ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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ご相談のトップに出てくる質問です。
「子どもによって違うと思いますが」が前提として。
「子どもによって違うと思いますが、何回練習したらいいんですか?」
このことばは、逆なのでした。
「何回練習したらいいかは、子どもによって違います」
ことば遊びのようですが、これが実際です。
だから私は、その質問に答える前に、その子のことについて深く尋ねます。
その結果、今の「練習回数」は間違いではないでしょうという話になったり、「その練習以前に・・・」など、回数以前の話しになったり。
だから、子どもの状態像に迫らないままに、「30回ぐらいが適量でしょう」と即答する支援者は、偽物です。
子どもの状態像をどう評価したらいいのか、という視点を提供することこそ、本当の助言ではないでしょうか。そうでなければ、指導者が自分の目で見て考える力を奪うことになります。
「正解」を伝えることだけが助言ではなくて、子どもをどう見たらいいのかという視点を提供するのが助言です。
子どもの易疲労性、やる気度、注意集中、全般的な知能水準や認知特性、運動巧緻性、器質的、機能的条件などから判断して、仮説を立ててとりあえずやってみます。そして子どもの反応を見ながら加減していきます。
お医者さんが薬を処方するときも、少量から初めて、反応を見ながら増量、加減していくわけです。
下限量というのはあるでしょうけれども、薬(練習法)自体を変える場合、組み合わせを変える場合もありますね。だから回数だけを議論するというのは、不毛以外の何物でもありません。
ほとんど着席もできない子が、一回でも練習したら、それは大成功ではないでしょうか。
何十回も練習しても改善が見られないなら、それは練習「量」ではなく、練習の「質」の問題ではないでしょうか。
一つ言えることは、たくさんの量を練習させてみたいなら、「小分け」にしてみること。
5回言えたら、カードを一枚、とするだけで、カードが5枚貯まる時には25回練習したことになります。
そして「裏返したこのトランプの中に、ババはあるか、ないか」という当てっこにするだけで、練習は見違えるほど楽しくなります。
もうひとつ、質問をして下さるということは、それだけ一生懸命な方であるということ。
ぜひ、質の高い研修機会を保障してさしあげたい、と思うのです。