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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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「就学後、集団生活に乗れるか心配」

「就学後、集団生活に乗れるか心配」を主訴に訪れた年長女児。まず収集すべき情報はどれか。

① センター巡回相談の鈴木ビネー検査の結果
② 幼稚園、保育園の様子
③ 文字の読み書きの程度
④ 学校の就学時一斉知能検査の結果
⑤ 家族構成

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教育相談の件数、倍々に増加

教育相談が次々と入ってきています。
そのペースはかなり速く、夏休みまでに、既に昨年度一年分の件数に達しています。
昨年度の件数も、一昨年の件数の倍です。

教育相談から支援への接続にあたって、
1)「成功」につながるか、「失敗」につながるか、の二元論ではなく、「失敗したり、成功したり」という子どものリアルドラマに、とことんつきあおうとする姿勢であるかどうか。

2)一つの現象を見ただけで、全体の判断をしてしまうシングルフォーカスや、自分の人生経験と重ね合わせてしまう思いこみ、思いつきの対応になっていないか。決めつけていないか。

3)形にとらわれて、子どもの気持ちに寄り添おうとする姿勢から離れてしまっていないか。

過去、こうしたことに懸念を持たざるを得ないような教育相談、校内体制を見てきました。

一方で、無名でも、コツコツと地道に実践を積み上げ、あくまでも子どもへの愛情を注ぐ実践も見てきました。

ジェネラリスト(その子の専門家)と、スペシャリスト(知識の専門家)の両輪を大切にしながら、でも最終的には「隣のおじさん」=ジェネラリストとしての総合的判断と支援の手だてにつなげられればと思っています。






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アセスメント情報が欠けるのは致命的

ラ行音がダ行音に置換しているとの初回アセスメント情報。担当が替わって替わって数年後、もっと必要な支援があると初めてわかる。初めの情報収集をきちんとしていれば、もっと早くにわかったはずというような事例を多く見てきています。
集めた情報は整理すべきは当然ですが、それ以前に、子どものトータルな理解の視点が抜けていないか、検討が必要です。

子どもの一部だけを見て、わかったつもりになって、結果、もっとも不利益を被るのは子どもなのですから。



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不必要な情報を収集してしまう恐れよりも、必要な情報を収集できないことを恐れるべきだ

当教室では、教育相談の面接での検査だけで、子ども理解を終わらせようとはしません。
相談システムを大幅に改変し、面接前までに、関係機関から様々な情報を収集し、生育歴についても予め保護者に書いて頂き、資料が全てそろった中で、相談当日を迎えるようにしました。
そうでなければ、必要な検査の選択ができないし、子どもの全体的な理解につながらないからです。(もちろん、情報収集は、原則として保護者の同意のもとで行います)
 
 不必要な情報も収集してしまうのではないかということを危惧するよりも、必要な情報を収集し落とすことの方が、はるかに問題です。 
 そして必要な情報かどうかの判断は、あとになって変わる可能性もあります。

 基本的な情報収集をしてから、面接当日に臨むことです。

 
 正確な支援につなげるためには、正確な子ども理解が必要です。


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検査の選択のためには、事前の情報が必要である

あそこへ検査に行けば、いろいろなことがわかる。
という前提をどのように崩していくか。
一番子どもと接している方の情報8割、検査2割。

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校内体制の前に、子ども理解を

関係者が一堂に会し、現状と過去を思い出しながらフリートーク。
「そんな背景があったのか」
その気づきだけで、校内委員会は、その目的の9割をクリアしているのでした。
見方が変われば、関わりが変わる。


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子ども理解が少しずつ

異動により、担当の子は全て初対面です。
前担当が残した記録や検査結果はあっても、実際に会ってみなければわからないし、学級担任に尋ねなければわかりません。
6月に入って、ようやく子どもの姿が見えてきました。
週の限られた時間の通級では、こうしたことがめずらしくありません。

