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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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「学校は勉強するところ」の勘違い



確かに勉強するところなのだけれど、勉強だけをするところではない。
勉強だけが目的なら、全ての子どもは、自宅で動画を見て勉強すればいい。
あるいはアプリで学習を。
その方が、「質」は高いかもしれない。

でも、なぜ子どもたちは一カ所に集まるのか。
「学ぶ」だけでなく「学び合う」ためでしょう?
つまり、友達と出会って、社会性、コミュニケーションが育つ場。

「学習」以前に、マズローの基本的な要求が満たされていない子が多くいます。
つまり、生活すること、生きることそのものが安全であるのか。
学校は、そうした中で安全基地の機能を果たす面もある。

ネットが家庭にあまねく普及したら、学校は不要になるという極論もあるようですが、そもそも、「学校」を本質的に勘違いしているのではないでしょうか。

そして、支援者は、自身のおいたちの中で、学校をどのように位置づけて生きてきたかが、今の学校観に影響しているという、メタ認知が必要だと思うのです。



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Comment
学校は学び合う場に拍手
 わかっている様で、疎かににしがちで軽視してしまう「学びの場」・・には YA先生が言われる通り「学び 合う」場です。

「合う・会う」がとても大事なところだと私も思います。子ども達は同じものでも『新鮮毎日の出会い学び合い』を心の中に創り それを 『育つ』ともいう様に感じています。YA先生!ありがとうございました。
Re:学校は学び合う場に拍手
そうですね。他の子より遅れているから特別支援学級という前に、通常学級で、わかる子がわからない子に教えてあげるとか、友達同士での関わり合いも大事にしたいなあと。
検査法を色々ブログで紹介していますが、一方ではそうした視点も持っていなければと。
【 管理人ya 2014/01/25 22:11】
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