ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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徒競走で一番遅く走っていても、みんなが「がんばれー」「がんばったねー」と拍手しながら応援している・・・。
それが特別支援教育なのだと思います。
体格も育ちも一人一人違うのに、個人差を無視して、みんなと同じ速さで走りなさいということが、果たして教育なのでしょうか?
「子どもの気持ちを理解する」、ということは、どこへ飛んで行ってしまったのですか?
映画『英国王のスピーチ』では、吃音のある国王の演説を傍らでリズムをとってあげたり、じっと温かな表情で見守る、言語聴覚士の姿がありました。
「よりそう」ということばが、まさにこのシーンのためにあるとさえ思えました。
それまでは、「ちゃんとしゃべりなさい」と発破をかけられ続け、精神的に崩れていった国王の生育歴がありました。
某学力向上プランには、「全員が○○できるようにする」と書いてありました。
これを教師に置き換えて考えると。
私は教師です。ピアノはバイエルの85番しか弾けませんが、何か?
私は教師です。人物像を描くと、ゲジゲジみたいになってしまいますが、何か?
私は教師です。書字は下手ですが、何か?
「適材適所」によって、その先生の能力が発揮できればよいのでは。
全ての先生が、全て同じことができなければならないことが大事なのか。
それぞれの先生の長所が生かされる学校が、子ども達にとっていいのか。
子ども達だって、
みんながみんな、同じように「標準的に」できるようにすることが、教育なのでしょうか?
できなければ、その子は「だめ」なのでしょうか?
他人との比較ではなくて、その子自身の伸びをこそを見るべきではないでしょうか。
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