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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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日本LD学会第15回大会参加レポート

○期日 2006年10月7〜8日(土〜日)

○場所 札幌コンベンションセンター

○概括
 LD ( Learning Disabilities : 学習障害 ) は、知的発達の全般的な遅れではなく、認知発達の部分的な遅れやかたよりから、主として学習上に特異なつまずきや習得の困難を示す用語です。 LD は社会性の発達にも不利をもちやすく、AD/HD(注意欠陥多動性障害)といった状態を併せもつ場合もあることが知られています。

 日本LD学会は、1992 年に設立された学術研究団体です。教育、心理、医療等、さまざまな領域の専門家や教師、保護者、行政関係者らが加入し、今年9月現在、約5,000人の会員がおり、なお急速に増え続けています。国内の学術団体としては最大規模になりました。ことばの教室の先生方も多数加入しています。

 毎年開催される全国大会の発表論文集も分厚くなり、今年の発表論文集の厚さは、電話帳並の25mm(520ページ)になりました。また、今年の参加者は一日目だけで1,200名ほどいたとのことです。
 
 学会独自に「特別支援教育士(LD,ADHD等)」(略称「S.E.N.S.」)という資格制度を作っています。
  
  「特別支援教育」の完全実施を来年度に控え、今年のシンポジウムは、それを意識した発表が多く、ことばの教室の先生方の現場での苦労を聞いてくることができました。
  「シンポジウム:3 これからの通級にはどんな役割が期待されているか ―特別支援教育における新しい通級の在り方―」では、各ことばの教室の先生方が、実践の現状と問題点を交流しました。
 「シンポジウム:19 小学校における読み書き指導 ―学校・家庭でのアプローチ−」も、4名の発表者のうち3名は、ことばの教室の先生方でした。
 
 以下は、この大会に参加した感想を含めたレポートです。
 各記事は私個人のとらえ方であり、必ずしも各シンポジウムの内容を正確に理解していない部分があるかもしれません。個人的な感想ということでご容赦ください。
 また何かお気づきの点がありましたらご指摘ください。修正致します。


■「LD・ADHD等の心理的疑似体験プログラム」

 日本LD学会のチームが開発したものに『LDの心理的疑似体験プログラム(試行版)』というのがありました。
 
 これは、LDのある子が日常の学校生活で、「読めない」、「書けない」などのできない体験を擬似的にするとともに、そのことによる挫折感、怒りなどの心理を実際に味わい、具体的な手だてを考えるために2000年に開発されたものです。

 今回紹介された新しい『LD・ADHD等の心理的疑似体験プログラム』は、旧バージョンの『疑似体験プログラム』の原型をとどめないほどにバージョンアップしていました。また「対人関係」の困難さなど、新しい疑似体験も加わっているようでした。

 今回は新しいプログラムの一部を体験することができました。

 旧バージョンの欠点がかなり改善されているという印象がありました。

 文字の「読み」で提示された文は、「読み」の困難の背景にある「見ることの弱さ」、「音韻認知の弱さ」、「読みにくい漢字」、「語彙の不足」そして、それらのために「読解の困難さ」につながっているという諸要素を見事に網羅したものに進化していました。

 読解を問ういくつかの発問もよく考えられていて、教師の声かけ「どうして読めないの」、「もういいから」「一生懸命読みましたか」などのセリフもよく準備されていました。

 音読だけで労力を使い、意味理解にまで追いつかない挫折を見事に体験するとともに「がんばりなさい。どうしてできないの」という声かけよりも、具体的な指導の工夫が必要だと実感できました。

 もし「見る」ことの困難さが読みに影響しているなら、教科書を拡大コピーしたり、文字間、行間を大きくしたり、全体の文字数を減らす、板書は見やすく。行とばしをする子には定規を当てる、などの手だてが例として挙げられました。

 しかし、読みの困難さは子どもそれぞれ要因が異なり、その子に合った指導の手だてを考えることが必要だと強調されました。

 たくさんの雑音の中から、特定の音だけを取りだすことの困難さのある子についても疑似体験でき、その音声もよく手が加えられていました。

 それぞれのプログラムが終了した後、必ず「なぜできなかったか」、「ではどうすればできるようになるか」と理由と手だてを話し合う手順も徹底していました。

 私はこれまで、各種講演会、研修会で、疑似体験をやらせて頂いたことがあるのですが、子どもとしての参加者が「マジギレ」したり、「育て方が悪いから」という話し合いになるケースもあり、どうしたものかと思っていました。しかし今回は、それらに対するフォローの仕方も用意されていました。

