「ただ遊んでいるだけ」
と、ことばの教室の指導を揶揄する論調が見られることがありますが。
指導場面のビデオを見て、
子どもの反応と教室の関わりの視点についての説明を受け、
もう一度、同じビデオを見ると、
2回目には全く違うビデオを見ているかのように感じた
という感想が見られることがあります。
ごっご遊びの中で、さりげなく支援者は、
子どもの気持ちや行動を言語化して返してあげたり、
子どもの遊びの世界に入り込んで、双方向のコミュニケーションを育てようとしたり、
プラレールに少しずつ大人の視点を入れていって、社会性の参照と模倣につなげたり。
(たとえば、列車を走らせて終わりだった遊びから、切符を買い、改札を通ってなどの「やりとり」に発展させていく。お金を登場させれば、数概念の指導にも)
子どもの行動の裏の意図を細かくとらえて返す力量が支援者には必要です。
漫才のように、子どもの行動につっこみを入れて、支援者がひとりで喜んでいる指導を見ることがありますが、これは遊びでも何でもない。
支援者の自己満足にすぎません。
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