難しそうなタイトルにしてしまいましたが、決して難しくありません。
まず、「批判」とは、「非難」とは違います。
「純粋な特別支援教育」というものを抽出する、というような意味です。
(哲学に触れたことのある方は、カントの『純粋理性批判』と同じような主旨と
お考え下さい)
では、「純粋な特別支援教育」とは何か。
それは「純粋ではない特別支援教育」を検討すればいいでしょう。
では、「純粋ではない特別支援教育」とはなんでしょうか。
1 文書や仕組みを作ること自体が目的。
2 中身がなくて、あるいは、足下の実践が空虚で、「つながる」こと自体が目的。
3 個々の実態を無視して、「標準の数値」に近づけようとする。
4 事実をよく調べなかったり、あるいは事実を歪曲したり、誇張する。
5 トンデモ理論に傾倒し、周りを巻き込む。
6 言行が一致しない。(人にそれを求める時に、自分はそれができるか、ということ)
7 理論に蓋然性がない。(矛盾があるということ)
8 理論に蓋然性はあるが、妥当性がない。
(理論に矛盾はないが、その子の実際に当てはまらない)
9 主義主張が先に立って、目の前の子どもの実態を見ない。
10 生徒指導や学習指導などの教育機能と、特別支援教育が全く別個にあるような考え方。
ただ、これらの共通点としては、「一生懸命やろうとしている」ということ。
これらは単に非難されることではなくて、より洗練されていく過程なのだということ。
実は上記は特別支援教育の世界だけにある、ということではなくて、
世の中そのものだったりします。
であれば、世の中、そしてその世の中に生きている私自身を
メタ認知することこそが、「純粋な」特別支援教育につながるのでは。
特別支援教育は、単なる技術論ではなく、
哲学のシフトなのだろうと思います。
自分で自分のことを正確に理解すること、
すべてはここが出発点であると思うのです。
そしてぶれてはならない軸は、「その子にとってどうなのか」
ということ。
それ以上でも、それ以下でもない、と思うのです。
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