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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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支援者は、ニセ科学と科学とを見分けるセンスを持って欲しい

「物忘れが多い人は、将来認知症になりやすいようですよ」
ある方から頂いたお話でした。
それ以来、私はきっと老後、認知症になりやすいのだろうなと半分不安な気持ちでした。
しかし、「物忘れ外来」の権威の元で学んだ方によると、それは明らかな迷信なのだそうで、「認知症は脳の変性疾患であり、病気です。普段物忘れが多いから、認知症になるという統計はありません。そういう誤ったことを言う言語聴覚士は辞めた方がいい」とまで言い切っているそうです。
私はその話を聞いて安堵しました。(笑)

私はワーキングメモリの小ささを自認しておりますが、認知症でなくても、長谷川式なんとか検査に引っかかるのではないかと思っています。
でも、自認する人は、仮に認知症でも軽度だそうで、重度になるほど、自分の能力の判断自体が困難になるようです。
そして、脳画像なども用いて、本当に脳萎縮なのかが、かなりわかるようですし、検査のバッテリーを組んで、より診断の精度を高めているようです。また家族から色々情報を頂いたり、行動観察などの情報も合わせて総合的に診断するわけです。

先日のケース会議では、WISC-Ⅲの点数だけしかなく、そのときの行動観察などの情報がまったくないものと出会いました。
その通級担当の先生の問題というよりも、検査をした方の報告の仕方に問題があると思いました。
数値だけで判断するのは危険ですし、行動観察の情報がなければ、データとしての意味がありません。
WISC-Ⅳではその点がかなりうるさく言われているのも仕方がない、と改めて思ったのでした。
数値だけで判断するのも、行動観察だけで判断するのも、まさにニセ科学なのです。(^_^;)

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メニエール病も精神疾患も発達障害も本人でなければわからない苦しみ

私はある種の仕事は行い、ある種の仕事はセーブしている状態です。
横から見ていれば、なまけ病にしか見られないかもしれません。
こっちの仕事もできるなら、あっちの仕事もできなければおかしい、と。

実際、メニエール病のある人への偏見は、職場や家族の間でも起こりやすいようですね。

場面緘黙も、全く関係のない第3者には話せるのに、毎日会う人には話せなかったりします。

LDを初めとする発達障害も。

その他精神疾患も。

本人や関係者の苦しみにどれだけ共感できるかが大事だと思うのです。

「疑似体験」はそのために開発されたのだし、特別支援教育もそこが出発点だったはず。

ところが、能力を正常値に近づけるためとか、テストの点数を取るための特別な対応に変質してしまっていないでしょうか。

逆に、「みんなと同じ」、「特別扱いされたくない」という形式平等主義も。

誰のための特別支援教育なのか。

支援者は、本人、当事者の日常への想像力を発揮したいものです。

基本、支援者の「プライド」は、当事者の苦しみへの共感から、もっとも遠いところに存在している、と思うのです。
「プライド」はどこまでも、支援者自身が人にどう見られているかという視点。
「共感」は、あくまでも当時者側から世界をとらえようとする視点です。
全く正反対です。

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子どもの行動の背景を感じ取る

子どもが物を何でも投げ飛ばすとき、「投げてはいけません」という指導が必ずしも良いかどうか。

物を投げることの背景に何があるのか。

1 かまって欲しかったけど、注目してもらう方法をそれしか持たない。
2 怒りの感情の表れ
3 物を投げたときの結果が見たい。性質を知りたい。
4 大人の指示の意味がわからない。意味がわかってもどうやっていいかわからない。
5 遊びのバリエーションが少ない。

などなど。

子どものそのときの表情や、物を投げるまでの話しの経緯、文脈など総合的に感覚を研ぎ澄ませて感じ取ること。

1ならば、かまってあげよう。かまってほしいときの表現方法を具体的に示そう。

2ならば、まずはクールダウン。投げられて危険な物、場所を遠ざける。おちついたら、気持ちをしっかり共感、言語化してあげる。大人が修正すべきは素直に認めて謝る。怒りの表現の別の方法を具体的に教える。

3ならば、安全な物、場所を決めて投げさせる。投げても壊れない物、壊れる物を教える。別の遊びに誘う。

4ならば、指示を視覚的に、しかも細分化してわかりやすくする。ことばだけの指示でなく、実際にやって見せて模倣させる。一緒にやる。できたらほめる。

5ならば、その物を使った様々な遊びを体験させること。


もちろん、複合的な場合もあるけれど、行動の表面だけを見るのでなく、その背景を見ること。
そのことによって、対応方法は全く違ってくる。

感情コントロール方法がどうしたとか、教材がどうしたとか言う前に、子どもを理解すること。

特別支援教育とは、何も特別なことではなくて、子育ての延長、配慮された子育て、配慮の前提となる子ども理解、と思うのです。

そして、行動を治すとか、学力を向上させるとか、できないことをできるようにするということも大事だし、やるべきですが、「発達障害があっても、育ち(パーソナリティー)が良いかどうかが成人後重要」というある小児科医のことばの意味は、そこにあるのではないかと思っています。人や社会への信頼が育つことが一番大事なのでは。


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原因はひとつではない。神経心理学、検査偏重主義の克服を

今、私に必要なのは睡眠であることを実感しています。
 
よく眠れると、難聴がありながらも、周りの声を拾う能力があがったようです。
 
これまでは声をかけられたり、独り言のように遠回しにお願いされたことなどは、頭に入らず、無視したように思われたこともあるでしょう。
 
***
 
「同時処理と継次処理」
 
「言語性と動作性」
 
「ワーキングメモリ」と「結晶性知能」
 
それぞれ確かに典型的な事例があることも事実です。
 
しかし、睡眠、食事、心理などの「土台」をよく調べることなしに、「同時処理が優位ですね」などとするのは的を射ていません。
 
「土台」が整うことで、認知心理学的な偏りは目立たない程度になる事例もあります。
 
たしかに、LDは、定義上、環境要因ではなく、中枢神経系の問題と推定されています。
 
しかし実際には、純粋に神経心理学的な問題だけという事例は少なく、様々な要因が絡んでいることの方が多いのです。
 
夜更かしして、朝食もとらずに登校する子が多くいます。
 
本当の力を発揮できるはずがありません。
 
通常学級に補欠授業に入ったときに、寝た時間を尋ねたことがあります。
 
みんなとても遅い。私より遅い子が大勢いました。
 
しかし、就寝時間が遅くなるのは、日中の生活が充実していないとか、家族関係がぎくしゃくしていて、そうでもしないとストレスが解消されないとか、これまた様々な背景を見なくてはいけません。
 