個別の指導計画の策定がこれからです。

検査や専門用語の知識はあっても、その子を理解したことにはならない。

文字通り、初心に帰っています。

この期間は苦しいのだけれど、やはり通らなければならない期間です。

前回も書きましたが、それは新しい先生にとっても、経験の長い先生にとっても同じです。

仮説を立てて、出会って修正して、の繰り返しです。

検査だけで判断してはいけないし、特定の人のお話を聞くだけで判断してもいけない。

時に情報が膨大となることもありますが、何が必要な情報かがわかっていれば、情報の取捨選択はそれほど難しいことではありません。
むしろ情報が多いほど、矛盾した情報と出会う確率は高まるし、なぜ矛盾するのだろうと考えること自体が、子ども理解を深めることにつながります。

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検査は何をやったらいいですか

検査は何をやったらいいですか。

というご質問をいただくことがあります。
就学にあたって。
でもこういう質問をされる方は、すでにご存じのはず。

幼稚園や保育園で、いつ、どこで、どんな内容で、どれくらいの頻度と量の支援が必要なのか。支援を受けてきたのか。
検査と同じかそれ以上に、その情報が大切だったりします。
就学にあたって、支援の連続性が保障されることで、楽しい学校生活が送れますように。



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意外と見落とされやすい、椅子の高さ、座りごこちと特別支援教育



着席の姿勢が崩れ、椅子から前にずり落ちる子がいます。
本人も笑っているので、ふざけているように見えます。

でも、実は足腰の筋力や、バランスの関係で、姿勢の安定が難しいことがあります。
おしりが椅子から滑り落ちるわけです。
100均のマットを敷いて、無事解決。

机や椅子の高さがフィットしていなくても、姿勢が乱れることがあります。
脚が地にしっかりついて、膝が90度になるのが、ちょうど良い高さ。

特別支援教育以前に、こうした基本が整備されているかが重要ですね。

小1から小6、時に幼児や中学生の子も来室する私の指導室には、3種類の高さの机、椅子を常備しています。

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指導方法の前に子ども理解を

「○○障害の指導法を教えてください」
「読み書きの指導はどのようにしたらいいですか」
「一日5分でできる、発音の練習方法を教えてください」

こうした質問をよく受けます。
まず、誰かに質問する、ということ自体はとても歓迎されるべきことと思います。
ただ、相談の子どもについての情報がなければ、「指導方法」もお伝えすることは難しいです。
一般的な指導方法をお伝えしても、まずヒットする可能性は低いです。

「熱があります」という患者に、診察なしで「解熱剤を出しておきます」というのと同じです。
背景にある重大なことを見逃している可能性があります。

子どもの相談に応えるためには、子どもについての詳細なアセスメントが必要です。
アセスメントと言っても、WISCやK-ABCばかりとは限りません。
じっくりと行動観察すること、関係者から情報をいただくことも、立派なアセスメントです。

質問される方には、子どもの情報について抜け落ちている視点を私が提供させて頂くだけで、指導の手だてを自ら思いついて帰られる、ということが少なくありません。

「指導の手だては、子どものアセスメントの中にある」

ことばの教室を長く担当している先生や、特別支援教育士の資格を持つ人は、このことをしっかり学んでいるはずです。


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勉強ができないから、特別支援学級、通級による指導、というのは、学術的根拠にならない

なぜできないのかをよく調べること。
よく調べるとは、子どもの気持ち、立場を理解するということ。

安易な措置案には、あくまでも学術的根拠を求めていきます。

逆の措置案もまた然り。


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通級担当はアセスメントから入るが、通常学級担任は学習指導要領をこなすだけ?

