ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/084/shiryo/1323488.htm
公立義務教育諸学校の学級規模及び教職員配置の適正化に関する検討会議(第15回) 配付資料
が出ました。
この中で、
「資料1-1:中教審初中分科会 特別支援教育の在り方に関する特別委員会報告 概要(案) 」
内容についてはかなり、現状を踏まえた内容になってきているように感じました。
(最初はどうなるのだろうと、ハラハラしていましたが)
ただ、気になる点をいくつか。
***(引用はじめ)
障害者の権利に関する条約第24条によれば、「インクルーシブ教育システム」(inclusive education system、署名時仮訳:包容する教育制度)とは、人間の多様性の尊重、障害者の精神的・身体的な能力を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に教育を受ける仕組みであり、・・・
***(引用おわり)
障害者の権利に関する条約第24条
http://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h20hakusho/zenbun/pdf/furoku4.pdf
ここには、「障害のない者」などという表現は出てきません。「その他の児童」などとは書いてありますが。
「障害のない者」なんて、この世に存在するのでしょうか?
条約は、「 『障害のある者』と『ない者』とを予め分けて考えて、その上で一緒に学習しましょう」などという薄っぺらい内容なのでしょうか?
「障害はお互い様」
という視点に立つ必要があるのでは?
私も含めて。
障害があるから、ではなくて、個別的な配慮が必要なことに合わせる、ということがインクルーシブなのでは?
「支援者側」にも「障害」があるし、自分の中にある、という視点が本質的に必要なのでは?
条約にはこう書かれています。
***(引用はじめ)
学問的及び社会的な発達を最大にする環境において、完全な包容という目標に合致する効果的で個別化された支援措置がとられることを確保すること。
***(引用終わり)
「統合」でなくて「包容」だし、「包容という目標に合致する効果的で個別化された支援措置」なのです。
だから、通級も特別支援学級も特別支援学校も否定しているわけではない。
もっと連続性や交流を保障しつつも、それらの場はインクルーシブのために必要なのです。
通級、特別支援学級、特別支援学校も否定している、と条約を解釈している人がいます。
だから、特別支援学級に籍があっても、ほとんどの時間を通常学級で一緒に過ごすということをしています。
それはそれで「共同、交流学習」の意義としてはよいと思うのですが、個別指導も必要なのに、それを全くしていない事例に出会います。通常学級でほぼ問題なく過ごせても、卒業後、就労など人生全体を考えたとき、この子に必要な教育は何か、を考えたいものです。スタッフの数をそのためにさらに充実させる必要はありますが。
前文以下の内容については、現実を踏まえた具体的な提案が盛り込まれています。ST,PT,OTの活用とか、通級担当教員の充実とか、特別支援学校の免許保有率の向上とか。
ただ、まだ気になるところがあるので、次回触れます。