テレビの視聴時間が長いのも、もしかしたら人間関係などのストレスを抱えているからかもしれません。
 
トータルな子ども理解なくして、指導の手立てはありえないのです。


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答えはその子の中にある

 北海道教育大釧路校の二宮 信一先生は、『児童心理2006年12月臨時増刊』(2006、金子書房)でこう述べています。
 
(以下、引用)―――――――――――
 
 ここ数年の動きを見ると、「理解本」よりも、発達障害のある子どもとの関わりに重きを置いた「実践本」が多く目に見られるようになってきている。(中略) 「教材」や「指導方法」のみに関心が行ってしまうと「実践本」は「マニュアル」となってしまい、「マニュアル通りの関わり」という問題が起きてしまうように思う。(中略)子どもと関わるのは、決してマニュアル化されたプログラムではなく、親であり、教師自身なのだと思うのである。
 
――――――――――――(引用終わり)
 
 
 
 北海道のある学園の心理士は、講演で以下のような主旨を話されています。
 
 「運動会のピストルの音を怖がる子に、音に慣れさせる訓練をしていた事例がありました。ピストルの音に慣れないと、学校に上がってから運動会に参加できないだろうと。しかし、その子は生涯、ピストルの音を何回聞くでしょうか。本当に必要な指導でしょうか」
  
 指導技術、指導方法を学ぶことは大切です。子どもへの熱き想いがあっても、その子に合わせた「技法」がなければ、子どもに「届かない」からです。
 
 しかし、どんなにすばらしい指導方法でも、目の前の子にフィットしなければ、時間の無駄ということになります。ある指導方法を別の指導者が別の子に取り入れても、的はずれになることが多いものです。 
 
既製品を使うとしても、その子に合わせてアレンジすることが大切なのでしょう。 
 
「その子への指導方法はどこか遠くにあるのではなく、本の中にあるのでもなく、その子自身の中にある」 
 

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「指導方法」はどこか遠くにあるのではなく、目の前の子どもの中にある

今年度も巡回相談に関わらせて頂きました。また会議に行かなくてはいけません。
 
初めてであってから数ヶ月も経っての専門家チーム会議。出席前に、改めて情報収集しておく必要を感じています。忙しくて電話する暇もないのですが。(^_^;)
 
巡回相談時は、ちょっと授業を見せて頂いただけで、よく「どのように指導したら良いでしょうか」と尋ねられますが、すぐには回答しません。
 
かつて本に書いてあることをすぐに回答したことがあって、結果としてヒットしないことが多かったからです。
 
指導の手立てを示させて頂く前に、子どもについての深い理解と哲学の共有が先だと思うようになりました。
 
だからまずお子さんのことを詳しく尋ね、子ども観を整理して、その上で、考えられる指導を例として、哲学を乗せて提示させて頂くようにしています。またその指導例は、一つではなくて、いくつかを組み合わせる形が良いと考えています。
 
ヒットしたと感じるのは、ケース会議で多くの方がうなずいてくださったとき。それは子ども理解がかなり深いところで共有された時でもありました。子どもの学校生活だけではなく、起きてから寝るまで、生まれてから今までの子どもの「思い」を共有できたとき、「やっぱりそうだった」と関係者が思える瞬間が本物。それは従来の生徒指導、教育相談の考え方とも符号する瞬間であり、ベテランの先生にも理解頂けた瞬間です。
 
「指導方法」をどこか天竺に取りに行くイメージだと、うまくいきません。目の前の子どもからどれだけのことを感じるか、この原点をはずしたら、どんな理論もむなしいのです。
 
本に書いてある「指導方法」には、必ず背景理論があります。その背景理論の理解なくして、方法論に飛びつくこと。それは「チルドレンファースト」ではないのでしょう。支援者の自己満足に過ぎません。(^_^)
 

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一つの事象だけで判断しないで、総合的に判断するのがアセスメント

・一見楽しく学校生活を送っているように見える子ども。しかし、絵を描かせると、真っ黒な登場人物を描きました。背景情報から、強い自己否定の感情が見えてきました。
 
・とても仲良さそうに関わっている親子。しかし、それは親から虐待されないために、必至に「かわいい子」を演じて身を守ろうとしているに過ぎませんでした。
 
・精神・神経科を訪れた女性。「だいぶ元気になりました」との笑顔の挨拶が、最後でした・・・。
 
・工作に全く手をつけない子。多動もあるので、意欲が全くないのだろうと思っていました。しかし、支援員に尋ねると、構成を必至に考えても思いつかず、一生懸命やろうとしているのに、ずっとつらい思いで過ごしていたことが、あとでわかりました。
 
***
 
一つの事象だけで、子どもの状態像を評価するのは極めて危険です。様々な背景情報と組み合わせる。これはアセスメントの基本。
 
物理学では、物をどんなに必至に動かそうとしても、動かなければ、運動エネルギーは0でよいのでしょう。
 
しかし、その物にどんな外力が加わっているかは、見た目だけでは判断できません。
 
周辺の環境をよく検討したり(環境との相互作用)、外力を測定する機械(各種検査)が必要でしょう。
 
一つの事象を「意味づける」のではなくて、「意味(本人の思い)を感じ取る」ということ。両者には雲泥の差があります。
 
そして大切なのは、「情報量」ではなくて、「情報の種類の量」です。情報をいくら仕入れても、その観点がシングルフォーカスならば、何もわかりません。
 
アセスメントレベルがずれていれば、指導仮説から評価まで、すべてがずれることになります。それは「多様性」とは違います。
 
「見る」と「観る」の違いでもありましょう。
 
それはまた、「あるがままの自分」をあるがままに見つめると言うことでしょう。しかも温かく。
 
自分の誤りは誤りとして、失敗は失敗として、ごまかすのではなくあるがままに温かく受け止める。それが、正確で深い子ども理解につながるのだと思います。

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【研修報告】子どもの気持ちを内側から感じ取る中に答えはある~ケース検討