通級であろうが、通常学級であろうが、子ども理解を元に指導するのは同じです。
確かに、通常学級の先生が自ら心理検査を行ったり、生育例情報を調査したりすることは少ないです。
しかし、通常学級では、RTIを例に出すまでもなく、子どもがどの程度まで理解しているかを確かめながら指導するわけですから、アセスメントをやっていないわけではないのです。
児童調査票や、集団式の学力検査、知能検査、生徒指導や保健の情報など、通常学級担任も、様々な情報に触れる機会があります。
障害種に詳しくなくても、子どもの全体像をある程度俯瞰することができるわけです。もちろん、一番の情報は、授業や当番、休み時間の行動観察なわけですが。

アセスメントの仕方や角度に違いはあっても、通級と通常学級とを、そう簡単に対置させて、一方はアセスメントするが、もう一方はしていない、と決めつけられるものではありません。


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心理検査の解釈には、背景情報が必須です



心理検査の数値のグラフは、手相のようなものです。
グラフだけ見ていても、解釈はできません。
下位検査に行くほど、数値は不安定になりがちです。

様々な観点で子どもを見ていく中の一つに、心理検査の結果があるにすぎません。

通級妥当を含めた、その子への支援を検討する際、生育歴情報の聴取を取りやめた教室がありました。しかしやはり必要な情報だとわかり、復活させるようです。

保護者への質問紙の中で、生育歴情報のページに斜線を引いて、保護者に渡す先生もおられました。生育歴情報は必要がないからだと。
にも関わらず、障害種の判断をしてしまっているわけです。
たとえば、学習障害自体、環境要因を除外したり、聞こえや視力などの医療的な問題を除外しなければ判断できません。生育歴情報がなければ、それらの判断はできません。
音韻認識や形態把握、ことばの発達、幼児期の社会性、コミュニケーションなどの履歴がわからなければ判断できません。

自己矛盾なわけです。

新しい考え方、やり方に変えていくのは結構ですが、諸先輩が積み上げた実践、学術的蓄積にどんないみがあるのか、きちんと調べた上での行動でなければなりません。

新しい文献が次々と発行される現代。
賞味期限の短い新しい学説、考え方に対しては、きちんとした評価と、冷静な対応が必要です。



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そのうちよくなりますよ、は責任を持って言ってほしい



専門的な判断が必要なときは、そのうちよくなりますよ、ではなく、一度見てもらっては、と伝えて頂きたいのです。


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質問紙「ことばのおいたち」


教育相談時に保護者に書いていただく「ことばのおいたち」というものがあります。
その内容の解説についてご質問頂きましたが、ちょっと何か読めばわかるというほど、浅いものではありません。

『特別支援教育の理論と実践』(金剛出版、上野一彦他編著)にも概要は載っていますが、なぜ各項目の質問が必要かというとについては、文献全体に目を通す必要があります。

たとえば


主訴
いつからか
誰が気づいたか
周りの子の反応
本人の自覚

「主訴」は、「今日はどうされましたか」の部分で、相談の玄関部分です。

そして、下の3つは、たとえばウェンデル、ジョンソンのx軸、y軸、z軸ともつながりますね。


生育歴
相談歴

よく、「今が大事で、過去は関係ない」という人がいますが、背景や経緯を見ずに、どうして子どもの行動の理由がわかるのでしょうか。同じ行動であっても、経緯によってその意味は全く異なったものになります。
たとえば多動はいつから始まったのかで、その意味も対応方法も変わってきます。

特別支援教育が始まる前は、就学前の情報なんて必要ない、学校にあがってきたら変わるのだから、という論調が幅をきかせていました。
しかし、発達というものを時間軸でとらえることで、子どもの見方が大きく変わることがわかったはずです。ケース会議という概念が学校教育に入り始めたのです。
それが、特別支援教育を学校に導入する、ということではなかったでしょうか。


学習面
生活面
社会的コミュニケーション
運動面

それぞれに共通する苦手さは何かを探ります。
例えば、文字が書けない、手先の運動が苦手となったときに、手先の運動の苦手さが、書字の苦手さの背景のひとつに繋がっていないか、と、第一段階の仮説が設定できるわけです。もちろん、この仮説が支持されるかは、検査やより詳しい情報収集によって判断され、仮説を見直すことになります。
生活リズムや、食事、睡眠など、注意集中に影響するリスクファクターがないかどうかも検討します。つまり、要因となる可能性を除外していって、より実態に近づこうとするわけです。


