『光とともに』
自閉症への誤解と偏見に苦しむ関係者の方々に、
どれだけ励みとなったことでしょう。
この本によって、福祉の道をめざすことを決めた方もいます。
各小学校の図書室にも多く置かれ、たくさんの子ども達が
今でも読んでいます。
教育的な影響はきわめて大きいです。
あまりにも早い死です。
この本には、同じ痛みを分かち合う「切なる願い」が
込められているように感じます。
***
最近こちらの地方で療育の世界に身を捧げてきた方々が
次々と退職、転勤、という話しが入ってきています。
たいへん惜しい方が現場を去っていきます。
次代を担う私たちは、先輩方が残してくれた
「切なる願い」を自らの願いとして引き受けたいと思うのです。
心の痛みがあるからこそ、願いがわいてくるのでしょう。
人の痛みがわかるからこそ、自分の痛みを引き受けることができる。
本当の「願い」は、他人の痛みを自分の痛みとして感じることの中にある。
以前にも書きましたが、
私が初めてことばの教室を担当した時は、「むりやり人事」でした。
赴任先の校長、教頭が、転入予定の私に頭を下げて、
「誰も希望者がいないのです。何とかお願いします」
と直談判されたのでした。
当時は「ことばの教室」という名前すら知りませんでした。
その後1年ぐらいは、教室の同僚に文句ばかり言っていました。
「むりやり担当にさせて」
「普通学級を担当したかったのに」
この道20年の大先輩の同僚の先生は、1年後の定年退職間際に
おっしゃいました。
「ya先生。3年でも、5年でもいい。1年でも長く担当して欲しい。
普通学級のように1年で替わっていいような場所ではないんです。
むりやり担当になったのは大変申し訳ないと思っていますが、
通ってくる子ども達のために、何とか残って欲しいのです」
当時私は理解できませんでした。
「だれもいないからと言って、よそから来た私をむりやり担当させておいて、
また残れなんてひどいです。普通学級に戻ります」
しかし、そういいながら、私は心の中では迷っていました。
20年のベテランの先生の退職後、教室には1年目、2年目の先生しか
残らなくなります。
親御さん方に「仏様」と呼ばれていたあの先生の「切なる願い」を
ここで断ち切ってしまっていいものかと。
そして思い出していました。
初めて出会った、「高機能自閉症」の青年との
楽しい指導の日々、退勤時の車の中で、
彼の天真爛漫な姿に涙したことを。
3月中旬、私は前言を撤回し、担当を継続する旨を表明しました。
最後の離任式、出発式には、そのベテランの先生の元に集まった
たくさんの親子が涙ながらに感謝のことばを述べていたのを
今でも忘れません。
そして13年、私は自分の運命が間違っていなかったと確信します。
彼らの「切なる願い」をこれからも胸に刻みながら、
通ってくる子ども達のために、
支援を必要とする子ども達のために、
これからもがんばりたいと思っています。
***
戸部けいこさん、ありがとうございました。
私はあなたの切なる願い、理想の社会、教育が実現するよう、
生きていきます。
↑ 特別支援教育ブログランキング。1クリックを
***
PR