確かに勉強するところなのだけれど、勉強だけをするところではない。
勉強だけが目的なら、全ての子どもは、自宅で動画を見て勉強すればいい。
あるいはアプリで学習を。
その方が、「質」は高いかもしれない。
でも、なぜ子どもたちは一カ所に集まるのか。
「学ぶ」だけでなく「学び合う」ためでしょう?
つまり、友達と出会って、社会性、コミュニケーションが育つ場。
「学習」以前に、マズローの基本的な要求が満たされていない子が多くいます。
つまり、生活すること、生きることそのものが安全であるのか。
学校は、そうした中で安全基地の機能を果たす面もある。
ネットが家庭にあまねく普及したら、学校は不要になるという極論もあるようですが、そもそも、「学校」を本質的に勘違いしているのではないでしょうか。
そして、支援者は、自身のおいたちの中で、学校をどのように位置づけて生きてきたかが、今の学校観に影響しているという、メタ認知が必要だと思うのです。
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