ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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・一見楽しく学校生活を送っているように見える子ども。しかし、絵を描かせると、真っ黒な登場人物を描きました。背景情報から、強い自己否定の感情が見えてきました。
・とても仲良さそうに関わっている親子。しかし、それは親から虐待されないために、必至に「かわいい子」を演じて身を守ろうとしているに過ぎませんでした。
・精神・神経科を訪れた女性。「だいぶ元気になりました」との笑顔の挨拶が、最後でした・・・。
・工作に全く手をつけない子。多動もあるので、意欲が全くないのだろうと思っていました。しかし、支援員に尋ねると、構成を必至に考えても思いつかず、一生懸命やろうとしているのに、ずっとつらい思いで過ごしていたことが、あとでわかりました。
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一つの事象だけで、子どもの状態像を評価するのは極めて危険です。様々な背景情報と組み合わせる。これはアセスメントの基本。
物理学では、物をどんなに必至に動かそうとしても、動かなければ、運動エネルギーは0でよいのでしょう。
しかし、その物にどんな外力が加わっているかは、見た目だけでは判断できません。
周辺の環境をよく検討したり(環境との相互作用)、外力を測定する機械(各種検査)が必要でしょう。
一つの事象を「意味づける」のではなくて、「意味(本人の思い)を感じ取る」ということ。両者には雲泥の差があります。
そして大切なのは、「情報量」ではなくて、「情報の種類の量」です。情報をいくら仕入れても、その観点がシングルフォーカスならば、何もわかりません。
アセスメントレベルがずれていれば、指導仮説から評価まで、すべてがずれることになります。それは「多様性」とは違います。
「見る」と「観る」の違いでもありましょう。
それはまた、「あるがままの自分」をあるがままに見つめると言うことでしょう。しかも温かく。
自分の誤りは誤りとして、失敗は失敗として、ごまかすのではなくあるがままに温かく受け止める。それが、正確で深い子ども理解につながるのだと思います。
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