プライバシーなので、具体的な事例の様子は書けませんが。
吃音があるから、吃音の指導
構音障害があるから、構音の指導
言語発達遅滞があるから、言語発達を促す指導法
という単純なものではないということ。
そして、「練習」の前に、「話したい」があるのか。
そうした意見はたくさん出ていましたが、
私はさらにその土台である「非言語的な能動的なコミュニケーション意欲」
「相互交渉」の段階を見ていく必要があること。
そのためには、発吃の前後での態度の差異を見ることが必要で、
生育歴が極めて重要。
そして、日常のコミュニケーション状況のアセスメントが大事。
ただ、「楽しそう」だけではわからない。
ただ、、「問題の仮説」という道言協レポートの定型語句が、「子ども理解の仮説」
と書き替えられていたのはすばらしいと思いました。
そういうことだなあと。
あとは、「子ども理解」というのは「原因論」ではなくて、子ども側から見た世界観のこと、
という視点が大事なのだろうと。
ただ、フロアーの意見を聞いていて、感じたことを一つ。
「どもってもいいんだよ」のアプローチ。
確かに大事なのだけれど、「どもってもいいんだよ」の
「ても」、とか、「いい」とか、「だよ」のことばの裏の意味理解は、結構高度だということ。
「いいんだよ」の具体的事実の積み上げによって、初めてその意味がわかるのでは、
と言う意見は、私は事例の子にとっては、一番大切だなあと思ったのです。
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