よだれを垂らす
かまないで飲む
鼻が詰まっている 等

構音の評価をする際、発語器官の評価も大事です。
日常の吹く、噛む、吸う、飲み込むなどの機能についての情報が大切です。


お子さんについての捉え方の違い

何をもって問題と捉えるのか、捉え方の違い、家族内力動などです。何を問題ととらえるか、「問題の仮説」につながります。
道言協研究テーマの「わかりあい」にもつながるはずです。
「わかりあい」は「問題の仮説」と密接な関係があるはずです。


この他にも色々ありますが、この質問紙ひとつだけでも、様々な背景理論、学術的要素が詰まっていることがわかります。
だからこの話をするだけでも、何時間も必要です。
必要な方に、その深さを学びたい方にだけお話します。

コンビニ的に、ちょっと聞きかじったらわかるなんて浅いものではないのです。

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通級の役割は、子ども理解と自己肯定感の向上

 

ことばの教室の役割は2つあると言われます。

1 子どもや周辺のアセスメント
2 子どもの自己肯定感を高める

週1~3回の指導は、言語障害の指導にフィットしています。
これは通級制度ができるときの、それまでの実践に基づいて出された時間です。

しかし、読み書きの指導となると、さらに上回る時間、しかも自校通級であることが求められます。
つまり「積み上げ」が難しい。
「積み上げ」は、通常学級での役割であって、通級の役目とするには、時間が足りないのです。
「積み上げる」というより、積み上げるための羅針盤としての役目を果たすのが「通級」でしょう。
羅針盤を示すには、子どもをどう理解するかということが、何よりも大事です。

子どもを理解するには、第一に「行動観察」。
ただ、行動観察だけでは、

1 その行動の背景に何があるのか。
2 その行動は過去からどうつながってきて、今後どうなると予想されるのか。

をとらえることに限界があります。

そこで、「生育歴情報」と「標準化された心理検査」が必要になります。

多くのことばの教室では、教育相談時に「ことばのおいたち」というような質問紙を保護者に書いてもらうでしょう。
「生育歴情報」は、単に「一語文が何歳」などと遅れの数値を見ると言うことだけではなくて、子どもがどういうストーリーで生活してきたのかを理解する、そのことが一番大事なことではないでしょうか。

ことばの遅れがありました、だけではなく、「遅れによって、どんな不都合が生じていたのか」
それは、在籍学校や幼稚園、保育園、家庭からの日常の情報なくして、判断はできないはずです。

一方、「標準化された心理検査」は、検査をかけられる人材や機材も限られており、必ずしなければならないものでもないでしょう。
ただ、標準化されていない検査を用いて、しかも子どもの日常の様子の情報収集もしないで、その検査のチャートだけを見て、通級妥当の判断をしている教室があると聞きます。

検査をすれば、苦手なところ、得意なところは、それは出てくるでしょう。
当たり前の話です。

しかし、それによって、子どもや周辺の人が、どれだけの困り感を持っているかの検討をせずに、単にデコボコだから通級対象にしようというのは、学術的(アセスメント)にも、法的(文部省 「就学指導資料」「補遺」など)にも問題があると言えます。
通級が支援の全てではありません。


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専門家チーム会議

今年は体調管理と指導優先のため、会議には欠席していましたが、自分の相談ケースは欠席するわけにいきませんでした。
この日は、全部で10ケースの報告がありましたが、アセスメントがしっかりしている報告では、子どもや施設の状態像がありありと浮かんできました。
浮かんでいれば、もう支援の手立ては手中にあります。

そして、

できることを助言する。
できないことは言わない。
リアリズムに感銘を受けたのでした。

そして、毎年反省しても改善しない、「相談受理からケース会議まで何ヶ月もかかる」
これは致命的ですね。全国的にもそうでしょう。
だから、ケース会議を通してから助言するというのでなく、訪問したその日に助言するというスタンスをとっています。
ケース会議は判定の場ではなく、半分以上は事後報告の場です。
そのためには、訪問前のアセスメントを重視しなければなりません。

そして、訪問、相談から数ヶ月たってからのケース会議なので、会議直前に、「最近の様子」「助言後の変化」を電話等で尋ねています。
最新情報を会議に報告しなければ、ケース会議の意味はないのです。