 この新プログラムは既に完成しているそうですが、まだ発売に至っていないとのことでした。また新疑似体験は「特別支援教育士(LD,ADHD等)」の有資格者が使用することが前提で話がされていました。

 「疑似体験」にはいくつかの批判があることは承知していますが、これはあくまでもLDのある子の心情を理解し、具体的な手だてを考えるきっかけにするというのが主旨であり、疑似体験でLD等の全てがわかるということを目的としているわけではありません。

 私たちは子どもを他児と比較したり、集団の中での子どもという見方には慣れていますが、発達を縦軸に捉える機会は少ないと言えます。その意味では、この疑似体験は一定の役目を果たすと思いました。

 
■「学校生活に必要な協調運動、視覚運動のサポート」
 「学校現場における視機能訓練の試み」

 「視機能」について、日本ではその知識の啓発が遅れ、専門機関や専門家である視能訓練士の数も少ないようだ。

 アメリカでは、視機能の訓練を行った人のうち、71%に視機能の向上が見られた。また視機能の改善が「文字の読み」の向上につながっていると示唆される結果を示したらしい。

 「視力」と「視機能」は全く別のものであり、「視力」の弱さのある子よりも、「視機能」に弱さのある子の方が多いらしい。
 
 だから、日本においても従来の眼科検診に加え、視機能検査を早いうちに導入されることが望ましいという。
 
 特にLD,ADHD等の発達障害のある子には、斜視や乱視がなくても、発達性協調運動にも弱さがある場合が少なくないため、視機能検査は必須だという。
 
 この点、「視機能」と「読み」との間に関連があることは異論を挟む人はいないようだが、「視機能の改善によって、読みの向上につながる」という因果関係があるかどうかについては、慎重な意見もあるようだ。しかし視能訓練士など専門家の間では、因果関係がある場合があるというのは常識のように語られている。

 確かに「読み」には音韻分析能力など、様々な要素が絡み合っているので(音韻分析能力が低くても、読みに問題のない人もいるようだが)、視機能を向上させれば必ず読みが向上するとは限らないだろうから、人によって違うのだろう。しかし、実際に視機能のトレーニングによって読みが向上した人がいる、あるいは、視機能の問題によって読みに大変なエネルギーを費やして困っている人がいるのであれば、現場ではそのような事実を知識の一つとして勉強しておく必要はあるだろうと感じた。
 
 フロアとの質疑応答では、「通常学級で、集団に対して効果的な視機能訓練はないか」という質問があった。「例えば遠くにひらがなを書いて貼っておき、子どもの手元にも小さな紙に同じ文字を書いておき、両方を交互に見ることで、ピント調整の力を育てること等が考えられる」と、シンポジストから回答があった。
 
 同じような内容は、本多 和子・北出 勝也著『「見る」ことは「理解する」こと』(山洋社 2003)にも書いてあると思い出した。
 
 ただ、「視機能」はあくまでも眼球レベルの問題であって、そこがクリアされたとしても、今度は大脳レベルでの「視知覚」が問題となる。映像をまとまりとして知覚できるかどうかは、眼の問題というより脳の問題だから、2つは別物として考える必要がある、ただ実際の訓練では、それらを段階を踏んで別々にやるというわけでもない、と指摘があった。
 
 また、視機能・視知覚は、体全体の協調運動との関連で考える必要があり、手が届くなどの感覚はまさに目や手などを含めて全体の協調運動の関係性の中で捉える必要があると強調された。

 論文の「視機能検査」として列挙されていた専門用語をネット上で調べてみた。

「視機能検査」
・視力=離れた二つの点を識別する能力
・融像幅=提示された画像を1つの像として見ることのできる範囲
・調節近点=毛様筋が「もうこれ以上縮めない」という限界に達した時、水晶体は最大限厚くなり、最も眼に近い場所にピントが合う、その場所。
・輻輳近点=両眼の視線を集中できる最近点
・調節効率=???
・DEM=眼球運動発達検査
・質問による自覚症状のチェック=「モノが2つに見えることはありますか?」など。            

 
■「脳機能の観点から軽度発達障害を考える」

○「実行機能に着目して」

 LD、ADHD、PDD等の診断名でその子を考えるよりも、「実行機能」つまり「プランニング」(企画能力)、「ワーキングメモリ」(作業記憶/作動記憶)、「衝動性のコントロール」、「行動の抑制」、「思考の柔軟性」の観点から子ども達の困難さを捉えた方が、支援の手だてを考えやすいという。

 たとえば、「ウノ」というゲームをするときに、「色を合わせる」ことと「数」を合わせることはできるが、「色を合わせるか、数を合わせるかを選択する」ということができない子は「思考の柔軟性」が弱いという観点から考えられる。

