今日は公的機関で「言語障害教育」の講座をさせて頂きました。
通級担当の先生がめまぐるしく替わるようになった昨今、
新しい先生からの、「年度のできるだけ早い時期に講座をやって欲しい」
という要望に応えるものです。
定員10名の2倍の人数の参加を頂き、通級担当の先生の他、
特別支援学級の先生、初任者研修を兼ねた先生がいらっしゃいました。
午前中のケース会議では、3グループに分かれて、
それぞれ持ち寄ったケースについて話し合いました。
その席上、ある初任者の先生の質問が、私には衝撃的でした。
「○○する力が弱いと書いてありますが、それはどうやって評価したのですか」
本人は単純に、どうやって評価したのかを知りたかったようですが、
実はこの質問は、レポートの作成の仕方というだけでなく、
アセスメントの本質を突く質問でした。
「○○が弱い」というのは主観的な「判断」であって、検査結果ではありません。
たとえば、
「聴覚的認知が弱い」だけでは、次の指導の手立ては出てきませんし、
出てきても紋切り型の、その子にフィットしない指導になってしまいます。
そもそも主観的な価値がそこに含まれ、子どもの実態から遠ざかってしまいます。
たとえば、
「2音節の逆唱は3問中、3問言えたが、3音節では3問中3問とも、
語頭音が言えなかった」と、子どもの反応をそのまま書くのが、
正確であるし、次の指導の手立てが正確にフィットしやくなります。
本来は、
「『なかさ』の反対は?」の発問に「さか・・・・わかりません」と回答した
という表記が望ましいですが、A4一枚にまとめるには、
ローデータから1歩まとめた内容にする必要はあります。
しかし、主観的な価値付けと、客観的データは厳しく分けて書く、
ということは、アセスメントの基本、本質であります。
8月の指導実習風の公的講座にこの課題を反映していきたいと感じました。
ただ、この忙しい中、A4一枚とは言え、
皆さん一生懸命に作成され、当日に臨まれた前向きな方ばかりで、
きっと受け持った子ども達は幸せだろうと感じました。
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