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某公立学校ことばの教室教員。言語聴覚士。特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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「記述」よりも「技術」を



なにやら最近、支援者による「記述」へのこだわりがあるようですが。
読んでも「中身」がないのでした。
「日記」とどこが違うのでしょうか。
客観的な科学的記録ではなく、指導者側がどう感じたかを「記述」する事で、子どもの姿がありありと浮かんでくる、との考え方によるもののようです。
 そして、その「記述」を回覧し、「読み手」の指摘によって、客観性の確保がなされるとの主張のようです。
でも、実際の指導場面を見ないと、指摘などしようもないわけです。
文字を媒介してしまうことで、情報は単純化、記号化し、子供の実態からかけ離れてしまう。
確かに、客観的な科学的合理主義を子ども臨床に当てはめることに異議を唱えるのには、一定のインパクトがあり、理解できるところもあります。
「課題ができる、できない」だけでなく、子どもがどう感じたか、支援者がどう感じたかを省みるのは、たいへん重要なことですし、見落としがちであることも認めます。
だから、支援者と子どもとの関係性に着目し、気持ちを省みる「記述」の試みがあるのでしょう。

しかし、指導の様子や感じたことを文字化、記号化すること自体が、客観化の営みそのものであるという自己矛盾をどう説明するのでしょうか。

大切なのは実際の指導場面をお互いに参観しあい、協議すること、経験の長い先生のスーパービジョンを得ること。経験の長い先生が減った今、実務の中で研修するOJTこそが、今の研修に求められることです。

「正しい発音ができるようになって、満面の笑みをうかべる子どもの姿を見て、私もうれしくなりました。」

これは実際の話ですが、「記述」とは、たとえばそういうことなのでしょう。
しかしこの子の場合、どんな子どもの状態像があって、構音の状態はどうで、どういう指導手順を踏んだのかという客観的な考察を軽視してはなりません。

精神論だけに走ることの危険性を想うのです。
母親の接し方が悪かったから、という結論になりがちです。
元々そうなりやすかったという個体差を無視するのですね。

きれいな「記述」に時間をかける暇があったら、技術を磨く、子どもの遊びにつきあう、同僚に相談するということが大切です。
そうでなければ、「記述」は単なる自慰行為でしかないのです。

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Comment
いつもどれも納得の記事
そうなんですよね~教員ってやつはここでいう「記述」という自慰行為が好きなもの・・・困ったものです。表面は性善説なんだけれども、それを糖衣にして技術不足を飲み込んじゃう。やはり、特別支援教育だけでなく、生徒指導でも研修・校内研究もそうですが、【時系列の事実】の積み重ねが基礎・基本。それがあってのちに【主観的な感想・思い・意見】を別枠で記述すべきだと努めているところ。
Re:いつもどれも納得の記事
そうですね。【時系列の事実】の積み重ね、大事ですね。
ことばの教室の指導の公開というのをやることがあります。日常の指導の様子を外部の方に見てもらうのは、それなりに意味があるのでしょう。しかし、その子自身や、指導者との関係がどのような時系列で推移してきたのか、という情報を抜きにして、ただ見せればいいという安易な方法だと「ただあそんでいるだけ」という誤解を招きやすいわけです。
同じように、入学前から卒業後までについても、教員は見晴らしよく子どもをとらえることが大事ですね。そのためにも「記述」は大事なのでしょうけれど、「顔の見える連携」がそれによって阻害されるとすれば、本末転倒ですよね。
【 管理人ya 2014/02/02 17:59】
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