文部科学省は新たに、道徳のテキストを発表しました。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/doutoku/ざらっと読みました。
感想は・・・。
「子どもはこんなに規範意識がない。悪い」
と言われ続けたような感じです。
私は哲学専攻で、しかもカントの道徳哲学でした。
だからというわけではないと思います。
「違和感」を禁じ得ません。
私自身はどちらかというと、自分のためというより、世の中のために生きていきたいという指向が強いと思っています。
でもこのテキストを読んで、ちょっと嫌な気持ちになりました。
「おしぎせ」な感じがしたからです。
今のあなた方は、「権利>義務」でしょうと。
「権利<義務」にしなければいけませんよと。
ルールを守りなさいと。
でも、「ルール」はみんなで話し合って変更できますよ、が書かれていない。
私の好きな「マザーテレサ」も、紙幅の関係もあるでしょうが、まとまりすぎて、表現が無難すぎて、結局何を書いているのかわからない。
偉人の紹介やことばは、表面的にしか感じられない。
紙幅の関係でしょうけれど。
別途、偉人伝を読めばいいのでしょうけれど。
東日本大震災の時、救助された人の8割は、消防や救急隊によってではなく、地域の人の「共助力」によって助けられたのだそうです。
あれだけの震災だったのに、諸外国の人から見れば、整然と並んでいる姿に驚いたとか。
そして、法務省のHPを見ると、少年犯罪は低下の一途をたどっています。
そして、日本は、先進国中で、犯罪率が非常に低い希有な国なのです。
ただ、児童虐待の認知件数はうなぎのぼり。
「おまえたちは人権ばかり主張して、ルールを守らない。日本人としての自覚を」
でも、もっと現在の国民の良いところを取り上げて、自尊感情を育てないと。
「ルールを守りなさい」だけでは、この国に生きていきたいという気持ちが起こらないのでは。
「自由ばかり主張していると、他人とぶつかるから、自制しましょう」
ではなく、他人の人権も尊重しましょう、お互いの人権を尊重しましょう、ではないかな。
日本は、そんなに「規範意識」の低い国ですか?
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難病指定が56疾患から大幅に拡大し、負担割合が議論されています。
難病に救済の手を、と人権を主張するのは、イケナイことなのでしょうか?
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子どもに義務を教える前に、大人がしなければならないことがあるのでは。
子どもが朝起きたら、もうお母さんは仕事で居なくて、テーブルにはコンビニのおにぎり1個が置いてあればまだいい方。
夜中も仕事で帰ってこない。
朝は疲れ切っていて、子どもどころではない。
親も労働者としての人権が蹂躙されているわけです。
それが実態。
なのに、家族にはこんないいことをされているから感謝しましょう、とばかり、お母さんが朝食を作ってくれている写真なんかが載っていたりして。
テキストのめざす理念と、現実との間の乖離が大きいなあと。
この国に生まれ育って良かった、が感じられて、初めて、国のために、世の中のために、が育つのでは。
特別支援教育の私の臨床では、みんなで話し合ってルールを決めて、実行して、勝負がどうあろうと楽しかったね、で終わる。
公共心とか、道徳心とかは、こうした実体験の中で育ちます。
「考えてみよう」と言われても、ピンと来ませんね。
今は人と人とのつながり自体が希薄になっている。
道徳というより、もっと力を入れてやらなければならないことがあるのでは。
学校という集団の意義は、希薄になった人間関係の中で、ますます重要度を増しています。
失敗もあるでしょう。
本来は地域でもまれ合って学校に上がってくるところを、学校に上がってから教えなければならないという面は確かにあります。
失敗もあるだろうけど、もっと子どもたちを長い目で見る必要があるのでは。
経験の中で学ぶのが、「道徳」のはず。
経験の中で、「この人のようになりたい」を学ぶこと。
本を読んでも、あこがれの人というのは生まれるでしょう。
でも、偉人伝のつまみ食いでなく、その人の生涯という全体的、継次的な扱いをしないと、意味がわからないですね。
やっぱり「伝記」は大事ですね。
私が道徳の授業をするとしたら、このテキストは使わないかな。
そして、経験の中で、互いの人権尊重と、ある偉人の話を徹底的に掘り下げるかな。
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