特別支援学校の教育相談の巡回相談である「パートナーティチャー派遣事業」は、その点小回りがよくききます。
その代わり、各領域の専門家の意見を聞けないというのが難点です。
たとえば、特別支援学校の先生が、「構音」に関する相談を受けても、なかなか答えにくいでしょう。
専門家チーム会議では、ことばの教室担当(つまり私)も参加しているので、その点からの意見が言えます。

専門家チームは、各部局のエキスパートが集まるので、様々な専門性が集約されます。
子どもの誕生前から、就労まで。保育から、教育、療育、保健、福祉まで。
だから議論の中身はとても興味深い。
そこが長所。

だから、こうした専門性が発揮され、かつ小回りがきくようにするための工夫を現場レベルで進めています。

いずれにせよ、相談は、「アセスメント8割、助言2割」なのです。
この比率が逆になると、とんでもない助言になります。

そして自分の力を超える内容は、安易に助言しないこと。
わからないことは、わからない、この人を紹介します、と答えるべきなのです。


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「何回ぐらい練習したらいいんでしょうか?」

ご相談のトップに出てくる質問です。
「子どもによって違うと思いますが」が前提として。
「子どもによって違うと思いますが、何回練習したらいいんですか?」
このことばは、逆なのでした。
「何回練習したらいいかは、子どもによって違います」
ことば遊びのようですが、これが実際です。

だから私は、その質問に答える前に、その子のことについて深く尋ねます。
その結果、今の「練習回数」は間違いではないでしょうという話になったり、「その練習以前に・・・」など、回数以前の話しになったり。
だから、子どもの状態像に迫らないままに、「30回ぐらいが適量でしょう」と即答する支援者は、偽物です。

子どもの状態像をどう評価したらいいのか、という視点を提供することこそ、本当の助言ではないでしょうか。そうでなければ、指導者が自分の目で見て考える力を奪うことになります。
「正解」を伝えることだけが助言ではなくて、子どもをどう見たらいいのかという視点を提供するのが助言です。

子どもの易疲労性、やる気度、注意集中、全般的な知能水準や認知特性、運動巧緻性、器質的、機能的条件などから判断して、仮説を立ててとりあえずやってみます。そして子どもの反応を見ながら加減していきます。
お医者さんが薬を処方するときも、少量から初めて、反応を見ながら増量、加減していくわけです。
下限量というのはあるでしょうけれども、薬(練習法)自体を変える場合、組み合わせを変える場合もありますね。だから回数だけを議論するというのは、不毛以外の何物でもありません。

ほとんど着席もできない子が、一回でも練習したら、それは大成功ではないでしょうか。
何十回も練習しても改善が見られないなら、それは練習「量」ではなく、練習の「質」の問題ではないでしょうか。

一つ言えることは、たくさんの量を練習させてみたいなら、「小分け」にしてみること。
5回言えたら、カードを一枚、とするだけで、カードが5枚貯まる時には25回練習したことになります。
そして「裏返したこのトランプの中に、ババはあるか、ないか」という当てっこにするだけで、練習は見違えるほど楽しくなります。

もうひとつ、質問をして下さるということは、それだけ一生懸命な方であるということ。
ぜひ、質の高い研修機会を保障してさしあげたい、と思うのです。

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甘えられる経験があるからこそ、自立に向かえる

私は親に甘えた記憶がほとんどありません。
私が生まれるまで、母はひどいつわりで食事も全くとれず、栄養点滴も受け付けなかったそうです。
生まれてみて、初めて双子だとわかったぐらい、2人は体重が少なかったのです。
私は2500g、もう一人の女の子は1500gで、女の子は誕生直後に亡くなりました。
 
私が生まれた時の産声は、とても弱々しかったそうです。
その後も、母は「だっこ」することの恐怖心から、ほとんどだっこできなかったそうです。
 
 栄養不良と、生来のもの?が絡み合い、私の頸がすわったのがなんと12ヶ月。一語文は2歳半ぐらいだったそうです。
  
私の幼少期の写真を見たある方は、どの写真にも「笑顔がない」と言っていました。そう、いつも恐怖心と不安がありました。親は恐怖の存在でした。というか、人に対しての恐怖がありました。
 
