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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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障害を受け入れるということの意味

徒競走で一番遅く走っていても、みんなが「がんばれー」「がんばったねー」と拍手しながら応援している・・・。
 
それが特別支援教育なのだと思います。
 
体格も育ちも一人一人違うのに、個人差を無視して、みんなと同じ速さで走りなさいということが、果たして教育なのでしょうか?
 
「子どもの気持ちを理解する」、ということは、どこへ飛んで行ってしまったのですか?
  
映画『英国王のスピーチ』では、吃音のある国王の演説を傍らでリズムをとってあげたり、じっと温かな表情で見守る、言語聴覚士の姿がありました。
 
「よりそう」ということばが、まさにこのシーンのためにあるとさえ思えました。
 
それまでは、「ちゃんとしゃべりなさい」と発破をかけられ続け、精神的に崩れていった国王の生育歴がありました。
 
  
某学力向上プランには、「全員が○○できるようにする」と書いてありました。

これを教師に置き換えて考えると。
 
私は教師です。ピアノはバイエルの85番しか弾けませんが、何か?
私は教師です。人物像を描くと、ゲジゲジみたいになってしまいますが、何か?
私は教師です。書字は下手ですが、何か?

「適材適所」によって、その先生の能力が発揮できればよいのでは。

全ての先生が、全て同じことができなければならないことが大事なのか。
それぞれの先生の長所が生かされる学校が、子ども達にとっていいのか。

子ども達だって、
みんながみんな、同じように「標準的に」できるようにすることが、教育なのでしょうか?
できなければ、その子は「だめ」なのでしょうか?

他人との比較ではなくて、その子自身の伸びをこそを見るべきではないでしょうか。

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