度面について、
問題点を集約し、解決のための取り組みを進めてきました。

問題点は、たとえば、

1 申請用紙が各学校まで降りてこない。

2 降りてきても、提出締め切りギリギリであり、
 教室内、校内で検討する時間がとれない。

3 特別支援学級扱いのことばの教室から、
 通級指導教室へ移行申請をしても、なかなか実現できない。

4 障害別にどのように数字を入れて良いか判断が難しい。

などなど。

このうち、3については、今年通級担当の増員がこちらの地域でも
実現できたことから、来年度は実現の可能性が出てきました。

1は、各自治体の教育委員会のレベルで止まっているか、
学校に降りても、管理職段階で止まっている可能性があります。

2については、先を見越して、そろそろ各学校でも協議しておくことでしょう。

4については、障害は重複する(たとえば、LDと言語発達遅滞など)ので、
どこで線引きするかはあまり意味がないとも言えます。
実際、行政的には、トータル人数と指導時間数で判断しているようです。

いずれにせよ、人事はもう動いていますから、
親御さんと学校、学校と行政などの話し合い、協議は
早め早めの方が良いでしょう。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へにほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


就学時健康診断

普段たずさわっている行事に
今回は親の立場で臨みます。
「配慮事項」に書くべきか、否か。

1 書いても、来年度の学級担任まで届くのだろうか。
2 届いたとしても、逆に強い指導で対応されるのではないか。
 (逆効果)

など、文字だけで伝えることのリスクをまず感じてしまいます。
学級担任が決まったら、直にお話させて頂いた方がいいか、
でも、じゃあ、なぜ事前に書いておかなかったのか、と言われたら・・・。

親としての、正直な気持ち。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へにほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


新たな教職員定数改善計画(案)の策定について

新たな教職員定数改善計画(案)の策定について
                                                       平成22年8月27日

文部科学省HPより
 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/08/1297049.htm

***

どうなりますことか。
通級担当を5000人増やすということは、
一都道府県あたり、100人ぐらい。
道内179市町村ですから、
既存の教室と合わせ、各市町村に1~2名?
あなたの町には配置されるでしょうか?

以前も、数年計画で15000名の増員計画に対して、
実際には単年度300名前後の増員配置だったそうなので、
今後の動向に注目しています。

「第○次定数改善計画」という文字は久しぶりに見ました。

結局、国民がどれだけ教育を重要視するかにかかっています。

教育予算は、OECD28カ国で最下位ですから。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


「インクルージョン教育」と「統合教育」とは、似て非なるもの

と私は習ったのですが。
バリアフリーと、ユニバーサルデザインも違う、と。

***

特別支援学級担当の先生方の研修会に参加しました。

みんなと一緒であることで、成長したというレポートもあれば、
個別指導に四苦八苦されている先生も。

「みんなと一緒に」教え合うのがいいのか、
それとも個別指導でその子に合った指導がいいのか。

「みんなと一緒」で本人の負担が強い場合もあるし、
個別指導の内容がフィットしない場合もある。

二者択一ではないのでしょうね。

それこそ、ケースバイケース。
現実的な判断でなければならないのでは。

一番大事なのは、大人の主義主張ではなくて、
本人の思いに立てるかということ。

「インクルーシブ教育」が言われていますが、
わずか数年前に文部科学省がめざそうとした、
「全ての子どもが通常学級に在籍した上で、
必要な時間分取り出し指導をする、
「特別支援教室1,2,3」
との違いや共通点は何でしょうか?
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05120801/010.htm


そして、「インクルーシブ教育」と「インクルージョン教育」、
「インクルーシブ教育」と「統合教育」との関係は?

これまでの議論の経過を丁寧に検証した上で、
新しいものを作ってほしい、子どもを中心として、
と切に願います。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へにほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***


「巡回による指導」について

ことばの教室の一部ではかねてより、
「巡回による指導」を試行する実践が行われていました。

以前にも書きましたが、そのメリットとデメリットは、

メリット
1 子どもが他校まで移動しなくていいので、親子とも負担が軽減する。
2 自校で指導を受けられるので、時間の都合がつけやすい。

一方、デメリットとしては

1 それまでは、保護者同伴での他校通級だったので、保護者と担当とが
話し合いやすかったが、巡回することで、保護者と疎遠になってしまった。

2 旅費の補償がない。事故補償がない場合がある。

3 勤務でなく、欠勤扱いにされている例がある。

などがあります。

正式に勤務として認められるには、教育委員会が「兼務発令」を出さないと
いけないですし、予算的な裏付け、自校の先生方の理解も必要になるでしょう。

また、自校通級になったとしても、担当と学級担任との連携が
取りづらければ、他校通級と実質ほとんど変わらないということになります。


ところで、通級が支援の全てではありませんが、
逆に通級でなければならない例もあります。

たとえば、構音指導は、通常学級に入り込んで指導というわけにはいきません。

通級型の取り出し指導がいいのか、
通常学級に担当も入り込むのがいいのかは、
あくまでもケースバイケースということです。

安易に通級妥当の判断をしてしまうケースも多いのでは、
とも思いますが。

また、通級する以上は、学級担任や保護者との連携がなければ、
取り出す意味も半分以下、ということになります。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***




忍者ブログ [PR]

graphics by アンの小箱 * designed by Anne

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを




***