ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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吃音は言語障害のひとつで、構音障害、言語発達遅滞など、ことばの教室が本来対象にする障害の一つです。
「ぼぼぼぼくは」と出だしの音を繰り返すのを「連発」と言います。
「ぼーーーくは」と、出だしの音を伸ばすのを「伸発」と言います。
「・・・・・・・ぼくは」と、出だしの音が詰まることを「難発」と言います。
一般に、連発よりも伸発、伸発よりも難発の方が、症状が重いとされます。
また、手を振ってリズムをとってから発話するなどの「随伴動作」が見られることもあります。
目立たないように、手指をわずかに動かしてから発話する子もおり、検査時に見逃されることもあるでしょう。
吃音は発症してから3年以内に指導を開始した方が効果的ですから、ある程度症状が見られるのに、「様子を見ましょう」と何年もアプローチせずにいるのはいかがなものでしょうか。
また、検査場面ではそれほど症状が見られなかったから、様子を見ましょうというのも危険な判断です。
日常がどうなのかという情報は不可欠です。場面や状況によって、症状の重さや状態は変わる可能性もあり、時期によっても軽重の波があるからです。
また、昔は、症状については一切触れずに、環境調整をしていけば良いという実践が多かったように思いますが、最近は、「楽にどもる」方法を子どもと一緒に模索する、完全には「治らない」かもしれないが、より楽に、という方向に変わってきています。もちろん、幼児期の場合は環境調整も大事ですが、就学後では、もう一つプラスアルファーが必要です。
原因論については、昔言われた、「左利きを矯正したから」、などというのは科学的根拠がないことがわかっています。現在では、「もともとのなりやすさ」に、誘発要因が重なったときに出る、という多重モデルが採用されています。これは習癖と同じですね。また、吃音が出る子は運動が苦手だから、眼球運動だとか、身体全体の運動を鍛えることで症状が改善するという方もいますが、運動が不器用でない子も多いですし、そもそも、吃音には様々なサブタイプがあるのであって、運動をしたから症状が改善する、というとらえ方は単純にすぎる、と言えます。
さて、吃音の指導をさせて頂いて改めて感じることは、
1)吃音のメインテーマは「予期不安」であるということ。どもるかもしれない、という不安や緊張によって、余計な力が加わり、症状を誘発しているということ。先進的な研究をされている方も、「予期不安」こそは、とおっしゃっていて、納得です。
2)流ちょう性促進技法によって、「楽に言える、読める」体験を重ねること自体が自信につながり、予期不安の軽減にもつながっている。
3)特定のプログラムに固執するのではなく、子どもの反応を見ながら柔軟に対応することの大切さ。(これはどの障害、どの子に対しても言えることですね。指導するのはプログラムそのものではなく、”人”なのですから)
4)子どもと相談しながら、子どもの気持ちを尊重しながら指導することの大切さ。(同上)
5)子どもによって、「コーラス効果」(吃音のない人が一緒に音読、発話してあげると症状が改善する)が効果的な場合と、リズム法が効果的な場合とがある。
かつてDAF(聴覚的遅延装置)をパソコンのフリーソフトで擬似的に作って指導したことがありますが、そもそもDAFは「般化」に難があると聞いています。つまり、装置をつけているときは流ちょうでも、はずしたら・・・、ということです。
アメリカでは、DAFを補聴器のように持ち歩いて、人に見られても全然問題なく、ということのようですが、お国柄ですね。最近は、DAFにピッチを変える機能もつけて、自分の話したことばが、別人のピッチ音でフィードバックするので、「コーラス効果」により症状が抑えられるのだとか。しかし我が国ではまだそうした状況にはなく、私の指導の選択肢からは、はずれていきました。
リズム法では、「かーかーからすのかんざぶろう」という音読教材を使っています。
前任校で手に入れたのですが、出典がわかりません。
もうひとつ、図書館で子ども向けの川柳についての本を借りてきました。リズム法として使えるのではないかと思案中です。