 また、人の言っていることばを何度も聞き返すなどは「ワーキングメモリ」の問題かもしれず、方略を工夫することでうまくやれるチャンスを考える。

 つまり、「ワーキングメモリ」には、聴覚的な記憶である「音韻ループ」と、視覚的な記憶である「視覚・空間スケッチパッド」があり、どちらかが良好に保たれていれば、指導方略に生かせるという。

 また「ワーキングメモリ」はストレスの影響を受けやすいため、急がせたり、精神的なプレッシャーをかけないように環境調整が必要だという。

 早とちりや、勘違いの多さは「抑制の弱さ」が関連していると捉えることができるので、余計な刺激を減らすという手だてが考えられる。

 →(感想)なるほど、LD,ADHD,PDDという診断名から考えるよりは、脳科学に裏打ちされたこれらの概念によって、指導の方略を立てやすいかもしれないが、この概念を一般の教員や保護者に伝えるのは難しいと感じた。診断名にせよ、脳機能にせよ、現場にこれをどのようにわかりやすく伝えるかが課題だ。     
 ただ「知能モデル」は時代の変化とともに変わるはかなさを感じるし、「実行機能」のモデルだけで子どもを捉えたなら、「診断名」と実質同じになるだろうから、他の視点も総合的に入れていく必要があるのだろうと思った。
 
○「運動のぎこちなさを神経生理学的側面からとらえる」

 LD,ADHD,PDDの子の中には、粗大運動、微細運動、協調運動などの運動系の問題を持つ症例が多く見られる。

→(感想)特に「予測的姿勢制御」、「一つの感覚を他の感覚との関連の中で統合する」弱さ、「遠心性収縮の困難さ」など、単に「ぎこちない」とくくるのでは足りないことについては改めて納得だった。
 
○「脳機能の視点から見た非行少年と彼らへの指導」

 非行は、道徳性の発達や社会的習熟度、否定的自己同一性との関連で捉えられてきたが、実はドーパミンの濃度が低いのが原因の一つではないか。作動記憶などの実行機能の弱さによって非行が起こると考えられるのではないか。
 
 非行少年には、「クライエント中心療法、精神分析、フリーフレームの中で自由にさせる指導」などの実証性に乏しい指導は、状況を悪化させる。「心」は脳が作り出した壮大な幻想にすぎない。
 
 家族へのシステムアプローチ(ペアレントトレーニング)、IEPに基づくSST、認知行動療法、学習理論、行動理論が有効だ。

→(感想)このあと指定討論者から「『心は脳が作り出した幻想に過ぎない』というが、脳科学で『心』を全て説明できるというのも幻想だ。脳の働きを解明すれば、心の全てがわかるわけではない。「心」と行動とは同じ範疇でとらえた方が良い。行動と心は別ではない。感覚刺激を全て取り除いた『心』はありえない」という話がおもしろかった。
 いずれにせよ、「脳科学」と学校教育の現場との間には大きな乖離がある、との指摘は、その通りと思った。
 

■「これからの通級にはどのような役割が期待されているのか ―特別支援教育における新しい通級の在り方―」

 初めに通級指導教室を巡る一連の法改正の内容について、概略的な説明があった。

 つまり、LD,ADHDが通級の対象に加わったこと。「自閉症」が「情緒障害」から独立して記載されたこと。LD,ADHDについては指導時数の下限を月1回程度まで下げても良くなったこと。「自立活動」と「教科の補充指導」の時間数の規定がはずされたこと。教員の専門性や指導方法の類似性等に応じて、他の障害種も受け入れが可能になったこと、など。

 また、このように弾力化された「通級指導教室」は、「特別支援教室」の構想に最も近く、「通級指導教室」のあり方を探ることは、「特別支援教室」の構想を探ることになる、と説明があった。

次に、通級指導教室担当の各先生方から、現状と課題が発表された。
「LD加配」を申請しようとしたが、通う子どもがLDに限定されてしまう恐れがあり、「ことば」の方が子どもを幅広く受け入れやすいという理由で「言語通級加配」を申請した、という報告が興味深かった。

