カズ先生の Edu Blog II
によると、20年なのだそうです。
私が日本LD学会に関与したのは、1999年の札幌大会の時がはじめだと思います。
ノストラダムスの大予言は当たらず、世界は滅びませんでしたが、「恐怖の大王が降ってくる」代わりに「カルチャーショック」を受けました。
当時、学校の先生として、「学術的である」ことに強いあこがれを感じたのを覚えています。
論文発表は今のような形式ではなく、一人あたり5分程度の発表と協議を全体で次々と進めるという形式でした。
医師や専門家の質疑応答は、速すぎて難しすぎて、当時の私にはついていけない内容も多々ありました。
「LDの心理的疑似体験プログラム」も、確かこの時が初めて紹介された時だったような。
教師役は本当に怖くて、途中で帰りたくなったのを覚えています。
ことばの教室を担当して3年目か、4年目の頃でした。
その後、竹田契一先生が、講演にこちらへ来て下さったり、地元の懇話会への参加などで、「LD」に熱い想いを抱く多職種の方々との出会いを果たしました。
通級対象にLD、ADHDを加えるために、指導者の専門性が必要として作られたのが「LD教育士」(現「特別支援教育士」)の民間資格でした。竹田先生は講演で、資格の検討を行っている、と資料を見せて下さったのを覚えています。
この道は、自分自身を理解するための道でもありました。
「誰も悪くない」という気づきは、人生観を変えました。
そして今、ことばの教室担当は、2校、16年目。
今の学校もそろそろ長くなりました。
偉くなるつもりは未だになく、名誉欲も地位欲もありません。
困っている親子のために役立ちたい、ただそれだけです。
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