前回はネガティブな記事でしたので、今回はポジティブに。
「形骸化」の反対語は何だろうと調べましたがはっきりせず。
「原点化」ということばはありませんが、今回は「対概念」ということで。
低学年参観日がありました。
通級指導がたまたま空いていた私は、各クラスの様子を拝見しました。
通級時の子どもの様子だけでなく、通常学級での様子を知ることはとても重要です。
子ども達の姿は、授業に食いついている姿そのものでした。
それぞれの授業の展開がとてもすばらしかったです。
鮭が大きくなるまでの過程の説明文を「いつ」「どこで」などの
ことばに気をつけながら読解するという授業でした。
ある先生は、子ども達に丁寧に説明しながらの展開をしていました。
ある先生は、発問、指示に数字を入れるなど、具体的、端的なことば遣いでした。
ある先生は、鮭の卵から稚魚がかえる瞬間をビデオ映像で見せていました。
うちの学校の職員室では、子ども達について話題がいつも出ています。
これは、「特別支援教育」という用語が確立するずっと前から、
生徒指導上、大切だと言われてきたことです。
「特別支援教育」とは、今までに無い新しいことをする、ということではなくて、
昔から大切に積み上げられてきた実践を確認すること、
だと思っています。
本でかじったことを目の前の子どもに当てはめるのではなくて、
目の前の子どもの姿そのものの中に解答を見いだす、
ということだと思うのです。
今年の日本LD学会発表論文集が届きました。
それにも、この主旨と似たような論文がありました。
うちの学校では、特別支援教育を真正面から取り上げて、
研修などはしていません。
でもその実践の姿は、「特別支援教育」だなあと感じることがたびたびあります。

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