ある方からメール頂き、思わず長文のお返事を書かせて頂きました。
以下は、一部引用です。
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おっしゃるとおり、とても大事な視点をご提供頂いているように思います。
検査はそれが一人歩きしたり、障害をほじくる意図的な解釈に至ってはいけませんね。
全くその通りと思いますし、私自身もそのことを常に意識していかなければならないと思います。
検査は苦手分野をほじくって、「平均」「標準」に近づかせるためではなく、得意分野を発見し伸ばす、あるいは、得意な力を生かして苦手分野を解決しやすくする お手伝いのために実施するものですね。
苦手分野をほじくるアプローチは、学校の先生に多いと聞きますが。(^_^)
また、「この値」「この傾向」の意味するところは、子どもによって違いますので、日常の様子と掛け合わせて、検査結果を解釈する必要があります。
同じ全IQなのに、予後はみんな全く違っていた、という論文は目にすることがあります。
だから数値だけで解釈してはけない、ということだと思います。
カウフマンは東京での講演で、「数値だけでなく、検査時の行動観察こそ重要だ」と何度も言っていました。
たとえば、「保続」があるためにケアレスミスが多くなるというような検査時の様子があるお子さんで、日常の学習でもケアレスミスが多いという場合に。
検査で、その原因が「保続」ではないかと仮説が立てられます。
日常では、学習課題が一つ終わる毎に、終わり、次の課題に行く、を明示して、過去の記憶に引きずられないように配慮するというアプローチが考えられます。
だから、低い能力を見つけてそれをほじくり返すというより、子どもがより楽しく、楽に、学べる環境を用意するために検査を行うのでしょうね。
構音指導時にも、「保続」が影響しているならば、それに配慮した指導が考えられます。
検査活用のよくある間違いは、IQを伸ばすために訓練するというものです。
こうした誤解や、誤った活用があまりにも多く見られたために、また、解釈のあり方があまりにも恣意的だったり、統計学に基づかない明らかに誤った解釈が横行したために、検査の実施者、実施手続きの制限が厳しくなった、と聞いています。
全ての関係者が、検査の理論や実施の研修をきちんと受けていれば、全ての方に検査内容を開示して良いと思いますが、現状、私も危機意識を持っていますし、きちんと訓練、研修を受けた方が実施する、という方向性はやむを得ないと考えています。
検査はそれだけで解釈するのでなく、日常の様子と掛けあわせて解釈しなければいけませんね。
検査へのアンチテーゼとして、RTIモデルなどがあると思います。
RTIでは、検査自体への厳しい批判があり、検査の存続自体を揺るがす説得力を持ちました。
だから、WISC-4では、科学的な根拠にさらに磨きをかけたと聞いています。
逆に、RTIでは「なぜできないのか」を掘り下げて検討することが難しく、また、RTIモデル自体が信頼性に乏しいと指摘されています。つまり、主観や環境条件に左右されやすい。
検査はこれら、様々な学説の大海原の中で、どのような位置づけにあるかと言うことを 俯瞰できる方が、実施、解釈しなければならないと感じています。
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