このほか、以下のような報告、発表があった。

・「ことばの教室」を掲げているが、実態として、LD、ADHDの子も通っているので、それを大事にしたいという報告。
・市町村合併で通級児童が激増し、「募集」を取りやめたという報告。
・火曜日の午前中は他機関に出向く日としているという取り組み事例。
・複数の児童を複数の教師が指導し、その間空いている教師が平行して保護者面談しているという事例。
・「他校通級」の受け入れが、一教室に対して40校にものぼるため連携が難しく、在籍学級の担任の先生と一度も顔を合わせることなく一年が経ってしまうという報告。
・他校への学校訪問時、通級児以外の子についての相談が多いという実態の報告。
・学校の外へ出ようとすると、管理職から「うちの職員なのに」と言われるという事例。
・自主研修に依存し、「一人教室」が多いため人材が育たないという悩み。
・「情緒障害通級指導教室」と「言語障害通級指導教室」が併存している事例。
・指導時間がいっぱいで、とても「コーディネーター」の仕事までできないという訴え。
・通級に片道2時間もかかっている子がいるという報告。
・在籍学校訪問で、片道3時間かかったことがあるという報告。
・通級担当が研修会講師に呼ばれることが多いが、それどまりになっているという報告。
・「○○障害通級指導教室」というネーミングを考え直し、「ステップアップ教室」、「まなびの支援教室」などと柔らかくして、通級しやすくしたという報告。 等々。

 質疑応答の後、指定討論者は、「『自立活動』と『教科の補充指導』をブレンドした実践が出てきている。『自立活動』自体が来年度以降変わる可能性がある」と指摘した。
 
 指定討論者はまた、「システムと専門性はパッケージで考えるべき。たとえば、心理検査はセンターに任せるのか、それとも各学校でできるようにするのかで、必要な専門性の中身が変わる」という主旨を述べた。

 今後の特別支援教育に当たっては、「言語通級を拡大しても良いし、LD,ADHDなど新しい看板を掲げてやっても良いだろう。担当者の力量があれば、発達障害をトータルに含めたルームを作るのも一法だろう」と述べ、それぞれの地域に合わせたやり方があって良い、という主旨のことを話していた。
 
 通級制の問題解決を図りながら、地域に合ったやり方を考える必要があると感じた。

 
■小学校における読み書き指導 ―学校・家庭での効果的なアプローチとは―

 このシンポジウムでは、某県での各ことばの教室担当者が、それぞれ読み書きについての実践事例を発表し、交流した。また、家庭で上手くいった読み書き指導、学校との連携に関する秘訣などについても発表があった。

 かな文字や漢字の読み書きの苦手な児童のために、復習の場として「漢字タイム」を設け、朝自習の時間帯などに全校で実施。「漢字の好きな子」が増えたという。

 別の学校では、ことばの教室に構音や吃音を主訴に訪れ、指導をするうちに音読につまずきがあることがわかり、音と文字とのマッチング、単語フラッシュカードの速読、視写、学研の濁音が入った珍しいカルタや、フレーベル館の「キンダーブック」などの活用指導などにより、読み書きの力が向上し、「授業が楽しいと感じるようなった」との事例発表があった。

 このほか、一人では話が聞けるが集団では聞けない子に対して、3名の小グループによる聞き取りの練習指導。ポケモンがきっかけでカタカナに興味を持った子の事例などが発表された。

 保護者と学校と上手に連携するには、引継ぎ文書を学校の先生に読んでもらえるように「A4」サイズ1枚で簡単にまとめた、という話もあった。

 
■読みの問題に迫る−音韻の視点から−

 たとえば「すいか」は3音節だ、と認識するのは「音韻意識」という。この「音韻意識」を育てること(介入)によって、読みの成績が向上する、という発表があった。ところが別のシンポジストは、「確かに、音韻処理機能が十分でなければ、ひらがなの習得は遅くなる。しかし、ひらがなは、音韻と文字との一対一対応ができていれば、一文字が読めるのだから、音韻処理機能が十分でなくても、読めるようになる一群がいる」という。

 また、「足踏みをさせながら音読させると読みが向上した」という発表に対しては「発達性協調運動を上げたら、読みが速くなったかどうかは疑わしい」と指摘があった。

 一方、音節分析行為の習得には4つの水準があるとの発表もあった。それによると、「? 図版の提示」、「? 外言の水準」、「? つぶやきの水準」、「? 内言の水準」があるという。
「図版」の提示は、すぐ消えて無くなる音に比べて、視覚的に継続して残るため、時間的系列が空間的系列に置き換わることで、音韻意識も高まるのだという。ただ、中には、空間に置き換えられず、拍手に合わせてもだめな場合もあるという。

 また、特殊音節の習得には、音の長短の認知と表記レベルの両方が必要という。
 
→(感想)結局、「読み」には、音韻処理の力だけではなく、視覚情報処理のつまずきなど、様々な要因が複雑に絡み合っているのだから、一つの機能を伸ばしただけでは読みの向上につながるとは限らない、ということだけは再確認できた。逆に、身体全体の協調運動が上がることで、読みが向上したという因果関係は裏付けに乏しいとの指摘もあり、読みひとつとっても、奥深いものだと改めて感じた。
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