「『側にもう一人先生がついていれば、あの子はできる』
は、裏を返すと、
『あの子は、先生が側についていなければできない』
となり、これは集団生活の上でマイナス要因である」
・・・
前後の文脈がわかりませんし、どのような意図でこうした発言に至ったかはわかりませんが。
ならば、
近眼の子にめがねを与えるのは、集団生活にとってマイナスなのでしょうか?
脚の不自由な子に車いすを与えたり、少し広めのスペースを確保するのは、
集団生活にとってマイナスなのでしょうか?
逆上がりのできない子に、足がかけられる補助具を与えることは、集団生活にとってマイナスなのでしょうか?
「学級集団はみんな、がんばれば同じだけできるようになる」
「人は生まれつきみな同じ」
「できないのはしつけが悪いから。本人の努力が足りないから」
という幻想が、未だに正論のようにはびこっていることに、強いショックを受けたのでした。
「この子がいたから、みんながやさしさを学んだ」
こうした声も、別のケースから、今日は聞かれました。
違いすぎる世界観が、今も同居しています。
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