午後のケース検討では、
社会性、コミュニケーションと想像力の困難が背景にあって、
様々な状態像を示すと思われる小学生の事例を検討しました。

いつも思うのですが、
どのように対応したらよいかを検討するためには、
子どもの気持ち、感情を内側から理解すること。
その中に、答えはあるのだということ。

そして、学習面、コミュニケーション面、と分けて検討することも大事ですが、
両者に共通する背景を見いだし、
その背景にアプローチすることが大事なのだと。
通級の役目はそれであって、
学習成績を伸ばすこと自体が目的ではないはずです。

問題行動の修正というと、すぐに応用行動分析、SSTとなりがちだけれど、
子どもの感情をどう受け止めるかは、ずっとずっとだいじじゃないかなあ。
まあ、それもSSTの一部なのだけれど。

問題行動の背景にある心情を多義的に理解して、
それを言語化してフィードバックしていくこと。
これは、通級でもよくできることでもあります。

そしてアセスメントは、背景に深く入っていかないと、
やっぱりずれるなあということ。

あと、学校での支援策の検討は、
学校の先生の発言が、もっとも現実的で、
もっとも効果が期待できる内容だと感じました。

学校の先生は、もっと自信をもっていいなあ。
まあ、こうした研修会に顔を出す先生だから、ということも
あるかもしれませんが。

よくある、マニュアル本的な支援策なんて、
実際には学校現場では使えないことが多いのです。
ちょっとの工夫でできることの方が長続きするし、
学級担任の負担を増やすようなアイデアは、
残念ながら尻すぼみの運命です。

その子にとってだけ良いのではなくて、
他児にとっても、先生にとっても良いのでなければならないのです。

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【研修報告】ケース会議で「情報が足りない」と感じることがねらい

今日は、管内の会員が集まっての一日研修会でした。

講演会の講師は、発達外来で心理を担当されている臨床心理士の方で、
通級のお子さんもお世話になっている担当者が少なくありません。

前半は発達障害についての基礎的で、正確で、よくまとまった内容の講義でした。
初めて通級を担当した方には、最低限必要な知識であり、ベテランの方にもこれまでの知識を整理するという点でとても有意義でした。

後半は、ある事例をもとに、グループに分かれて、子どもの状態像の把握や指導の方針を話し合いました。

事例の情報は一見、そろっているかに見えますが、実はとても足りません。

講師の先生は「情報が足りない」と思えることが今回の研修の目的、とおっしゃっていました。

医療でも教育でも、ともすると現象面だけに注目し、クライエントの全体を理解することがおろそかになるため、まったく見当外れな支援策をとってしまうことになります。

アセスメントには、指導しながら子どもを少しずつ理解する方向性と、いろいろな情報を集めて総合的に判断する方向性と、2つの方向性があります。

どちらかが欠けても行けません。
ただ、週の限られた通級時間での支援のためには、いろいろな情報を集めて総合的に判断し、内容のフィット度を高めるということは必須事項です。

講師の先生は、「客観的に判断すること」、「アセスメントを繰り返しやり直すこと」の必要性を強調しておられました。

限られた時間での支援という点では、医療の心理も、学校教育での通級指導も、全く同じであり、通級担当の明日からの支援に直結する内容となりました。

よく考えられた研修内容で、きっと学校教育の諸事情を実はよくわかっておられるのだろうと感じました。

現象面だけではなく、その背景、経緯全体を理解すること。
それは教育の本質であり、医療もしかり、そして通級指導教室が数十年大切にしてきた歩みです。


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【研修報告】局専門家チーム会議~ツールが目的ではない

 管内の教員や保健師、医師、有識者などの「専門家」が集まる会議が開かれ、今年も巡回相談員の委嘱を受けたyaも出席しました。

 議事では『個別の教育支援計画「そだちの手帳」』の普及について議論されました。

 『そだちの手帳』は、「幼稚園・保育所申し送りシート」、「フェイスシート」などからなる「個別の教育支援計画」、「個別の指導計画」、「支援メモ」、「同意書」などから構成されています。各機関で活用するためのたたき台としての意味合いを持ちます。

 この手帳をどのように普及させるかが議題となりました。

 出席者からは、「使ってみて、使い勝手の良さを検討しては」との意見がある一方、「様式を作ることが目的ではない。作成前に関係者が集まって話し合う過程そのものが重要」、「作ること自体が目的になると、子どもにとって無理な指導目標を立てられたり、作成後に金庫にしまわれたりする。研修体制を整えることと同時に普及を進めなければ危険」などの意見が出されました。

 一方、管内の巡回相談事業については、「相談ケースを増やすことが目的ではない」、「特別支援学校のパートナーティーチャー派遣事業との連携を」、「巡回相談申し込みの時点で、子ども理解の観点を示すことで、学校と保健師などの関係者とがつながり、各自治体の自立につながる」などの意見が出されました。 
 他地域の巡回相談事業を経験したことがある保健師からは、今後の活動に示唆のある情報提供がありました。

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北海道言語障害児教育研究大会 留萌大会




風車の回る日本海側のまち、留萌市に行きました。

○前日集会


研究会への参加態様が厳しくなっている。
勉強しに行くのに、「休暇」をとらされるようになった。
また、教室職員全員で参加できたのが、
「なぜ、全員行く必要があるのか。一人行って、
帰ってきてからみんなに報告すればいいのではないか」
と言われるようになった。