 幼い頃に甘えた経験を積んでおかないと、思春期以降、困ることになる場合があります。実際、私は精神的にとても苦労しました。思春期はみんなだれでも苦労しますが、そのレベルではありません。念のため。
 
 「自立」というのは、どこかで誰かが守ってくれているという感覚、経験の積み上げがあるからこそできることです。
 「甘えたい」が、ある程度年齢が上がってから起きることもあります。
 または全く別の形に表れることもあります。
  
甘やかすこととは違います。
 子どもが親に気持ちをわかってくれるという経験の積み上げによって、人の気持ちを理解できるようになるのでしょう。
 
気持ちを受けとめてもらえずに、気持ちを否定され、行動面の叱責ばかり受けて育った子は、大人になってからも、人の気持ちを理解できないでしょう。本当は感じていたとしても、否定してしまう。その行動の背景を理解しようとする姿勢ができていかない。だから、「良いか悪いか」という二元的な価値に埋没してしまう。
 
 不適切な行動があるなら、なぜそうした行動をとったのか、その心情の理解によって、対応ががらりと変わることもあります。
  
今の仕事は、本当に天から与えられたものと思っています。
大切なことを教えてくれました。
自分を救ってくれました。


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脳と心の発達メカニズム  生活リズムの確立のために

発達障害は定義上、環境が原因ではないのだけれど、環境が「助長因子」になる場合もあります。
 
睡眠と生活リズムについて、東京都教育委員会がまとめた資料があります。
 
【指導用スライド教材】
http://www.nyuyoji-kyoiku-tokyo.jp/download_other_front.cfm
                                
 
もちろん、「早く寝なさい」と言ってすぐ寝るならよいけれど、なかなか育てにくさがあるのが発達障害のある子なわけで。
 
生活リズムを整えるということ自体が難しいことかもしれませんし、睡眠に困難のある子もいます。
 
また、障害の有無にかかわらず、夜遅くまでゲームをしているとすれば、それは日中の生活へのストレスに対する現実逃避の可能性もあるし、習い事で遅くなることもあるし、家族間の軋轢があるからかもしれない。生活リズムを整えるためには、それを妨げている様々な関係性を見ていかないといけないわけです。
 
ただ、それでなくても感情のコントロールが難しいお子さんの場合、夜更かしや朝食抜きで登校することで、感情の制御がより難しくなる可能性があることも事実。朝食を採ってこないと、脳の唯一の栄養源であるブドウ糖が行き渡らないので、読み書き計算に影響することも十分考えられます。障害があろうとなかろうと、それぞれの持っている能力を発揮しにくくなるわけです。
 
だからアセスメントには、そのような情報も是非いれることが大切です。
  
アメリカでは、生活リズムなど他の要因の可能性を検討するスタッフがまず調べて、その要因が除外されて、そして最後にLDの診断をするドクターが登場する、と聞いたことがあります。

知能検査のわりには、学力がとても落ちているディスクレパンシーモデルがLDなわけですが、学力が落ちているからすぐLDだとか、ディスレキシアとか、多動だからADHDとか言ってはいけないのです。


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冬休み後、子ども達と久しぶりに出会ったときの指導

長期休業後に子ども達と久しぶりに出会うと、親御さんも気づかない変化にこちらが気づくことがあります。
たくましくなっていた子、休み中の生活との「時差」で、ちょっとお疲れ気味の子、顔が少しふくよかになった子など様々。
1ヶ月弱会わないわけですから(北海道の冬休みは25日ぐらいあります)、私は広く浅くアセスメントをやり直します。
 
自由会話はおおむねどの子にも、冬休み明けでなくてもまず行っています。
自由会話が成立しているから、言語発達に問題はない、という判断は誤りです。

1)会話しながら、
・意味(ことばの意味理解)
・音韻(発音、音韻の聞き分け)
・統語(文法)
・語用(文脈に沿った言語理解、表現)
を見ていきます。

2)「いつ」とか「どこで」「どうして」などの発問に対する反応を見ます。
また、休み中の本人の暮らし、家族状況を理解するのにも会話は大切です。
もちろん詰問調になってはならず、共感的に楽しく接するよう心がけています。

