この地域のことばの教室は歴史があるため、ことばの教室に通うことに対しての偏見、差別的なイメージはありません。
差別的なイメージを持っているとすれば、それはむしろ教員の側でしょうか。
「安易な分離・別学だ」などと。
でも、学校の先生や親御さんでも、「実は子どもの時、通っていました」と話して下さることも少なくありません。
発音を聞いていると、指導はかなり上手な先生に受けていたな、と感じることもあります。
通級することがわかるといじめられるのではないか、という声を親御さんから聞くことがあります。
でも、実際に通ってみたら、それは全く心配なかった、と必ずなります。
むしろ、こちらの側が、もう通わなくても良いのではと思っても、続けて欲しいとリクエストされるぐらいです。
いじめられるかどうかは、通っていることがわかるかどうかではなくて、日常の友達とのコミュニケーションがどうかによる部分の方がはるかに大きいです。
通級は行きっぱなしではなく、「行って帰ってくる」わけです。帰りには自作の工作を持って帰ることもあるなど、むしろ周りからうらやましがられます。
そばにいた子に、「先生、私はいつになったらことばの教室に通えるの?」と尋ねられることもあります。
他校通級なら、「習い事の一つが増える」という感覚です。
「ことばの勉強に行ってくるよ~」と、授業中や帰りの会。掃除の時間に抜けてきて頂いています。
隠す必要はありません。
大人が変に隠したり、言いよどめば、逆にマイナスのイメージを子どもに持たせることになります。
つまり大人の意識の問題、というのが結論です。
歴史の浅い地域では、その点は難しいかもしれませんが。
でも、
「近眼の子にはめがねを与える」
「座高に合わせて、椅子、机の高さを合わせる」
ということと同じなのですがね。
特別支援教育とは、そういうことなのですから。
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