→(感想)
通級担当は、普通教員免許だけでやれてしまうという
今の免許制度の欠陥が最大の問題であり、
現職についてから、初めて学ぶことが多いのが現状。
したがって、通級担当は、現職での研修、
しかも、全国レベルの質の高い研修を受けられなければならない。

休暇を取らせて、一人だけ行けば、というのは、
普通学級の先生方と同じ対応にするため、ということのようだが、
通級担当の養成、免許制度の欠陥という歴史的大前提をもとに、
管理職は判断して欲しい。


子ども理解について

→(感想)
私が発言した、指導方法の前に、子ども理解を、
というフレーズについて、参加者から賛同の反応を頂いた。

子ども理解、障害の理解をとばして、
ハウツーが先に走ると、その指導内容は、
支離滅裂なものとなる。

子どもを理解することの中にのみ、指導方法は存在する、
ということを再確認できた。
実はこのことは、翌日の臨床研修会、記念講演会でも、
特に強調されていた。

それは反対から言えば、
現在の教育、とりわけ、特別支援教育は、
「○○障害だから、この教材、この指導法」だとか、
「○○できる、できない」という方向に行き過ぎている、
と心ある多くの方が感じ始めていることの現れだと思う。

そして親も、子どもが小さいときは、「○○できる、できない」が
とても心配になってしまう。
しかし、子どもが成人するなど、先輩の親からは
「もっと長い目で見る」ことの大切さをお話しして頂ける。
親の会の大切さを改めて認識する。


3 終了後の交流会
某居酒屋でのお刺身、押し寿司など、
うわさ通り、とてもおいしく、安く頂けたた。


○臨床研修会
  中京大学の鯨岡 峻先生の講義。
  演題 「エピソード記述の理解と実践」


 「客観的な記録でなければならない」という思い込みから、
関わった支援者の気持ちを全て排除してしまってはいけない。
 
 客観的な記述は大切だが、自分自身がどう感じたかを
載せることで、子どもとの関係性がありありと想像できる。


→(感想)
全くその通りだと思う。
科学的視点では主観を排除すべきだが、
教育は人と人との関わりという原点まで
排除してしまってはならない。

ただ、やはり、客観的な正確さ、があってこそ、
主観的な心の動きの記述が許されるのであって、
正確さを考えなくて良い、ということではない、
という点を確認できたのは納得だった。

「(主観的な)感じ方が誤っていれば修正すればよい」
とおっしゃっていたが、自分の感じ方を修正できる柔軟性とメタ認知が、
支援者自身に必要となってくるだろう。
常に他のスタッフに尋ねながら進める必要がある。



 能力の前に、心が大切。人との関係ができていない段階で、
能力を育てることばかり強調されるのが、今の特別支援教育。
結果主義、成果主義。費用対効果の効率主義。

 →(感想)
まったくその通りだと思った。
特に最近は、エビデンスベーストとか、説明責任ということもあって、
その指導にどんな根拠があって、どんな数値目標、結果があるのか、
ということが強調されすぎている感じがする。

もちろん、無根拠な指導であってはならない。
しかし、「○○ができる」という点にこだわりすぎて、
もっと土台の部分を顧みない指導は、
予後から見て、危険性が高い。
私自身の臨床への反省も含めて。

漢字が書ける、ということの前に、
抱きしめられたい、という心の叫びは、支援者に届いているか?

某メーリングリストで、

EB=「エビデンスベースト」ではなく、
EB=「エクスペリエンスベースト」

ということばを最近拝見したが、すばらしい考え方だと思う。

毎回出会う子どもの息を感じ取って、
その息に合わせて関わることが、まず第一に大切にされなければならない、
という教育の原点に、まず帰ること。


○記念講演「子どもの生活を豊かにするコミュニケーション」
 北翔大学教授 日本臨床心理士会会長 村瀬 嘉代子先生


外国人の様々な表情の顔の絵を見せて、「うれしい時、人は笑いますね」
という指導。ところが子どもは「そうとは限らない。悲しくても笑うことはある」
と説明した。

絵を見せて、笑った、泣いたという指導よりも、
そうした感情の動く体験、人との関わりを提供することの方がはるかに大事。

→(感想)
まったくその通りと思う。
人の表情が読み取れないから、絵を見せて、という単純な図式での
指導がいかに、形式的、心不在であるかということ。
確かにそうした手法が有効な子もいるだろうが、
今回の事例の子は、複雑な両面性のある感情を指摘できることから、
指導内容はミスマッチである。

似た様な事例の子の話を聞いたことがある。
「こんな時、どんな気持ちになるか、文字に書いてみよう」という
プリント課題。
それよりも、実際に「そういう気持ち」になる、なった場面を
用いた方がはるかにいいのでは、と思うのである。

地下鉄が近くにないのに、地下鉄の乗り方のSSTだとか、
就職まではるかに先の、低学年の子どもに、
「お客様に断られたときの対応」だとか、
「形式」がはびこりすぎていると感じている。



場面を「一人称的(本人)に」「二人称的(支援者)に」
「三人称的(周り)」の3つの視点を同時にとらえながらが大切。

→(感想)
支援の場というだけでなく、日常の人との関わりの中で一番大切で、
もしかすると一番難しいのかもしれない。


***
今回は少しラジカルな内容になりましたが、
関係論と正反対の位置?にある行動分析的な考え方も
私は必要と感じているし、両方の視座が必要だと思っています。


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アセスメントと指導研修講座

の担当をさせていただきました。

主訴をもとに、どのような情報収集が必要かをグループごとに発表し、
次に、示されたアセスメント情報を元に
1 通級指導では何をすべきか
2 学校や保護者へお伝えすることは
について、さらにグループで話し合いました。

最後に私から、実際の通級指導事例を教材紹介を交えて発表しました。

すばらしそうな内容ですが、これを60分間の枠で行うということ自体、ちょっと無理でした。
企画段階での反省点です。

あらゆる段階で消化不良を呈してしまいました。
アセスメント情報からいきなり指導方法にいくのではなくて、何が問題なのかという「問題の仮説」の設定の段階が必要なのでした。