3)構音の再評価を行います。
→「自然改善の音」があったり、「元に戻っている音」もあります。音全体を改めて評価し直して、指導計画を立て直すこともあります。元に戻っている音では、被刺激性はどうかを見ます。休み前の練習が記憶(運動的にも音韻的にも)されていれば、正音を聞かせることで思い出すこともあります。
 
4)吃音では、会話をまずしながら状態を見ていきます。フランクに症状について話せる子とは、休み中はどうだったかを尋ねてみます。学校のある時と、ない時とでは、症状に差がないかを見ていきます。
 
5)情緒障害の場合は、来室時の様子、雰囲気の観察から始め、やはり会話の中から様々なことを感じ取ります。
 
6)難聴のあるお子さんの場合、会話しながら、語音の通じにくさや、言語発達の状況を見ていきます。聞こえの状況によっては、親御さんに報告して、補聴器をつけている場合は、補聴器の調整を含めた対応が必要になることもあります。
 
今年の場合は「ことばを作ろうゲーム」や、「すごろく」など、自由度が高く、拡散的な問いに答える課題を併用しています。

親御さんには、休み中の様子をうかがうことが多いです。

1,2週間したら、学級担任の先生とコンタクトをとり、変化がないかどうかを尋ねます。

こうして、個別の場と全体の場、家庭状況などの情報から、総合的に判断し、支援の方向性や手だてを調整します。


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応用行動分析はいいのだけれども

子どもの気持ちを第一に考えたいものです。

子どもの行動の変容を考える前に、なぜそのようになっているのかを検討することが大切です。

某団体のケース会議は、その点が決定的に抜け落ちているように思えました。


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新年にあたり 当事者の立場に立った支援をめざしたい

「障害とは、理解と支援を必要とする個性」
「楽しさ、安心感があってこそ、能力は伸びる」
「遠くの専門家より、近くの子ども理解者」

自らが難病と障害を背負った今、当事者の気持ちに寄りそう特別支援教育の臨床を一層めざしたいと思います。

本年もよろしくお願い致します。

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指導方法の前に,子ども理解を

道教育大釧路校の二宮 信一先生は、『児童心理2006年12月臨時増刊』(2006、金子書房)でこう述べています。
 
(以下、引用)―――――――――――
 
 ここ数年の動きを見ると、「理解本」よりも、発達障害のある子どもとの関わりに重きを置いた「実践本」が多く目に見られるようになってきている。(中略)
 
「教材」や「指導方法」のみに関心が行ってしまうと「実践本」は「マニュアル」となってしまい、「マニュアル通りの関わり」という問題が起きてしまうように思う。
 
(中略)子どもと関わるのは、決してマニュアル化されたプログラムではなく、親であり、教師自身なのだと思うのである。
 
――――――――――――(引用終わり)
 
 
 
 北海道のある学園の心理士は、講演で以下のような主旨を話されています。
 
 「運動会のピストルの音を怖がる子に、音に慣れさせる訓練をしていた事例がありました。ピストルの音に慣れないと、学校に上がってから運動会に参加できないだろうと。しかし、その子は生涯、ピストルの音を何回聞くでしょうか。本当に必要な指導でしょうか」
 
 
 
 指導技術、指導方法を学ぶことは大切です。子どもへの熱き想いがあっても、「技法」がなければ、子どもに「届かない」からです。
 
 しかし、どんなにすばらしい指導方法でも、目の前の子にフィットしなければ、時間の無駄ということになります。ある指導方法を別の指導者が別の子に取り入れても、的はずれになることが多いものです。 
 
既製品を使うとしても、その子に合わせてアレンジすることが大切なのでしょう。 
 
「その子への指導方法はどこか遠くにあるのではなく、本の中にあるのでもなく、その子自身の中にある」 

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