ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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昨日は地区親の会40周年記念の集まりがありました。地区に初めてことばの教室ができた時の担当の先生や当時の親の会の役員の方々、そして現役の方々が集まりました。格調高い手作りの記念誌を見ると、諸先輩方が作り上げてきた、職員と保護者との連携の深さ、歴史の長さに尊敬の念を持ちます。
当時の通級児のお母さん方と話させていただき、かつては差別や不理解(学校の先生からのも含めて!)もあったけれど、親同士が悩みを共有し合うことで乗り越えてきたこと。当時色々悩んだけれど、子ども達はもう20、30歳代で、それぞれの場で活躍し、楽しい人生を送っておられるというお話を伺いました。親御さんの先輩方の積み上げてこられたご経験は、ぜひ今の親御さんにも伝えて欲しい、そうした機会があったらいいなあと思いました。
「親ははっきり言ってもらった方がいい。その時しかない」、「先生、普通学級に戻ったりしないでくださいね」という親御さんのことばはとても重く感じました。
長くことばの教室を担当され、退職後は地域の様々な活動に従事され、生き生きとされている先生方とも交流させていただきました。
その中で、ショッキングなお話も聞きました。
私の教職人生に大きな影響を与え、通級一筋だった先生が、昨年6月に亡くなっていたこと。
彼は私が初めてことばの教室を担当した時、20年の大ベテランでした。
彼が居なければ、私の今はありませんでした。
彼のことについて、過去の記事で何度か紹介させていただきました。
そして、今の職場に異動した際、定年退職で、担当児童を私に引き継いでくださった、やはり通級担当の長い先輩の先生も、3年前に亡くなっていたこと。
会合では泣く暇もなかったので、帰宅後にゆっくり反芻しました。
***
先生が退職される際、花束を持って、涙ながらに感謝とお別れの挨拶をされていた多くの親子の姿を思い出します。こんなにたくさんの方とつながっておられたのだと。
日々励まし続けておられた先生の姿が想像されました。
先生は私に「教える」ということはありませんでした。
先生のご自分の担当のことを話されて、さりげなく私にほのめかしてくださっていました。「あの先生は」ではなく、「私もともに」という謙虚さと温かさが満ちあふれた先生でした。
先生は、子どもを通り越すのではなく、あくまでも「適時、適切、適量」が大事だと伝えてくださったように思います。
へたくそな私の指導に対しては「子どもが生き生きとしていますね。笑顔が何よりも」と励まし続けてくださいました。
先生の姿には、私はまだまだ遠く及びませんが、先生のこころざしを少しでも実践し、近づきたいと思います。
そして、その温かいまなざしを次の世代に伝えていきたいと願っています。
先生が蒔いてくださった種が、悩み苦しむ全ての親子のもとに届き、花開くことを。
この世界に導いてくださったこと、本当にありがとうございます。
安らかにお休みください。そして遠くから見守っていただければ幸いです。