アンケートは厳しめの内容が出てくるのではないかと想像しています。

ただ、最後の教材紹介の時は、参加者の盛り上がりはかなり強かったのでした。

やっぱりそうなってしまいますね。

でも、アセスメントの重要性は少しは伝わったかなとも思います。

特に、矛盾した情報がある場合に、なぜ矛盾するのかを考えることが、指導の手がかりになります。

たとえば、WISC-3の「注意記憶」は高いのに、DN-CASの「注意」はとても低い、ということがなぜ起こるのか。

簡単な視知覚課題ができないのに、なぜ視知覚検査はパスするのか。

そして、関係者によって、なぜ見立てがこんなに違うのか、などなど。

それらを深く検討する中に、答えがあるわけです。


ちなみに、導入時のアセスメントのクイズで、以下を出しました。




「一番大切」というより「まず大切」の方が正確でしたが・・・。

ここのブログをいつもご覧になっている方には、正解はどれか、
すぐにおわかりいただけると思います。

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「系統的な指導方法」の前に、「子ども理解」を

いろいろな方からご相談頂きます。
そこでいつも思うのは、その子へのぴったりの指導方法は、情報がなければ私にはわからない、子どもを理解することの中に答えはある、ということ。

行動障害の背景として、脳機能を疑うためには、その前に色々な情報整理が必要かと。
すなわち、

朝ご飯は食べてきているのか。
睡眠はとれているか。生活リズムはどうか。
家族内力動はどうか。
習い事は負担になっていないか。
脳機能以前に、視力、聴力、その他感覚器官はどうか。

そして、
その行動が、どんな条件で現れ、どんな条件で消失、あるいは変容するのか。

さらに、
子どもの障害の部分だけでなく、その子の日常生活全体がわかるようなアセスメントでなければなりません。
知識の専門家というだけでなく、その子の専門家に。


・「支援より、理解を」 
・指導は、アセスメントに始まり、アセスメントに終わる。
・「系統的指導プログラムの前に、子ども理解を」 
・「指導書はどこか遠くにあるのではなく、その子自身が指導書である」 
 

今度、アセスメントと指導にかかわる講座を受け持たせて頂くことになりました。
参加者名簿を見ると、半分は学校の先生や支援員、半分は幼児教育、そして医療関係者、保護者など。

子ども理解がまず大事だというのは、ことばの教室では、ウン十年前から、ずっと言われてきたことです。

何も新しいことはなく、繰り返し言われてきたはずのことです。

症状→指導方法

という単純なものではないこと。

このブログでも何度も書いているので、耳だこ、ならぬ目だこ?
ごめんなさい、しつこくて。


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特別支援学級での言語指導

今日、特別支援学級の研修を担当している先生がいらっしゃいました。

特別支援学級に在籍している子どもで、言語指導のニーズのあるお子さんの指導をどのようにしたらよいかについて、研修会を持つそうです。
本当はことばの教室の先生に講師として、とも考えたが、平日の放課後は指導で埋まっていることをよくご存じで、その先生が聞いた話を研修会で伝えるということでした。

私がお話ししたことを、30分程度の研修会でまとめて伝える、ということはまず無理と判断しましたし、その先生もそれが難しいことをよく理解されていました。そこで、研修会では相談先を紹介するという主旨にして、そこにつなげること、つなげるためには、子どもについての情報をできるだけ多く、まとめて持っていくことが重要、とお話しさせていただきました。

子どもの情報について必要なのは,以下の通り、とお話ししました。

1 主訴
2 家族構成、家族状況
3 生育歴(母子手帳、各健診、医学的情報等)
4 教育歴
5 行動、社会性、言語、コミュニケーション
6 運動面
7 学力
8 基本的生活習慣
9 得意なこと、興味
10 他機関からの情報、在籍校(園)の校内体制

そして、主題は吃音のようでしたので、追加で必要な情報をたとえばということで示しました。

11 吃音の種類(連発、伸発、連発)
12 随伴動作の有無と状況
13 発話のためらいや、意図的な早口などの有無
14 いつから始まったか(生育歴情報ともかぶりますが)
15 どんな時、どんな条件で症状が現れるか、または現れないか
16 症状についての周りの反応
17 本人の自覚の有無
18 チックの有無
19 口腔機能、器質的な問題の有無と状態
20 血縁関係者に吃音のある方の有無
21 その他

この他にもあるかもしれませんが、まず必要な情報ということで例示させて頂きました。

まずは指導方法ではなく、子ども理解、
ということを先生はとてもよくわかってくださったように感じました。

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講座「言語障害教育」バーチャル再現 2 情報収集は指導のカギ

 
今回のケースレポートには、意図的に「学級担任からの情報」
という項目を入れました。
そして、学級担任からの情報収集を強調した書き方例を示しました。

その結果、ほとんどの先生が、学級担任からの情報を書いて下さいました。
情報の鮮度の問題はまだありますが。

お互いに時間が合わず連絡が取りにくい学級担任の先生と、
スムーズに連絡をとるための秘密の武器も
今回資料につけました。

実は、学級担任の先生からの情報収集をすること自体が、
今回の主要なテーマの一つでした。

ともすると、通級時の行動観察のごく一部を近視眼的にとらえたり、
チェックリストや検査を偏重したりする結果になりがちです。

通級時の行動観察の情報やチェックリスト、検査結果は、
学級担任など日常の情報と付け合わせて判断するのでなければなりません。
 
後で話を伺うと、すでにこの秘密兵器を入手した教室では、
その重要性を話し合い、利用し始めようとしているとのことでした。


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講座「言語障害教育」バーチャル再現 1 客観的事実と主観的判断とを厳しく分けること


今日は公的機関で「言語障害教育」の講座をさせて頂きました。
通級担当の先生がめまぐるしく替わるようになった昨今、
新しい先生からの、「年度のできるだけ早い時期に講座をやって欲しい」
という要望に応えるものです。

