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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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【コメント】「特別支援教育」

「『側にもう一人先生がついていれば、あの子はできる』
は、裏を返すと、
『あの子は、先生が側についていなければできない』
となり、これは集団生活の上でマイナス要因である」

・・・

前後の文脈がわかりませんし、どのような意図でこうした発言に至ったかはわかりませんが。

ならば、

近眼の子にめがねを与えるのは、集団生活にとってマイナスなのでしょうか?

脚の不自由な子に車いすを与えたり、少し広めのスペースを確保するのは、
集団生活にとってマイナスなのでしょうか?

逆上がりのできない子に、足がかけられる補助具を与えることは、集団生活にとってマイナスなのでしょうか?


「学級集団はみんな、がんばれば同じだけできるようになる」
「人は生まれつきみな同じ」
「できないのはしつけが悪いから。本人の努力が足りないから」

という幻想が、未だに正論のようにはびこっていることに、強いショックを受けたのでした。

「この子がいたから、みんながやさしさを学んだ」
こうした声も、別のケースから、今日は聞かれました。


違いすぎる世界観が、今も同居しています。

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