定員10名の2倍の人数の参加を頂き、通級担当の先生の他、
特別支援学級の先生、初任者研修を兼ねた先生がいらっしゃいました。

午前中のケース会議では、3グループに分かれて、
それぞれ持ち寄ったケースについて話し合いました。

その席上、ある初任者の先生の質問が、私には衝撃的でした。
「○○する力が弱いと書いてありますが、それはどうやって評価したのですか」

本人は単純に、どうやって評価したのかを知りたかったようですが、
実はこの質問は、レポートの作成の仕方というだけでなく、
アセスメントの本質を突く質問でした。

「○○が弱い」というのは主観的な「判断」であって、検査結果ではありません。
たとえば、
「聴覚的認知が弱い」だけでは、次の指導の手立ては出てきませんし、
出てきても紋切り型の、その子にフィットしない指導になってしまいます。
そもそも主観的な価値がそこに含まれ、子どもの実態から遠ざかってしまいます。

たとえば、
「2音節の逆唱は3問中、3問言えたが、3音節では3問中3問とも、
語頭音が言えなかった」と、子どもの反応をそのまま書くのが、
正確であるし、次の指導の手立てが正確にフィットしやくなります。

本来は、
「『なかさ』の反対は?」の発問に「さか・・・・わかりません」と回答した
という表記が望ましいですが、A4一枚にまとめるには、
ローデータから1歩まとめた内容にする必要はあります。

しかし、主観的な価値付けと、客観的データは厳しく分けて書く、
ということは、アセスメントの基本、本質であります。

8月の指導実習風の公的講座にこの課題を反映していきたいと感じました。


ただ、この忙しい中、A4一枚とは言え、
皆さん一生懸命に作成され、当日に臨まれた前向きな方ばかりで、
きっと受け持った子ども達は幸せだろうと感じました。

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情報収集先で一番大切な人



今日は地元の言語障害教育研究協議団体の総会と研修会がありました。

例年の通り、今年も組織の3分の1のメンバーが
人事異動で配置換えとなり、新しい先生となりました。
半ば絶望とニヒルな気持ちになりながらも、
新しい先生への支援のために、自分にできることを
コツコツやっていくしかありません。

部ごとの会議では、組織調査部長を引き受けた代わりに、
自分の考えを全面に押し出した会議とさせて頂きました。

組織調査部は一般に、通級制の諸問題の調査と解決に
当たる機関ですが、今年は、新しい先生への支援という意味も込めて、
演習的な内容を取り入れました。

つまり、教育相談時のアセスメントで必要な場、人、器具などを
列挙してみるという学習をしました。
必要な器具を把握して、各教室への設置状況を調査するという意味づけで、
組織調査部の主旨は損なわないようにしながら。

各参加者からアイデアが出され、板書に整理しました。

そのなかで、「情報収集先」として、保護者はもちろん、
療育センターや、児童相談所、医療機関が挙げられましたが、
私が一番大事と考える情報収集先が、なかなか出てきません。

うちの教室の職員が言い当ててくれて、うれしかったです。
つまり
「学級担任」
です。

「学級担任」が情報収集先として一番大事な理由は、
以下のことが挙げられると思います。

1 一日の生活の中で最も長い時間生活する場が学級であること

2 専門職の方から情報を頂くのも大事だが、日常の視点(ジェネラリスト)の
視点が最も大事であり、ニーズはそこにあること。

3 検査でもわかることがあるが、その結果は、日常の生活の情報と
付け合わせて考えるものであること。

4 通級妥当の判断の際、学級担任との役割分担が必要、
または、通級に至らなくても、学級での指導の工夫で対応できないかなどの
検討にも必要であること。


このように学級担任からの情報収集の重要性を押さえた上で、
具体的な実践につなげるための手立てが必要と感じたのでした。

また、学級担任からの情報収集の「観点」を押さえることも大事です。
これらの観点を提示させて頂いたとき、反応があったので、手応えを感じました。

つまり

1 言語コミュニケーション面
2 学習面
3 基本的生活習慣
4 運動面
5 社会性
6 行動面
7 得意なこと、興味のあること
8 その他


必要な情報は落とさない、という心構えが、
正確なアセスメントと指導仮説に結びつきます。

次回は、学級担任からの情報収集を妨げる要因と
解決方法など、さらに具体的な演習を行うことで、
実践力向上につなげられたらと思います。

(もちろん、関係者のだれよりも、もっとも耳を傾けなければならない人は、
「本人」であることは当然の前提です。一定の条件を満たすなら)

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公的講座の事例レポートの様式(例)

通級担当の先生がそれぞれ一本ずつレポートを出し合って、
交流するケース会議の様式を検討しています。

事例を交流するためには、様々な情報が必要です。
しかし、短時間にしかも質の高い交流にするには、
文字数を制限しながらも、必要な情報が網羅されていなければなりません。

A4 一枚程度のレポート様式です。
これまで研究団体が使用していたものを一部改変しています。

実はこれだけでも情報は十分とは言えません。
たとえば、
学級担任の先生からの情報では、
体育が苦手で、なかなかやりたがらないことがある。」
とあります。

およその方向性はわかりますが、
やりたがらないのはなぜなのか、
体育のどの分野なのか、
実際やってみての状態は、
やりたくないときはどうしいているか、
など、掘り下げた情報が必要です。

運動面にも

触覚
固有受容覚
前庭覚

と色々あるし、具体的な姿が見えなければ、
推論もできません。

幼児期がどうだったのか、学校へ上がってからなのか、
広げれば、
生活リズムや環境など、
様々な可能性を見なければなりません。

もちろん、思うように情報収集ができない場合も多いですから、
関係者にはわかる範囲でできるだけ伺うという姿勢が大切です。

そして紙面にないことは、交流しながら確かめていきます。

実は、学級担任からの情報収集がなされていない
レポートがとても多いのです。
それを避けるために、この様式を予め参加者に
お送りしておくわけです。

各参加者が情報収集する過程で
自己解決に結びつく場合も多々ある、ということも
ねらっています。

検討時間中も、すぐに答えを言うのではなくて、
視点を提供することで、
自己解決への道が開かれる場合が多々ある、
と思っています。

座長や参加者は助産師であって、
実際に産むのはご本人ですから。

ダウンロード(pdf)

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私たちの研修課題

好評につき、自主研修会第2弾を手弁当で開催、
2日間開かせて頂き、のべ8名の参加を頂きました。
中には他の障害の特別支援学級の先生も参加されて、
有意義な内容になりました。

すてきだなと思ったのは、前回のケース会議に比べて、
参加者の質問が増えたこと、質問の内容も
核心を突くことが増えたこと、があると思いました。

この分野の仕事では、知識も大切ですが、
最後はセンスだと思っています。
それぞれセンスが磨かれていると感じました。


以下、一般に、今後の課題と感じていることを載せます。


・WISCの結果は、言語性IQ、動作性IQ、全検査IQだけでなく、
群指数や下位検査のデータもみたいものです。
できれば検査時の子どもの反応も。
別の医療機関等のデータの場合は子どもの反応が情報として伝わってこないことが多いので、せめて各数値だけでも全て載せた方が良いでしょう。
また別の機関で検査をすることが事前にわかっていれば、通級時の子どもの様子を手紙にして送ることが必要と思います。検査の解釈には日常の情報が不可欠です。


・学級担任等からの情報収集では、情報の観点を明確にすること
→ケースレポートでは、学級担任、保護者からの情報収集に
苦労している様子がうかがわれました。
どんな情報を仕入れたらよいか分からないというともあるでしょう。

1 学習面
2 基本的生活習慣
3 言語コミュニケーションの状況(特に休み時間の過ごし方)
4 社会性
5 行動面
6 運動面
7 現在の支援体制、校内で使えそうなリソース
8 器質面(視力、聴力、その他投薬など)
9 得意なこと、興味、その他

というように観点を予め用意し、観点に沿って質問すると良いでしょう。
もちろん、担任の先生は急に聞かれても答えられませんから、
予め観点をFAXやお手紙などでお知らせし、後日お話しを伺う
というようにします。
また40人から抱えている学級担任の先生には、
子どもをそこまで詳しく見られない、ということもあります。
その事情はそれとして敬意を払い、
それ自体が一つの情報となります。

大部分を過ごすのは学級、家庭であり、通級時の行動観察は、
週1回の断片的な情報に過ぎない、というおさえが大切です。
逆に言えば、学級担任、保護者等からの情報は、
通級の指導内容を検討する上で欠かせないと言えます。
 もちろん、それが全てでもありませんし、通級指導内容の優先順位を
検討する際には、通級で効果が上がりやすいこと、あがりにくいこと、
通級や学級それぞれで、できること、できないことを明確にする
必要もあります。

情報を発信することも大切ですし、情報を入手することは、もっと大切です。
私自身の反省も含めて。

また、学級担任に電話をしづらい、電話してもつながらないと言う悩みが
多くあります。これを解決するための手立てを紹介しました。


・指導の手立ては、情報の収集の中にある
→その子の指導方法はどこかの本に載っているのではなく、その子自身の中にある
 一般に、安易な指導プログラムが魅力的に感じてしまう背景には、
情報収集と総合的判断をどのようにしてよいかという悩みがあるのだと思いました。


・教育相談のやり方、流れの研修、バージョンアップを
→ちなみにうちの教室の教育相談は、かなり丁寧に行っている方だと思います。

1 教育相談受付
2 生育歴調査票の郵送と事前返送、学級担任等からの情報収集
4 事前の全体打ち合わせを行い、事前情報を元に検査法の選択と保護者面談の視点を確認
5 教育相談実施。保護者担当・子ども担当に分かれ、それぞれ複数の教員を配置し、複数の耳、目で確かめる

6 別の日に事後打ち合わせを行い、全ての情報を元に、総合的な判断と、通級妥当の判断を含めた支援の方策を話し合う


通級担当の人事がネコの目のように変わるようになってきている現在、全員で打ち合わせ議論することで、経験の浅い先生へのフォローを初めの時点でしっかりしておくことが必要と感じます。教育相談業務を全員で取り組むことが、それ自体貴重なケース研修になります。
今の職場に転勤した時点で既にこの丁寧な体制はできていましたが、観点をより明確にし、検査法の選択肢が増えるようになったのは、ここ数年のことと思います。

通級対象が拡大した影響で、相談内容も多岐にわたるようになったこともあり、情報収集すべき観点もそれに合わせて増やさなければなりません。
関係者の負担になる部分もあるかもしれませんが、正確な判断と支援の手立てを構築するには、情報の収集と整理をきちんと行うことが大切だと思います。子ども目線に立てば、一時の負担より、これからの幸せ、です。


いずれにせよ、お忙しい中これだけ自主的に集まってくださった方々、
とても感謝感激、通級の未来は決して暗くない、そう信じたいと思いました。


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発達外来主催の研究大会に参加してきました

この地域では小児発達外来の中核になっている病院の
研究大会に参加してきました。
おそれおおくも分科会の座長をお願いされましたが、
色々反省点があってへこみ気味です。

でも発言が切れ目なく出ていて、もりあがりはあったと
思います。


その後の全体講演では、各分科会の報告を受けての
話しも入れていたので、分科会→全体講演の流れも
いいものだと思いました。

講演で印象にのこっているのは、やはり
「正確な診断」が大切であること。
アセスメントのためには、「経過」が大切であること。
つまり、今はおしゃべりできるから何でもない、
と今だけを見るのでなく、育ってきた経過を見ること。
そして子どもの現象面だけを見るのでなく、
その裏には子どものどんな意味があるのかを読み取ること。

他にもたくさんありますが、
とてもよくまとまっていて、正確さのあるお話しでした。


その後の打ち上げにも、おそれおおくも参加させて頂き、
専門職の先生やドクターともお話しできてよかったです。

専門職の先生方も、学校教育にどんどん入っていきたいという
思いを持っておられるようで、
専門家の支援も受けたい我々教育サイドと、
思いは同じなのだなと改めて思いました。
時間や勤務対応がネックですね。

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アセスメントと相談の難しさ(アセスメントシートダウンロード)

私は教育相談を受ける際、
以下の様式で情報を整理することがあります。

これは、
『特別支援教育の理論と実践 S.E.N.S養成セミナー 1』
などに載っている様式を参考にしたものです。

ダウンロード(pdf)


ただ、全ての情報を収集できるのが理想ですが、
なかなか難しい現実もあります。

特に、幼稚園、保育園の情報が学校に
伝わっていない、伝わっていても、
担任が替わる時に引き継がれないということが
よくおこります。

プライバシーの問題や、
小学校で子どもの発達を縦軸に見るということが
まだまだ広がっていないということもあります。

また、あまり過去にさかのぼるより、
今、ここが大事だという考え方もあります。

したがって、限られた情報の中でも、
判断したり、手だてを提案しなければならない
場合も少なくありません。

日常から、アセスメントの重要性を感じている私ですが、
同時にその難しさも実感しています。

アセスメントをがっちりやって、
科学的エビデンスで理論構築して、
はい、どうぞ、
というのがうまくいく場合と、
うまくいかない場合があるでしょう。

毎日つきあっている先生の意見が
実は一番ヒットした、ということも
少なくありません。

科学的エビデンスって何?
と思う瞬間です。



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アセスメント

お久しぶりです。
忙しくて更新が滞っていました。
ご心配の方もおられると思い、最近の話題を。

アセスメントが最近の話題の中心です。


教材開発の前に、子どもやその周辺の条件等のアセスメントが重要です。
アセスメントが適切であるほど、その子への教材のフィット率が高まります。
ただ、実際には詳しいことはよくわからずに、指導に入らなければならない場合もあります。

予測のもとにある教材を試してみて、子どもの反応を見るのも立派なアセスメントでしょう。
どの課題ができたか、できなかったか、できなかった場合は、どのようにつまずいたのか、
その情報を元に指導の仮説を見直し、教材を修正し、また試す。

はじめから完璧な指導でなければならない、なんてことはありません。
「せっかく作った物」でも、子どもの反応次第では、思い切ってやめる、
という勇気、切り替えの早さも大事ですね。

一生懸命準備したが、来室した子どもの表情を見た瞬間、用意した物を全てやめた、という経験もよくあります。


先日、特別支援教育体制推進事業の専門家チーム会議に出てきました。
発言を求められたので、私はアセスメントの重要性について、おこがましいですが、お話させて頂きました。
メンバーの中には私の発言に同意してくださった方もおられて、同じように感じた方もいるのだなと思いました。
巡回相談の物理的、時間的限界があるので、理想は難しいですが、必要な情報、不必要な情報を弁別し、アセスメントは、ビフォーからアフターまで大事なんだと改めて思いました。

以上、思いつくままに。

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小手先の技術の前に、子ども理解(アセスメント)を

私は肩こりです。
定期的にほぐしてもらわないと、ガチガチになってしまいます。


・A治療院
チェーン店らしいほぐし方。
アセスメントはしっかりやるのだけど、
施術の仕方はいつも同じ・・・?
一番ほぐして欲しい中心部までは及ばず。


・B治療院
問診が徹底していて、希望も丹念に聞いてくださるが、
施術は・・・・。
全くほぐれず。
ん〜、ヒトのカラダの仕組みを理解しておられるのか・・・。


・C治療院
問診も、アセスメントもなく、いきなりほぐし始める。
でも結構ほぐれるから不思議。
毎回同じ施術かなあと思ったけど、何度も通ううちに、
私の体の特性を理解してくださったようで、毎回
施術の仕方が微妙に変わるようになった。
「最新の研究技術」という感じではないけれど、
客とつきあううちに、客の特性の理解が深まる。
型にはまったアセスメントはしないが、ほぐしながら
手でアセスメントし、長年のセンスで理解する。


・D治療院
後にも先にも、ここほどすばらしい治療院はない。
(今は事情でなくなってしまったが)
国際基準の資格をお持ちで、問診、アセスメント、
施術、すべてにおいて、高い専門性、最新の技術を
入れているように感じた。
私のカラダの隅々まで、正確にアセスメントして
施術してくれている感じ。
「あ〜、そこそこ!」
「あ〜、そこがつらかったんだ。自分でもわからなかった」


・E治療院
「短時間コース」など、豊富な時間コースがあり、
受けてみた。
問診はしっかりしているが、施術者とは別の人。
スタッフがたくさんいて、役割分担しているようだ。
短時間なので、肩に集中して施術。
うまい。
とてもほぐれた。
カラダの仕組みをよく理解し、長年の経験が生きている。
ただ、肩こりは、その周辺、身体全体のこり、ゆがみとの
関係性でとらえる必要がある。
部分の症状だけ対症療法的にやっても、長続きはしない。
施術者もそのことをよくご存じに違いないが、ニーズがあるから
システムにしているのだろう。
確かに、時間がなく、コンビニ的に考えるなら、利用しやすい。


・そして自分で実施
朝のヨーガ。
自分のカラダのその日の状態をアセスメントし、状態に合わせた
ポーズをとれると、一日を快適に過ごせる。
毎日やると、治療院にも行かなくて済む。

長年、当たり前だと思ってきた「姿勢」が実は前屈みだった。
ヨーガ直後は、身体が反り返っているように感じるが、
鏡で見ると真っすぐだ。
つらかった身体の部分は、これまでつらいとさえわかっていなかった。

カラダが楽になると、子どもたちにも余裕を持って接することができる。


さて結論。
私はこれら治療院から、特別支援教育のあるべき姿を見ることが
できるように思うのです。

「小手先の技術の前に、子ども理解(アセスメント)を」
「知識と経験は、車の両輪」

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